第111話 それぞれの希望

 思い出に父親の姿はない。だから遡る過去には、ママと私たちの3人しか居ない。

 生活は苦しかったが、慎ましい3人の生活は幸せだった。


 ある日、そこにママと恋人として1人の男が現れる。

 ママは男に陶酔していき、男の存在は少しずつママと私たちの距離を変えていくこととなる。


 男は露骨に私と妹を邪魔者扱いしてきた。ママが居ない時、男は私たちに暴力を振るうようになった。

 男はたまに優しい時もあった。私と姉に服を買い与え、その場で着替えるように命令した。


 男は私と妹の写真をたくさん撮った。

 男は私と姉の動画をたくさん録った。


 私と妹は男に連れ出された。その部屋はカビ臭い小さな部屋だった。

 その部屋にもう1人の男が現れた。その男は、私と姉にねぶるような視線をよこした。


 身体が痛かった。私は妹に剥ぎ取られた服を着せてやった。

 心が痛かった。私は姉の乱れた髪を何度も掬った。


 男は何度も私と妹を連れ出した。

 私と姉の2人で客の相手することもあったし、別々の日もあった。


 次第に男は、家に客を呼ぶようになる。

 一部の客は加虐心が強く、この日も私たちは苦痛の時間をただただやり過ごした。


 その時、家の扉が開いた。

 白い日差しと共に部屋に入ってきたママの顔が醜く歪むと、すぐに男の股間を思いきり蹴り上げたのだ。

 私たちは涙を流しホッとした。これでまた3人の生活に戻れるのだと。


 『ママ――』


 手を伸ばした私たちに目もくれず、ママは悶絶する客の首を掴む。そしてこう言ったのだ。


 『大事な商品に何してくれてんの?』


 背筋が凍る。息ができない。

 手先が冷たい。声が出せない。


 『――ッ! ――ッ!!』


 背後から呼ぶ名前を覚えてはいない。繋いだ手を離さないよう、私たちは必死に、ただただ必死にその場から逃げ出した。

 喉元からせり上がってくる嗚咽と、止まることのない涙で視界は霞む。


 私は妹を抱きしめた。

 私は姉を抱きしめた。


 飲まず食わずで彷徨う私たちは、すぐに生きる気力を失った。

 汚れた身体と傷だらけの体に、世界はとても冷たかった。


 私は妹が目を閉じたのが分かった。

 私は姉が諦めたのが分かった。


 肌に温かな感触が触れたのはその時だった。

 上質な毛布に私たちはすっぽりと包まれたのだ。


 『可愛い子たちがこんな所で寝ていたら危ないよ。君たちさえ良ければ一緒に来ないかい?』


 毛先だけピンクに染めたブロンドの髪がフワリと揺れる。それは、昔買ってもらったお菓子のような色だと朧げに思った。

 首に嵌めてあるベルトのチョーカーがキラリと光る。それは昔テレビで見た、子犬のようだと朧げに思った。


 『俺の名前はファルナ。ファルナ・キーカレットだ。』


 私たちを助けた人はそう言うと、お風呂と衣服を用意してくれた。


 『君たちの名前を教えてほしいんだけど。話せるかな?』


 私たちは躊躇し首を振る。名前を思い出せなかったからだ。

 その様子に、その人は顎に手をあて何かを考える素振りを見せた。


 『じゃあ、俺が新しい名前をあげるね。んーっと、あやふみっていうのはどう?』

 『あや・・・?』

 『ふみ・・・?』

 『うん、いい名前じゃない?2人にぴったりだ。俺のことは呼びたいように呼んでいいからね。

 さぁ、お腹が空いているだろ?たくさん食べな。』


 ニコニコと笑いながら、その人は目の前に大量の食事を差し出した。

 空腹を刺激する匂いに生唾を飲み込む私たちは、しかし手が出せずにいた。


 『大丈夫だよ。ここに君たちを傷つけるものはない。もしあったとしても、俺が君たちを守るから。』


 何もかもを理解したその眼に2人の少女が映る。

 この世で1番信頼していた存在に捨てられ、地べたに朽ちた私たちにとって、その瞳の強さは一縷の希望だった。


 数週間ぶりの食事は全部しょっぱかった。

 数カ月ぶりの人の温もりは柔らかい香水の匂いがした。


 それが歪な存在でも、強奪された日常に終止符を打ってくれた

 それが歪んだ思想でも、あたたかい世界を教えてくれた


 あなたに救われたこの身体は、あなたの敵を穿つ剣となろう

 あなたに救われたこの魂は、あなたを守る盾となろう


 例え消えても、私たちの絶望があなたを救いますように



 「あやっっ!!ふみっーー!!!」

 「ちっ・・・!」


 アシェリナが剣を引く。呆気なくその場に倒れる2人を、ファルナはしっかりと抱き留めた。


 「あやふみ、しっかりしてっ!」

 「ファ、ルナ、様・・・」

 「ご無、事で、すか・・・」

 「俺は大丈夫だよ。2人が守ってくれたから。」


 ファルナの両頬に温かい感触が触れる。


 「あり、がと、う・・・ふみを、すくって、くれて・・・。」

 「あり、がと、う・・・あやを、だきしめ、て、くれて・・・。」

 「あやふみ・・・!」


 両頬に残る温かさが失われた時、ファルナを纏う雰囲気が一気に変化を見せる。それは急速に膨張し、神殿を大きく包みこんだのだ。


 「よくも、あやふみを・・・!」

 「こちらとて、不本意な結果だよ。」


 感触を拭うかのようにアシェリナは剣を薙ぎ払った。


 「魔術師ウィザードの英雄は、子どもさえも殺すんだな。」

 「融合霊魔ヒュシュオになった人間は救えない。小さな手がこれ以上咎を背負わないように、俺からの弔いだ。」

 「咎がどうかはお前が決めることじゃないっ!どうしてお前たちは、お前たちのものさしでしか世界をはかれないんだっ!」

 「それはこちらの台詞だ。あんな子どもを霊魔にして憎しみの連鎖を連ねる道具にしているのはお前たちじゃないか。この世界の負の連鎖を止めるために、俺たち魔術師ウィザードが存在するんだ。」

 「脳内が花畑の理屈だな。」

 「・・・何だと・・・?」

 「歪な世界を造り出している存在は咎人ではない。そもそもの人間の欲と卑しさが混ざり合ったものこそが、負の連鎖の元始だといっていい。その延長線上にあやふみのような弱き者が生まれる。愛を欲し手を伸ばす者が、なぜいつも淘汰されなければならないっ!」

 「・・・」

 「いつも魔術師ウィザードは正しいと前を向く。その犠牲に淘汰された昏き者たちがいることに目を向けたことがあるかっ!?それを裁く権利が、お前たちにあるというのかっ!!」


 ファルナから暗い闇が溢れだすと、それは鋭利な槍となってアシェリナに放たれた。


 「なっ・・・!!」


 咄嗟に盾で遮るが、それはいとも簡単にアシェリナを吹き飛ばし、さらに追撃を繰り返す。


 「咎人の攻撃が膨大しているっ!!」

 「アシェリナッ!」


 砂煙から飛び出したアシェリナは既に満身創痍だ。盾に魔法力を溜めようにも、その隙をファルナは許してくれない。


 「見ていてくれ、あやふみ。君たちの力で全員殺すから。」


 膨れ上がる力は止まることを知らず、ファルナを纏う闇はエリスたちにも次々と襲いかかった。


 「まずい、もう防御壁が・・・もたない・・・!」

 「くそ、ここまでか・・・!」


 攻防の均衡が崩れた時だった。シャノハの持つ端末が僅かな反応を見せたのだ。



 ――――――――――――――



 (す、すごい・・・)


 ライオスは思わず息を呑んだ。

 掘り起こした端末は先ほどの騒ぎで万全とはいえない状態だろう。しかし、それをものともせず、レイアは制御装置を構築していっている。


 (これが欠落者ディーファーであるレイアの能力。レイアの手によって機械が息を吹き返しているようだ。)


 ゼロに全壊された情報管理部によって学園の結界が消滅した。その隙に大量の霊魔が学園内に侵入し、サージュベル学園は崩壊の危機を迎えている。それを止めるべく、レイアは今まで見せたことの無い集中力で奮起しているのだ。


 「それほどまでに危機的状況ということか・・・。」


 レイアの邪魔をしないようライオスが小さくため息をついた時、弾かれたようにレイアが顔を上げる。その瞬間、キィン!という機械音が響いた。


 「結界を張り直したぞ。」

 「え、もうですか!?」

 「とりあえず応急処置じゃ。もう霊魔はこの学園に入って来れん。しかし――」

 「しかし?」

 「所詮は急ごしらえの模造品じゃ。この設備ではここまでが限界。早くあのバカを引きずり出さんと!」


 どうやら元の結界を構築できるのは、バカと呼ばれるシャノハ博士だけらしい。


 「でもどうやって博士と連絡を取るんですか?」

 「この騒ぎで奴が姿を見せないということは、身動きできず閉じ込められている可能性が高い。場所は属性魔法評議会エレメントキャンソルが行われている外れの神殿ということは分かっておる。それだけで十分じゃ。」

 「十分て・・・・ここから神殿まで結構な距離ですよ?」

 「誰が物理的に引きずり出すと言った?奴のことじゃ。今も自分を閉じ込めている原因を分析し、それを無効化する算段をつけているはず。だが時間がかかりすぎている。ということは、片方だけではどうにもならんということじゃ。ならば、こちらにそれ相当の信号を発信し続けているはず。」


 説明しながらもレイアの手は止まることはない。ピンポイントで場所を割り出すと、目にもとまらぬ早さでキーボードを叩いていく。


 「微弱じゃのう。これでは捕まえられん。」


 ライオスには目の前のディスプレイに表示されている内容を理解することはできない。しかし、どうやらレイアはシャノハ博士の信号を既に見つけているようだ。

 今はそんなことを考えるべきではない。しかし、2人だけに通ずる相互伝達を目の当たりにして、心中穏やかでもいられなかった。

 口角を上げディスプレイを見つめるレイアの横顔を無理やりにでもこちらに向かせたい。

そう手を伸ばした時、レイアがニャッ!!と叫んだ。


 「な、なんですか・・・・!?」

 「きたぞ、ライオスッ!!」

 「え・・・?」


 ディスプレイにノイズがはしる。その数秒後に映し出されたのは、またしても嬉しそうに口角を上げるシャノハの姿だった。


 「シャノハ博士!!」

 「詳細はよい!タイミングを合わせるぞ、バカ者っ!」


 音は聞き取れない。どうやらマイクはまだ復旧していないようだ。しかしシャノハはうんうん、と頷き、指を折り曲げカウントダウンを始めた。

 2人がタイミングを合わせ同時にキーボードを弾いた時、シャノハを映す画面に光が漏れる。

 パキィン!と甲高い音が響く。それはシャノハたちのいる神殿内の結界が弾き壊される希望の音だった。

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