第2章 3部

第56話 2つのクエスト

 乾いた冷気が植物の生命を吸い込み、循環された新鮮な空気に満ちている。

 緑を濡らした瑞々しい新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込めば、体中を巡る血液さえも浄化されそうな気がして思わず深呼吸をした。

 土を踏む音が聞こえたのでジェシドは振り返る。そこに、セリカとシリアが手を振りながら歩いてきた。


 「おはよう、セリカ君、シリア君。」

 「おはようございます、ジェシドさん。」

 「おはよう。」


 2人はにっこりと笑いながら挨拶をした。


 ヨジンとの決闘デュエルから1週間。

 3人はいよいよ魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリー――(通称ACL)に向けて出発しようとしていた。


 「セリカ君。傷はどうだい?」


 いつもの制服に身を包んだセリカに変わった様子はない。しかし、先日に負った傷は浅いものではなかった。


 「あぁ、もう大丈夫だ。決闘デュエルの後にジェシドがくれた傷テープが役立った。ありがとう。」



 ヨジンの敗北が認められた直後、ノジェグルが演習室のエレメント供給を止めた。

 するとその場が一瞬で殺伐とした崖から殺風景な演習室に姿を変える。


 「勝者。セリカ・アーツベルク。」


 ノジェグルが静かに判定を下す。

 セリカは途中から気を失ったヨジンを優しくその場に横たえた。


 「セリカッ!!!」

 「セリカ君ッ!」


 シリアたちはセリカに駆け寄った。


 「セリカ!すごかったですわ!!でも傷がひどいです!!すぐに医務室へ!!」

 「私は大丈夫だ。それよりヨジンを――」


 影が重なる。横たえたヨジンに手を伸ばしたのはノジェグルだった。


 「医務室へは私が運ぼう。」


 チラリとセリカに視線を送ると、ヨジンを担ぎ行ってしまう。

 既にサリの姿はスタンドにはなかった。


 「セリカ君、これを。」


 ジェシドが差し出したのは包帯だ。


 「これは僕が作ったアイテムだ。傷に巻くとその人の治癒能力の活性化を手伝ってくれる効果がある。とりあえず流血を止めるのが先だ。」


 セリカから流れる血を拭き取り包帯を巻いていく。その顔はどこか苦しそうだった。


 「ありがとう、ジェシド。こんなアイテムを作れるなんてやっぱりすごいな。」

 「・・・。」

 「ジェシド?」


 ジェシドは俯いたまま顔を上げない。しばらくすると、喉の奥から絞り出した声が届いた。


 「ごめん!僕のせいでこんな傷だらけにしてしまって・・・。痛かっただろう・・・本当にご――。」


 セリカが無理やりジェシドの顔を上げる。ジェシドの目は真っ赤だ。


 「何度も言っている。これは私の戦いでもあった。だからもう謝るな。」

 「でも・・・!」

 「謝罪よりも礼がいい。」


 セリカはにっこりと笑う。ジェシドは流れそうなる涙をぐっとこらえた。


 「・・・セリカ君、ありがとう!!!」

 「あぁ!」



 こうしてセリカの回復を待った1週間後、3人は再び顔を合わせた。


 「クエストの再確認をさせてもらっていいかな?」


 ジェシドが薄型の端末を取り出す。2人は小さく頷いた。


 「今回のクエストは魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリー(通称:ACL)にて該当文献を見つけ依頼者まで届けること。依頼者はソン・シャノハ博士。期間、方法等は自由。まぁ、お任せってことだね。

 僕たちは正規ルートである劫火峡谷デフェールキャニオンを通って目的地へ行く。」

 「了解ですわ。」

 「了解した。・・・そういえば、該当文献とはなんだ?」


 セリカはクエストの疑問点を指摘した。


 「あぁ、博士からメールが来てた。ちょっと待って・・・。」


 そう言うと、スイスイと指を動かして画面をスクロールしていく。


 「きっと、エレメント研究に重要な文献ばかりなのでしょうね!」

 「興味深い内容の文献だったらぜひ拝読したいものだな!」


 もしかしたら重大な研究の手伝いとなるかもしれないクエストだ。2人は興奮を隠せない。


 「あ、あったあった。読み上げるね。えっと、『――文献は下記に示すものとする。』

 ●匠が作る創作和菓子

 ●材料はこれだけ♪簡単洋菓子 

 ●KYOTOを巡る紅葉旅 

 ●再現!グリム飯っ! 

 ●アンデルセンから学ぶ世界のお菓子 

 ●お一人旅を極めるお弁当・・・って書いてある・・・。」


 「え・・・?」

 「ん?」

 「・・・!?」


 ジェシドは画面を凝視する。そして自分が読み上げた文書をもう1度じっくりと読み直した。


 「・・・やっぱり文献資料について他に書いていない。エレメント遺伝子についてとか、精霊の在り方とかそんな文献じゃないのか・・・!?」

 「お菓子を極めることがエレメント解析への近道じゃないのか?」

 「セリカったら、そんなことはきっとあり得ませんわ。」

 「あの偉大な博士の研究を読み解く文献資料とばかり・・・。」

 「完全に趣味による資料ですわね・・・。」

 「そんなぁ・・・。」


 ジェシドは落胆した様子でタブレットを抱きしめた。


 「ふむ。それでもあの博士の依頼なんだろ?借りてくる資料が何であれ、研究の手伝いには間違いないクエストだ。そうだろ、ジェシド?」


 セリカは敢えて大きな声でジェシドに声をかけた。


 「・・そうだね、うん!その通りだ!」

 「よし!ではそろそろ出発しよう。」


 仕切り直したセリカが2人に声を掛けた時だった。


 「あ、セリカ君!ちょっと待ってほしんだ!」

 「ん?どうしたジェシド?」

 「うん、実はもう1つ伝えておかなければいけないことがあるんだ。そろそろ来るはずなんだけど・・・。」


 ジェシドは右腕にはめている腕時計を見る。


 「あ、ジェシドさん。来ましたわ。」


 歩いてくる人影が2つ見える。セリカがその影を認識するのに時間はかからなかった。


 「よぉ!おはようさん!!」

 「テオ!どうしたんだ、こんな所で・・・」


 大きな人影の1つはテオだった。そしてその隣には仏頂面をした男子学生が1人ブツブツ言いながら立っている。

 グレイのサラサラ髪をおかっぱにした男子学生は、シリアよりも頭1つ分程大きい小柄な少年だ。丸い大きなメガネが顔の半分を占めている。しかしメガネの奥に光る芯の強い眼差しは十分精悍な青年のものだった。


 「そちらの人は誰なんだ?」


 セリカは初対面である青年の顔を無遠慮に見つめる。しかし露骨に目を逸らされ視線が合うことはなかった。


 「こいつはオルジ・レジュスリー。オレの幼馴染でこのグローブを作った張本人さ!」


 両手に嵌めてあるグローブを見せながらテオが紹介する。しかしオルジの顔は下を向いたままだ。すかさず、テオがオルジの頭を軽く小突いた。


 「いてっ!なにすんだよ、テオ!」

 「いつまで不貞腐れてるんだよ!いい加減諦めろ!」

 「テオが無理やり連れてきたんだろ!!僕は行く気は無いって言ってるだろ!」

 「何言ってんだ!ポイント稼がないと本当に学園を辞めないといけなくなるんだぞ!それでもいいのかっ!?」

 「・・・。」


 2人の会話についていけなかったセリカはジェシドを見た。


 「驚かせてすまない。実はシリア君経由でテオ君からあるお願いをされたんだ。」

 「あるお願い?」

 「ジェシド、オレから話すよ。単刀直入に言うとお前らのクエストに便乗させてもらえないかってお願いしたんだ。」

 「便乗?」

 「・・・テオ。端折りすぎですわ。」


 シリアが目頭を軽く押さえながらため息をついた。


 「ゴホン。ええと、お前たちは劫火峡谷デフェールキャニオンを通ってACLへ行くクエストを受けたんだろ?」

 「あぁ。何でそれを?」

 「数日前、ジェシドがオレたちの教室へ来ただろ?あのセリカへの熱烈な告白のやつ!」

 「だから、告白じゃないって何度も説明しただろ!?」


 ジェシドは顔を真っ赤にして焦っている。


 「まぁまぁ。実際に注目の的だったんだから。

 それで最近、ジェシドとチビッ子とセリカがよく話していたから、なんの話か気になってチビッ子に聞いたんだよ。」

 「ただ、ジェシドとシリアが会話しているのが気に入らなかったんだろ・・・。」


 テオにだけ聞こえるように、オルジが小さな声でつぶやく。

 テオはオルジの足を軽く踏んだ。


 「いってぇ!!・・・この怪力!」

 

 オルジの文句も無視してテオは話を続けた。


 「それで、ジェシドって人のクエストに協力するって話を聞いてさ。興味あったから色々教えてもらったわけ。」

 「興味とは?」


 テオはオルジの頭をグイと引っ張って前に押し出した。


 「ジェシドは修練ラッククラスでポイントを集めて創造クリエイトクラスに戻るって言ってるだろ?コイツも同じなんだよ。」


 ここで初めてオルジとセリカは視線を合わせた。


 「こいつってば、創造クリエイトクラスに入ったのはいいけど全然勉強しないし、研究発表もしなかったから簡単に修練ラッククラスに落ちたんだ。しかももう創造クリエイトクラスには戻りたくないとか言い出しやがって!」


 オルジは再び俯いた。


 「ポイントを稼がないと学園から追い出されちまうって言うのに全然ポイントを集めようともしてないからさぁ!オレがクエストに誘ってやったんだよ。」

 「頼んでも無いし、余計なお世話だと何回も言っただろ!?」

 「何だって!?オレは心配してやってるんだぞ!?」

 「心配もしていらないさ!僕には僕の考えがあるんだ!」

 「学園を辞めたら元も子もないだろうがっ!!」

 「まぁまぁ、2人とも熱くならないで・・・。」


 ジェシドが2人の間に入って宥めている。

 シリアは軽くため息を吐くとセリカの耳元でコッソリと声をひそめた。


 「テオが不機嫌だったのを覚えていますか?」

 「あぁ、確か幼馴染とケンカしたとか言ってたな。」

 「そうです。ケンカの理由がこれです。オルジが修練ラッククラスに落ち、更に創造クリエイトクラスに戻る素振りを見せないそうで・・・。

 テオはオルジと学園を卒業する約束をしていたものですからオルジの行動が理解できなかったのでしょう。」

 「だからあんなに怒っていたのか・・・。」

 「えぇ。テオに相談も無かったようで、余計に怒っていたみたいですわ。

 でも・・・オルジの意思は変わっていないようですわね。」


 2人の視線の先にはいがみ合っているテオとオルジの姿がある。

 その2人に近づいたセリカは質問を続けた。


 「それで、クエストにどう便乗するんだ?」


 話が元の位置に戻ったことで2人はいがみ合うことを止めた。


 「俺たちは別のクエストを受けたんだ。」


 言いながらテオは手に収まる小さな端末を操作し始めた。


 「これこれ。内容は調査クエストだ。」

 「調査クエスト?」

 「あぁ。劫火峡谷デフェールキャニオンの近くにある村の人たちから学園に依頼が来たんだ。最近見た事のない霊魔が多数目撃されているらしい。

 人害の被害はまだ無いみたいだけど・・・まぁ、やっぱり不安だよな。それで、どんな情報でもいいから探ってきて欲しいってことらしい。」

 「情報か。」

 「その霊魔が劫火峡谷デフェールキャニオン付近から現れたっていう目撃者が多くてな。だから村から劫火峡谷デフェールキャニオンを調査するつもりだ。 

 それで劫火峡谷デフェールキャニオンに行くお前たちのクエストに便乗というか、手を貸して欲しいんだ。」

 「私たちのクエスト先は魔術中央図書館アバンダントセントラルライブラリーで必要な文献を持って帰ることだ。調査を手伝っている暇はない。」

 「あぁ、それはもちろん知っている。クエストは別々でいいんだ。

 ただ、オレたちも劫火峡谷デフェールキャニオンを調査することになるんだが・・・あそこ行くとなるとどうしても装備が必要で・・・。」


 セリカはピンときた。視線をジェシドへ送ると、ジェシドはコクンと頷いた。


 「なるほど。火蜥蜴ひとかげの粉か。」

 「そう。あのアイテムで防御力を上げないと調査どころじゃないからな。オレはエレメントが火精霊サラマンダーだから多少は大丈夫だけど、オルジは軟弱だからな~。」


 急に矛先が向いたオルジはカッとする。


 「はぁ!?だったら1人で行けばいいだろ!!僕はクエストなんて行きたくないんだから!」

 「まだそんなこと言ってるのかよ!?いい加減にしろよ!」

 「いいんだよ、もう!僕は学園を卒業できなくても、学校を辞めたっていいんだから!」

 「お前っ!」


 テオはオルジの胸倉を掴んだ。オルジは退くどころかグッと睨んだまま動かない。


 「はい、ストップですわ、ストーーップ!!」


 2人の間に割り込んだシリアにより険悪なムードを回避できた。しかし2人の溝は深まるばかりに見える。


 「テオ君たちに火蜥蜴ひとかげの粉を分けるのは全然問題ない。ただこのアイテムはセリカ君の戦利品だから僕の一存では決められないと言っていたんだ。」

 「私たちの今回のクエストリーダーはジェシドだ。ジェシドがそう決めたなら全然構わない。」

 「やった!恩に着るぜっ!」


 テオはパチンと指を鳴らす。


 「そういえば、ヨジンは火蜥蜴ひとかげの粉を持ってきたのか?」


 決闘デュエルの後、医務室に行ったまま自宅療養となったセリカはその後のやりとりは知らなかった。


 「あぁ・・・。この通り、ほら。」


 ジェシドがカバンから小瓶を取り出す。赤茶色をした粉が入った小瓶のラベルには「火蜥蜴ひとかげの粉」と書いてあった。


 アイテムを確認したセリカはもう1つ気になっていた事を聞いてみた。


 「ヨジンは、ジェシドとシリアに直接謝りにきたか?」


 決闘デュエルの後に謝罪をすると言った経緯を思い出しながら2人の顔を見る。2人は静かに首を横に振った。


 「あいつ、約束を守らなかったのか!?」


 思わず前のめりになったセリカを両手でジェシドが制した。


 「いいんだ。」

 「お前はまだそんなことを言――」

 「決闘デュエルの数日後・・・」


 セリカの言葉を無理やり遮るように、ジェシドは少し大きな声を出した。


 「僕の机の上にこの小瓶が置いてあったんだ。小瓶の下に紙きれがあって一言『悪かった。』と書いてあったよ。」

 「・・・。」

 「セリカ、こちらを見てくださいな。」


 シリアが差し出した紙切れをセリカは手に取って見た。


 「クリーニング優待券・・・?」

 「はい。私の机にもこの紙とジェシドさんと同じ紙切れがありました。内容は同じでしたわ。」

 「遠まわしの謝罪を・・・。」


 顛末を聞いたセリカは未だ納得していない顔だ。


 「いいんだ。彼は・・・ヨジンはもうこの学園に居ないんだから。」

 「どういうことだ?」

 「ヨジンは、実戦バトルクラスから修練ラッククラスに落ちたんだ。でも彼はすぐに退学届け出して、この学園を去っていったよ。」

 「向こうは私が負けたら修練ラッククラスに行くことを条件にしていたが、私はそのようなルールを課した覚えはないぞ。」

 「あぁ、だからこれは学園側の介入があったに違いない。」

 「・・・ノジェグル先生が?」

 「分からない。ただ、ヨジンにとって修練ラッククラスから這い上がるって選択肢は無かったってことだ。」

 「・・・そうか。」

 「そんなの、この学園じゃあ日常茶飯事だよ。」


 再び重たくなった空気に口を開いたのはオルジだった。


 「え・・・?」

 「この学園は魔術師ウィザードのスペシャリストを育成する機関だ。それに漏れて落ちていく人なんて山ほどいるってことさ。」

 「オルジ?」

 「この学園の卒業比率を知っている?入学時の人数から約3分の1の人数が残っていればいい方だと言われている。その一握りに入れるように努力し続けなければならない。

 常に周りとの競争で、一瞬気を緩めればすぐに脱落してしまう。そんなの、メンタルが続かないよ。」

 「それぐらいしないと、最強の魔術師ウィザードなんてなれないってことじゃねーか。」

 「全員が全員、テオみたいに脳みそまで筋肉で出来てないんだよ!」

 「何だってっ!? もう1回言ってみやがれっ!!」


 数分前と同じような姿勢になった2人を、シリアはすでに静観している。


 「シリア、止めなくていいのか?」

 「もう知りませんわ、まったく。」


 呆れた顔でため息を吐くシリアに変わって、2人を止めたのはジェシドだった。


 「さて!そろそろ出発しようか。火蜥蜴ひとかげの粉を分けるからこっちに来て。」


 さすが先輩だ。アイテム名を出したことでテオがピタッと動きを止める。そして粉を受け取った。


 「僕たちは空路から行く。テオ君たちは陸路だよね。途中までは一緒だから共に行こう。」

 「あぁ。お互いクエストが達成できるように頑張ろうぜ!」


 さっきまでの険悪な空気などお構いなくアイテムを受け取ったテオは親指を立てて笑った。

 その笑顔の向こうには冴えない顔をする対照的なオルジの顔があった。

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