第121話 引き継ぐ闘志

 茫然とするファルナの前にコツっと控えめな音がした。見ればこの戦場には到底そぐわない革靴が見える。それは嫌味なほど磨かれていて、顔を見なくてもそれが誰のものなのかすぐに理解した。


 「来てたんだな、レシ。」

 「やぁ、ファルナ。ご機嫌は・・・あまりよろしくないようだね。」


 レシはファルナの腕に抱かれている亡骸を覗き込んだ。


 「シトリーか。随分と派手にやられたね。」


 同情よりもからかいのある声音に、ファルナは鋭くレシを睨む。


 「残念だね。彼女は僕と一緒で柱石五妖魔スキャプティレイトを使役する咎人だったのに。仲間がいなくなって寂しいかぎりだよ。」


 思ってもいないことを、と怒りに震える拳をファルナは何とか抑え込んだ。


 「その柱石五妖魔スキャプティレイトは一緒じゃないのか?噂では随分と可愛がっていると聞いたが。」

 「うん、かわいいよ。リタっていう名前でね。可憐な見た目とは裏腹に膨大な魔法力と資質を備えてる子なんだ。

 だから捕まえる時はちょっと頑張ったかな。あまりに全力で抵抗するから僕もムキになってね。でも、嫌がる女の子を屈服させる時の快感といったら・・・。」


 レシは恍惚の表情を浮かべた。


 「最後は半ば強制的にラボに連れて行って、融合霊魔ヒュシュオにしたのさ。壊れちゃうかなって思ったけど、やっぱり魔法力の大きさや意思の強さっていうのは融合霊魔ヒュシュオに適してるんだってことが分かったよ。」

 「抵抗する人間を融合霊魔ヒュシュオにするのは困難を極めると聞く。シトリーが使役していたイカゲは、自らの身体を差し出すほどにコイツに惚れ込んでいたから柱石五妖魔スキャプティレイトまでのぼりつめることができたんだ。なのにどうやって――」

 「リタは賢い子でね。逃げられないことが分かると、急増している融合霊魔ヒュシュオへの変身条件を身をもって探ろうとしたんだ。自分には誰にも折れない強い気持ちがあるから全てを明け渡すことはないといってね。でも、大したことはなかったよ。抵抗する子が少しずつ従順にこうべを垂れる姿は・・・」


 レシはビクビクっと身体を震わせる。


 「興奮したよね。」


 変態が・・・とファルナは胸の内で毒づいた。


 「向こうにハエが飛んでたからリタに任せてきたんだ。クラルトが来てるみたいだったから。」

 「クラルト様ならゼロと虚空界ボイドにおかえりになったぞ。」

 「そうなの?せっかく久しぶりに会えると思ったのに一足遅かったか。じゃあこれはクラトルの・・・」


 レシは空を見上げてニィっと笑った。


 「立派な残滓だね。」


 空を見上げたファルナは思わず言葉を失う。頭上には巨大なドラゴンが悠々と羽を広げていたからだ。


 「あ、あれは・・・」

 「クラルトという存在が引き寄せたモンスターだね。見るのは初めてかい?」


 ファルナはゴクリと唾を呑む。レシはそれを肯定の意味と解釈した。


 「クラルトの放つ負のオーラは人間界に大きな影響を与えるのさ。彼の溢れ出る空気は濃くて重すぎる。その空気に感化された巨獣が集まりさらに瘴気をばらまく。クラルトは常に負の空気の中心にいる人物ということだね。」

 「あんな巨獣、どうするつもりだよ・・・!」

 「さぁね。想定外のことが起きているけど、学園はこのとおり壊滅状態だ。これであいつが暴れたら、この場所は跡形も無くなるだろうね。計画どお――」


 不自然に途切れた会話にファルナは顔を上げた。そこには珍しく目を見開き驚くレシの姿があった。


 「リタが――」

 「は?」

 「リタと霊魔が分離した・・・?」


 言っていることが分からなかった。霊魔と人間を混ぜた融合霊魔ヒュシュオの分離なんてゼロやクラルトでさえ開発できていない。ましてやリタは柱石五妖魔スキャプティレイトだ。そう簡単に劣勢に追いやられるはずがない。

 その時、ファルナの頭をかすめたのは長い髪をまとめる赤いリボンだった。しかし首を振る。例えセリカがイレギュラーな存在でも、虚空界ボイドにさえ存在しない魔法を使えるはずがないのだ。


 派手な音が響く。見れば足元の瓦礫が無惨に崩れていた。どうやらレシが怒りに任せ瓦礫を蹴ったのだろう。


 「ゆ、許さない・・・僕から逃げるなんて・・・絶対に許さない・・・!!」


 ワナワナと震えるレシは勢いよく広げた手を空へ向ける。そこにはドラゴンがゆっくりと空を旋回していた。


 「許さないぞ、リタッッッッ!!!!」


 手から放たれた魔法は、リタとの使役権限が解除されたことを証明するのに十分だった。


 「やっぱり魔法が還ったか。だが、リタのエレメントを感じない。やっぱりリタはまだ生きているっ!」

 「そんなことより、どうすんだよアイツは!」


 魔法が直撃したドラゴンが苦しみもがいている。しかしレシは余裕の表情を浮かべた。


 「まあ見てなよ。」


 怒りのこもった眼差しが向けられるも、ドラゴンが2人に襲いかかる様子はない。ただ、激しく羽をバタつかせ鼻息はどんどんと荒くなっていっている。


 「リタを失った僕の悲しみを分けてあげたんだ。共通の負の意識を持っている僕に襲いかかることは無い。さぁ、その憎しみを思い切りぶつけてくるんだ!」


 まるでレシの言葉を理解しているかのように、ドラゴンは勢いよく羽を広げ飛び出していく。それを確認したレシはファルナに背を向けた。


 「どこ行くんだよ?」

 「虚空界ボイドに戻るんだよ。」

 「リタって融合霊魔ヒュシュオはもういいのか?」

 「まさか。リタは必ず奪い返すさ。キツイお仕置きも必要だしね。それよりも、クラルトに融合霊魔ヒュシュオの分離を報告するのが先だ。もし本当に分離が実現できたのであれば――」

 「あれば・・・?」

 「それは魔術師ウィザードと咎人にとって良くも悪くも大きな分岐となる。」

 「分岐・・・?」


 質問に答えることなく、レシはあっという間に姿を消してしまった。残されたファルナは、腕に抱くシトリーを抱きしめるほかなかった。





 「喜んでいるところ悪いが、退避の準備を。」


 いち早く気づいたのはセリカだった。リタの回復を喜ぶ3人に背を向け、その色濃い気配を全身で受け止めている。

 その視線を追いかけたジンたちは、空より突進してくる巨大な存在に声を呑んだ。

 即座に広範囲な氷壁を作り出したセリカは、ジンたちとドラゴンの間に僅かな時間を作り出した。


 「今のうちにリタと安全な場所へ!」

 「おまえはどうするんだ!?」

 「戦う。」

 「あんなでかいドラゴンを1人でか!?」


 ドラゴンの強さはうかがいしれない。それでも上級魔術師ハイウィザードが数名で討伐するレベルだということはすぐに分かった。

 この場に上級魔術師ハイウィザードは3人いるが、すでにクロウとフルソラはほとんど魔法力を使い果たしていた。


 「2人はリタを頼む。ここは俺が残る。」

 「ジン義兄さん・・・!義兄さんも、もうほとんど魔法力が・・・」

 「それでも、自分の生徒を1人残して逃げるわけにはいかないさ。」


 指をポキポキと鳴らし、ジンはセリカと同じ位置に立った。


 「ジン!リタが待っているんだから絶対に帰ってこいよ!」

 「セリカもですよ!」


 リタを連れた2人はすぐにその場を離脱する。それを確認したセリカは、自分の手のひらをじっと凝視した。


 「本当に俺の精霊が入るとはな。自由気ままなヤツだから、扱うのに苦労するぞ。」

 「ええ、分かります。でも、結構やる気みたいですよ。」

 「ははは。そこは俺とリンクしているみたいだな。だが――」


 言葉を濁らせたジンは眉間にシワを寄せた。


 「邪魔にならないようにするのが精一杯かもしれん。」


 フルソラたちの前では強がってみせたが、すでに全力で戦う余力は残っていない。


 「大丈夫です。ジン先生の意思は私たちが引き受けます。」


 残る巨大な気配はあの一体だけ。学園の日常を壊した存在に決着を付けるべく、拳を強く握ったセリカは、迫りくるドラゴンを視界に捉え呼吸を整えた。


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