第112話 脱却へ道

 昨日まで当たり前にあった学園は今や廃墟と化していた。

 泥と血で汚れた手はもう震えてはいない。教本の中でしか存在しなかった霊魔を目の当たりにした時は、体が固まりガタガタと震えていたというのに。

 それから先のことはほとんど覚えていない。ただ必死に逃げて、隠れて、時に応戦し、ひたすら命を守ろうと足掻いた。

 それでも執拗に追ってくる多種の霊魔を前に、絶望と諦めが思考を停止させる。


 (なんで、こんなことに・・・。今日は年に1度の祭事だったのに。なんで僕がこんな目に・・・。)


 学園の結界が消え、霊魔が襲ってきた事態に生徒会プリンシパルは迅速に対応した。しかし、誰もが当たり前に適応できるわけではない。それが自分だ。

自分は医療メディカルクラスで、実戦の経験は殆ど無いのだ。知識だけで体が動くわけがない。急に見たことの無い霊魔を前に逃げ切れるはずがないじゃないか。

 怒りに任せ地面を殴ってみせるが、それは鈍い痛みを伴うだけだった。


 (僕もここまでか・・・。魔術師ウィザードになりたくてこの学園に来たのに、こんなことってないよな・・・)


 震える手が重なる。壁に押し付けている背後から小さな嗚咽が聞こえると、背中にじんわりと温もりを感じた。

 目の前には巨大な霊魔。逃げる体力も戦く気力も失った時、青年は静かに目を閉じた。


 急に広がる熱波に慌てて目を開けると、目の前の霊魔が火だるまとなり倒れていく時だった。

 慌ただしい足音と共に現れた人物に青年は驚きの声を上げた。


 「シェティス副会長っ!!」

 「次が来るわ、伏せていてっ!!」


 そう言うとシェティスの前に火精霊サラマンダーの紋章が発現される。


 「紫陽花オルテンシア!!」


 火球が勢いよく弾き飛ばされるとそれは次々と爆発し、目の前に集まっていた霊魔は跡形もなく消え去っていく。

 覆い尽くされていた視界が一気に広がると、そこから手が伸ばされた。


 「大丈夫?この辺一帯の霊魔は消したからもう安心して。」


 シェティスの伸ばした手は、しかしきっぱりと振り払われた。


 「大丈夫なわけ、ないじゃないですかっ!!急に、こんな・・・れ、霊魔を相手に、なんて・・・」


 自然と溢れてくる涙は怒りからなのか、安心からなのか。それでもそれはとめどなく溢れてきた。


 「みんな、あなたたちみたいに、戦えるわけじゃ・・・守れるわけじゃ、なんですよっ!!なんで、医療メディカルクラスの僕が、こんな目に・・・!」


 分かっている。これは八つ当たりだ。シェティス副会長が悪いわけじゃない。寧ろ自分は助けられた身なのだからこんなのは間違っている。頭では理解していても、体の反応が追い付かないのだ。


 「ミトラ会長はどうしたんですかっ!こんな時に、どこに行ったんですかっ!!?」

 「・・・。ALL Element 火精霊サラマンダー


 暖かな空気に顔を上げると、シェティスの悲痛な表情があった。


 「篝火ヒール


 シェティスの魔法に青年の傷が癒されていく。ゆっくりと消えていく痛みにシェティスの声が重なった。


 「本当に申し訳ないと思います。もっと私たちがしっかりしていれば・・・。」


 青年はシェティスを見た。

 制服は随分と汚れ、あちこちが破れている。

 露出している肌には多くの傷が目立ち、いつも会長の後ろで凛としている副会長の姿とはかけ離れていた。


 「言い訳はしません。想定外の事態に、皆さんの力を借りなければならなくなった責任は私たち生徒会プリンシパルにあります。」


 傷の様子を確認したシェティスは立ち上がる。そして青年の背後に視線を向けた。


 「感謝をいたします。その子を守ってくれたのですね。」


 そこには髪を2つに結い、ウサギの人形を抱きしめる幼い少女が隠れていた。

 傷は無い。青年が全力で守った結果だろう。


 「あなたはここの生徒として、1人の少女を守ってくれたのですね。ありがとうございます。」

 「っ・・・でも・・・っ!でも・・・この子だけが、精一杯で・・・」


 戦うことすら出来ない自分が、何かを守りながら立ち回ることなど不可能だった。逃げる先々で、何度助けを求める手を振り払っただろう。

 悔しさに涙が滲む。小さく温かな1つの手を守ることが限界だったのだ。


 「・・・っ、副、会長・・・。これはいつまで、続くのですか・・・?」


 泣き崩れる青年を前にシェティスは口を噤んだ。

 霊魔襲来からどれほど経っただろう。この短時間の間に、この青年だけでなく、多くの人々に恐怖と絶望を植え付けたに違いない。

 そして、今自分は彼を安心させやれる材料を何一つ持っていないのだ。


 「避難所までの安全を確保します。私が先導しますので、あなたは引き続きその子を守ってください。」


 質問に答えてくれないのはそういうことだろう。2人の間に重い雰囲気が流れた時、それは急に鳴り響いた。


 「サージュベル学園にいる皆さん。こちら生徒会プリンシパル会長、ミトラ・リドワールです。」


 シェティスは弾かれたように空を見る。それは間違いなくミトラの声だったからだ。


 「ミトラッ!?」

 「遅くなって申し訳ありません。謝罪は改めてさせてもらいますので今は聞いてください。

 まずは各地で霊魔が襲撃しているのは学園の結界が消滅したからです。時間をいただきましたが、再び学園の結界を復元させました。これ以上の霊魔の侵略は許しません。」

 「結界を・・・いつのまに・・・?!」

 「それを踏まえ、今、目の前にいる霊魔を殲滅してください。そして、緊急指示を継続します。それぞれのクラスの役割を遂行してください。

 現在、我が英雄であるアシェリナ・ブライドリックが咎人と交戦中。僕たちは勝利に向け、騒ぎの収束に向け、全力で責務を全うします。どうかもう少しだけ力を貸してください。

 そして最後に・・・あなたたちは日頃から厳しい修練に耐え切磋琢磨し合い、己を鍛え上げています。それを誇りに思ってください。サージュベル学園の生徒としての矜持を今一度胸に灯らせてください。さぁ、僕たちの学園を守りましょう。」


 アナウンスはプツリと切れた。放心するシェティスの耳に聞こえたのは遠くから響く歓声だった。

 有言実行を掲げるミトラの実績と、学園の卒業生であり英雄であるアシェリナの奮闘は生徒たちの士気を高めるには十分すぎるだろう。彼の言葉はこうも容易く多くの人の心を昂らせるのだ。


 「適わないわね、ほんと・・・。」


 思わず力が抜ける。それを支えたのは少女の手を握る青年だった。


 「シェティス副会長。僕はこの子を避難所まで連れて行きます。助けてくれてありがとうございました。あと失礼なことを言って・・・すいませんでした。」

 「いいのよ。それより避難所までは大丈夫?」

 「はい。シェティス副会長はまだやるべきことがあるでしょう。僕は僕にできることをします。」

 「ええ、任せたわ。」

 「はい。」


 ウサギの人形を持つ少女に手を振る。2つの影が見えなくなるとシェティスはインカムを操作した。

 今までの頼りないノイズ音とは違う。回線が繋がる反応に鼓動が高鳴る。


 「やぁ、シェティス。無事かい?」


 待ち望んでいた声にシェティスは再び力が抜けないよう、足を踏ん張らなければならなかった。


 「・・・っもちろん無事よ。あなたは大丈夫なの?」

 「大丈夫、と言いたいところだけど状況は一刻を争うよ。

 こちらは咎人2人と交戦中だ。魔法域レギオン代表も疲弊して動けなくなっている。そっちと合流するのは難しそうだ。」

 「分かったわ。戦況報告は私が継続して指揮するわ。ミトラはそっちに集中して。」

 「ありがとう。でもさすがの手腕だね、シェティス副会長。僕が居なくてもしっかりと役割を担ってくれた。感謝するよ。」

 「当然よ・・・。私は生徒会プリンシパル会長の右腕なんだから。さぁ、この難局を乗り切りましょう。」

 「・・・シェティス。」

 「なに?」

 「落ち着いたら聞いて欲しいことがあるんだ。僕のことを、生徒会プリンシパルのみんなに。」

 「・・・分かった・・・。じゃあ、ノノリに美味しい紅茶を淹れてもらわなきゃね。」

 「あぁ。・・・じゃあ気を付けて。」

 「ええ!」


 シェティスとの回線を終えたミトラは空を見上げる。そこにはアシェリナとファルナ、シトリーと名乗る咎人とセリカの4人が激しい攻防を続けていた。

 さらに地面には多くの人々が横たわっている。さっきまで擾乱を巻き起こしていた人たちだ。その中で襲われていたセリカの前にミトラたちは飛び出してきたのだ。


 状況判断が早かったのはアシェリナだった。


 「ALL Element 風精霊シルフ


 アシェリナの右手を包むようにつむじ風が発現されると、それを同時に振り下ろす。

 風は人々を巻き込むように広がるとたちまち視界を不明瞭にしていった。


 「さぁ、存分に吸い込め!」


 アシェリナは盾を振りかざす。自身が発現した風を再び舞い上がらせると、それは勢いよく盾の石に吸い込まれていった。

 吹き荒れる強風が止んだ時、暴れていた人たちは全員意識を失い倒れていたのだ。


 あっという間の出来事だった。

 ポカンとするセリカの前にアシェリナは得意げに笑ってみせた。


 「よぉ、セリカ。また会ったな。」

 「あんたは・・・二日酔いのおっさん・・・!」

 「ガハハハッ!そうか、名を名乗ってなかったな。アシェリナ・ブライドリックだ。」

 「握手は後だ。この人たちに何をした?」


 セリカは足元に倒れる人々を見て言った。


 「咎人に感情を利用され意識を乗っ取られたんだろう。」

 「なぜそれを?」

 「さっきまでそれの相手をしていたからな。この人数だと動きを止めた方が早い。だから負の意識だけを巻き上がらせ吸い込ませた。」

 「そんなことができるのか?」

 「オレを誰だと思ってやがる。」

 「悪いが、あなたは初見で二日酔いのおっさんとなってしまっている。」

 「ガハハハッ、そうかそうか。でも英雄と謳われているのならこれぐらいできねーとな。」

 「英雄・・・?」

 「おっと、おしゃべりは後だ。向こうはやる気満々みてーだからな。」


 視線を向ければ、そこには見たことのある男とシトリーがこちらを睨んでいる。


 「これも何かの縁だ。共闘と行こうじゃねーか、セリカ!」


 盾と剣を掲げるアシェリナに、セリカも氷剣を身構えた。

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