第2話 甘言
イ草の湿った匂いに、番茶の鼻奥をくすぐられるような香り。
〝お茶を飲む〟と宣言してしまった俺は、見事〝駄菓子屋不破〟の内部へと潜入する事となった。開店前という事もあり、店に人が出入りしている様子はなく、店内は俺と不破しかいない。俺たちは菓子が陳列されている場所からさらに奥──四畳半一間の、質素な部屋で、これまた質素なちゃぶ台の上で肘をついている不破に、あろうことか、身の上話をしていた。
俺が一言一句紡ぎ出すたびに、不破は「ふぅん」「そうかぁ」「なるほどねえ」と相槌を打っているものの、表情がまったく読み取れない為、何を考えているのか全く分からない。微かに読み取れる情報と言えば、たまに菓子を口へ運ぶときにちらりと見える、なぜか妖艶な唇のみ。
なんだ?
俺はここに来て、不破の素顔について気になってきているのか?
「……なるほどね、そういうことか。つまり、小学生の時、君がよく
なんてこった。ここまで初対面の人間に話す内容でもないのに、なぜ俺はここまで話してるんだ。バカか。……でも、なんというか、不思議だけど
「ちがう」
「うん? 違ったっけ?」
「ボコボコにされているのんじゃない。ボコボコにされてやっているんだ」
「どゆこと?」
「やろうと思えばボコボコにし返すことも出来るけど、それだとまた違うヤツがあいつらの対象になるかもしれない。だから俺が、甘んじてあいつらの暴力に身を委ねているだけだ」
「なるほど。でもそれって、結局ボコられてるってわけだよね」
「そうとも言える」
「見栄を張っているんだね」
「……はあ? ははは、張ってないし!」
「まあまあ、落ち着きたまえ。見栄を張るのは別に悪い事じゃない。けど、その相手は選んだほうがいいよ」
「どういう意味だ」
「たとえば、動物の中にも、自分の体を大きく擬態させて外敵から身を守ったり、逆に撃退するような種はいる。これも〝見栄を張る〟事に分類されることだけど、キミは今、命の危機には晒されていない。だから見栄を張る必要なんてないし、それに、見栄を張る相手を間違えている」
「相手?」
「そう、真に君が見栄を張るべきなのは、私ではなく、その同級生たちだ。詳しくはよくわからないけど、最近の子たちは昔みたいに
「取り返しがつかなくなる……」
たしかに身に覚えはある。身長や体重が俺に追い付いてきた、と言っても、ある日突然俺と同じ身長になったわけじゃない。徐々に、徐々に、俺に追いついて来たのだ。
そしてある日、やり返された。今日受けた暴力を鑑みる限りだと、その日もなんとなく向こうは遠慮がちだったかもしれない。小突いたり、足を踏んづけて来たり、頭を叩いて来たり。なぜなら俺は、今まであいつらの脅威であった存在だからだ。そこから徐々にエスカレートし、今では本気の殴る蹴るの暴行だ。不破は、目の前の痴女は、石野たちがそれ以上の行為に及ぶかもしれない、という事に警鐘を鳴らしているのだろう。
だがまあ、さすがに道具かなんかを持って、殴りかかるような真似はしないと思う。つまり、これは不破のお節介であり、心配し過ぎに他ならない。
「……まあ、大丈夫だろ。あいつらもそこまでバカじゃないんだし、それに、いざとなったら返り討ちにするし」
「ふうん? ま、キミがそれでいいんだったら、私もその事については、これ以上何も言わないさ」
「じゃあ、話は終わりだな? もう帰るからな」
「おおっと、待って待って。まだ私のほうから
「本題……まさか、いままで俺に気付かれない程度の駄菓子屋だから、無理やり俺に駄菓子を売りつけようとしているのか?」
「前言撤回。キミはなんて想像力が豊かな少年なんだ。まさか、私が〝本題〟と切り込んだだけで、そこまで発想を飛ばせるなんてね」
「……なんだ、違うのか」
「まあ、あながち間違っていないけどね」
「やっぱりか。……いいか、俺は駄菓子なんて軟弱なものには……あまり興味はない」
「〝全く〟ではないんだね」
「そこはいいんだよ! とにかく、俺に駄菓子を売りつけようとするなら無駄だぞ。絶対買わんからな。……まあ、出してくれた菓子と茶にはいちおう礼を言っておくが……」
「ははは。安心してくれたまえ。私がキミに
「……自分のところで取り扱っている商品を〝ちゃちなモン〟と切り捨てるのは、さすがにどうかと思うぞ」
「問題ない。この場合、絶対的に〝ちゃちなモン〟と言っているわけではなく、これから私が少年、キミにおすすする商品に比べると、相対的に〝ちゃちなモン〟になるという事さ。駄菓子は素晴らしいけど、私が今から紹介する商品はもっとすんばらしいんだよ」
「話が長いな……」
「おや、自身の思考を口からアウトプットする作業はあまり得意ではないのかな? 暇なときなんかに是非、やってみるといい。私はそれをやり始めてから部下に著しく嫌われるようになってしまった」
「ダメじゃねえか! ……てか、部下居るのかよ、こんなこじんまりした駄菓子屋に?」
「……まあ、部下と言っても、前に勤めていた会社の部下だよ。今もたまに手伝ってくれたりしているよ」
「へえ……」
どうでもいいな。
「ともかく、話を戻そう。私が今回紹介する商品はコレ!」
そう言って、不破が意気揚々と取り出しのは、ご存知、あの有名なチョコレート菓子、〝黒い稲妻〟だった。サクサクの生地をチョコレートでコーティングしている、よくある菓子なのだが、値段がビックリするくらい安い。そしてそれなりにカロリーもあるから、学生の味方でもあるのだ。
「あれ、あんまりビックリしていないね」
「するはずないだろ。だってそれ、俺もよく食ってるよ」
「ああ、違う違う。これはね、パッケージだけを流用しているもので、中身は全然違ったものなんだよ」
「中身が……? でもそれ、いいのか? 詳しくはよくわからないけど、商標とか名前とか、あとは倫理的に……」
「あっはっはっはっは。何言ってるんだい」
俺がそう言うと、不破が高らかに笑いだしてしまった。そのあまりの
「問題しかないに決まってるじゃないか」
「ダメじゃねえか!」
「うん、ダメだよ?」
「なんでそんな平静に……まあ、いいや。それで? 中には何が入ってるんだ? 話を聞く限りだと、相当ヤバいモンが入ってるようにしか思えないんだが……まさか、薬!?」
「薬と言っても、キミが想像しているような、脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜる感じの、あの薬じゃないよ」
「じゃあ、何なんだよ」
「これはね、キミに
「……おまえ、もしかして薬やってないだろうな?」
「あっはっは。私があんなのやるわけないだろ」
「あんなのって、やったことあんのかよ」
「……ないってば」
「なんだよ、その変な間は」
「本当にないよ。……まあ、成分は研究したことはあるけど、あれに生産性は皆無だったからね。ただの使用者に害をもたらすだけのモノに興味はないよ」
今度はなぜかストンと腑に落ちた。
〝興味がない〟
そのヒトコトだけで、本当に不破は興味がないのだと、俺の中で説得力が生まれた。
「……でも、力を与えるとか言われてもなぁ……あ、それもしかして、あれか? オリンピックでたまに使用者がいるとか言われてる、ステロイドとかいうやつか?」
「ちがうちがう。あれはただの一過性のものだろう? 使ってしばらくすれば効果がなくなる。けど、これはそういうのじゃないんだ。一度使えば、半永久的に力を使えるようになる」
「力って言うと……純粋な力が強くなるのか? それじゃあ、やっぱりステロイドと変わらないんじゃね?」
「そうだね。こっちの概念に照らし合わせるとそうなっちゃうか……」
「こっちの概念?」
「ああ、なんでもないよ。気にしないで。……そうだね、どう説明したものか。たしかに少年の言う通り、純粋に力が強くなることもある。けど、〝力〟ってのはそうじゃないんだ。たとえば……そうだ、少年。キミ、漫画とかアニメとか映画とか見るかい?」
「ま、まあ……多少は……」
「そっかあ。うんうん、それだと説明しやすいね」
「説明? そんなに難しい事なのか?」
「いーや? つまりね、〝力〟というのは、当世風でいうところの〝能力〟なんだよ」
「能力って……あの、手から火を出したり、足から火を出したり、尻から火を出したりする……あれか?」
「なんで頑なに、いろんな部位から火を出したがるのかはわからないけど、感覚としてはそんな感じだね。伝わったかな?」
「いや、伝わったのは伝わったけど、ありえねえよ。信じられねえ」
「なるほどね。今度は説得力か。たとえば、今、私が手から火を出したら、キミは信じてくれるかな?」
「いや、手品だと思うだろうな」
「手品か……それいいね」
「は?」
「うん、それだ。手品が出来るようになる素敵物質。それだよ、やっぱり現地人に見せて正解だった」
「現地人? おまえ、外人なのか?」
「そうだね。少なくとも日本人ではないよ」
今の問答で、より一層怪しさが増す。
でも、こいつは俺に対して、なんというか、敵意や害意といったものがない。なりふり構わず、有無を言わさず、強引に、俺にその
ただ、いきなり、面と向かって『能力がもらえるよ!』とか言われて、怪しむな、というのは無理な話である。
「じゃあ、逆に訊くけど、私が何をすれば、少年はこの素敵物質を信じてくれるんだい?」
「何をされても特に信じるつもりはないけど……そうだな、学校をぶっ壊してくれたら信じるかもな」
「あっはっは! なるほど、大きく出たね! ただ悪いんだけど、それは無理なお願いだ」
こっちだって本当にやれるとは思っていない。だが、これを断っているという事は、やはり出来ないということだろう。……それにしても、本当に今さらだが、コイツはなんで俺に対してこんな事をしているのだろう。意味もそうだが、意図もわからない。
「本当にぶっ壊したらマコトくんに怒られちゃうからね」
「……は?」
「ああ、ごめんね。マコトくんっていうのは私の友達で──」
「いや、そっちじゃない。本当に、やろうと思えばできるのか?」
「うん。やろうと思えば、ね。やらないけど」
「じゃあ……そうだ。この、ここのちゃぶ台に手を触れずに破壊することは……?」
「出来るよ」
「や、やってみてくれないか……?」
我ながらどうかしていると思う。出会って間もない人に対してこんな願い事をしてしまう俺もそうだが、心の奥底で、本当に出来るんじゃないかと思っている俺がいる事に。根拠はないし、説得力もないし、なにより本人を信用できるかどうかもわからないのに、俺は、俺の目の前にいる不破という得体の知れないヤツに期待しているのだ。もしかしたら本当に、こいつは俺を
本当に、どうかしている。
「ええ~、また買ってくるの面倒くさいんだよなぁ……そこそこいい値段のちゃぶ台だし」
「じゃあ、俺が家から持ってくるから!」
「うーん……、わかった。じゃあ、上にあるお菓子とお茶をどけてくれない?」
不破に促され、俺はちゃぶ台の上にあった菓子をすべて拾い上げ、ポケットに詰めると、ふたつある湯呑みと急須を、手に持とう……としたが、熱かったため、すこし離れた場所へ移動させた。
「さあ、やってみてく──」
準備は完了。あとは振り返り、不破がちゃぶ台を破壊するところを見るだけ……のはずなのに、俺は
ちゃぶ台がない。
さきほどまで、この部屋の中で、一番目を引いていたちゃぶ台が忽然と姿を消している。
音もなく、余韻もなく、ただ
俺がちゃぶ台の上から菓子をどかし、茶をどかした時は、当然だがまだあった。
そして、すこし離れた場所へ移動し、畳の上に茶を置いて振り返った時、部屋の中にはすでにちゃぶ台が消失していたのだ。
「どうかな?」
意味深ぽく不破が俺に尋ねてくる。ぶっちゃけ『どうかな?』と言われても、『何が?』としか返しようがないし、それ以上なにもすることが出来ないのだが、俺は、すこしだけ、ほんの少しだけ、興奮していたのかもしれない。
「……ちゃぶ台を戻せるか?」
「お安い御用」
不破は軽やかに言うと、俺に、白くて細い、しなやかな指先を向けてきた。
──クイ。
不破の指が上を向く。俺はそれと同調するようにして、思わず上を向き、すぐに顔を戻した。
「ちゃぶ台が……」
戻っていた。何食わぬ顔で。
今度は逆に、さっきまでなかったものが、突如出現していたのだ。もちろん、今度も音や余韻は全くない。俺は何が何だかわからず、よろよろとした足取りで、ちゃぶ台に近づいていくと、膝をつき、そこにあるちゃぶ台をペタペタと撫で回した。
素材は木。ところどころささくれ立っており、油断していると手に突き刺さってしまいそうだ。さっき不破が〝いい値段〟と言ったのは一瞬で嘘だとわかった。
それと、ひんやりとしている。まるで冷蔵庫から取り出したばかりみたいな。あとは特に変わったところはない。木目も大きさも、全く一緒だ。
「……手品か?」
「能力だよ」
「俺はちゃぶ台を破壊しろと言ったんだが……」
「不満かい?」
「まだ信じられない」
「疑り深いね」
「真面目だからな」
「真面目なのは関係ないと思うけど……まあいいや。じゃあ今度はちゃんと見ててね」
不破はそう言うと、俺にちゃぶ台から離れるよう、手を振ってジェスチャーを送ってきた。不破はちゃぶ台に手をかざすと、ギュッと手を握り、拳の形をとった。すると──
「な……んだ、これ……?」
俺の口から驚嘆の声が漏れる。ちゃぶ台はまるで、四方八方から物凄い力で、急速に圧縮されたように小さくなってしまった。それも縮尺されたのではなく、くしゃっと、紙のように丸まっている。
「これが……さっきの手品のタネか?」
「いいや? さっきのは、ここではない
「なんで……」
「なんでって……誰だって極力私物は破壊したくないからね。要は少年を納得させられればよかったんだ。べつにこのちゃぶ台を潰そうが潰さまいが、キミが私に能力はあると感じさせればそれで十分だったのさ」
「いや、そうじゃなくて……なんでただの駄菓子屋が、こんな力を持ってんだよ」
「ただの駄菓子屋じゃないからじゃない?」
「じゃああんたは一体……?」
「ふむ。そこから私からは何も言えない。私はキミに力を示した。あとは、キミがこの力を受け取るか否かだ」
「……なんで、〝俺〟だったんだ?」
「それは適当に目についたから……なんて言っても、キミは納得しないよね?」
不破に言われ、俺は力強く頷いた。
勿論だ。そんな理由で納得できるほど、俺は
「キミの纏っている負のオーラがすごいから……とでも言っておこうか」
「負の……オーラ?」
「そ。正確に言うと、キミじゃなく、キミに
「俺へ向けられている……もしかして、石野たちのことか?」
「さあ?」
「さあって……石野とかが関係してないとしたら……誰だ?」
「……とにかくそういう事。差し出がましいようだけど、私は私なりに、『あ、この子、放っといたら死ぬかも』と思って、キミを呼び止めたわけ。要するに、ただの親切心さ」
「……し、死ぬ!? なんで!?」
「それはほら、企業秘密ってやつさ」
「いやいや、意味わかんねえよ!」
「当り前さ。キミにわかるようには言っていない。さあ、いきなりこんなところまで引っ張ってきて、さらに能力まで見せた私が言うべきことじゃないけど──これが最後だ。この能力、要るかい? 要らないかい?」
なんという理不尽な二択。
逆にこんなのに騙されるほうがどうかしてるだろ。言ってやるんだ、俺。毅然とした態度で断ってやれ。薬物行為はNO、と。
俺は不破の持っていた黒い稲妻を強引に奪い取ると、仮面を見てハッキリと言ってやった。
「要る」
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