第114話 紙一重な2人

 小気味よく刻まれるリズムは、仕立ての良いエナメル製の靴から発せられていた。 

 組んだ片方の足でコツコツと地面を叩き、その人は楽しそうに壊れていく学園を見下ろしている。

 研究に使用している鏡筒の片眼鏡ではなく黒ぶちのボストン型の眼鏡をかけたその人は、いつもより溌剌として見える。

 滅多に陽の下で見ることがないからそう見えるのかもしれない。もしくは、自分の内に秘めた疑念と焦りがそう映すのかもしれない、とゼロは意識的に呼吸を整えた。


 「珍しいですね、外に出てくるなんて。」

 「やぁ、ゼロ。来ると思ったよ。お前はすぐに俺を見つけるからね。」


 ニッコリと目を細めるその表情は、相変わらず感情をうつさない。しかし、その存在に纏わりつく得体の知れない不気味な気配は、誰もが畏怖し無視できない異質なものなのだろう。


 「いやぁー、懐かしいねー。全然変わってないや。」


 学園の塔屋にある鐘の前で、男は遠くを見渡すように手をかざす。

 吹きつける強風にゼロはフードを押さえた。


 「今日の強襲は私に一存するとあなたが言ったんですよ、クラルト。どうしてここに?」


 クラルトは眼鏡をクイっと上げると、面白そうにゼロを覗きこんだ。


 「俺がここに来たら何かまずいことでもあるのかい、ゼロ?」

 「そんなことはありません。ただ目的もなく研究室から出ることなんて今まで無かったですから。」

 「まぁねー。いつまでたっても聖霊ディスオーダの材料を持ってきてくれないから研究が頓挫しちゃってさー。気分転換に外の空気を吸おーって思ってさ。」


 クラルトは再び小刻みにリズムを刻みはじめた。


 「計画は順調です。学園の結界を無効化し、大量の霊魔に指揮系統は混乱しているでしょう。その間に、東西南北の魔法域レギオン代表を殺すことで各地域の騒乱を誘発し、世界の乗っ取りを助勢・遂行へ導きます。」

 「うんうん。腐った世界に根を下ろす魔術師ウィザードたちは邪魔だからね。一掃するには力押しじゃなく、計画性が大事だって言ってたもんね。

 今日のこれも、ゼロが先頭を務めるから特に心配はなかったんだけど、ちょっと別件で興味が湧くことがあってね。」

 「別件・・・?」

 「ゼロ、はこって知ってる?」

 「聞いたことなら。」

 「未だ発見に至っていない精霊界。そこへ行くための鍵となるはこがあれば俺たちの夢は一気に現実に近づく。精霊界へ行けば、暗い部屋でちまちまと実験を繰り返す必要もなくなるわけだ。

 そして精霊王を手中に収めれば、人間界どころか精霊界を掌握できる。」

 「しかしはこなんて存在、本当にこの世にあるとは思えません。どのような形をしているかも分からない物を見つけるのは、聖霊ディスオーダを見つけるより骨が折れる作業だと思いますが。」

 「語り継がれるはこの条件なんて、知る人の方が少なくなってきている。その条件すら不明瞭かつ難解であるために、そんな存在は都市伝説といっていいようなものだ。」

 「ええ。」

 「じゃあ、わざわざ俺がこんなところに来た理由を分かってくれた?」

 「まさか・・・はこが見つかったというのですか?」

 「まだ噂のレベルだけどね。でも、本当にはこがあるのなら確かめる価値はあるっていうものだ。」

 「・・・その噂はどこで?」

 「あれ?ゼロってば顔色が悪くなってない?」

 「信憑性に欠ける話で戸惑っているだけです。」

 「ふーん、お前も戸惑うことがあるんだねー。」

 「精霊界と人間界を繋ぐ鍵であるはこが存在するなんて信じ難い話です。出過ぎたことを言うようですが、噂に踊らされているのではありませんか?」

 「何だよー、ゼロー。ノリが悪いなぁー。」


 クラルトは不満げに口を尖らせた。


 「とりあえず、こんな埃くさい場所じゃなく研究室で報告を待っていてください。あなたの気配は、ここにいる咎人や霊魔に影響が及びます。」


 短くため息をつくゼロはビクリと身体を強張らせる。

 背後から腕を回し、ゼロの腰を抱くクラウトがいつそこに移動したのか見当もつかない。

 クラルトの細く長い指が鼠径部をなぞった時、ゼロは思わず漏れる息に手をやった。


 「俺を邪魔者にする理由は本当にそれだけ?」

 「邪魔、なんて・・・っ!」

 「ゼロは嘘つきだからなぁ。これでも、欠落者ディーファーであるお前の頭脳を評価しているんだ。じゃないと、咎人でもないお前をこんなに近くに置いていない。俺たちの間に虚偽なんて水くさいじゃないか。」

 「初めから言っていますが・・・」

 「あぁ、俺たちは協定関係だ。自分の欲の為に互いを利用しているに過ぎない。実際、お前の技術は咎人や霊魔に驚異的な進歩をもたらせた。使役権限の解放や魔集石は、お前の助言がなければ実現できていない代物だしな。

 だから俺だって協力してやっているだろう?」


 再び指を滑らせるクラルトにゼロは身動きを取ることができなかった。


 「お前を縛る不完全なからお前を自由にするために、なぁ、ゼロ・・・」


 耳元で囁かれる吐息にゼロは歯を食いしばる。

 背後からの重圧感が消えた時、ゼロは思わず膝をつき呼吸を乱した。


 「せっかく外に来たんだ。俺はちょっと散歩でもしてくるよ。」

 「まっ・・・!」

 「安心しなよ。周囲に影響が無いように動くからさ。じゃあね、ゼロ。いい報告を待っているよ。」


 そう言うとクラルトはゼロの前から忽然と姿を消した。

 ゼロの噛みしめる唇から漏れるうめき声は、塔屋に吹く風にあっけなくさらわれ誰にも届くことはなかった。



 ――――――――――――――



 (全然っ、噛み合わねーっ!!!)


 普段はソロで動くアシェリナだが、共闘は初めてじゃない。ある程度の技量と魔法力があれば、どんな相手でも合わせられる実力をアシェリナ自身が備えている。なのに、こんな動きにくい戦いは初めてだと何度も舌打ちをした。

 自分の隣で敵に向かっていくセリカの動きにアシェリナは未だに戸惑っている。


 (スピードに特化した戦闘スタイルと場に応じた素早い魔法反応。戦闘にも慣れているのか踏み込む一歩に迷いは見られない。魔法力は上級魔術師ハイウィザードといっても遜色ないだろう。なにより――)


 「俺を相手に考え事とは余裕だな、英雄さんよっ!!」


 四肢に風の力を纏わせたファルナの攻撃にアシェリナは思考を中断した。セリカの実力を分析しようにも、相手はそうやすやすとそれを許してくれない。

 流れるような素早い攻撃を、アシェリナは器用に盾でさばいていった。


 「チッ!!何もかもがめんどくせーっ!!」


 怒りを乗せた攻撃は、ファルナの先にいるシトリーにも向けた一撃。そこには勿論セリカが応戦している。

 躱してくれることを期待した攻撃は、なんとセリカ自身が他所に弾いてしまった。


 「な、にっ、やってるんだ、お前はっ!」

 「危ないぞアシェリナ、しっかり的を絞れっ!」

 「的を絞った攻撃をお前が無かったことにしたんだろうがっ!」

 「何を言っているか分からんぞ。」

 「こんの、生意気な・・・!」


 このように思ったように戦闘を展開できないアシェリナに異変は続く。揺れる脳にアシェリナは思わず頭に手をやった。


 (まずい・・・っ!)


 フラつくアシェリナに迷わず刃が飛ぶ。盾の反応が間に合わないことに目を瞑ったアシェリナは、再び感じた濃い熱波に目を開けた。

 そこには炎壁を放つセリカの姿がある。ユラユラと揺れる炎はその力を制御出来てないようにも見えた。


 「お、お前――!」

 「早く体勢を立て直してくれ。炎はまだうまく扱えない!」


 ファルナたちに向けて炎壁の内側から鋭い真空刃を繰り出すと、その間にセリカはすぐに炎壁を打ち消し、シトリーに向かって飛び出していった。


 (なによりこれだっ!主に氷剣で戦うコイツのElementを水精霊ウンディーネだと思っていたが、コイツは同時に火も使いやがるっ!)


 火を扱いながら氷剣を握るセリカの姿にアシェリナは迷わず疑問をぶつけた。が、返ってきた返事は1つ。


 「今は忙しい!」


 だ。アシェリナの舌打ちが止まらないのはここからだった。

 Elementを2つ所有する人間なんてミトラ以外に見た事がない。そもそもミトラの場合は実験の副作用なのだが、同時期に同じような人間が居たなんて報告は受けていない。


 「チッ!一体何がどうなってやがるっ!」


 魔術師ウィザードとしての技術は一級品。場を見据える広い視野に自分も幾度となく助けられた。自分が助けられる共闘なんて経験なんて今まで1回も無いと言うのに。


 「そろそろ限界じゃねーの、おっさん。」


 相対するファルナはニヤリと口角を上げる。


 「そろそろ体がキツイんだろ。隠居の準備をしたらどうだよ。」

 「ハッ!どこもかしこもまだまだ現役だっつーの。」

 「その武具は本当にヤバい代物だな。魔法力を吸い取って剣へ変換し力に変える・・・。それがある限りあんたの魔法力は無尽蔵ってわけだ。でも、その所為であんたの体はどんどんと重たくなってきているんじゃねーか?」

 「・・・」

 「ビンゴみてーだな。どうだよ、俺たちの負の感情は。」

 「チッ・・・」

 「神殿内で吸い込んだのはその辺の魔法力じゃない。俺たち咎人の負の感情が混ざった魔法力だ。対局の存在である咎人の気を吸った感想をぜひ聞かせてほしいな。」

 「最高だぜ?胸糞悪い大きな石が体の中心に鎮座しているよ。」

 「ハハハハハッ!!やっぱりな!

 あの時、あやふみと俺を繋ぐ負の意識に、お前は自分の魔法力を混ぜて利用したと言っていた。だから俺もそれを再利用してやったんだよ。」

 「攻撃に負の意識を注いでいたのか。」

 「そうだよ。物理攻撃ならその盾で受けるだろうと思ったからな。敢えて肉弾戦で応戦してやったんだ。」


 (チッ・・・だから外に出てからも盾の石は濁った色をしていたのか。・・・コイツ、洞察力と機転の判断が早い。咎人の中でも上位クラスか・・・。)


 体が重い。それはジワジワと腕や足に広がり、アシェリナの呼吸と動作を鈍化させていっていた。どうやら神殿内でのミトラの不安は的中したようだ。


 (これが負の感情・・・思った以上にまずいかもしれない・・・。)


 「おじさん、体調悪そうよ?」


 アシェリナの異変にシトリーは冷笑して見せる。向かい合うセリカは、しかし視線を変えなかった。


 「あら、助けにいかなくていいの?」

 「アシェリナは魔術師ウイザードの英雄と謳われる人物だ。だから大丈夫だ。」

 「あんたたち、さっきから私たち咎人を舐めすぎよ。霊魔を失った私たち咎人の力は、上級魔術師ハイウィザード何十人にも匹敵すると言われているわ。しかも、私の霊魔は柱石五妖魔スキャプティレイトの1人だったのよ。そしてイカゲは私の忠実なしもべだった・・・なのにお前がっ!!」


 確かにイカゲは強敵だった。ソフィアの火精霊サラマンダーが居なかったらきっとやられていただろう。

 向けられる鋭い殺気にセリカは思わず剣を握りなおした。


 「そういえば・・・」

 

 何か面白いことを思いついたようにシトリーが妖しく笑う。


 「柱石五妖魔スキャプティレイトの1人がここに来ているんですってよ。」

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