第102話 標的

 大きな瓦礫の上にはさらにへし折れた巨木がのしかかっていた。巨木の存在は分かってはいたが、それでも少年は必死に瓦礫の隙間に手を伸ばした。瓦礫の下に母が生き埋めになっているのだ。

 呼吸だけでも確保したい。爪から血が滲もうと皮が破けようと、少年は必死に瓦礫を掻き出した。


 「母さん・・・母さん・・・!」


 瓦礫から母の手がのぞく。少年は母の手をしっかりと握った。


 「母さんっ!!」

 「に・・・逃げ・・・な、さい・・・。」

 「嫌だ!母さんを置いていけないっ!」

 「は、やく・・・。」

 「母さんっ!!」



 ――年に1度開催される評議会が、自分たちの住む魔法域レギオンで挙行されることを知った少年はサージュベル学園へ行ってみたいと母に頼んだ。

 華やかなセレモニーが行われるし、エレメント研究に於いて最高レベルの知識が学べると名高い学園に興味があった。なにより自分もそこに入学し勉学に励みたいと思っていたからだ。

 まさかこんなことが起こるなんて思ってもみなかったのだ。


 いつもより賑わいを見せるマーケットには物珍しい商品が揃っていた。元々交易が盛んなサージュベル学園だが、評議会に合わせてより多くの商店が軒を並べている。 

 少年は店に並ぶ商品を興味深く見て回っていた。


 「母さん見て!美味しそうなお菓子が売ってるよ!あ、あっちにも――」


 少年のはしゃぐ姿を母は優しそうに見つめていた。


 視界がうす暗くなった時、少年は大きな雲が頭上を流れているのだと思った。しかしその瞬間、少年は強く突き飛ばされ派手に転倒した。

 混乱する少年を母は無理やり抱きかかえるとそのまま走り出す。

 事態を把握できていない少年は、人の悲鳴や建物が倒壊する音にハッとした。そして、乱れる母の呼吸と周囲から聞こえる人々の叫びに鼓動が早くなるのを感じた。

 母の胸から顔を上げた少年の視界に不気味な影が映る。それは真っ直ぐと自分たちを追っていたのだ。


 「母さ――!」


 影の手が伸びる。その瞬間、自分に覆いかぶさったのが母だと気付いたのは大好きな香りがしたからだ。

 思いの外、衝撃を感じなかった少年の上には瓦礫から全身で少年を守る母の苦しそうな顔があった。


 「母さんっ!」

 「まだ、う、ごかない、で・・・。」


 ガラガラと瓦礫の崩れる音がする。そのたびに土煙が立ちのぼり少年は目を何度も瞑らなければならなかった。

 恐ろしい影はしばらく2人を探しているようだったが、瓦礫の影になっている親子に気づかずその場から去っていった。


 「今の・・・うちに・・・」


 そう言うと母は力をいれ、少年と瓦礫の間に僅かな隙間を作る。そして少年を外に出すことに成功した。


 「母さんも!」

 「だ、めよ・・・」


 少年は母親にのしかかる瓦礫と巨木の存在に気づき唖然とした。


 「は、やく・・・」

 「いやだ!」

 「はやく・・・あな、たを・・・ねら、て・・・る」

 「え・・・?」

 「さい、しょから、あなたを・・・」


 少年は強く突き飛ばされたことを思い出す。あれはあの危険な影から自分を守るための母の咄嗟の行動だったのだ。


 「ここ、から・・・はや、く・・・」

 「母さんっ!!」

 「に・・・逃げ・・・な、さい・・・」

 「嫌だ!母さんを置いていけないっ!」


 少年は母親の周りにある瓦礫を一心不乱に取り除いていく。しかし、少年の視界には気が遠くなるほど大量の瓦礫が積み重なっていた。


 「にげ、てっ!!」


 それでも諦めない少年の背後から不気味な影が伸びる。振り返った少年はあまりの恐怖に腰を抜かしてしまった。

 黒く塗りつぶされた目と笑う大きな口。伸びる手は途中から指の形をしておらず、全体の造形は何にも表現し難く不気味なものだったからだ。


 「あ・・・ぁ・・・」


 ブルブルと震える少年に影は容赦なく襲いかかった。


 「やめてぇっっ!!」


 母親の悲痛な叫びと少年が強く目を瞑った時、冷気を含んだ突風が吹き荒れる。

 再び少年が目を開けた時、不気味な影は突風と共に姿を消していた。


 「大丈夫か?」


 目の前に現れた女子生徒は少年に手を差し伸べた。


 「あ・・・あの・・・」


 しかし少年は腕を伸ばすことも立つこともできずにいた。そんな少年にさっきとは違う不気味な影が突進してきた。


 「ひぃ、っ・・・!」

 「ちっ。しつこい。」


 女子生徒が手に発現したのはキラリと光る白縹しろはなだ色の剣。その瞬間、濃い冷気が周囲を包みこんだ。

 そして脇目も振らず突っ込んでくる影に立ち塞がると、目にも留まらぬ疾さでそれを両断する。さらにしなやかに手首を捻らせると、木っ端微塵に切り裂いた。


 「す、ごい・・・」

 「ここは危険だ。避難所まで送っていこう。」


 再び差し伸ばされた手は思ったより温かかった。


 「か、母さんが・・・っ!」

 「ん?」

 「母さんがここに埋まってるんだ、助けてっ!!」


 少年はグイグイと握った手を引っ張った。


 「これは・・・。」


 見上げた先には巨木と重なった瓦礫の山。人一人入れるかどうかの暗い隙間に少年は手を突っ込んだ。


 「ここに母さんがいるんだっ!お願い、母さんを助けてっ!!」


 すでに母からの返事は無い。少年は焦燥感にかられた。


 「早くっ!助けてお姉さんっ!!」

 「待て。まずはこの木を退かせないと助けることはできない。」

 「そ、そんなことは分かってるけど・・・。」


 2人が見上げる先にある巨木は人力ではどうしようもない大きさだ。


 「ふむ・・・。」

 「母さんっ・・・母さんっ!!」


 必死に手を伸ばす少年の肩に温かな感触が触れる。


 「少し離れていろ。」

 「え・・・?」


 そう言うと女子生徒は巨木に手を乗せる。そして意識を集中させた。

 触れた先から熱が発生した瞬間、それは急激に燃え広がり辺りを明るく照らし出した。


 「うわっ!!」


 あまりにも唐突な激しい炎は目の前の視界を覆い尽くすほどだった。そして、豪炎に染まる巨木が少しずつその体積を小さくしていった時、少年は思わず叫んだ。


 「待って!母さんが燃えちゃうっ!!」


 少年は咄嗟に女子生徒の腕を掴んだ。

 この業火ではその下にいる母も無事ではいられないだろう。


 「止めてっ!火を消してっ!!」

 「分かっ、てる・・・」

 

 女子生徒にも焦りが見える。少年に掴まれた腕に力を込め、さらに意識を集中させている。


 「ふっ・・・っ・・・く・・・っ!!」


 頬に冷気を感じる。母を想うあまり思わず偶発的に自身が発現したのかと勘違いしたが、それは強く掴んだ女子生徒の腕から放たれていた。


 「え・・・?」

 (だって、今、炎を・・・。え、でもさっき手に持っていたのは・・・)


 「んっ・・・ぐぅっ・・・!」


 炎が少しずつ小さくなっていく。ゴツゴツとして黒ずんだ樹皮はカサカサの灰に変わり、風に揺られて舞い散っていく。炭と化した巨木の芯からは濃い白煙が不秩序に空気と混ざり流れていった。


 「はぁ、はぁ、はぁ・・・。よし・・・」


 硬く鋭い音が響く。再び氷の剣を発現した女子生徒は、姿を変えた巨木と一緒に大量の瓦礫を薙ぎ払った。


 「母さんっ!!」


 瓦礫などが除去されたことで、うつ伏せた母親が確認されると少年は必死に引っ張り上げた。

 母親はぐったりとしていて目を開ける様子はない。


 「母さんっ!目を開けて、母さんっ!」


 ペチペチと頬を叩くが反応がない。


 「そんな・・・。母さん・・・かあ、さん・・・。」

 「まて、まだ息がある。」


 女子生徒が母親を抱きかかえた時、1人の青年が駆け寄ってきた。


 「セリカ!」

 「・・・オルジ!」

 「やっぱりセリカだ。感じたことのある魔法の気配がしたから。久しぶりだね。」

 「オルジ。早々にすまないが、治癒魔法をお願いしていいか?」


 セリカに抱きかかえられた母親と泣きべそをかいている隣の少年を交互に見たオルジはすぐに手を伸ばした。


 「ALL Element 風精霊シルフ


 オルジの手に浅葱色の紋章が浮かび上がる。


 「薫風ヒーリング


 優しい風が母親を包んでいく。


 「オルジはどうしてここに?」

 「先の通りでファクトリーの人たちと店を出していたんだ。そしたら大量の霊魔が現れて周囲は大混乱。すぐにシェティスさんの放送があったからみんなと協力してサポートに回ったんだ。」


 真っ青だった母親の顔色に生色が戻ってくる。


 「僕は元生徒だから地理に詳しいってことで、困っている人が居ないか確認してこいって。それでセリカの気配を感じたんだ。」

 「そうか。さすがだな、オルジは。」

 「セリカがそれを言う?」


 その時、母親がピクリと体を震わせた。


 「ん・・・」

 「母さん!!」

 「あれ・・・私は・・・」

 「大丈夫ですか?ケガの応急処置もしておきますね。動けるようになったら避難場所までご案内します。」


 そう言うと、オルジは再び意識を集中させていく。


 「良かったな。」


 セリカは少年の頭に軽く触れた。


 「君はケガは無いのか?」

 「足を擦りむいたけど大丈夫だよ。」

 「避難場所で手当を受けるといい。その・・・治してやれなくてすまない・・・。」


 セリカはオルジの治癒魔法をチラリと見た。少年のケガすら治してやれない自分が情けない。


 「ううん、お姉さんが来てくれて良かった!」

 「え?」

 「お姉さん、すっごく強いんだね!怖い影をあっという間に倒しちゃうし、炎と氷でバァーンだし!」

 少年は両手を高く上げて興奮している。母親が助かって安心したのだろう。


 「僕1人じゃ母さんを助けることはできなかった。だから本当にありがとう、お姉さん。」


 ニッコリと笑う少年に亡き笑顔が重なった。


 「無事で良かった。あの霊魔たちは無差別に人を襲う。避難所まで気をつけてな。」

 「僕を狙ったって。」

 「え?」

 「母さんが言ってた。あの怖い影は最初から僕を狙っていたって。」

 「君を――?」

 「うん。――あ、母さん!」


 治療が終わったのだろう。母親がオルジに何度もお辞儀をしている。


 「セリカ。僕は2人を避難所に連れて行くよ。」

 「あぁ。治療してくれてありがとう。オルジがいてくれたら安心だ。」


 オルジはセリカを覗き込むように見た。


 「何だ?」

 「セリカ、何か感じが変わったね。」

 「変わった?」

 「うん。なんかうまく言えないんだけど・・・。今までの気配に加えて何かを感じる。」


 オルジはElementの気配に敏感だ。しかし、セリカの変化に気付いたものの、それをうまく表現できないようだ。


 「そ、そうか・・・?」

 「うん。この感じどこかで・・・」


 オルジはじーっとセリカを見つめながら考え込んでいる。その視線にセリカは耐えるしかない。


 「あぁ、そうだ、この感じ!」

 「な、なんだ・・・?」

 「会長だ。ミトラ会長に似てるんだ!」

 「ミトラ、会長・・・?」

 「うん。1度話しをしたことがあるんだけど、変わったElementだと思ったんだ。今のセリカみたいに混じっているっていうか。」

 「そういえば、入学式の時に――。」


 入学式の日――ミトラ会長が壇上にあがった時に生徒が話していたことを思い出す。


『あの噂って本当かな?ミトラってElementを2つ持ってるって――。』

『それって嘘だろう?Elementを2つ持つ人なんて今まで聞いたことないぞ・・・。』



 「ああ、その噂は僕も聞いたことがあるよ。でもその生徒たちが言ってたように、複数のElementなんて普通は無理だよ。」

 「そう、だよな・・・。」


 その時、2人を呼ぶ少年の声がした。


 「じゃあ僕は行くね。実戦バトルクラスは大変だろうけど無茶しないようにね。」

 「オルジ。ここから1番近くで強い魔法力の気配はあるか?」


 セリカの意図がすぐに分かったのだろう。オルジは目を瞑り意識を集中させた。


 「ここから南西の方角に強い気配を感じる。なんか、すごく禍々しい・・・。」

 「南西・・・。セレモニーが行われていた場所だな。」

 「うん。気をつけてね、セリカ。」

 「あぁ、ありがとうオルジ。またテオたちと会いに行くよ。」


 少年に手を振り返したセリカは、自分の手を握ったり開いたりした。


 「まだまだソフィアの火精霊サラマンダーを制御できないな。まぁ、ああ見えて大魔術師ヌーアウィザードの1人だしな・・・。」


 そしてゆっくりと肩を回す。


 「よしっ!」


 気合を入れ直したセリカは南西に向かって勢いよく駆け出した。

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