第9話 忍び寄る悪


 不破が俺の前から消えて数日が経った頃──「ジャスティス・カケル」という存在が、徐々に世間に認知されていた。

 というのも、あの後も俺がコツコツと善行を重ねていたからだ。

 カツアゲ君が出たと聞けば、そこへ赴いてカツアゲを未然に防ぎ、電車内での痴漢被害が急増したと聞けば、ユナから定期券を借りて電車で張り込んだり、悪ガキグループが万引きをしていると聞けば、良く被害を受けている店の中を巡回したりと、とにかく、俺が出来る範囲でやれることはすべてやってきた。そして、気が付けば、冬浜市でジャスティス・カケルの名を知らない人間はほとんどいなくなっていた。



「──ねえねえ、聞いてる? カケルちゃ~ん?」



 唐突に聞こえてきたユナの声に、脳を無理やり起こされる。どうやら連日の疲労がたたって、俺は自室の勉強机に突っ伏して眠っていたようだ。俺は寝ぼけまなこをこすりながら振り返ってみると、そこには勝手に俺の部屋に上がり込んで漫画を読み漁っている、ユナの姿があった。



「あ~、起きた~?」


「……ユナ、何度も言ってるだろ。人の部屋に勝手に上がって来るなって。勝手に人のベッドに横になるなって」


「え~? カケルちゃんが勉強教えてあげるっていうから、来たんじゃ~ん」



 ユナに指摘され、そんなこともあったっけ、と思い出してみるが、全く頭が働かない。寝起きだからしょうがないか、というふうなことを考えながらユナを見ていると──



「あ~、その顔。もしかしてカケルちゃん、約束忘れちゃったの~?」


「……忘れたというか、覚えてない」


「一緒だよぉ。ひどいなぁ、もう」


「一緒じゃねえよ。つか、たとえそんな約束してたとしても、普通勝手に漫画を読んだりはしないだろ」


「え~、いいじゃ~ん。減るものじゃないんだしさぁ。それよりも今週のSOBA、面白かったねぇ」


「いや、なんだよSOBAって。蕎麦じゃねえかそれ。ケイオスインザダークネス。C.I.T.Dだろうが」


「えへへ~、そだっけ?」



 我ながら、なんでSOBAという情報だけで、ユナが何を読んでいたのかまでわかるんだ。



「はぁ……、もういいや。とにかく今日はもう勉強教える気分でもないから、帰ってくれ」


「そりゃないよ~。横暴だぜ~、カケルちゃん」


「ここは俺の国だから、多少の横暴は法の解釈違いで済ませられるんだよ」


「そんなぁ……法は人民のためのものでしょお?」


「おまえは民草じゃないから適応されないんだよ。……ほら、どうでもいいこと喋ってないで、さっさと帰れ」



 俺はベッドの上で寝ころんでいたユナの手首をつかむと、そのままズリズリとひきずって、床に落とした。



「あだっ!?」



 顔面からフローリングの上にべちゃっと落ちるユナ。

 なんでこいつはまったく受け身を取らないんだ。



「ほら、大丈夫か」



 俺はユナの体を反転させると、そのまま強引にその場に立たせた。ユナは赤くなった鼻を抑えながら、恨めしそうに俺を見上げている。



「うう……折れちゃったよ~」



 鼻をつまんでいるため、若干鼻声になっているユナが、責めるように俺を見てくる。



「はいはい、そんなので折れるわけないだろ」


「いんや、折れたねぇ。私にはわかるよぉ。こりゃあまずいねぇ。ふがふが」


「じゃあ見せてみろ」


「い、いやあ……見たら気絶するかもねぇ。カケルちゃん、昔から血とかダメじゃん?」



 俺はここで大きなため息をひとつついた。

 ユナがこうやって、無い頭で色々と部屋にとどまろうとしているときは、絶対に何かある時だ。さすがにここまで付き合いが長いとそこまでわかってしまう。

 俺は勉強机の前。デスクチェアに座りなおすと、ユナを見て言った。



「なにか、話したいことでもあんのか?」


「え~っとねえ、カケルちゃんって、ジャスティス・カケルって知ってる~?」



 突然のことに、俺の心臓がドクンと大きく跳ねる。いままで閉じかけていた目も、濁っていた思考も、サーッと水で洗い流されたようにクリアになる。

 まあ、俺と変身後の俺。どっちも〝タケル〟だから、いつかバレるとは思ってたけど、まさか最初に指摘する奴がユナだったなんて。



「……タケルちゃん? おーい? 寝ちゃった~?」


「ああ、わるい。ボーっとしてた」


「おやおやぁ、風邪かなあ?」



 ユナはそう言うと、有無を言わさず、前髪をかき分け、露出した額を俺に近づけてきた。

 なんて原始的な奴だ!

 俺は近づいてくるユナの顔面をわしづかみにすると、そのままベッドの上に押し倒した。



「いったぁ~い、何するの、カケルちゃん」


「うるせえよ。ユナもいちいち変な事するな。……それで、そのジャスティス何某なにがしがどうしたって?」


「カケルちゃんと名前が一緒だねえって」


「……そんだけ?」


「ん~?」



 嘘だろ。

 ユナは何か不思議なものでも見るように、首をかしげて俺のほうを見ている。

 まさか、ユナの言いたいことってそれだけかよ。俺とジャスティス・カケル。〝カケル〟がかぶってるねって。嘘だと言ってくれ。



「……ごめんユナ。なんか頭痛くなってきたわ」


「だいじょぶ? おばさん呼んでこよっかぁ?」


「いや、多分寝れば治る。話が終わったならもう帰ってもらえるか?」


「あ~……ううん、話はまだあるんだけど、カケルちゃんの体調がよくないのなら、また今度にするよぉ」


「……なんだ、まだあったのか?」


「う~ん」


「いや、どっちだよ」


「えっとねぇ、それがねぇ、私のお友達の話で……」


「おまえ、友達いたんか」


「いるよ~! なんだよ~、も~!」



 ユナはそう言って、頬を膨らませてぷりぷりと怒った。

 意外だ。

 小学校の時は6年間ずっと俺にべったりで友達どころじゃなかったから、中学校でもそんな感じなんだろうと思ってたけど、中学2年生にして、まさかの事実発覚。ということはあれか、むしろ俺がいないほうが、ある意味ではユナのためになるんじゃないのか?

 ……高校、ユナと違うところに変えよっかな。



「悪い、話の腰を折った。それで、その友達がどうしたって?」


「うん、そのお友達、名前は美里ミサトちゃんって言うんだけどねぇ。その子、ある日突然学校に来なくなっちゃって……」


「転校したのか?」


「ううん。転校したら、先生から連絡が来るはずでしょぉ? でも、そういうのはなくて、それに私とも仲が良かったし、急にいなくなるってことはないと思うの~」


「……まあ、そうだよな。転校するなら、せめてヒトコト挨拶するよな」


「うん。……それで、私も心配になってぇ、美里ちゃんの実家……あ、美里ちゃん、お母さんもお父さんもいなくて、施設で暮らしてるのぉ。だからその施設に行ってみたんだけどぉ……」



 そこまで言って、急にユナの顔が曇る。いや、一層カゲになると表現したほうがいいかもしれない。

 ともかく、ユナはすこし言いづらそうに、口をもごもごとし始めた。



「……行ったけど?」


「『そんな子、いない』って追い出されちゃって……」


「そんな子はいない……か。たしかに妙だな。それか、本当は美里ちゃん、なんて名前の生徒はいなくて、全部ユナの妄想だったとか」



 うーん。

 冗談ぽく言ってはみたものの、あながち強く否定することが出来ない。



「ちょっとぉ、怒るよ~!」


「ははは……まあ、冗談は置いといて、たしかに気になるな、それ」


「でしょお? 学校ではずっと空席で、欠席扱いになってるしぃ……私、心配で心配で……」


「なるほどなぁ。……てか、なんでそれ、俺に相談したんだ?」


「ええ~? だって、最近よく聞くジャスティス・カケルって、カケルちゃんのお友達なんでしょお?」


「……そう来たか」



 このパターンはさすがの俺も予想できていなかった。しかもまさか、同一人物ではなく、別人パターンだったとは。毎度毎度、こいつの突飛な発想には驚かされる。

 ここは是非とも、なんでそういう考えに至ったのか、を問いただしたいところだが、以前それをやって頭がおかしくなりかけた事があったので、今回はちょっと自重しておこう。

 とはいえ、これはこれで興味を引くトピックではある。

 その美里ちゃんって子には悪いけど、俺はこの謎を面白く思っているのかもしれない。

 ただ、今やるべきは、目の前のユナの処理で……さて、どうやって釈明したものか。



「あー……よくわかったな、ユナ」


「え~? なにがぁ?」


「ジャスティス・カケルが、俺の友達だということがだ」


「やっぱりぃ?」


「ああ。さすがの慧眼だ。恐れ入った。まったく、ユナはなんでも知ってるんだな」


「ふふ~ん、もっと褒めてもいいんだよ?」



 ユナは得意になっているのか、胸を張って威張っている。

 全くもって御しやすいな、このナマモノは。



「そんなスーパーウルトラステューピッドなユナに、折り入ってお願いがあるんだけど、聞いてくれるか?」


「んふ~、よきよき。なんでもござれ~? ……ちなみにカケルちゃん、ステューピッドってどゆ意味?」


「カッコイイって意味だよ」


「お~、持ち上げてくれるねぇ。今日のカケルちゃんは気前がいいねぇ」


「……それで願い事なんだけど、まずひとつめ」


「複数あるのぉ?」


「ダメか?」


「いいよぉ」


「いいんかい」


「うん。カケルちゃん、普段あんまり私を頼ってくれないから、なんでも聞いてあげちゃうさ」


「そっか。サンキュな。……じゃあ、早速だけど、ひとつめ。俺がジャスティス・カケルの友達だってことは、言いふらさないでくれ」


「ありゃ。……なんでぇ?」


「そりゃおまえ。ジャスティス・カケルは正義の味方だろ? そいつがどこで繋がっているか、なんて知られたらそれが弱点になりかねないからな。だから、こういう情報はできるだけ知っている人間を限定したほうがいい。要するに、最低限のリスクヘッジってわけだな」


「あぅ……よくわかんないけど、とりあえず、あんまり人には言わないほうがいいってことだよね? わかったよ。できるだけ言わないようにするねぇ」


「できるだけじゃなくて、是非、お口にチャックしてくれると助かる」


「うん。お口にファスナーだねぇ」



 なんで言い直したんだ、こいつ。まあ、ジッパーじゃないだけましなんだけど。



「……それと二つ目、その施設の場所を教えてくれないか?」

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