第60話 魔術中央図書館

 まず見えたのは、はためく布と小さな足だった。それは風に揺られた葉が落下するようにゆっくりとした動きだ。

 重力など感じさせないその動きと共に姿を現したのは、薄い紫色のローブに身を包んだ小柄な老人だった。古いが質の良さそうな杖を左手に持ち、鼻下と顎に長く立派な髭を貯えている。

 時間をかけて地上に降りた老人は、シリアよりも背丈が低く禿頭だった。


 「空から・・・」

 「おじいちゃまが降りてきましたわ・・・。」


 空から降りてきた老人に驚きを隠せない3人はその姿を凝視した。


 「何じゃ、ワシに用があるのではないのか?」


 低い歪んだ声にジェシドはハッとする。


 「えっと、僕たちはサージュベル学園から来ました。ここは魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーで間違いないですか?」


 老人は頭をポリポリと掻いた。


 「間違いも何も、お主たちは紹介状があったからここにおるのじゃろ?」

 「紹介状・・・」


 セリカは持っていた紹介状を再び見た。そしてある事に気が付く。


 「あ・・・中身が変わっているぞ。」

 「えっ!本当かい!?」


 落書きとしか思えなかった一筆書きの内容が、判別できる文字として変化している。 

 セリカはから受け取った紹介状を、ジェシドは黙読し始めた。


 「それは鍵のようなもんじゃ。ここに来る途中、それが紛失したり誰かに奪われたりしても大丈夫なように仕掛けがしてある。許可された者の魔法だけを感知して反応する仕掛けがな。この場所に簡単に入って来られんようにする為じゃよ。」

 「前に居た場所と、この場所は違うということですか?」

 「表門のことか。あれは誰でも入れるただの樹の下じゃ。同じ場所ではないが、違う場所でもない。」

 「同じ場所だが、空間域が違うということか?」

 「ふぉっふぉふぉっふぉ。好きに解釈せい。とりあえずこの場所には許可された者しか入って来られないようになっておるようじゃ。」

 「・・・ようじゃ、ということは、この仕組みはあなたの魔法ではないということですか?」

 「どうじゃったかのう。昔すぎて忘れてしもうたわい。」


 曖昧な説明に不安がよぎる。そこに紹介状を読み終わったジェシドが顔を上げた。


 「ジェシド、何か分かったか?」

 「うん。やっぱりこの紹介状がここに入るための鍵となっているようだ。」

 「それは、シャノハ博士からの手紙ですか?」

「うん・・、その・・・手紙の内容口調に長音が多くて、読み上げることが憚られるから要約するね。」

 「だよーん、とか、ぴょーん、とか書いてあるってことですわね。」


 シリアの指摘に何度か頷いたジェシドは手紙の内容を読み始めた。


 「この紹介状は、僕たちの魔法力が登録されているらしいんだ。クエストの受託サインを貰った時に名前を確認されただろ?あの時、僕たちの魔法じゃないと鍵が発動しないように仕掛けられていたらしい。」

 「そんな高度なことができるのか・・・?」

 「さすがシャノハ博士・・・天才っていうのは本当ですわね。発想力が違います。」

 「うん・・・。それでこの場所は鍵を持たざる者には普通の森、というかただの大きな樹にしか見えないらしい。僕たちが最初に居た場所ってことだね。そしてこの紹介状に魔法力を注ぐと鍵が開けられ本当の魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーに辿り着くようになっているらしいんだ。身元がハッキリしている人物じゃないと入れないようする為なんだって。」

 「そんなセキュリティがあったなんて、驚きだな。」

 「情報は宝。悪用されない為の自衛ってことだね。本当にスゴイ。」

 「でも、ここが本当に図書館なんでしょうか?建物も本も見受けられませんが。」

 「それが、利用の仕方までは書いてなくて・・・その・・・」


 歯切れの悪いジェシドは老人を見る。


 「あとは、このおじいさんに聞いてくれって書いてある。」


 注がれた視線を物ともせず、老人は欠伸を繰り返していた。


 「えっと、あなたは、魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーの管理者なのですか?」

 「ふぅむ。そう呼ばれることもあったかのぉ。」


 またしても曖昧な説明に3人は首をひねる。


 「えっと、じゃああなたのお名前を教えてもらっていいですか?」

 「名前か。色々呼ばれておるからのう。確か1番多く呼ばれたのはソフィアかの。メーティスとも呼ばれておった時もあった。」

 「・・・ソフィア・・・!!?」

 「・・・メーティス・・・!?」


 3人はその名前に驚愕する。その名はこの世界を司る魔術師ウィザード最高権威と言われる大魔術師ヌーアウィザードの1人だったからだ。


 「あ、あなたは、も、もしかして・・・!」

 「あの、叡智の賢者と呼ばれるソフィア様ですか・・・!?」

 「ふぉっふぉっふぉ。その呼び名も懐かしいのう。」


 肯定の言葉に3人は思わず息をのんだ。


 「叡智の賢者・・・!」

 「嘘でしょ・・・。伝説の賢者様が何故ここに・・・!」

 「ま、まさか賢者様におられるなんて、そんなこと手紙には一言も・・・!」

 「ふむ。さっき懐かしい名前が聞こえたのう。その紹介状を書いたのはシャノハか?」

 「シャノハ博士をご存知なのですか?」

 「知っているも何も、あやつはここにおったからのう。」

 「え・・・?」

 「懐かしいのう。研究したいことがあると言ってここに何年も居座り本を読み漁っておった。紹介状も持たずここに入ってこられたのは、後にも先にもあやつが初めてじゃ。」

 「シャノハ博士がここに・・・」

 「あやつは、ワシのことを叡智の賢者とか思ってないからな。当然、手紙にも書いてないじゃろ。ただの小さいジジィがおるからソイツに聞けとでも書いてあるんじゃないかえ。ふぉっふぉっふぉっふぉ。」


 思わずジェシドは口を噤む。そして紹介状を握りしめた。


 (言えない・・・!手紙では、ソフィア様のことを『小泣き爺』と書いてあるなんて・・・。)


 「お主たちも好きに呼べばよい。名前なぞ人の認識でしかない。」

 「えぇと、じゃあソフィア様。僕たちはシャノハ博士からここにある資料を借りてきて欲しいと頼まれました。資料や文献はどこにあるのですか?」


 ソフィアは上を指さす。


 「ここじゃ。」


 指さされた先には、枝や葉しかない。


 「え・・・?どれですか?」

 「だからこれじゃ。」


 ソフィアは1番近くにある大きな葉っぱを指さした。


 「葉っぱ、ですが・・・。」

 「もしかして・・・この葉が書物ってことか?」


 3人は空を見上げる。そこには、空を覆い隠す渺茫たる葉が微風に揺れている。


 「ご明察。この葉1枚1枚が書物の仮の姿じゃ。」

 「え・・・?」

 「そんなことが・・・」

 「これ、全部・・・。」


 思わずポカンと口が開いてしまう。3人とソフィアが立っているこの巨樹が魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーそのものということになるのだから。


 「でもどうやって書物になるんだ。これじゃあ読めない。」


 葉に文字が書かれているわけではない。葉には太く立派な葉脈がハッキリと見えた。


 「お主たちはこの場にどうやって入ってきた?」

 「言霊・・・。エレメントを紹介状に注ぎました。」

 「そういうことじゃ。」

 「でも、でも・・・。この葉っぱからどうやって目的の書物を見つけるのですか?見分けが全く付きません。」

 「書物の名前は分かっておるかの。」

 「あ、はい。その情報は貰っています。」


 カバンから薄い端末を取り出す。


 「名を言霊に乗せろ。全ては精霊の導きじゃ。」

 「本の名を言霊に・・・?」


 ジェシドは紹介状に魔法を注いだようにゆっくり息を吐き、集中した。


 「ALL Element 【匠が作る創作和菓子】」


 ピンと空気が張るのが分かった。優しく頬をなでる風が渇いた紙の匂いを連れてくる。


 「手を出せ。」


 ソフィアに言われたとおり両手を出すと、何かが手のひらに触れる感触がした。


 「あ、手の中に葉っぱが現れましたわ!」


 瞬きすることも忘れていた3人の目の前で、瑞々しい1枚の葉がジェシドの手の中で揺れている。


 「それが目的の書物じゃ。さて、もう1度言霊を言うのじゃ。今度は精霊の使役詠唱もな。」

 「は、はい!」


 ジェシドは再び集中した。


 「ALL Element 土精霊ノーム


 両手にある葉っぱにエレメントを注ぎ込むと、葉はオレンジ色の光を放ちながらゆっくりとその形を変えていった。

 光が消えていくとともに、両手には馴染みある冊子が現れていく。


 「葉っぱが・・・!」

 「本になった・・・!」


 ジェシドの両手には【匠が作る創作和菓子】という文字に、墨で描かれた和菓子が印象的な表紙の本が乗っている。


 「す、すごい・・・。こんな現象、初めてだ・・・!」


 ジェシドは感動しながらも、ドタンと座り込んでしまった。


 「え、ジェシドさん!大丈夫ですか!?」


 シリアが慌てて駆け寄った。


 「おっとと・・・大丈夫。ちょっと態勢を崩しただけだ。」

 「ジェシド。」


 しかし、セリカの目を欺くことはできなかったようだ。


 「・・・うん、ごめん。目的の書物を見つける作業と、葉を書物に変える作業・・・相当魔法力を消費するようだ。・・・情けないけどふらついてしまった。かっこ悪くてごめん。」

 「気にするな。しばらく座っておけ。」

 「ふぉっふぉっふぉ。疲れるじゃろう。エレメントで隠した書物を言霊で見つけ出し、精霊の力で凝固した書物を詠唱で具現化するんじゃ。集中力も魔法力も大量に消費する。普通の人間では1冊で体力の限界がくるようじゃぞ。」

 「そうなんですね。僕は人より魔法力の器が小さいから・・・。っあ、なんだこれ・・・?」


 ジェシドが軽く振り返る。どうやら両手から何か落ちたらしい。


 「これは、枯れた葉っぱ・・・?いつからあったんだろう。」


 ジェシドは枯葉を摘まみ上げた。カサカサと乾燥した茶色の葉っぱが不規則に曲がりしぼんでいる。


 「それはお前さんが本に変えた葉っぱの残骸じゃ。」

 「えっ!?」

 「どういうことですか?」

 「エレメントを注がれた葉は枯葉になり土に還るのじゃ。新しく芽吹くための養分としてな。

 叡智は巡る。そして出会いとともに新しい情報が上書きされ、知はまたその命を宿すのじゃ。」

 「そんな・・・。例えばこの本をすぐに読みたい人がいたらどうすればいいんですか?ここに来ても目的の本が無かったら、世界一の図書館の名が傷つきますよ。」

 「ふむ。そのような本を借りる変わり者は、シャノハぐらいじゃと思うがな。」


 ソフィアはチラリと本を見る。


 「例えばですよ。これが重要な書類だとしてです。」

 「それも運命じゃよ。もしここに本が無かったら、借りた人を探せばよい。諦めるでもよい。新しく書くでもよい。人は選択をすることができる。そしてそれを実行できる力を備えておる。」

 「・・・。」

 「・・・。」

 「同じ本を読みたかったら共有する方法を考えればよい。一緒に読んだり、情報を伝えたり。そしてもし、その本を読ませたくないのなら、その書物を燃やし抹消すればよい。」

 「そんな・・・!」

 「それも選択の1つということじゃ。本は選択できない。それも運命ということじゃな。」


 セリカは足元を見た。


 「それで地面に葉っぱが落ちてないのか。こんなに葉が茂っているのに、落ちているのは枯葉だけだ。」

 「本当ですわ。言われて初めて気が付きました。」


 巨樹の神秘に3人は黙ってしまった。

 数えきれない知識の下に自分たちが居る。それは味わったことのない高揚感と少しの憂惧が混じった複雑な心情だった。


 「目的の書物はいくつあるんじゃ?」

 「え、あ、はい。ええと、全部で6冊だから残り5冊です。」

 「なんじゃ、少ないのお。あやつがここにおったときは1日に30冊は読んでいたが。」

 「30冊ですか!?全部あの作業を1人で!?」

 「ああ。疲れより探求心が勝っておったのじゃろ。まあ、あやつの魔法力も相当じゃしな。その数だったら3人で手分けしたらすぐに終わりそうじゃのう。・・・おや?」


 セリカは俯いた。言霊も詠唱も唱えられないということは、本を探すことも、具現化することもできないからだ。


 「あ、セリカ・・・。」

 「なんじゃ、言霊を必要としない者がおるのか。それはまた珍しい。」


 セリカは思わず顔を上げる。


 「分かるのですか?」

 「ああ、分かるとも。」


 重い沈黙が流れる。その沈黙を壊すようにシリアはパチンと手を叩いた。


 「ジェシドさん、私読みたい資料がいっぱいあるんです。手分けしたらきっと早く片付きますから頑張りましょう。」

 「・・・分かった。とりあえずクエストをクリアしなきゃね。僕のクエストなんだから僕が頑張らないと。」

 「セリカ。おもしろい文献があったら一緒に読みましょう。私が持ってきますから。セリカの見解も教えてください。」

 「あ、それ面白そうだな。僕も混ぜてほしい。」

 「勿論ですわ。さぁ、じゃんじゃん本を借りますわよ。」

 「おおー!」


 2人は一斉に駆け出した。セリカが言霊も詠唱もできないことを気遣っての行動だろう。

 セリカは唇を噛む。ただの役立たずな上、気遣いまでさせてしまった。

 走る2人の背にセリカは小さく謝った。

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