八章

  八章



 シンの声と確信したあやは直ぐにでも奈美を助けに行かねばならないと思ったが流石に一人では危うい、だが親父に言うのはもっと危険だと思い取り合えず誠二に電話を掛けた。誠二はこう言う「親分に頼んだらいいのでは?」と。

「いや、親父に言えば事が大きくなってあいつら何しでかすか分かったもんじゃない、ここは少数精鋭で行った方がいいと思うんだ」

「なるほど、じゃあ明日二人で行こう」

「それがシンは私一人で来いと言ってるんだよ」

「それは危ない、いくらあやが天下無双とはいえ危な過ぎるよ」

「確かにな」

「明日は取り合えず学校に行こう、学校で綿密な打ち合わせをしよう、シンさんも手荒な事はしないだろう」

「そうだな」と言って電話を切った。


流石のあやもその晩はなかなか眠れなかった。何故シンがそんな事をしたんだ、あいつとは結構古い付き合いだし恨みを買うような事も思いつかない、シュンの破門の件でもこの渡世では当たり前の事だ、一体何故だ、だがシンがいなければ親父も疑う、どうすればいいんだ、あやは葛藤していた。

冷静になろうと煙草に火を着ける、そして背中の入れ墨を鏡で眺めた。すると思いついた事があった。そうだ昇兄ぃに頼もう、昇兄ぃなら絶体力になってくれる筈だ!と。

あやは晩も遅かったが躊躇せず昇兄ぃに電話を掛ける。意外とあっさり出てくれた。

「お嬢かい、久しぶりだな、こんな夜更けにどうしたんだ?」

「それがちょっと力を貸して欲しいんだよ」

事の詳細を話すと昇兄ぃは快く助力する事を引き受けてくれた。

昇兄ぃというのは名は昇司で彫り師を生業としているのだが、あやの入れ墨も彫ったのも昇司であった。彫り師といってもヤクザもんで出入りの時には親父も必ずといっていいほど助っ人として呼んでいたこの男は極道社会でも『毘沙門の昇司』と恐れられその名を轟かせていた。


翌朝あやは昇司に学校まで送って貰い親父にはシンは体調を崩したと誤魔化した。

その日はあやも誠二も奈美の事が心配で授業など完全に上の空で聞いていた。奈美は真面目な性格で無断で学校を休むような子ではなかったので先生も心配しているに違いない、一刻も早く奈美を助け出さなければと気が気でならない。二人は苛立っていた。

昼休みに誠二と会ったあやは早速段取りを伝える。昇司の事を訊いた誠二は頼もしい人が味方についてくれたと少し気が楽になった。

午後からの授業中あやはサイコロを何度も振り続けた。だが何度振っても2、4、6の丁、つまり偶数ばかりが出るのである。あやの好きな半は一向に出ない。それを訝ったあやは自分の賽振りの腕を疑った。こんな事は初めてだったのであやはらしくもなく少し暗鬱な気持ちになった。


六時間目の授業が終わり二人は足早に車に乗り込む。昇司は至って冷静沈着である。

その姿を見たあやは「流石は昇兄ぃ、動じるという事を知らねえんだな」と煽てる。

何も言わない昇司を見た誠二はそのあまりの風格に気後れしていた。

道中あやは「それにしても分かんねーな~、何であいつがこんな事をしたんだ?」と怪訝そうな顔をする。誠二は黙っていた。すると昇司が初めて口を開く。

「お嬢よ、そんな下らねー事考えても仕方ねえ、人間ってのは色んな事を考える生きもんさ、俺達はただ行く道を行くだけなんだ」

確かにその通りだと思った。

「で、あんさんは?」

「あ~こいつは誠二だ、私のダチだよ」

「いい目つきをしてるね~」

「こいつ前まではひ弱な真面目君だったんだよ、でも空手を始め出してからなんか貫禄が出て来た感じだな」

「ふっ、なるほど、で兄さん名前は?」

「誠二です」

「誠二さんかい、またヤクザ向きな名前だね~」と昇司は軽く笑う。

「まだ時間がはえーな、茶店で潰すか」

「いや、昇兄ぃ、そんあ悠長な事は言ってらんねーって!」

「何を焦ってるんだいお嬢」

「別にそういう訳じゃねぇけど・・・」

昇司の言う通り三人は気茶店に入った。客の少ない昔ながらの巡喫茶という感じの店だった。

相変わらず昇司はドンと構えて坐って煙草を吸っている。その箔の付いた姿をあやは笑みを浮かべながら見ている。

誠二も何も言わずに窓から外の景色を眺めながらアイスオーレを飲んでいた。

それから一同は約二時間も店に居たのである。午後六時を過ぎて痺れを切らしたあやがそろそろ行こうと言おうとした瞬間、昇司が「行くか」とゆっくり口を開いた。


第三埠頭に着くと辺りは閑散としていてほとんど人気がなく風が少し吹いていた。

この辺りは数年前から廃工場や、使っていない倉庫、三階建てくらいの雑居ビルが立ち並んでいて殺風景な場所になっていた。

短髪に薄い色のついたサングラスにコート姿の鋭い目つきをした昇司は愛刀の村雨を手に持ってゆっくり車を降りる。そしてまた煙草を一服する。

あやも一服着けた。昇司は誠二にも「兄さん吸うかい?」と煙草を勧めたが誠二は断った。

あやはいよいよか~と意気込んでいる。

倉庫の門前に着くと昇司は「二人はここで待ってろ、俺が呼ぶまで絶体に来るな」と言うのである。

「そりゃねえぜ昇兄ぃ、いくらあんたでも一人では無理だよ、向こうは何人いるか分かんねーんだぜ、だいたい私達は何しにここまで来たんだという事にもなるだろうよ」

「冗談だよ、さ、行くか」と扉を開けて三人は進み出した。


暗い倉庫の中を歩いて進むと奥の方に灯りが見える。その方角から声がした。

「お嬢、こっちです」それはシンの声であった。

それを訊いた昇司は疾風の如き隼さで奥まで突き進み一瞬にして数人を斬ったのである。それを見たあやと誠二は愕いたが後に続いて仕掛け出した。

敵は完全にビビっていた。歯が立たないと思った一人がチャカをぶっ放そうとした刹那、昇司がそいつの指を斬った。その余りにも鮮やかな立ち回りに敵も味方も呆然と立ち尽くしている。シンは流石にあやが一人で来るとは思っていなかったが何故昇司が分からなかった。勝負は僅か数分で決着が付いたのである。

昇司の鬼神の如き強さと隼さにあやはただ愕いてはいたが一度この人と勝負してみたいとも思った。


奈美は無事であったが嬉し泣きしている。誠二が「奈美ちゃん大丈夫?」と訊くと奈美は誠二に抱き着いた。

シンとシュン、他の半グレみたいな奴等もボコボコにやられて立っているのも辛そうだ。

昇司はシンの手下達を解放してシンとシュンを車のトランクに詰め込み、あや、誠二、奈美を連れて事務所に帰った。

その道中、みんなは何も口に出さない。誠二と奈美は途中でそれぞれの家に帰された。

事務所に着いた昇司はトランクから二人を引きずり出して親分に差し出す。

親分は何時ものように着物姿のいで立ちであやの顔を睨みながら出て来た。

事の成り行きを訊いた親分はシンとシュンの二人をぶん殴って動機を問いただす。二人は恐る恐る口を開いたがその言葉にみんなは愕きを隠せなかった。

「お嬢があんまり生意気に自分達を顎で使うんで仕返しがしたいと思い犯行に及びました、シュンがシャブに手を出したのもそれが理由の一つでもあります」

「で、何時頃からそういう考え方をしていたんだ?」

「昔からです」

それを訊いたあやは昇司の言っていた通り人の気持ちなんか分かったものじゃないと改めて痛感した。

親分は多くは語らずに「もう二度と俺の前に面を出すな!」と言い放つと二人は大きな声で「すいませんでした!」と叫んで立ち去った。

昇司は「ではあっしはこれで」と一礼して帰って行った。

その後あやも親分に怒られたのである。

「何故俺に言わなかったのか? 無事に事が収まったからいいようなもの、もしもの事があったらどうするつもりだったんだ? お前は堅気さんにまで迷惑を掛けたんだぞ!」と叱責を受ける。確かにその通りなのだがあくまでも元凶はシンとシュンにあると思ったあやは反論する。「何で私だけが悪いんだよ?」と。

「別にお前だけが悪いとは言わない、今までのようにチンピラ同士のいざこざなら俺も何も言わないでおこうと思ったが今回は別だ、堅気さんに迷惑を掛けた事には違いない、それは絶体に許されないんだ」

親父らしい言い方ではあった。あやもそれ以上は何も言い返せない。

すると親分は「やはりお前が女だからなんだ、お前が男ならシンもシュンもここまでの事はしなかっただろう」と言うのである。

それを訊いたあやはせっかく静まった気持ちが逆流するような気がした。

「それどういう意味なんだよ!? 男も女も関係ねえだろ!」

「関係あるんだよ、お前はまだ子供だ、とにかく今後はもう喧嘩は辞めろ」とだけ言い置いて親分は立ち去った。


その晩もあやは眠れなかった。親父は決して男女という二元論だけで物事を捌くような人ではない、それなのに何故あんな事を言ったのか? 私の身を案じているだけなのか? それともまだ他に何かあるのか? と葛藤している自分自身にも苛立って誠二に電話を掛ける。

「おう誠二か、寝てたか?」

「いや、俺も今日はなかなか眠れなくてな」

「そうか、今から会えないか?」

「ああ、いいよ」

今度はあやから誠二の家に行った。誠二は母に気付かれないようにそっと玄関を開けてあやを部屋に通した。

部屋に入るなりあやはいきなり誠二に抱き着く。誠二もあやの身体を強く抱きしめた。

だがその目は涙で潤んでいる。誠二はあやの頬に伝う涙を舌で舐めて綺麗な顔に繕った。

そして服を脱がせると背中には見事な騎竜観音の入れ墨がまるで生きているように映る。

その背中を指先で優しくなぞり舌でそれを追いかける。するとあやは美しい喘ぎ声を上げる。その後あやは誠二と目を見つめ合わせて激しく口づけを交わした。

甘くて芳醇な香りが漂う。その色香に酔いしれた誠二は我を忘れて思う存分あやの身体を貪った。

こうして二人は初めて契りを交わしたのであった。

その晩は綺麗な三日月が出ていた。







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