第55話 師の影

 東南の方角に明るく目立つ星がある。季節と時間から推測すると恒星の中でも一際輝くシリウスだろう。

 3人の吐く息にはうっすらと白い靄が混じっている。


 『待って、セリカ君。君に話しておきたいことがある。』

 『ん?なんだ?』


 呼び止められたセリカは振り返った。そこには自責に満ちたジェシドの顔があった。


 『ごめん、僕のせいでこんな事になって・・・。元々彼の標的である僕が土俵に立たなければいけないのに・・・。』

 『気にするな。実際に諍いを起こしたのは私だ。ジェシドの気に病むことではない。』

 『でも・・・。』

 『それより話しておきたいこととはなんだ?』

 『うん。・・・僕は戦えない。もし戦ったとしても勝敗は目に見えている。だけど僕にもできる事はある。』

 『なんですの、ジェシドさん。』

 『ヨジンの情報だよ。情報は知っておいて損はない。僕は彼と1度も戦ったことがないから完全に把握しているわけではないけど、戦略を立てるのに役立つと思う。』

 『情報?』

 『あぁ。まずヨジンのエレメントは風精霊シルフだ。魔法力の器も大きくて実力もある。さらに、風精霊シルフの上級属性変化も習得している。

 風精霊シルフの上級属性変化を知っているかい?』

 『えぇ、『浮遊』ですわね。』

 『そう。ヨジンは魔法力も強くさらに風のコントロールに長けていることで有名だ。自身を宙に浮かせ、上空から強烈な攻撃を繰り出すんだ。』

 『それは・・・スゴイですわね。』

 『・・・。』

 『風を味方にできる環境があれば彼の強さは最大限に引き出される。実際にヨジンの攻撃を躱せた者は居ないと言われているんだ。』

 『攻撃を躱せない?どういうことだ?』

 『それは・・・対峙したことが無い僕にも分からない。どんな仕組みがあるか伝えれたら良かったんだけど・・・。』

 『実際に戦ってみないと分からないということだな。』

 『うん。仕組みに気付けたとしても反撃に転じる体力も残しておく必要がある。』

 『攻撃される前に倒せばいいんじゃないのか?』

 『セリカ、そんな簡単にはいかないでしょう・・・。』

 『その通りだよ。ヨジンの攻撃の速さは実戦バトルクラス2年生の中でもトップクラスだ。始まってすぐに攻撃を仕掛けてくるだろう。

 しかも、セリカ君に恨みを抱いているだろうからジワジワと甚振いたぶるような攻撃をしてくると思う。』

 『確かに粘着質っぽいな。」

 『米粒ですわ~。』

 『・・・ぶふっ!!』


 2人の反応にジェシドは思わず吹き出した。


 『あははははは、ヨジンのことをそんな風に例える人たちなんて初めてだよ。』


 セリカとシリアは顔を見合わせる。ジェシドは目尻に濡れる涙を指でかすめ取った。


 『彼の性格上、大技ですぐに勝負を決めるとは思えない。セリカ君に自分の実力を見せつけたいと思っているからね。そこを逆手に取るんだ。彼の攻撃の仕組みを紐解く機会にすればいい。』

 『なるほど。』

 『そんな簡単にはいかないと思うけどね・・・。それで、彼の自尊心を傷つければ上級属性変化を使った大技に切り替えるだろう。そこが勝負の分かれ道だ。』






 (・・すごいな、ジェシドの言った通りだ。)


 これまでの戦いがジェシドの情報通りになっていることにセリカは感嘆の念を覚えた。

 そして、流れる血が地面に染み込んでいく様子をどこか他人事のように見ていた。

 

 その血から思い出すのはタバコの匂いとニヤついた笑み。

 戦い方を叩き込まれた容赦のない日々だった。





 『もうイヤッ!!痛い、痛いんだってばぁ!!!!』


 青く澄んだ谷川に陽の光が反射している。

 切っ先が尖った岩にトンボが羽を休め、緩やかな流れに逆らうように泳ぐ魚が水面に小さな波紋を作っていた。

 段差を流れる渓流は力強く川音が響き、白く泡立つ川底に砂利が敷き詰められている。


 脹脛ふくらはぎまで浸かる川に足を突っ込んでかれこれ1時間以上経過している。体には小さな擦り傷が時間の経過と共に増えていっていた。


 『痛いならさばけ。』


  大きな丸い岩に腰かけ、片足を太ももに乗せたヴァースキは非情な声をだした。

 口に咥えたタバコからぼんやりと煙がたちのぼっている。


 『もう無理!痛くて動けないぃっ!!』


 川の流れに足を持っていかれないように踏ん張るセリカの目から大粒の涙が流れている。

 しかしどんなに泣き叫ぼうが、目の前にいるヴァースキが修行を止めてくれたことは1度だって無い。

 それでもセリカは必死に訴えかけた。もうその手段しか無いように思えるほどに体が悲鳴を上げているのだ。


 『もうイヤよ、止めて!川の水が冷たくて足の感覚が無くなってるのっ!もう動けないのっ!!イタイ、痛いの!』


 ヴァースキはセリカに向かって手をかざす。その動きにセリカは期待した。


 (やった!終わっ――)


 『癒濡ヒール。』


 淡く優しい光がセリカを包み込むが、この光は絶望の光だった。

 希望が砕かれたセリカは、首を何度も横に振る。


 『イヤ、止めてっぇ!イヤッ!』


 あっという間に体の傷が癒えていく。

 泣き叫んだ肺の痛みさえも拭い去るヴァースキの魔法は、絶大な効果だった。


 『回復したな。じゃあ次いくぞ。』


 そして再び手をかざし、魔法を口にする。

 するとうねりながら流れる川の流れにいくつもの影が色濃く浮かび上がってきた。 

 それは数メートルの長さをもつ蛇へと姿を変え、セリカに次々と襲い掛かってきた。


 『キャッ!!』


 容赦なく襲ってくる蛇は次々とセリカの体に咬みついた。柔く薄い皮膚に激痛が走ると、セリカは体勢を崩しそのまま転倒してしまう。

 溺れてもなお襲ってくる蛇を手で払いのけようとした。しかし手にかかる水圧はせめてもの抵抗さえ呆気なく奪い去っていく。


 もう何度目だろう。蛇に噛まれ、溺れ、倒れてしまえば回復魔法をかけられ再び蛇に襲われる。

 イヤだと言っても聞く耳さえ持ってもらえない。このような修行を何度繰り返されただろう。


 『そのままだと溺れ死ぬぞ。』


 そのセリフも何度聞いたか分からない。例え、気を失ってもまた回復魔法をかけられることをセリカはもう知っている。


 『ゴボッ、ガバッゴォッ、ゴボッ・・・!』


  体に咬みついた蛇を何とか払いのけたセリカは河原に這い出た。

  飲んだ水を吐き出すと、水滴と涎がゴツゴツとした石や砂利を濡らしてゆく。

 その中に涙も含まれているはずだが、セリカにはその違いさえ分からなくなっていた。


 『もうイヤよ、今日はもう本当にむり・・・。』

 『喋る元気があるみたいだな。次いくぞ。』

 『っ!! いい加減にしてっ――!』


 ピシッと空気が切れる。

 セリカの絶望の怒りにヴァースキはタバコの灰を捨てるフリをして自分の頬を拭った。

 拭った手にはうっすらと血が付着している。


 『そこまで吠えれるならオレの魔法を捌いてみろ。もうオレのエレメントははずだ。』

 『おっしょうのエレメントならもう分かってる!でも、水の中だったら区別に時間がかかるのっ!』

 『何度も言ったろう。』

 『分かってる!それを見極める修行だってぐらい――』

 『おっしょうじゃない、お師匠と呼べと。』

 『ふざけんな、このヤニジジィ!!』


 セリカは水の塊を幾つも放った。しかし、塊はヴァースキに届く前に全て弾け飛びバシャッと地を濡らす。


 『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・』


 その時、フゥとため息が聞こえる。


 『いいか、環境を味方につけろ。不利だと思うなら自分の有利へと導け。あらゆる地の利を利用するんだ。』

 『そんなの簡単に思いつかないっ!』

 『思いつかないなら体が勝手に動くまで続けるまでだ。』

 『できないっ!』

 『出来る、出来ないの話じゃない。やるんだ。』


 ヴァースキは表情を変えない。憎々しい顔が、目に溜めた涙によってぼやけて見えてきた。


 『泣いたって止めないことぐらいもう分かっているだろう。』

 『・・・くっ!おっしょうの鬼っ!』

 『お師匠と呼べ。ほら、いくぞ。』

 『アホ!石頭!ヤニ臭い!!』

 『なんだと、このクソガキっ!!』



 容赦のない攻撃はセリカが動けなくなるまで続けられた。

 気を失ったセリカにその後の記憶はない。しかし、心地よい心音と温かな腕、そして服に染み付いたタバコの匂いは、クタクタだったセリカの心の支えとなっていった。


 年を重ねるごとに修行の内容は熾烈を極め、死さえ覚悟する日々が常だった。

 ヴァースキの容赦の無い強さはセリカの心と身体を見事に鍛え上げのだ。




 


 「セリカァァァァァァッ!!!」


 離れた距離から聞こえたシリアの声。


 「この勝負もらったぁっ!!」


 己の勝利を確信したヨジンの声。

 

 その2つの声が重なった時、セリカは神速の動きを見せる。

 上空からのヨジンの攻撃をすべて見極めると大きくジャンプした。


 (オレの攻撃を、すべて・・・!!)


 岩壁には大きな海がその身をぶつけ白く波を立てている。削られた岩肌に砕けていく泡が幻想的に溶けていった。

 ジャンプしたセリカはその身をその崖へ落としていく。そしてそれを追うようにヨジンも崖へと姿を消した。


 「セリカッ・・・!」

 「セリカ君・・・!」


 シリアとジェシドの視界から消えた2人は、戦いの場を崖下へと変えていく。


 「なんだ、諦めたか?確かに、仲間の前で切り刻まれたくないもんなっ!!」


 セリカは重力に身を委ね落ちていった。


 (水精霊ウンディーネでは空中で身動きを取れないだろうっ!!)


 「これで終幕だ!オレに逆らったことを後悔しろっ!空斬ヴァンラーマッッ!!!」


 セリカを追ったその上から、ヨジンは大きな風の刃をセリカに向かって放った。

 セリカは両手を伸ばす。そしてヨジンの魔法よりも少し弱い水の刃で受け止めた。 


 威力はヨジンの方が上だ。魔法同士がぶつかった僅かな瞬間を見逃さなかったセリカは体を捻り、魔法の軌道から逸れることに成功する。

 水の刃を含んだヨジンの魔法はその威力を増大させながら海へとぶつかり大きく爆発すると、大量の水が辺りに弾け飛んだ。


 「なにっ!!」


 魔法の爆発によりヨジンの視界は一瞬曇った。しかし、身体が水ではない冷たい空気に反応した。


 「くっ・・・!なんだ、この冷気は・・・!」


 水が爆ぜたと思った瞬間、セリカはタイミングを合わせ海の水を一瞬で氷に変えたのだ。 

 海はもちろん、爆発して飛び散った水すべてが氷へと変化している。


 「海すべてを氷にしただとっ!!!どういうことだよっ!!?」


 急激に変化する自然にヨジンは動くことさえできなかった。


 「環境を味方に。地の利を使え。」


 声が聞こえてきた方向は明らかに自分よりも上の位置。

 見上げた瞬間、ヨジンはその場の現象に慄いた。


 爆ぜた大量の水を氷に変えたセリカの足場には、流氷のような塊が見える。

 そして氷の足場を思いきり蹴り上げると、手にした氷の剣を思いきり振るった。

 ヨジンの体を纏っていた風の鎧は切り裂かれ、さらに深く切り込まれる。


 「がっっぁっ!!!」


 ダンッ!!という音とともにヨジンはそのままに氷に変わった海へ叩きつけられたのだ。

 仰向けに倒れたヨジンの顔のすぐ傍で、剣が突き刺さる音がした。目を開けばチカチカと光が瞬いている。どうやら頭を強く打ったようで、身体を動かすこともできなかった。


 「自分よりも高い位置から攻撃される事はなかっただろう。勝負ありだ。」


 目が少し慣れてくる。ぼやけた輪郭が次第と明瞭となっていった。


 「メチャクチャだな、お前・・・。魔法力もスピードも・・・、速さには・・・自信があったんだけどな・・・。」

 「お前も十分速かった。ただ、私はお前よりも更に速い攻撃を知っている。」

 「はっ・・・。なんだソレ・・・。化け物じゃん。」

 「それよりシリアとジェシドに謝るんだ。」

 「は・・・?そんなのルールに入れてねーよ。」

 「お前の謝罪は当たり前のことだ。だからルールに入れる必要はなかった。」

 「・・・。」

 「その体でここを這い上がるか?私が魔法を解けばここは海へと戻るぞ。」


  少しずつ視界がクリアになってくる。切り立った崖は予想より深そうだ。


 「・・・。分かったよ。オレの完敗だ。」

 「よし。肩を貸そう。」


 動けないヨジンを起き上がらせ腕を肩に回す。


 「お前、誰に戦いを教えてもらった?」


 セリカの強さを目の当たりにしたヨジンは純粋に興味を覚えたのだろう。

 セリカはグイッとヨジンを持ち上げた。


 「ヤニジジィだ。」

 「は?」


 ニヤついた顔が頭をよぎる。

 ヴァースキが吸っているタバコの匂いが一瞬かすめたような気がした。

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