第122話 一陣
古来、人間よりも先に存在していた精霊。その精霊と共に共存していたのが魔獣と呼ばれるものたちである。
動物に似た形容を持つ魔獣たちはそれぞれの特性を進化させ現代まで生存してきた。性格は温厚な個体から獰猛な個体までさまざまであり、人間には見えない精霊を本能的に察知する能力があると言われる。
人間に使役された精霊を見た魔獣たちは、己を活かす存在である人間に寄り添うことでその力を自由に変化することを覚えた。それを使役獣という。
「急に何の説明ですか、ジン先生。」
空を飛ぶドラゴンから視線を外さないまま、それでもセリカは急に始まったジンの説明に疑問を口にした。
「あの生き物がどういうものなのかを説明してやったんだ。ヴァースキは使役獣を持っていなかったし、隔離された生活の中で魔獣を見る機会はなかっただろう?」
同じくジンもドラゴンから視線を離さぬまま会話を続ける。
「確かに、あんなに大きな魔獣を見るのは初めてです。」
「魔獣はその辺に多く生息しているが、人間界に接触してくる個体は少ないからな。あんなデカいドラゴン、俺も見たことがないさ。」
「なんでこのタイミングで・・・」
「あいつの眼を見てみろ。怒りで正気を失っている。おそらく、咎人に何かを植え付けられたんだろう。」
それでもあんな個体がこの学園に現れる理由には違和感を覚える。ジンは軽く首を捻った。
「あんなのに暴れられたらより被害が拡大する。どうしてもここで止めなきゃならんだろう。」
「そのつもりです。説明ありがとうございました。」
「まぁ、こうやって何かを伝え教えるのも最後だろうしな。」
「え?」
滑空していたドラゴンは、その巨体には似合わぬ速度でセリカたちに突進してきた。
セリカとジンは左右に飛び退き回避する。ドラゴンによって抉られた地は、その凄まじい威力をを物語っていた。
「ALL Element
両手を広げたジンの前に
「
鋭い風の刃が幾つもジンの手から飛び出していくが、大きく翼を広げたドラゴンはその全てを突風で吹き飛ばしてしまった。それでもジンは死角から再び刃を飛ばし続ける。しかし、ドラゴンに直撃した刃はその鱗に弾かれてしまった。
「なんて硬い体だよ。」
ジンは空に手を伸ばす。すると大気が低い音を唸らせ、しなやかな細い渦を作り出した。やがてその渦はどんどんと層を厚くしていき、黒く荒々しい竜巻へと姿を変えていく。
「
黒い渦がドラゴンをすっぽりと包み込むと、さらに渦の回転はその速度を早めていく。酸素すらも通さない密な空間に閉じ込められたドラゴンは、しかし口から強烈な光炎を吐き出しジンの魔法を無効化してしまった。
「おいおい・・・さっきのは少し本気を出したんだけどな。」
文句も言わないとやってられない。もう体力も魔法力もほとんど残っていないのだから。
「セリカ、一つ聞きたい。」
構えるセリカにジンは大声で話しかけた。
「精霊の
ジンの魔法を匣に入れたことで、セリカもジンの精霊の
「わかりません。」
「
「知っています。だけど、ソフィアと共闘はしていません。」
「ヴァースキのは?」
「・・・おっしょうは教えてくれなかった。」
「なるほど。アイツらしい選択だ。でも、試す価値はあるってことだな。」
そう言うとジンは短く詠唱を口にする。するとジンの足元から、青緑の長い尾を持ち、透き通った翼を持つ四足歩行の動物が姿を現した。
尖った耳と毅然とした表情は野性味が溢れているが、黒く濡れた鼻をジンに押し付ける様子はジンへの信頼がうかがえた。
「俺の使役獣だ。攻撃力は低いが、スピードに長けた魔獣だ。俺は空から攻撃するからセリカはその隙を狙ってくれ。」
「分かりました。」
使役獣に乗ったジンは空へ飛び出す。そして空気をゆっくりと吐き出した。
「
ジンの詠唱は周囲に眩い光を溢れさせた。空気が波のように揺れ動き、ゆっくりと辺りを優しく包み込む。
まるで凪いだ夜に佇む感覚に、セリカはハッと息を呑んだ。
静かに流れる光から現れたのは、長く緩やかな髪を揺らす少年だった。中性的な顔立ちをした
「久しぶりに呼び出したかと思えば、随分とへばっているね、ジン。」
使役獣に乗るジンを振り返り、
「うるせぇ。それに久しぶりじゃねーよ。俺が呼んでもお前が来ないんだろうが。」
「僕が出るほどの相手じゃなかったし、気が乗らなかったんだよ。」
「ったく、この気分屋が。でも今日は来たんだな。相手にとって不足無しってことか?」
ジンたちの視線の先には、血走った眼でこちらを睨む魔獣の姿がある。
「この魔獣がこんなに暴れるなんて見たことがないからね。相当負の意識を注がれているよ。」
「やっぱりか・・・。コイツを何とかしたいんだ。力を貸してくれ。」
「僕を使える力は残っているの?」
遠慮の無い鋭い視線にジンはたじろぐ。その様子に
「そんな状態でこの僕を使役できると思わないでほしいな。」
「ぐっ・・・」
「リタが戻ってきて舞い上がっているのかもしれないけど、精霊の
「軽視なんて・・・」
「今のジンに使役される気はないよ。」
「・・・っ」
ジンが圧されている。ジンの使役獣である魔獣が心配そうに鼻を鳴らした。
「じゃあ、あいつだったらいいのか?」
その存在をもう分かっていたのだろう。
「お前が名前を教えるなんて思わなかったさ。
視線の先で、セリカは果敢にドラゴンへ立ち向かっている。
「認めるには尚早だよ。僕はあの人のことを何にも知らないんだから。」
「じゃあどうして。」
「あの人の中に鴉がいたんだ。」
「鴉?」
「うん。口数は少ないんだけど、色々教えてくれたよ。それにヒマだったんだって。」
「ヒマ?」
「元の
「へぇ。」
「あとフリージアの匂いがした。」
「花の匂いか?」
「うん。すごく落ち着く匂いで、僕もここに居たいと思った。だから
「
「同時には無理だね。僕の体は一つしかないから。そして、使役される優先順位は魔法力の大きさに準ずると思ってくれていい。魔法技術や素質を抜いた今の状態でいえば、圧倒的にあの人の方がだね。」
「俺の魔法力の器はすでに枯渇寸前だからな。」
自分の不甲斐なさに、ジンは肩を落とした。
「それに・・・」
「ん?」
「ううん、なんでもない・・・。」
「何だよ、やっぱり俺よりあっちの方がいいっていうのか?」
「何言ってるんだよ!僕はジンの精霊だ。だからまず優先するのはジンなんだから、勘違いするなよ!」
「ははははっ。分かっているよ。
「リタを救えたんだ。良かったよ。だから余計に今のジンとは一緒に戦えない。僕の力がジンを壊してしまうかもれしれないから。」
「分かった。なら俺はお前とセリカを信じるよ。」
「あの人、セリカっていう名前なんだね。」
「はじめまして、セリカ。」
「
「もちろんだよ。セリカは僕の
「
「口下手なやつみたいだね。でも君のことを気に入っているみたいだよ。」
「本当か!それは嬉しいな。
「やっぱりね。」
「?」
「セリカ、精霊と話すの初めてじゃないだろ?」
「え?」
「たとえ
精霊と人間の間にある大きな隔たりが魔法という潤滑油で結ばれているなかで、どうしても生まれる摩擦を埋めるのが精霊の
「それが初めてじゃないと気づいた理由?」
「今のは大前提の話しさ。もちろん他に理由はあるよ。
まず僕が精霊だからということ。君の中に同族の気配がしたんだ。もちろん、それに
「馴染み?」
「うん。君の中は精霊の痕跡で溢れている。それが既にしっくりと馴染んで形成されているんだ。」
「ちょっと言っていることが・・・」
「抽象的なイメージだからね。人間には分かりにくいかもしれない。でも、君の中には人間と精霊間の摩擦や抵抗が無い。それは僕や
セリカの表情が曇る。その様子に
「大事なやつなんだろ?」
「・・・うん、すごく!」
「だったら取り戻せよ。」
「もちろんだ!そのために力をつけてきた。」
「いいね、いい風が吹いてきた。じゃあ、まずはあいつをなんとかするよ、セリカ。」
「うん!」
セリカと
頬にそよぐ風を感じたセリカは、力強く空へと飛び出した。
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