第41話 冷たい手

 図書室は独特の匂いがした。カビ臭いようなホコリっぽいような。

 ただ、インクと古い紙の匂いは不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。

 周りを見渡せば勉強に集中している人や、机に突っ伏して寝ている人も数人いた。


 図書室にあるどの棚にも、多くの本や文献がギッシリと収まっている。その量に圧倒されつつも、セリカは目にと止まった1冊の本を手に取りパラパラとめくってみた。


 「魔術思想とは文化進化主義の観点と超自然的現象の信託への相互扶助の関係に成り立った――」


 セリカは本を棚に戻した。そして、違う本を手に取り開いてみた。


 「神話的思考論の普遍的な判断として儀式や贄を必要とする思想が背景にあるのは、その時代の繁栄に伴った――」


 セリカは再び本を棚に戻す。そしてため息をついた。


 (何をどう勉強していいのか全く分からない・・・。そもそもテストの内容さえ把握できていないのに。)


 勉強の仕方が分からないセリカは、目の前にある大量の本を前に途方に暮れてしまった。


 本は嫌いじゃない。むしろ好きな方だ。まだ幼かった頃、家にあったたくさんの書物はあらかた目を通した。難しい内容のものもあったが、複数の文献と照らし合わせ解読するのも得意だった。

 しかし当時の目的はそれではなかった。勿論、本を読み、知識を得ることが楽しかったのもあるが、それ以上に彼に笑ってほしかったのだ。


 『もうこの本を読んだのかい!?すごいじゃないか!』


 目尻に刻まれたシワがクッキリと現れ、しわくちゃに笑う顔が好きだった。


 思い出す彼の姿は、机に向かい唸っている背中ばかりだ。彼は研究にかかりっきりだったからだ。

 しかしセリカが読んだ本の感想を伝えると、彼の眉間のシワが無くなり目尻を下げ笑ってくれるのだ。

 彼がその研究について必死になっていることは知っていた。子供ながらに邪魔をしてはいけないと思いつつも、いつも難しい顔をしている彼に笑って欲しくて、笑っているその時は、自分を見てくれる唯一の時間な気がして本を読んでいたのだ。


 (ヴァースキは、頭より体に叩き込めって戦い方ばかり教えてくれたからな。面白い話もたくさんしてくれたけど、改めて勉強なんて・・・。)


 「うわっ!!」

 「ぅお!」


 思考に気を取られていた。セリカは目の前に現れた影に気が付くことなく盛大にぶつかってしまったのだ。

 その衝撃により、本が何冊も落ちる音が図書室に響き渡った。


 「あ、すまない!ボーッとしていた。」


 セリカは慌てて落ちた本やノートを拾い集めた。


 「あ、僕の方こそ・・・。」


 ぶつかった男子生徒も一緒に本を拾い集めている。


 セリカは開いたままのノートを手に取った。そこにはビッシリと文字が並んでいる。図式や注釈が記入され蛍光ペンで強調をし、余白にも走り書きがされていた。

 1ページ見ただけで、並々ならぬ努力がうかがえるノートだ。


 「スゴイな・・・。内容が分かりやすくまとめられている。」


 セリカはノートをめくってみた。


 「か、返してっ!!」


 乱暴にはたかれたノートは再び床に落ちてしまった。男子生徒は俊敏な動きでそのノートを回収し、そのまま俯いてしまった。


 「あ、すまない。ジロジロと見てしまって・・・。」


 配慮が足りなかったことを反省したセリカは頭を下げる。


 「ただ、すごく分かりやすいな、そのノート。資料の要点が無駄なくまとめられている。」


 男子生徒は俯いたまま動かない。


 「私は実戦バトルクラスでテストの追試者なんだ。基礎的な内容から復習したいのだが・・・。君のようにうまく要点をまとめられる能力が羨ましいよ。」


 男子生徒は動かない。セリカは落とした本をすべて男子生徒に渡し終えた。


 「騒いですまなかった。」


 セリカは踵を返した時だった。


 「さっきから何の音かしら・・・?」

 「あ、ジェシドだよ、ほら。」

 「あぁ、本当ね。創造クリエイトクラスの落ちこぼれ。」

 「違うって、今は修練ラッククラスだよ。ただ、落ちこぼれなのは間違いないけどな。」

 「やだぁ、あははは!」

 「だって、全然役に立たない発明ばかりなんだぜ。あれじゃあすぐに退学だよ。」

 「笑えるー。」


 派手な音に集まった男女がこちらを見てクスクスと笑っている。

 ジェシドは両手で抱えている本をギュッと握りしめた。

 

 「何が可笑しいんだ?」


 セリカの凛とした声は静かな図書室に反響した。


 「え・・・?」

 「彼の何が可笑しくて笑っているんだ?彼が何の発明をしているのか、私は分からないが『役に立たない発明』というのは人それぞれの主観であり、彼を笑う動機にはならない。それともあなたたち2人は、学園の厳選なる彼の評価を知ってそのような事を言う権利を持っているのか?」

 「ちょ、ちょっと、何、この人?」

 「もし、あなたたちの評価が『落ちこぼれ』だとしても、彼の努力と『落ちこぼれ』は必ずしも対等ではなく一致しないのではないか?」

 「こいつ、1年か?うっとうしいな!」


 反論された男子生徒の目に怒りの感情が湧く。

 男子生徒はセリカに歩み寄りゆっくりと拳を握った。そして、セリカの腹部を目がけて突き上げようとした。


 「遅い。」


 セリカは男子生徒の手首を素早く握り、勢いよく後ろに引っ張った。ピンと伸びた腕を素早く回転させ後方へ回ると、体勢を崩した男子生徒の肘の関節を固め動けないようにした。前方に倒れた男子生徒が小さく唸る。


 「い、1年のくせに、生意気な・・・!」

 「先輩なら先輩らしく模範を示したらどうだ。」


 1年、しかも女に組み敷かれた男子生徒の額には血管が浮き出ていた。しかし、もがけばもがくほど腕の痛みは強くなり身動きが取れない。


 (全然動けねー!女のくせに何て力だっ!!)

 「ちょ、と、もう止めてよ・・・。だ、誰か・・・。」


 もう1人の女子生徒が半泣きの状態で助けを呼ぼうとした時だった。

 

 「何を騒いでいるっ!!」


 ここが屋外でも誰もがその声に驚き振り返るだろう。それくらい大きな声だった。

 セリカが振り返れば、髪をセンターに分け細長い眼鏡をかけた教師が立っている。

 セリカの一瞬の隙をつき、男子学生は体をひねり自身を解放させた。


 「この女子生徒が、急に暴力を・・・!」


 男子生徒はセリカを指さす。


 「ほう。貧相な体術に貧相な思考ときたか。」

 「なっ!!何だとてめーっ!!」


 男子生徒の顔は怒りで真っ赤になり、右手にエレメントを集中させる。


 「やめろっ!」


 その声に男子生徒はぐっと黙り集中を解いた。


 「学園内の戦闘は固く禁止されている。正式な手続きを取った決闘デュエルではないと如何なる理由があろうと罰則対象だ。2年にもなってそんなことも分からんのか!」


 神経質そうな目つきで睨まれた男子生徒は萎縮した。


 「そっちの女子生徒も――」


 その時、教師の顔つきが怒りから驚きの表情へ変わった。


 「・・・お前、セリカ・アーツベルクか。」

 「そうですが・・・。」


 一連の騒動に野次馬たちが集まりだしていた。それはどんどんと増えていっている。

 教師は軽く咳払いした。もう驚きの表情はしていない。


 「とりあえず、互いに学園の品を落とす軽率な行動は控えろ。今度このような事があれば、2人ともすぐに転科だからな!」


 威圧的な態度にセリカは思わず拳を握る。


 「ん?後ろにいるのは、ジェシド・ウォーグか。」


 教師はセリカの後方に居たジェシドに視線を向けた。ジェシドはビクッと体を揺らした。


 「存在感がなくて気付かなかったよ。ガラクタの発明をまだ続けているのか?」


 蔑んだ目は遠慮なくジェシドに注がれている。


 「何だと・・・!?」


 今にもその口を黙らそうと飛び出しかけたセリカを止めたのは、握った拳を包む震える手だった。見ればジェシドが小さく顔を横に振っている。そしてセリカの手をさらに強く握った。


 「ふん!情けない奴め。・・・ほら、騒ぐな!散れっ!散れっ!!」


 集まった野次馬に手を振る仕草をしながら教師は立ち去った。野次馬たちも教師の道を作るように散っていく。

 気が付けば、あの男女の生徒もいつの間にか姿を消していた。

 図書室がいつもの静けさに戻るまで、震える冷たい手がセリカの拳を離すことはなかった。

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