第93話 新しい出会い

 清潔に整えられた玄関は広くて淋しい。

 「ただいま」と小さな声で言ったエリスに返事はなかった。それがいつものことであるエリスは制服を軽く払うと、家の中へ入っていく。

 途中に飾られたバラとラナンキュラスの花がみずみずしく活けられている。どうやら家政婦さんが来ていたらしい。

 カバンを置きに部屋に行こうとするエリスの耳に、低く不機嫌な声が聞こえてくる。父の部屋の前で足を止めたエリスは、部屋から漏れる不穏な空気に息を殺した。


 「お義父さん、それは――!」

 「つべこべ言わんでいい。お前は黙って言うことを聞いていればいいんだ。」

 「でも・・・それが明るみになれば大問題に――」

 「表に出れば、だ。出ないようにするのがお前の仕事だろう。それでマークディルワス家の面子と体裁を守れるなら安いもんじゃないか。」

 「そんなことをしなくても事業は――」

 「業績も利益も右肩下がりだのう。こんなんだからお前にとって厄介な作業が増えるんじゃないのか?全部お前の管理能力不足じゃよ。」

 「っ――!」

 「早くワシを勇退させてくれんと困るのぅ。」


 くぐもった声が鮮明になってくる。ガチャリと扉が開くと、エリスはビクリと肩を震わせた。


 「おぉ、エリス!」


 エリスを見上げる老人は、嬉しそうな声をあげた。

 深いシワが刻まれ、頬にはコイン状のシミがある。広がりつつある額には薄い白髪が何本も混じっている。


 「お祖父じい様。いらっしゃってたのですね。」

 「久しぶりじゃのう。また母親に似て美人になってきおったわい。そういえば、今回の評議会で生徒会プリンシパルの手伝いをしておるそうじゃないか。」

 「ええ。今後の勉強にもなるし、生徒会プリンシパルの活動に興味があるから。」

 「そうかそうか。それは頼もしいことじゃ。今後、エリスが生徒会プリンシパルに属せば、色々とやりやすくなるのう。」

 「お義父さんっ!!」


 慌てた様子の父がエリスと老人の前に立ちはだかる。


 「エリスを巻き込まないでくださいっ!」

 「何を言う。エリスもマークディルワス家の人間。優秀な資質を発揮する場所を用意するのもワシらの仕事じゃろう。」

 「エリスはまだ学生です。エリスの未来はエリス自身が決めるべきです。」

 「お、お父様・・・?」


 老人は大きく長いため息をついた。


 「そんなんだからお前は・・・。まぁよい。とりあえずさっきの件は片付けておけよ。じゃあまたのう、エリス。」

 「え、えぇ。お祖父様も体には気をつけてね。」

 「おお、ありがとうのう。」


 ゆっくりとした足取りで老人は部屋から出ていった。


 「お父様、大丈夫?顔色が悪いわ。」

 「あぁ、大丈夫だよ。ありがとう。」

 「早く休んだ方がいいわ。」

 「あぁ、仕事が終わったら休むよ。それより、生徒会プリンシパルの手伝いはどうだい?」

 「手伝いといっても簡単な事しかさせてもらえないけどね。でも、活動を近くで見れるのは刺激的よ。」

 「そうか。それなら良かった。」

 「お祖父様とは何のお話をしてたの?」

 「仕事の話だよ。手腕を奮っていたお義父さんから見ればまだまだ頼りないらしい。・・・さて、私は仕事に戻るよ。食事は用意してもらっているから。」

 「分かった。お父様も無理しないでね。」


 父はエリスの頭を優しく撫でると、さきほどの老人とは対照的に急ぎ足で歩いていった。その後ろ姿を、エリスは心配げに見送った。






 学園は明日に迎える属性魔法評議会エレメントキャンソルで賑わっていた。

 建物には、各機関の代表を迎えるために施された装飾が華美に誂えられ、いつもとは違う雰囲気を演出している。

 そんな中、セリカは1人図書館にいた。学園の図書館は魔術中央図書館アバタントセントラルライブラリーを見たセリカにとって規模は小さいが、それでも十分充実した内容を揃えているといっていいだろう。


 「上級魔術師ハイウィザードのはじまりと世界における影響、身につける実力と経験、割り当てられる難易度の高いクエスト・・・。上級魔術師ハイウィザードについてはある程度は分かったな。ソフィアのところだったらもっと詳しい内容の本があるんだろうけど・・・。私は魔法が使えないから、あそこでは本に具現化できないからなぁ。この図書館があってよかった。」


 属性魔法評議会エレメントキャンソルにさして興味のないセリカはこの数日間図書館に通い、上級魔術師ハイウィザードについての本を読み漁っていた。それも、あと2体の精霊を自分の中に入れるためである。


 「とはいっても・・・精霊を私に容れるなんて芸当がそう簡単にできるわけないんだよなぁ。人選はもちろん、方法だって曖昧なままなのに。」


 図書館を出たセリカはブツブツと独り言を言いながらふと足を止める。


 「あ、そういえば・・・。」


 セリカの目の前には畑地が広がっている。そこにはたくさんの種類の植物が、みずみずしくその葉を震わせていた。


 『最近急に寒くなってきたので、気温差についていけなかったのかもしれませんわ。』


 シリアの声に異変を感じたのは先日だった。小さく咳き込むシリアの体調を憂うとそう返事が返ってきたのだ。


 『評議会もありますし、早く休んで治しますわ。』


 ニッコリと笑うシリアだったが、やはり喉に違和感を覚えるようだった。それを思い出したセリカは、そっと畑に足を踏み入れた。


 「えっと、あるかな・・・これは・・・違うな・・・。」


 植物を傷つけないように優しく目的の植物を探すセリカの手がふと止まる。


 「お、あった!」


 若芽部分を優しくちぎったセリカは、満足そうにその新鮮な匂いをかいだ。


 「母さんから植物や薬草の知識を教えてもらっておいてよかったな。」


 その時だった。

 緑広がる畑地の中央辺りに大きな人影が見えたのだ。こちらに背を向けしゃがんでいるそれは、さきほどのセリカと同じように植物を探しているようだった。

 軽装だが年季の入った装備は質の良さをうかがわせる。軽装に包まれた身体にはいくつかの古傷が確認でき、衣服の上からでも分かる鍛え抜かれた体躯はがっしりとたくましかった。

 一目で学園の人間ではないと判断したセリカは、畑の植物を踏まないように慎重に気配を殺して近づいた。

 ゴソゴソと植物を探している人物の背後を取った瞬間、セリカの体はピタリと動きを止めてしまう。


 (な、なんだ!?間合いに入れ――)


 「そんな動きじゃあ獲物は狩れないぞ。」


 背筋がゾクリとする。セリカは急いで距離を取った。それは本能による動きだった。


 「悪くない判断だ。背中を取るということは、命がけのカウンターを受ける覚悟を持たなければならないからな。」


 立ち上がったその男の大きさにセリカは言葉を失った。体ももちろん大きいのだが、その人物が発するオーラは並大抵ものではなかったからだ。


 (視線を外せば・・・殺られるっ!)


 動けなくなったセリカを前に、その男はフッと力を抜く。

 セリカは咄嗟に息を吐き出した。どうやら呼吸すら忘れてしまっていたようだ。


 「こ、ここで何をしている・・・?」

 「お前とそう変わらねーよ。」


 男はセリカが手に持っている、ヨモギに似た濃い緑をした植物を見た。


 「これはこの学園で栽培されている授業や研究に使う薬草だ。この学園の人間だったら少量なら摘んでいいことになっている。」

 「あぁ、知っているさ。」

 「あんたはこの学園の人間ではないだろう。」

 「元・この学園の人間だ。」

 「卒業生ってことか・・・?」

 「あぁ、そうだ。先輩には敬語を使うべきじゃねーのか?」

 「し、失礼しました。」

 「ふっ、うそだ。構わねーよ。堅苦しいのはきらいだからな。」


 ニッと笑うと八重歯がのぞく。三白眼の目が一見怖そうに見えるが、笑うと人懐っこい顔をしているとセリカは思った。

 セリカは辺りを見渡す。そして目的の植物を優しく摘んだ。


 「あんたが探しているのはこれだろ?」


 摘んだ植物を手渡すと、男の目が軽く開かれた。


 「アミシス草・・・。なんでわかった?」

 「目が充血している。それに少し顔もむくんでいるし、若干だが酒の匂いが残っている。」

 「・・・へぇ。」

 「アミシス草はすり潰して温かいお茶と一緒に飲むと二日酔いに効果があるからな。」

 「よく知っているじゃねーか。じゃぁ、お前が手に持っているシズソウは火傷やけどの治療薬として使うのか?」

 「いや、これは咳止めと喉の不調に効く薬のためだ。友達に飲ませようと思って。」

 「シズソウをか?」

 「確かに一般的にシズソウは火傷やけど用に使う薬草だ。でも、シズソウの若芽を刻んでハチミツと一緒に混ぜれば咳や喉に効く薬になるんだ。」

 「・・・セワンバナじゃだめなのか?」

 「セワンバナ、風邪の症状に効く花か。それでもいいんだけど、咳と喉の不調だけで風邪と決めつけるのはどうかと思って。食欲もあるし、熱もないからな。」


 男は顎に手をのせ、セリカを見つめる。


 「なんだ?」

 「・・・その知識はこの学園で学んだことか?」

 「ううん、違う。もちろん授業にも薬学があるけど、これは昔詳しい人から教えてもらったんだ。」

 「ふぅん・・・。」


 その時、向こうから声が聞こえる。


 「――カ、セリカ、どこだー。」

 「あ、テオの声だ。テオ、ここだっー!」


 セリカは声を張って答えた。


 「セリカ・・・お前の名前か?」

 「え?あぁ、そうだ。」


 目が合った男の眼は薄い緑色をしている。男はアミシス草を掲げた。


 「これ、もらっていくぞ。」

 「え、うん・・・。」

 「またな、セリカ。」

 「う、うん・・・また・・・?」


 その大きな体には似合わない素早さで、男は畑から去っていった。

 その場に残されたセリカにテオが声をかけた。


 「セリカ、こんなところにいたのか。・・・ん?どうかしたか?」

 「え、・・・いや、なんでもない。」

 「評議会の前にウロチョロしてたら怒られるぞ、ほら行くぞ。」

 「あ、あぁ。」


 歩き出した2人の影に、男はそっと振り返る。その口元は、結んだままの唇にかすかな笑みを浮かべていた。

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