第124話 届かぬ願い

 軽やかに飛び上がったその手には氷剣が握られている。叩きつけるように浴びせた一太刀がドラゴンの背中を直撃すれば、鋭い牙を剥き出しにして翼を激しくばたつかせた。それだけで巻き起こる凶暴な風は、周囲の木々を大きく揺らす。

 怯むことなくセリカの連撃は続く。夜凪ノンティスの力で自在に空を舞うと、頭上から凍てつく氷の矢を何本も打ち放った。

 ドラゴンは咆哮し、口から炎の塊を吹き飛ばす。あっけなく溶けた氷の矢の先で、セリカは剣を持ち直した。

 垂直に切り落とした炎の塊はすぐに炭となる。セリカが握っていたにより威力が相殺されたからだ。


 「焔鴉カウっ!」


 セリカは勢いよく手を振り下ろす。それを合図に、鏃のように鋭く尖った焔鴉カウはドラゴンの翼を貫いた。

 さらにドラゴンへ向かって斬撃を飛ばす。直撃した箇所からみるみると氷が広がれば、飛行力を失ったドラゴンは空中から落下していった。


 「よし、落ちるぞ!」


 落下するドラゴンを追いかけるセリカだったが、翼の結氷を吹き飛ばしたドラゴンは体勢を180度変え、空へと急上昇をはじめる。

 このままでは衝突だ。あまりの体格差にセリカも無事では済まないだろう。


 「セリカ、避けろっ!」


 夜凪ノンティスの声をかき消すほどに、ドラゴンのスピードは増している。さらに、そのままセリカを飲み込もうと大きな口をガパリと開けた状態で突撃してきた。

 セリカの体が水色に包まれたその一瞬、吸い込まれるようにセリカはドラゴンの中へ消えてしまった。


 「セリカが・・・食べられちゃった!」

 「あのバカっ!」


 一瞬の出来事に慌てるジンと夜凪ノンティスを前に、燃える一筋の光がドラゴンに向かって突進していく。それが何かを理解した夜凪ノンティスは声を張り上げた。


 「だめだっ、焔鴉カウッ!」


 夜凪ノンティスの声も虚しく、焔鴉カウはドラゴンの厚い皮膚により簡単に弾き返された。力なく落ちていく焔鴉カウ夜凪ノンティスは手を伸ばした。


 「無茶をするな焔鴉カウッ!僕たちだけじゃあ、魔法の形を変えられない!生身でぶつかっているようなもんだぞ!」

 「し、しかし、セリカが・・・」


 その時、頭上から声がする。その声にいち早く反応した夜凪ノンティスは体を翻し空へ昇った。


 「風精霊シルフ 夜凪ノンティス!」


 使役獣に乗ったジンが片手を上げる。その手に発現されたのは、鋭く圧縮された螺旋状の竜巻だった。


 「塵削風グラップ!」


 空気すらも切断する勢いのそれをジンが思い切りドラゴンへ向かって投げつけると、鋭利な風の斬撃がドラゴンの首元を大きく切り裂いた。

 確かな手応え。しかしジンは舌打ちした。


 「切断は無理か!」


 今ので、ジンの魔法力の器は完全に枯渇してしまった。使役獣も消え、空に投げ出されたジンはその身を任せるしかない。


 「ジンッ!!」


 ジンを助けようにも、精霊を使役できないジンに夜凪ノンティスは触れることすらできない。その時、切り裂かれた首元からポロリと落ちたのは、体に水の膜をまとわせたセリカだった。


 「夜凪ノンティス!」


 風が舞う。柔らかな風が空気の塊となり落下するジンを優しく受けとめると、セリカの制服がぶわりとめくれた。その背中には、しっかりと風精霊シルフの紋様が浮かび上がっていた。


 「セリカ、無事だったんだね!」

 「ドラゴンの口に入る瞬間、水の膜で自分を守ったんだ。でも外に出る手段がなかった。ジン先生、ありがとうございます、助かりました。」

 「もうフォローできないぞ。」

 「今ので完全に器が空になったからね。でも、咄嗟とはいえよくあの状態で僕を使えたよ。流石というべきさ。」

 「チッ!生徒に助けられるなんて教師失格だな。」


 口を尖らせたジンは上を見上げる。一撃は与えた。しかし、まだ大人しくしてくれる気はなさそうだ。


 「セリカ、どうしたの?」


 ジンと同じく上を向くセリカが難しい顔をしている。


 「違う。あの魔獣のじゃない。」

 「え?」

 「魔獣とは別の負の感情。」

 「なに?セリカ、何を言っているの?」


 セリカの言っていることが分からず夜凪ノンティスは思わず声を尖らせた。


 「・・・魔獣の体内に入った時、言いようのない感情で体中が針に刺されたようだった。哀しくて苦しくて悔しくて・・・。でもそれはあの魔獣のものではなくて、魔獣を通した別の何かの感情だった。」

 「もしかしてそれは、ドラゴンをあそこまで凶暴化させた負の意識かもしれん。体内という隔たりの無い空間で、それを直に感じ取ったんだ。」

 「息ができないほどだった。それでいて、この気持ちを誰かに分かってもらいたくて暴れているようだった。」


 セリカは思わず身震いをする。あんなドス黒い感情を抱いたことがない。


 「でも・・・」

 「でも?」

 「懇願するほどの失望感は分かった気がする。私も自分の分身でもあった精霊を失った時、張り裂けそうな失望感に苛まれたから。」


 焔鴉カウ夜凪ノンティスを交互に見る。こんなにも頼もしい精霊が一緒に戦ってくれているのに、どうしてもあの子の存在が頭をチラつくのだ。あまりにも身近すぎる精霊の存在に、セリカは混乱を拭うように頭を振った。


 「それでも、長引けば場が荒れるぞ。そろそろ決着をつけてこい。」

 「はい、わかりました!」


 勢いよく飛び出したセリカにドラゴンは怒りの咆哮を上げる。怯むことなく振り上げた氷剣は、鋭い爪をしっかりと受け止めた。


 「焔鴉カウッ!」


 ドラゴンがセリカに気を取られている間に、ドラゴンの頭上へ飛び出した焔鴉カウは3つに分裂し、勢いよく旋回を始める。

 輪を描きながら速さを増していく3羽は、太く朱い線条を出現させた。

 朱い円が空から地上へと伸びる。そこには的としてはもってこいの体躯を持つドラゴンが居た。


 「今だっ!」


 爪を足蹴にセリカは勢いよく円の外へと退避する。その瞬間、熱く濃い岩漿がドラゴンへと直撃し続けた。

 尽きることのない炎の岩漿はドラゴンの勢いをみるみると衰えさせていった。


 「焔鴉カウすごい!」


 燃え盛る豪炎に夜凪ノンティスが軽やかに宙を舞う。


 「セリカ、僕も僕も!!」


 コクンと頷いたセリカの腕の周りを、凄まじいスピードで夜凪ノンティスが回転しはじめる。やがてそれが鋭い円盤状の輪へと変化していくと、周囲の空気がピシピシと震えはじめた。

 大気すらも切り裂くほどの鋭利な武器へと進化した夜凪ノンティスを、セリカはドラゴンへ向かって放り投げた。


 「はは、俺の真似か?」


 攻撃の形は先ほどジンが見せた塵削風グラップと同じもの。思わず笑うジンだったが、自分の顔が引きつってるのが分かった。

 ドラゴンの尾に直撃した夜凪ノンティスは、見事にその尾を切断したからだ。


 「威力が桁違いだ。これが精霊を直接使うってことなのかよ。」


 手に戻ってきた夜凪ノンティスを再び放り投げると、痛みに狂乱するドラゴンは光弾を幾つも吐いた。


 「避けろ!」


 夜凪ノンティスは華麗に光弾を避けて見せる。そして再度ドラゴンへ向かって飛び出すと、今度は左足をスパリと切断した。夥しい量の血が空に踊ると、夕焼けのように空が真っ赤に染まった。


 「ひゃっほーい!ジンの全盛期みたいだ!」

 「なんだと!?」

 「あはは、ジンが焦ってる・・・ってセリカ!?」


 飛び回る夜凪ノンティスとは反対に、そこには両膝をついて項垂れるセリカの姿があった。


 「はぁ、はぁ、はぁ・・・!」


 呼吸が荒い。滴る汗も尋常ではなかった。


 「おい、大丈夫か!」

 「だ、だい、じょうぶ、です・・・」


 返事で精一杯だ。体が重く、いくら呼吸しても肺に穴が空いているのではないかと思うぐらい苦しい。


 (精霊に直接力を借りるのが、こんなにもキツイなんて・・・!)


 それでもドラゴンは待ってくれない。傷ついた羽を、なおも激しく広げ大量の旋風つむじかぜを生み出すと、それを容赦なくセリカへぶつけてくる。鋭利な斬撃はセリカの体を紙のように切り裂いていった。


 「う・・・ぅっ!」


 痛みの反射に発現したのは氷の刃。体に馴染んだ魔法が咄嗟に出たのだろう。しかし、それは呆気なく旋風つむじかぜに巻き込まれ、すぐに空へとかき消えた。


 「くっ!」


 認めざるを得ない。セリカは悔しそうに唇を噛んだ。

 何となく気づいていた事実に目を背けたのは、それを認めてしまえば今までの自分が信じられなくなってしまいそうだったからだ。


 (おっしょうの水魔法では太刀打ちできない・・・!)


 ダメージは与えている。しかし今までの戦いを振り返っても、水の魔法が決定的な一打にはなっていないのだ。

 焔鴉カウ夜凪ノンティスの攻撃の方が明らかに強い。精霊の力を直接使役しているのだから当たり前かもしれないが、その事実をどうしても受け止められないのだ。


 「体への負担も比にならない・・・。より水が軽く感じてしまう。」

 「セリカッ!」


 今まで感じたことのな疲労感に肩が下がる。夜凪ノンティスが自分を使えと言わんばかりに叫んだが、セリカが手にしたのは、またしても氷剣だった。


 「うらあぁぁっ!!」


 鋭く重い氷の斬撃は旋風つむじかぜとぶつかり粉々に散っていく。それでもセリカは何度も何度も斬撃を飛ばし続けた。


 「何やってんだ、アイツは!」


 らくしない動きにジンが息巻くと、飛び出したのは2つの光だった。


 (はぁ、はぁ、はぁ・・・ダメだ、攻撃が通らない・・・体力がもつか分からないが、焔鴉カウ夜凪ノンティスに力を借りるしか・・・)


 「焔鴉カウ夜凪ノンティス!来てくれっ!」


 セリカは手を振り上げる。しかし何の反応も起こらない。


 「焔鴉カウ夜凪ノンティス・・・?どこだ?」

 「ここにいるよ。」


 淡い光はセリカの離れたところで輝いていた。


 「でも今の君には力を貸せない。」

 「な、なんでだ!?」

 「そんな心情で僕たちを使えると思わないでほしいな。」


 2人の冷たい視線にセリカはドキッとした。2人は何もかもお見通しのようだ。


 「そんな心あらずの人間に僕たちが使えると思わないでほしい。」

 「だって・・・私は・・・」

 「水魔法で戦えないのが後ろめたいって?」


 図星を突かれたセリカは押し黙った。


 「真名まなの力が絶大なのは君が1番理解しているんじゃないの?真名のない魔法と比べても結果は分かっている。」

 「だって、私はあの子の真名を・・・」


 (知っている。でも知っているのにそれを叫び、戦えない。)


 「その子を取り戻すためにはこになったんだろう。そこが揺らぐなんて覚悟が足りていない証拠さ。」

 「く・・・」

 「迷っている間にも、ほら、あいつは待ってはくれないよ。」


 頭上から光弾が降ってくる。即座に氷の壁を張ったセリカだが、それはすぐに崩壊し石壁に吹き飛ばされてしまった。


 「つっ・・・!!」

 「このまま死ぬかい?君が倒れたら、あのドラゴンは暴れ続け、ここは焼け野原になるだろうけど。」

 「力を貸してくれるって・・・!」

 「勘違いしないでほしいな。僕たちの主人は君じゃない。僕らは主人の『想い』を受けてここにいるんだ。」

 「想い・・・」


 鋭い牙がセリカを襲う。セリカの制服が引き裂かれると忌々しい魔障痕が露になった。


 (この傷が・・・あの時、この傷を付けられたから・・・!)


 真夏の暑い日だった。その時は膝を抱えて棒で地面に絵を描いていた。膝裏にじんわりと汗を感じながら、伸びる影には麦わら帽子の形がハッキリと映っていた。

 切羽詰まる声で自分の名が呼ばれた時、視界には真っ青な空があった。仰向けで倒れたんだと認識した時には、手を引っ張られ無理やり体を起こされた。訳が分からぬまま、それでも引かれるままに走り出した時、背後から言いようのない恐怖が襲ってくるのが分かった。

 追いつかれたらタダでは済まない。理解した時にはすでに遅かった。伸びた鋭い何かを必死で避けた時、前を走っていた子を巻き込んで突っ伏し倒れたのだ。

 息もつかせず再び振り下ろされた攻撃をセリカは真正面から受け止めた。後ろに守りたい存在が居たからだ。しかしその子もセリカを守ろうと飛び出してきたことで、2人は同時に攻撃を受けることになる。受け身が取れず転がり倒れたセリカはすぐに立つことができなかった。

 腹部にビリビリとした痛みが襲い、恐怖で呼吸が乱れる。泣き叫びそうになる中、セリカは名前を呼んだ。いつも自分と一緒にいるあの子がきっと助けてくれるだろうと、水精霊ウンディーネの名を必死に叫んだ。しかし水精霊ウンディーネはその時からパタリと姿を消してしまったのだ。


 途中で不自然に途切れた魔障痕を触る。途切れた先の傷は、今もユイ君の体に宿っているだろう。


 (今、どこにいるんだろう。ユイ君・・・)

 

 魔障痕を付けた霊魔を殺したい。

 父さんと母さんに逢いたい。

 魔障痕が癒えた君と喜びを分かち合いたい。


 一瞬、タバコの匂いが香った気がした。一筋の光。力を取り戻すきっかけを私だけは疑ってはいけないのだ。


 目を開ける。目の前には目を覆いたくなる瓦礫の山が広がっていた。この中でどれだけの人が傷つき泣き、その悲しみを背負っていくのだろう。


 「気持ち、決まったみたいだね。」

 「ああ。」


 拳を握る。私は1人じゃない。力を託してくれた偉大な3人の背中が見えた時、セリカは声を張り上げた。


 「焔鴉カウ夜凪ノンティス!」


 2つの光が空へ昇ると、螺旋状の光と線に変化する。焦熱がドラゴンを包むとそれは数十メートルの幅へと広がった。大きく翼を広げ、ドラゴンも抵抗する。しかし猛烈な風が業炎を煽り、それはさらに激しく燃え盛る炎の柱と変形していった。

 大気すらも焼き尽くす。あまりの強い熱に、ジンは思わず後ずさった。


 「なんて力だ・・・。もう魔術師ウィザードの力を遥かに超越している・・・」


 セリカは強く握った拳を目の前でパっと解く。すると、一瞬で炎の柱が消えた。白目を剥き、焼け焦げたドラゴンが落下するとセリカは人差し指で空を切った。

 現れたのは2本の氷のランス。それはドラゴンの両羽に突き刺さり、完全に動きを沈黙させた。

 セリカの身体に輝く火精霊サラマンダー風精霊シルフの紋様が消えると螺旋状の光もそれぞれの2色の光へ戻り、そこには満足そうに息をつく精霊の姿があった。


 「はこか・・・恐ろしい力だよ。こんなの、精霊王が黙ってはいないだろう。」


 夜凪ノンティスの言葉に、焔鴉カウがゆっくり頷いた。


 セリカは激しく損傷した地にペタリと座って空を仰いだ。やがて聞こえてきた小さな嗚咽が少しずつ大きくなっていく。


 「うっ、うぁ・・・・ん・・・うわぁぁんっ・・!」


 涙がとめどなく溢れる。それを拭いもせず、セリカは空に向かってひたすら泣き続けた。


 「リタの口から他の男の名が呼ばれた時、血液が沸騰しそうだった。セリカに他の水精霊ウンディーネの名を呼ばせることを避けたのはお前なりの配慮だったんだろう?アイツと共に戦う道を残した希望だったんだろうな、親友ヴァースキよ。」


 「うわぁぁぁぁ・・・あぁ・・・っ・・・うぁぁ・・・ん!」


 魔障痕を付けた霊魔を殺したい。

 父さんと母さんに逢いたい。

 魔障痕が癒えたユイ君と喜びを分かち合いたい。

 お前といっしょに戦いたい。

 お前の名を、もう1度呼びたい。


 セリカの声はまだ届かない。声は埃と煙に汚れた煤の空に空しく溶けていった。

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