生と死の隣で

@jaramaki

第1話

 生と死の隣で  荒巻祐策・富美子書簡集


 まえがき


 この書簡集は、二〇一〇年一月に初めて、富美子が次男である編者に見せてくれたものです。もともと整理整頓が苦手な上に、高齢のため体力が衰えつつある七八歳の冨美子に、編者が身の回りの整理を手伝おうかと申し出た際、これらの手紙が入った紙の箱を渡してくれました。箱の中には一九五六年(昭和三一年)一〇月の下旬から一月の末までの三ヶ月間に、祐策と富美子夫婦の間に交わされた七八通の手紙とはがきが入っていました。手紙は日付の順番どおりに収まっておらず、一部の手紙は封筒と中身が一致していなかったため、編者の判断で時系列順に並べ替えました。

 この往復書簡が交わされた頃の状況について簡単に記載します。この当時祐策は二九歳、冨美子は二五歳、結婚して三年目の夫婦でした。夫婦はこの頃、祐策の勤務先である東洋工業(現マツダ)から程近い、広島県安芸郡矢野町に住んでいました。夫婦には二人の息子がおり、長男の豊はこの当時二歳、次男の淳(編者)はこの年の一〇月二〇日に生まれたばかりでした。

 祐策は一年以上前から顔面から頭部にかけての原因不明の激痛や、開口障害に悩まされていました。広島の病院で診察を受けたものの診断がつかなかったため、祐策は生家の近くにある九州大学で診察を受けることを希望していました。九大なら、高度な医療を受けることができると期待されたからです。一〇月の末、出産後の富美子の体調が大丈夫だと見極めがついた後、祐策は博多に向かいました。手紙は、祐策が九大で診断と治療を受けて広島に帰ってくるまでに交わされたものです。

 富美子は出産という生の根源的な営みを終えたばかりで、生まれたばかりの赤ちゃんと共に広島にいます。一方、祐策は短期間のうちに何人もの患者さんが亡くなっていく死の病棟で闘病生活を送ります。

 編者は、両親が特別な夫婦では無く、よく夫婦喧嘩もする普通の夫婦であったことを覚えています。また、手紙はもともと私的に書かれた文章ですから冗長で、同じ内容の繰り返しが多く、読みづらいところもあります。しかし編者はこれらの手紙に、生と死に隣り合わせた若い夫婦が経験したひとつの物語が描かれていると感じ、記録として残しておきたいと思いました。昭和三十年代の庶民の生活ぶりも伝わり、懐かしく感じられます。

 念の為、富美子に冊子として記録にまとめて人に読んでもらっても良いか尋ねたところ、許可を得る事が出来ました。    編者



(一)十月末頃、富美子の手紙

 祐策様

 無事に着かれたそうですが車中は大変だったでしょう。お察しいたします。あの晩はさすがに淋しさと、心細さで眠れませんでしたが、今は思い直して、力強く生きなければと、元気です。身体の方も日一日と楽になっていますから、ご安心ください。淳ちゃんもとても元気で、可愛くなるばかりです。剛介さん(編注 祐策のすぐ下の弟)も昨夜来て下さって、明日は豊を連れて行ってくださるそうですが、わざわざ迎えにまで来て頂いて本当に有難いことだと思います。お母様(編注 祐策の母、荒巻サツノ)にも御手紙書くつもりですが、もう少し落ち着いてからと思っています。豊が行ったら、なかなか大変だと思います。とても悪さですから。でも貴方は豊の顔が見られて嬉しいでしょう。明日から、こちらは淋しくなります。明日の夜のこと考へると今から切なくなります。でも、そちらへ連れて行ってもらえば安心です。今、十時です。今まで豊の用意を母(編注 富美子の母、杉田テル)と二人でしていましたが、母も寝て、私一人おきています。豊は剛介さんと寝ています。

 貴方、病院へいらっしゃいました?何よりも貴方の事が一番気がかりです。早く、一日も早く、よくなる事祈っています。貴方が帰っていらっしゃるまで、髪を切らないことにしました。九十歩さん(編注 くじゅうぶさん、隣家の方)も今日、ネルの布地を祝いに下さいました。それから、給料は中澤様(会社の同僚の方)がいらして下さいました。明細を同封しておきます。今度はうんと切りつめて節約しますからどうぞ心配なさらないで下さい。豊の月掛けは、今日、剛介様に頼んでかけてきて頂きました。

 母は毎日、忙しそうですが、耳が遠いのには困ってしまいます。時計のベルも赤ちゃんの泣き声も全然そばにいて聞こえないのです。私も物言うのにくたびれて、つい自分が起きて用事をする様になって情けなくなります。話し相手になってもらえないので一人でいる様なもので淋しいです。母も自分でひがんで、もう役に立たんから、私が起きられるようになったら、大阪へ帰ると言うんです。私が、なかなか話が通じないのでついヒステリックになるので母も悲しくなったのでしょう。なんだか可哀想になって、もう少し優しくしてやろうと思います。

 姉(編注 富美子の姉黒木雅子)からも今日ハガキが来て、貴方のこと、とても心配している様子です。貴方もこちらの方は心配しないで、身体に気をつけて一日も早くよくなって帰って来てください。待っています。寝床の中で書きましたので、読みづらいでしょう。ごめんなさい。明日は、豊と寝てやってくださいね。病状がわかったらすぐ知らせてください。当分、豊もいなくて淋しいけどがまんします。では、おやすみなさい。 

祐策様           

                 ふみ子


(二)十月二八日 祐策(九州大学医学部第二内科一階十一室)の手紙

 僕がこちらに来た上に、豊も呼んだので随分さびしくなった事でしょう。幸い、二六日受診、二七日入院と好都合にことが運べて幸先よいと思っています。本格的診断は明日、月曜日からですが、心配することは先ずないと二、三の医者は言っています。食欲は上々で身体の調子も大変よろしく、頭痛のないときなど自分は何の病気だろうなんて思うこともある。安心して淳ちゃんを育てるように。おばあちゃんによろしく。



(三)十月二九日 祐策の手紙

 頭痛はやはり夜間にひどいですが、脳のできものの心配はないと主治医は言っています。明後日、耳鼻科で精密検査を受けることになっていますが、主治医も鼻が原因だろうと強調しています。富美子はどうですか。まだ十日も経ってないから寝ていなさい。その為に、豊を呼んだのだから。豊は相変わらず元気,ケロリとしてハシャギまわっている様子です。



(四)十月三〇日 祐策の手紙

 昨日、明白な病状の変化はなった。伊崎浦(編注 富美子の叔父古賀文雄さんの住所。古賀氏も病気で九大に入院中だったようです。)に、一応知らせておかなくてはいけないと思って電話したら留守だった。(女中さんの外に用心棒の学生さんがいる様だった。)放射線科の病棟に電話したら居られてしばらくしたら見舞いに来ておられました。古賀の叔父さんも元気で十六貫もあるそうです。気分のいい日に僕のところへ来たいといってあったそうです。

 こちらは昨日雨で家から誰も来なかったので電話したら豊はお向かいのたけしちゃんと遊んでいて電話口で「モシモシ、お父ちゃんですか。あした来ます。チョコレートとキャラメル買って下さい」という声がはっきり聞きとれてほほえましくなった。


(五)十月三一日 富美子の手紙

 お便り頂いてホッと致しました。早く入院できて何よりでした。豊も元気な様子で、私も淋しいけどがまんします。

 脳腫瘍の疑いはないそうで、本当に一安心いたしました。今日頃から、精密検査を受けていらっしゃる事と思いますが、貴方も食欲もあってお元気な様子で、本当に何よりも嬉しく思います。今日はじっとしていられなくて、床上げしました。寝てばかりいると、ついユウウツになってしまうので、もうすっかり元気です。でも、気をつけて買い物などにはまだ当分行きません。

 今日は、淳ちゃんにお湯をつかわせました。とても可愛くて色は白いし肥えているので、とても扱い良くて母は目を細くして喜んでいます。見るたびに「ほんに、よか男ばい」と言っています。山口さんの奥様(編注 隣家の奥さん)も、とてもかしこそうな顔して豊ちゃんのまた上をいきそうですね、と言っておられました。

 今度はお乳があふれる様にあるので、貴方が帰っていらっしゃる頃には、きっとまるまる肥えている事でしょう。豊がいないと気が抜けたようですが、今度は淳がいるので気が紛れます。夜中に三べんくらい起きます。だから、とても眠たいの。でも、日に日に大きく可愛らしくなるの。貴方に見せたいわ。

 昨夜は渡辺さん(編注 祐策の東洋工業の同僚であり九大の同窓生でもある方)が寄って下さって、前進座の切符と分娩手当ての書類等、持ってきて下さいました。日曜日に来て下さるので、それまでに書いておかなくてはなりません。出生届は産婆さんにことづけました。

 前進座の切符は、山口さんへあげました。とても、喜ばれてお父さんがいらっしゃった様です。母に行かせたかったのですが、バスに酔うのでしかたありません。私が行きたくて行きたくて昨晩は、眠れなかったくらいです。でも、貴方が帰っていらしたら、また行くチャンスもあるのだからといさぎよくあきらめました。何だか、休職だと一枚で、長期欠席だと二枚もらえるとの事でしたが、一枚だけ頂いたのですが、休職になっているのですか。どっちにしても有難い事です。それから、剛介様に手紙と給料の明細ことづけましたが、御覧になりましたか。お母様もいろいろと大変だったと思います。お母様のおかげで入院も早くできたそうで、ほんとによかったですね。

 鼻の手術なさったら、きれいによくなるのではないでしょうか。母は今、貴方の丹前縫っています。もう、大方でき上がっています。母の着物で作ったので、気に入らないかも知れませんが、がまんして下さいね。できたら送ります。

 豊は皆さんに可愛がられて、私の事など忘れているでしょうね。よくして下さるので、助かります。でも、お母様忙しいでしょうね。

 貴方、ご飯はよくかんで召し上がってね。胃を悪くするといけないから。夜、頭痛がひどいのがいけませんね。早くよくなるといいのですが。でも、きっと近いうちよくなるのですから落着いてがんばって下さい。貴方が帰っていらっしゃる日の事ばかり考えています。淳ちゃん抱いて行きます。早くその日が来ないかしら、日にちがたつのがもどかしくて。

 渡辺さんの奥様も言っていました。去年のクリスマスは楽しかったけど、今年のクリスマスに荒巻さんの全快祝いができたら、どんなにいいでしょうねって。本当です。クリスマスまでにきっとよくなって、帰っていらしてね。病室は何人いるのですか。感じは如何?気分の良い時お便り下さい。私も用心して大事にしていますから、貴方も寝冷えしない様気をつけて下さいね。では、大事にお母様や皆様によろしく、母からもよろしくとの事です。おやすみなさい。

 祐策様           

                 ふみ子



(六)十一月一日 祐策の手紙

 昨日の晩、古賀の叔父さんが、病床を抜け出てわざわざ会いに来て下さって恐縮した。大変元気そうで、十六貫二三百匁あるそうです。顔がまんまるで見違える様でした。

 豊は平気の平左衛門でノンキに遊んでいる様子。私が電話をかけると、応対はなかなか堂に入ってきた。私の食欲はとてもすすんで、この分なら体力回復は早いと思っている。



(七)十一月二日 祐策の手紙

 一日に耳鼻科診察に行く筈であったが、学会の為、主要な人が不在との事で来週火曜日にある由。食欲が出て痛みが少し減ったので、すこぶる調子がよろしい。そちらの模様が知りたいが、未だ十日余りだから絶対に無理しない様に。色々、むずかしい事などあったら近所の人に頼みなさい。

 豊は毎日きて腕白ぶりを発揮している。昨日、来たときひやひやしながら「お母ちゃんはどこ?」と聞いたらケロリとして「ジュンチャンとお母ちゃんとおばあちゃんはヒロシマにおる」とすましていた。


(八)十一月三日 祐策の手紙

 今日は特別な特別の変化なし。親父(編注 荒巻朝五郎)が二時半頃、見舞いに来た。四時頃、利男が一人で(編注 祐策の二番目の弟)、五時頃、朝行(編注 祐策の三番目の弟)が豊を連れて、六時半頃、紀代子(編注、祐策の上の方の妹)が甘栗を買ってきてアストリンゼンと乳液を持って来てくれた。病状は変化ないが体力は目立ってよくなっている様子。同室の人がそう言っています。

 こちらに入院して一銭も要らんと思っていたが、ガス代とか電気代とか家政婦料(共同の付添婦を半ば強制的につけられる)とかで一日八十円要る。持ってきた金で当分まかなえるが、小遣い銭に困ることがあるので来月頃、もし出来たら五百円か千円かお願い出来ないだろうか。こちらで一々五十円くれとか百円くれとか言いにくいので。むずかしければ親父に一度に何ぼかもらう事にする。(今すぐ要るわけではない。まだ当分ある。)



(九)十一月四日 祐策の手紙

 昨日(三日)、今日は連休で医者の回診がないので退屈です。それで昨日、昼から病院を抜け出して家に行ったら豊がお宮(編注 筥崎宮。祐策の生家は筥崎宮のすぐ隣にあります。)でバットを振り回してタケシちゃんと野球をしていた。利ちゃんにカメラを持って来らして豊と二人でお宮の前で写ったから出来たら送ります。

 今まで毎夜鎮痛剤の注射をしなければ耐えられなかったのが、この四、五日寝すぎるように眠ります。昨日、ふと目が覚めたら同室の人はみな朝食をすませて新聞を読んでいました。

 淳ちゃんはどうですか。今、黄疸の最中でしょう。大分、大きくなったと思いますが出来たら、近況知らせてください。富美子も充分気をつけるように。



(一〇)十一月四日 富美子の手紙

 毎日、葉書を書いて下さってありがとうございます。割合お元気な様子でホッとしています。弟さんや妹さんが見舞いに来て下さってどんなにか力になる事でしょう。豊も元気な様子で私の事など忘れてしまっているようですね。ちょっと淋しい気がします。

 こちらは静かです。私も二、三日前から洗濯などもしています。母は相変わらず耳が遠くて血圧も高いらしく耳鳴りがすると言って風呂にも長く行きません。今、貴方の羽織を仕立て直していますが、一昨日は淳に可愛い丹前を作ってもらいました。貴方の丹前も早くできているのですが、羽織とネルのじゅばんを縫ってから一緒に送ります。九十歩さんからもらったネルが淳には地味ですので、母が貴方に丁度いいと言うのです。耳さえ遠くなかったら本当にいいのですが、人が来てもわからないので私もいつまでも寝ていられないのです。

 一昨日の夜、産婆さんに判をもらう書類があったので私が行ってついでに“なかや”にボタンを買いに行きましたら、古由さん)の奥様(編注 実家が箱崎の方でご主人は九大を卒業された眼科医が居られて主人からお宅へお見舞いに行けと前から言われているので連休の時に行くつもりにしていましたが、御主人如何ですかと言われたので、九大に行きましたと言ったら、びっくりしておられました。そして私が二十日にお産した事言ったら、びっくり目をまるくして私のお腹を見て、奥さんお元気ですね、産後なんて思えないと言って、もうから起きていいんですかと言われました。スプリング着ていたのでお腹がペシャンコになったのがわからなかったのでしょう。

 今日は渡辺さんたちが来て下さって、写真撮ってくださいました。淳の目が大きいとか鼻が高いとか、正祐ちゃんとくらべていました。広島へ坊ちゃんのおまるを買いに行くとかでお揃いでいかれました。何だか後、淋しくなってシュンとしてしまいました。

 淳ちゃんはとても元気で、日に日に大きくなっています。お湯が好きで、お昼ごろ何時も私がお湯をつかわせますが、よく肥えているのでとても入れよいです。背中もくりくりしてとてもきれいな子です。目もだんだん澄んできて、とてもハンサムになりそうです。母は剛介さんや利男さんによく似ていると言っています。

 剛介さんは、三、四日は九重に登るとか言っていらっしゃいましたが、行かれましたか。私も貴方からさそわれた時、行っておけばよかったと思います。当分の間、どこにも行けそうにありませんから。でも、貴方が早くよくなって帰ってくだされば言うことはありません。

 古賀の叔父さんが来たそうですね。もう退院するのでしょう?貴方もきっと思ったより早くよくなると思います。

 何だか一日八十円要るとかで、お小遣いもいるでしょうし、私もいくらか送るつもりにしていたのですが、やはり現金封筒で送った方がよいのでしょうね。こちらは切りつめてやっていますから、決して心配しないで下さい。豊の貯金も保険もきちんとかけています。先日から練炭を使っていますので、ガスもあまり使いませんし私もまだ外出するのは早すぎるし、この二、三日は母も引きこもったままで、お金も余り使わない様、母が言うので、ひきしめています。でもユタンポも一つでは足りないので、淳に一つ買ってやって、暖かくしてやっています。母も足が冷えると言って、先日から入れています。私はまだまだ平気です。貴方がすぐお金要るようでしたら、すぐ送ります。来月頃でいいとしてありますが、何時でも遠慮なくおっしゃって下さい。一日八十円要るのでしたら、こちらから月に三千五百円くらい送らなければなりませんね。淳のミルク代が要ると思えば送れると思います。なるべく箱崎のご両親に心配かけないでおきましょうね。気の毒です。豊にも大分要りますから。お母様、大変でしょうね。

 貴方もいずれは、鼻の手術なさるのでしょうね。早く、良くなって下さい。火曜日に診てもらわれるそうですね。待遠しい様です。

 夜もだんだん更けてきました。今日は水道のパッキンが切れて、水が止まらなくなって、川手さんの娘さ んに、役場が休みなので森重さんとこへ行ってもらいましたが、主人がるすで、奥さんにたのんできたそうですが、まだ来てくれません。川手のおばさんがすぐ来てくれてもとを止めてくれましたが、水を使うので少し出していますが困ってしまいます。淳が泣き出しました。お乳が欲しいのでしょう。では、今夜はこれで。またお便りします。お大事に。

   祐策様          ふみ子 

                     

              



(一一)十一月五日 祐策の手紙

 明日六日、漸く耳鼻科の精密検査を受ける様になったが、どうゆう事にあいなるか。ふみ子の十月三一日付の手紙を昨夜受け取ったが、割合に元気そうなので一応安心している。体の調子は非常によろしく昨日四日、正式に外出許可をもらって家に行った。午前十時から午後七時まで豊と一緒に遊んだ。(顔面筋肉の電気反応検査をしてもらったが異常なかった。)豊が「お父ちゃん。頭いたいの?チクノー?」と聞いたのには、僕は勿論、家中びっくりたまげた。



(一二)十一月六日 富美子の手紙

 祐策様。

 今日もお葉書有難う。今日は耳鼻科で検査を受けられたと思いますが、如何でしょうか。心配です。お体の調子がとてもいい様ですが、外出したりして大丈夫ですか。お母様に甘えにいくのでしょう?寒くなるので風邪ひかない様に気をつけて下さい。豊は私の事何も言いませんか。「チクノー?」には驚きました。大人の話を聞いているのですね。昨夜は、箱崎のお母様と大阪の姉へ手紙書きました。先日、叔父が見舞いに来た時、姉もきたのですか?来春には保養がてら、大阪の姉のところへ夫婦で行くそうです。

 貴方、夜もよく眠れるそうでよかったですね。あまり調子がよすぎて何だかこわいみたいです。油断しないで気をつけて下さいね。それから、豊の写真できたら送って下さい。淳と一緒に私達が写ったのもあるでしょう。私も秋の夜長を手紙書いたり、アルバムの整理したりして過ごしています。母は貴方のネルのじゅばんを縫っています。明日の貴方のハガキが待遠しいです。どんな結果になるかしらと思って。淳ちゃんは、毎日大きくなって可愛いですよ。貴方、見たいでしょう。もう、見えるようなきれいな瞳をしています。豊と二人、大事に育てましょうね。でも貴方、今度は女の子が欲しかったんでしょう。でも生まれてくればどっちにしても可愛いものです。夜中に眼をさまして泣く時、お乳を飲ませるとすぐに泣きやんで大きな目をくりくりさせて、無意識に笑ったりすると、眠いのも忘れてしばらく抱っこしてみとれてしまいます。半月の間に大分、肥えました。でもね、やっぱり豊の事、毎日思い出さない日はありません。子供って本当に可愛いものですね。二人の子の母になったなんで夢のようです。気持ちは娘の頃とちっとも変わっていないのに。おかしくなります。頼りないお母さんです。

 貴方の洗濯などどうしているのですか。お母様、色々と大変でしょうね。優しくしてあげてください。利男さんはもう学校でしょう?皆、学校に行ってしまったら、豊、淋しくないかしら。貴方よくなったら一緒に帰るつもりなのでしょう。でも、何だかこの分だと早く帰れそうですね。豊のいない間に家の中、きれいに片付けておきます。本当に静かで、今夜は冷えます。風邪ひかない様になさってね。ではまた。        さようなら

 祐策様           

                 ふみ子


(一三)十一月六日 祐策の手紙

 今日、耳鼻科の精密検査を受けたら、やはり原因は耳鼻科関係である事がわかった。初め、予診の時、若い医者が特別異常は認めないと言うのでそんな事はない、必ず異常があるはずだからもっとよく調べてくれるように頼んだところ、第二診で右側口蓋及び鼻腔にマヒ及び腫れがあることが認められ、原因が分からないので耳鼻科部長に診察してもらったところ、鼻の奥の喉の境目にハレモノ(腫瘍)が出来ている事がわかったので、頭痛や顎関節痛、顎関節強直などはみな、これに原因している事が分かった。もし、これが発見されずにあと三ヶ月も放っておくと命にかかわるのだそうで、耳鼻科の若い医者もびっくりしていた。

 しかし、これで原因が分かったのであとは治すばかり。手術するかまた他の治療かはまだ決まっていないが、これで一年以上も苦しんだ頭痛から解放されるだろうと思う。富美子も喜んでくれると思う。そこで早速、八日に耳鼻科に入院することになったので、思いのほか回復も早いのではないかと思った。

 耳鼻科の主治医も決まったが、まだ部屋やベッドは決まっていないので今日からのそちらからの手紙は一応、家のほうに出すようにしてください。もし今までに出した分があっても耳鼻科に回すように頼んでおきます。

 やはり九大に来て診察してもらっただけの甲斐があった。よろこんで下さい。一応、今日の診察の結果を報せて喜んでもらおうと思い、用件のみ書きました。便りを下さい。

 富美子様           

                 祐策


(一四)十一月七日 富美子の手紙

 今日、六日付のお便り頂きました。原因がはっきりわかって本当によかったですね。貴方もホッとなさったでしょう。でもどんな治療するのでしょうか。手術だったら大変なのでしょう。何だか心配です。長い事、苦しんだのですもの、今度はきっとよくなると思います。九大まで行って本当によかったですね。腫瘍って化膿しているのですか。どうして、そんなものができたのでしょうね。今年中、放っておいたら大変なことになる所でしたね。もし、手術するのでしたら、大丈夫なのでしょうね。

 今日、貴方からお便りが来る前に淳ちゃんが左のお乳のところが赤く腫れてしこりができているので、山崎さんの所へ連れて行きましたら、先生は私の顔みるなり、貴方の事、根ほり葉ほりきかれるので、今までの事話しておきました。とても貴方の事、気にかかっていたそうで、いい先生です。ひとしきり話してから、淳を診てくださったのですが、大きくて元気そうだと感心しておられましたがお乳の腫れは熱もないし、痛そうにしているのでさわっても別に痛がらないので、何だろうかと考えていましたが、「これもお父ちゃんの様に九大行きかな。ハハハ」なんて冗談言って、バイキンが入っているようなので、先ずペニシリンの注射を打って二、三日様子みて、腫れがひかなかったら、日赤の外科か産婦人科(生まれて間もないので)へ連れて行く様に、何べんも言われました。私がとても元気そうで、前より肥えたそうで、ご主人が病気なのにのんきなのかな、なんて笑っていました。今、淳が泣き出したのでお乳を飲ませてきましたが、熱も全然なく元気で、お腹が大きくなったら、大きな目を開けて、一人でおとなしくしています。でも注射した時、火がついた様に泣いて、とても可哀想でした。自然とよくなると思いますが、よくならなければ日赤に連れて行くつもりです。

 昨夜は豊の夢みてたまらなく逢いたくなりました。元気にしていると思いますが、私の事、思い出さないのかしら。淳は今日、初めて外出したわけですが皆、大きいと言って感心しています。お兄ちゃんより悪くなるだろうって。それに、鼻が高くて男前だそうです。まる一ヶ月たったら、保健所にも連れて行くつもりです。貴方が帰るまでには、大分大きくなっていますよ。

 でも、今年も来月一杯でおわりですが、帰れますか。大丈夫と思いますが、やはり心配です。でも、原因がはっきりして何よりでした。母も喜んでいます。大事な時ですからなるべくじっと寝ていらしてください。こちらの事は心配しないで、充分気をつけて下さい。では、また様子を知らせて下さいね。  さようなら

 祐策様           

                 ふみ子


(一五)十一月九日 祐策(九大医学部耳鼻科西第一室)の手紙

 二、三日便りが止まってすみません。無事、表記に転科入院しました。咽喉上部にできている腫瘍は、たちが悪いらしくすぐ手術するわけにはいかないらしいので、当分ラジウム照射療法が行われるそうです。発見が早かったら、すぐ切開できたらしいのだが相当大きくなっているらしい。肉腫でなければよいがと思っているのですが、この点は今から精密検査で調べるそうです。富美子がかくさずに何でも言う様に言っていたから、検査の結果などつつみかくしなく報せます。しかし、医学の相当に発達した今日だから大抵の事は心配ないと思います。担当医師も二ヶ月位かければ何とかなるだろうと言っています。

 淳は、大きくなったでしょう。見たくてなりません。今日から、種々面倒な治療があるので、毎日は便りを書けないかもしれないが悪しからず。手紙の場合は病院宛に出してもよいが、品物などを送る場合は家のほうに送るようにして下さい。それから、お金の事はそう心配しなくてもよいのです。ただなるだけ節約して不時の用に当てられる様にしましょう。富美子も体を大切にしてください。



(一六)十一月一〇日 富美子の手紙

 祐策様。

 九日付のお葉書頂きました。私の方へ便りなさるの無理なさらなくていいのですよ。私も毎日頂ければ安心ですけど決して無理なさらないで、長く出せない時は利男さんにでも無事なこと知らせて頂ければいいのです。

 貴方の腫瘍もたちが悪いらしく、早く九大に行っていたらと残念でなりません。今更そんな繰り言言っても始まらないのですが、貴方が何時までも苦しむ事を思うとじっとしていられない気持ちです。肉腫でなければ本当にいいのですが、祈りたい様な気持ちです。

 今日は朝から雨で貴方の事、思うと起きる気力もなくて、一日中ふとんの中にいました。眠れはしませんが。私も気が張って早くから体を動かしたので、今になって時々頭痛がしたり、まだ入浴もできない身体です。豊の時は、早くよくなったのですが。でも決して心配しないで下さい。淳がお乳をはげしく飲むので、御飯をたくさん食べています。母が、耳が聞こえてくれたら本当にいいのですが、誰が来てもわからなくて、寝ていても気が気ではないのです。物を頼むのでも、いっぺんには通じなくて、大声はり上げなくてはならないので、めんどくさくて、つい産後すぐから動いていたのが悪かったのでしょう。話相手にもできなくて淋しいです。

 ごめんなさい。病気の貴方にこんなぐちこぼして。でも縫物などよくしてくれて、昨日貴方の丹前等、小林さんの息子さんに頼んで送りました。おそくなってすみませんでした。

 淳が泣き出したので乳を飲ませてきましたが大きな目をくりくりして起きています。淳の左乳の腫れも大分小さくなったので自然とよくなると思います。とても元気で男の子なのによく笑います。ほっぺたもふっくらとしてよく肥えています。豊はどうしているのでしょう。

 貴方の方も、今年中に帰ってくるのは無理でしょうね。お正月は親子四人揃ってと、楽しみにしていたのですが。でも、今度は完全によくなるまで、どんな事があっても病院にいて下さい。私もがんばりますから。

 今月末にお金送っていいですか?先月は産婆さんに三千円(はっきり本人にきいて払いました)払い、別に三千円ほど貯金したのには手をつけずに残すつもりです。今日は雨も降るし、四十三円しか使いませんでした。母が節約々々と言うので、なるべく切りつめていますが、思わぬ時にラジオ代とりに来たりしてガッカリします。家計簿も毎日つけています。でも貴方の病院でのお米代も返ってきましたし(九九五円)助かりました。これからもなるべく節約して少しでも貯える様にします。

 貴方が来年までそちらにいる様だったら、私も行きたくなりました。とにかくこちらの事は心配しないで、貴方は身体を大事に一日も早くよくなってください。



(一七)十一月十日 祐策の手紙

 いつもは葉書でなぐり書きするので今日は封書にしました。体の調子は至極よいのですが、咽喉上部にできている腫瘍の性質を医者はどうもはっきりと言ってくれない。ただ相当大きくて至極ヤッカイだと言うのですが、どうも肉腫の疑いがあるらしい事は話の模様でわかる。こうゆうと富美子はとても心配だと思うが僕はどうしても肉腫だなんていう気はしない。かえって何くそという様な闘志?みたいなものが湧いて来る。二人の子の父親になった僕には重大な責任がある。また、富美子には心配ばかりかけて申し訳ない。これから幸福な家庭を築いていかなくちゃならないという気迫がみなぎってくる。僕の父もちょうど僕の年に死ぬか生きるかの大病(チフス)をやって医者がもう駄目だといったのが、助かったという。

 どうもしめっぽい話になったが、近い内に左側のノドの下の淋巴腺(どの医者も問題にしなかったあのグルグル)を取り出す手術をするらしい。それによって腫物の性質が確定すると医者は言っている。もしも・・・もしも万一肉腫であったらすぐ手術らしい。口から大きく切開して切り取るのであとで言葉が言いにくくなるかも知れぬという。ワフンワフンと妙な声で物を言う様になるかも知れぬとおどかされたが、そうなれば又そうなった時、何とか生きる道・・・富美子と可愛い子供たちを幸福にする道も生まれてくるだろう。

 またまた、いやにしめっぽくなったが、以上はまだ仮定の段階で決まっているわけではない。そうゆう懸念もあるという事です。部長の医者(医局長)が大丈夫といって僕の方をポンと叩いたからそれほどでもないのかもしれないが悪い方に考えていた方が、ほんとにそうだった場合のショックを考えるとその方がよいかも知れぬと思う。

 こういう陰鬱な事を考えるのは一つには僕の毎日の生活が、富美子や子供達からはなれて、とても淋しくてやり切れない気持ちも手伝っている。

 今の僕の情況を説明しよう。西第一号室というのは、主要病棟から離れた淋しい病棟で僕の室には僕の外、喉頭ガンの手術をした人と二人。その人も今日退院で、明日からは僕一人。隣の部屋は入室者なし。その隣はジフテリヤの子供が入院しているので豊を連れて来るとこわいのでもう連れてこさせない事にした。付添婦も誰もいない、看護婦も一日に二度体温を測りにくるだけ、自分でお茶を沸かし、部屋の掃除、食器洗いをしなければならない。家のものはみな学校だし、母は豊を連れてくるわけにはいかないので仕方がない。富美子が恋しくて仕方のないのも無理がないことはわかるでしょう。その上、ラジウムのついている先の曲がった長い棒を鼻にさしてバンソウコウで止めているので外出するわけにもいかない。ちょっと独房にいれられている様な格好です。 葉書でもよいからなるだけ、たくさん手紙を書いてください。

 淳がだんだん可愛くなっていく様子、早くみたくてなりません。正月前になるか正月後になるか知れぬがいずれにしても早く結末がついて、この頭痛から解放され親子四人で、また貧しくとも幸福な生活を営みたいと念願しています。富美子も心配だろうが、どんな場合にも心をくじかず、力を合わせて幸福な家庭を築く強い意志と覚悟を養ってもらいたい。案外、たいそうに考えなくてもよかったと笑ってしまえる事かもしれぬが。この独房に居ると色々な事ばかり考える。

 おばあちゃんの耳が遠くて大へん不便にちがいないが、大阪から保険証を送ってもらって治療して上げてください。今のうちによくお母さんに孝養をつくしておいて下さい。

 僕の書き方がセンチメンタルなので富美子は気になるかもしれないが、僕自身は達観して元気にしているから、あまり心配しないように。

 ふみさんへ           

                 祐策

 手術をする様になるとどうしても母に来てもらわなくてはならないので、富美子が大丈夫になれば知らせてください。豊を一応帰します。さびしいけれど仕方がない。



(一八)十一月十二日 富美子の手紙

 今日は日曜だったので、弟さん達が豊を連れて貴方の所にいらした事と思います。

 今、夕食をすませたところです。ラジオではヤン坊ニン坊トン坊やっています。さっき御飯を食べていたたら、渡辺さんがみえて、九大会(編注 東洋工業の九大出身者の会)よりのお祝い五百円と昆布を持ってきて下さいました。貴方の事、お話しすると原因が分かってよかったですねと言われて、何だか保険証が要る様な事、おっしゃっていました。貴方にハガキ出したとおっしゃっていました。

 渡辺さんはとても奥様孝行で、さっきも自転車に乗って、買い物かごを下げていらしたのですが帰る時、そわそわして「さあ帰って、火おこしせないけん」と言われるので、「奥様、いらっしゃらないんですか」と言うと「いいえ、私が中華そばを作るんです」って言われました。洗濯でもいつも手伝うのだそうです。おしめだって平気で洗うし、赤ちゃんのおしめだって、だまって人が来ていても替えるのですって。これは奥様がおっしゃるのですから本当です。でもね。洗濯物干して手伝う時など、いつも荒巻さんは洗濯なんかせんよって、何でも貴方を対象にするのだそうです。ユカイな人ですね。奥様の事、節チン節チンと言うのだそうです。荒巻さんみたいにオーイって言わないだけでもいいだろうって言うそうです。貴方、少し耳が痛いでしょう。でも皮肉で言っているのではないのですよ。とにかく本当に面白い人ですね。先日、奥様が来られて、色々長い事おしゃべりしたのですが「今朝、ケンカしてそのまま会社に行ったので少々気になって。」と言われるので、私が「ケンカするくらい、いいですよ。私なんかケンカするにも相手が居ないから」と言うと、奥様変なところに感心してしまって、「本当ですねー。」と言っていました。奥さんもとても勝気で渡辺さんに絶対負けないそうです。でも、先日二人でいらした時もとても円満そうで、夫婦ゲンカって犬も食わないって、本当だなと思いました。それに、奥様が私とちがって賢いから、ダンナ様の操縦法がきっと上手なんだと思います。

 私達よくケンカしたわね。でも九九%まで私が悪かったような気がします。でも、今度帰っていらしたら、オーイだけは止めてね。今日は貴方がたいくつだろうと思って、くだらないことばかり書いてすみません。淳ちゃんが甘えて泣いています。抱き癖がついて困ります。貴方、今日は気分如何でしたか。食欲はありますか。私は何時もお腹が空いています。元気ですから安心してください。貴方は毎日々々病院でたいくつでしょう。でもよくなるまでがんばって下さいね。豊によろしく言って下さい。私、あまり手紙出しすぎじゃないかしら。悪かったら、時々にしますからおっしゃって下さい。手紙書いていると、まるで貴方に話しているみたいで、つい書きたくなるのです。貴方もどんな事でも私に知らせて下さいね。まだ書きたいのですが、淳ちゃんが泣くのでしばらく抱っこしてやります。では、またね。お大事に。

 祐策様           

                 ふみ子


 十一月十一日


 一一日に書いた手紙をまだ出さないうちに、貴方から十日付けのお手紙頂いたので、今日(一一日)お返事書いて、一一日に書いた手紙と同封します。

 今日は手紙出しにいけなかったので、今まで母に出してもらっていたのですが、今日は先日お知らせした様に、淳のお乳にできた腫れがなかなかひかず。今朝みてみましたら、膿が今にも出そうになっているので、こわくなって日赤に連れて行きました。一二時までとかで、知らずに私が行ったのは一時近くでしたが、外科で診てもらいました。化膿しているので、切らなくてはと言われ、ものの五分もたたないうちに切って、膿を出しました。膿が思ったよりたくさん出て、びっくり致しました。可哀想なのは淳で切られるとも知らず、みてもらっている途中で機嫌のいい大きな声出して、のびなどしてお医者さんや看護婦さんを笑わしていましたが、切られたとたん大きな声で泣いて、本当に可哀想で私の方が泣きたくなりました。

 大したことはないのですが、しばらく通う様に言われました。ずい分、気をつけていたのですが、何時の間にかバイキンが入って。これから、充分気をつけるつもりです。保険証がないと番号が分かっていてもだめだそうで、今日一日で二百五十円とられました。そんなに長く通う事はないのでしょうが、そちらから送って頂けたら、すぐ渡辺さんのところへ送って下さい。お願いいたします。病気の貴方に、淳の事で心配かけてすみません。でも、淳ちゃんはとても元気で、熱も出さずに、お乳をたくさんのんで眠っています。二、三日通えばいいと思います。今日は、切って膿を出した後、ガーゼをあててバンソウコウで押さえてあります。日赤の先生が、こんなのはペニシリン打ってもどんなにいい薬飲んでも効かないと言われ、切って膿を出すより外にないと言われました。何しろ生まれて今日でまだ二十三日ですから、先生も切ってからすぐ可哀想に可哀想にと言っておられました。明日も連れて行くつもりです。心配する事ないそうですから、貴方も安心して下さい。

 さて、貴方のお手紙でそちらの様子もくわしく分かりましたが、一人でどんなに淋しいでしょうね。これから毎日、日記のつもりでお便りするつもりです。貴方も色々心配でしょうけど、喉頭ガンのひとでさえ、よくなって退院するのでしょう。だから、きっと治りますよ!それに元気そうだし私もホッとしています。でも、自分でお茶沸かしたり、掃除したりするの大変ですね。近かったら私が毎日々々行って上げられるのに残念です。母も、祐策さん可哀想にと言っています。私も貴方が慣れない手つきで食器洗い等しているかと思うと、たまらなくなります。それに、鼻にラジウムの棒まで差して。本当に独房に入れられているようですね。でも、お医者さんは来られているのでしょう?よくなるまで、苦しいでしょうが、がまんして下さいね。

 貴方がおっしゃる様に、よくなって帰っていらしたら、親子四人幸福に暮しましょうね。お正月越すようになっても決して気をくさらせずに、一日も早く良くなる様、養生して下さい。私も気をしっかりもってガンバリますから、家の事は心配しないでください。それから豊の事ですが、お母様も大変でしょうし、貴方が手術すれば本当に困るでしょうから、どなたかに連れて帰ってもらって下さい。私も、もう起きて元気ですし、何度も連れて行ったり来たり大変で、本当にお気の毒ですけれど、そちらの都合のいい時、すぐにでも連れて帰って下さい。いくら忙しくてもやっぱり豊がいた方が、張り合いがあります。貴方は、また淋しくなるでしょうけど、がまんして下さいね。でも、お母様や優しい弟さん達もいるし、幸せなうちです。今度は誰が連れて来て下さるのかしら?本当によくして下さるので有難いと思います。近所の人も感心しています。

 淳ちゃん、貴方に見せたくてたまりません。よく、肥えてほっぺたがふっくらして、バラ色しています。目がとてもきれいです。何よりも性格がいいのでうれしいです。豊が帰ってきたら、またお兄ちゃんぶる事でしょう。でも男の子でよかったわ。豊の物が着せられて、今日など早速、役に立ちました。豊も淳も本当に可愛くていい子です。子供の顔みていると苦しい事も忘れます。貴方に淳ちゃん見せたいわ、見られなくて本当に可哀想。今日も日赤に行った帰り、バスで広島駅を通る時、ああ早く豊と淳を連れて、貴方を迎えに行きたいと切実に思いました。今年中によくなったらどんなに嬉しいでしょう。でも、来年までかかる覚悟しています。お互いにガンバリましょうね。今頃、貴方一人でポツネンと寝ているかと思うと本当に可哀想でたまりません。

 私ね、今日初めて一人でお風呂(編注 近くにある銭湯)に行ってきました。髪を洗ってとてもいい気持ちでしたけど、すぐ貴方の事思って。貴方も大分長く入浴しないでしょう。気持ちが悪いでしょうね。夜は寒くないですか。風邪ひかない様気をつけて下さいね。今夜は特別、冷えるようです。貴方から手紙がくると、何べんも何べんも読むんですよ。では今夜はこれで、またお便りします。おやすみなさい。

 祐策様           

                 ふみ子


(一九)十一月十三日 富美子の手紙

 朝夕は大変冷えるようになりました。今日も淳を連れて、日赤へ行きましたが経過はいいそうで、切った後へガーゼを入れてあるのをとりかえるのですが、今日は大きな目をくりくりさせていましたが、泣きませんでした。のんびりした子です。看護婦さんも可愛い可愛いっていうし、他の患者の人もみんな「きれいな子ですね。よく肥えて」と言ってくれます。おせじでも、肥えていると言われると嬉しくて親バカですね。でもまだ今日で、二十四日で、バスに乗せるのが可哀想な様で風邪ひきはしないかとビクビクしてしまいます。でも、機嫌はとてもいいし元気です。今日は六十五円とられました。

 丹前、着いたでしょうか。箱崎の方へ送ったのですが。今日は午後、渡辺様の奥様がみえて、しばらく話して帰られました。年末には福岡へ帰られるそうです。豊は何時帰ってくるかしら。たのしみです。貴方は淋しくなりますね。私がそちらへ行った方がいいなら、いつでも行きますよ、母が居るし。貴方のおっしゃる様に致します。今夜も風が吹いて寒い夜です。淳が泣きだしたので、今日はこれで。お大事に。        さようなら



(二〇)十一月十四日 富美子の手紙

 その後、容体は如何ですか。今日も淳を連れて日赤に行ってきました。今日から向洋から乗りかえて行きました。十円安くつきますから。遠いのでちょっとうんざりします。午後から古由さんの奥様がみえて、貴方を見舞って下さった事聞いて、本当に嬉しく思いました。親切な方ですね。豊も元気そうにおじちゃんとお宮で遊んでいたそうで、本当になつかしく思いました。貴方も思わぬ方のお見舞いを受けて嬉しかったでしょう。奥様も貴方とは初対面だそうですが、とても優しそうな御主人で、本当にお気の毒ですね。と、おっしゃっていました。でも、とても元気そうだったと聞いて、少しホッとしました。

 そちらの耳鼻科から森田院長先生のところへも、手紙が来ていたそうです。私もとても元気になりましたし、豊は何時帰ってもいいですから、早く帰してください。貴方もさびしいでしょうし、都合で来月頃、私がそちらに行ってもいいのですが、淳が、日にちがたたないと今は無理ですし、私も貴方の事は気になるし、どうしたらいいでしょうか。お母様にも申し訳なくて。ではまた。



(二一)十一月十五日 祐策の手紙

 今日、富美子の十二日付の手紙と渡辺さんの奥さんからの葉書を受け取りました。早速、保険証を渡辺さん宛てにおくりましたから、よくお願いしておきなさい。それから、日赤に実費で支払った分は領収書があれば、あとで会社に請求出来るから無くさない様に。

 豊が剛介に連れられて午前中、遊びに来た。相変わらず、何か買ってやらんと機嫌がよくない。昼からは剛ちゃんが親父と金十郎さん(編注 遠縁の親せき)を連れて、スポーツセンターの相撲を観に行くそうな。お宮では七五三のお祭り。豊がおばあちゃんと一緒に行った事でしょう。



(二二)十一月十五日 富美子の手紙

 十四日付のお手紙、頂きました。朝、出すのでしょう。早く着きますね。私の二日分の手紙、つきましたか?今日は、日赤に行く前にお手紙が来ていたので嬉しくて、私も貴方からの手紙が何より一番嬉しいのです。バスの中で貴方の事ばかり考えていたら、いつのまにか向洋を通りこしてしまい、仕方ないので駅前から乗り換えました。

 淳ももうほとんどいい様ですが、お医者さんがまだ通う様、言われるので行っています。毎日、先生が違うのですが、今日は若い先生で、赤ちゃんにはよくある事で、お母さんのホルモンが移行したんですね、なんて言っていました。何だか意味がはっきりわからないのですが、お乳が出る赤ちゃんがいるそうです。ガーゼ替える時も、平気で泣きません。でも、毎日バス代が六十円と治療費が五十三円で、今月の予算が狂いました。保険証頂いたら、私も一度、産婦人科へ行くつもりです。毎日、バスに揺られる故か、また出血しだして、産後もう一カ月近くなるのに、なかなかきれいに止まりませんので困ります。(ゴメンナサイ。こんな事書くつもりじゃなかったのに)でも、心配しないでください。とても元気ですから。お乳もよく出ています。おかげで淳はおしめを替えるのが楽しみなほど、くりくりとよく肥えています。貴方が見たらさぞ喜んで下さるでしょうに、残念です。病院へ行き出して、よけい抱きぐせがついて、夕方とくに泣くようです。抱っこするとすぐ泣きやんで、ワアワア泣いている時、枕元で淳ちゃん淳ちゃんって言うと、一時、泣き止むのですよ。本当にあきれてしまいます。でも,ずい分おとなしいからと思って、そっと見てみると大きな目をくりくりあけて、一人でとてもいい子にしている時もあります。今、

 やっと眠りましたけど。豊にもとてもよく似てきました。可愛いですよ。貴方、見たいでしょうね。独房のようなところに入れられて、本当に淋しいでしょう。古由さんの奥様、本当にお気の毒でしたね、もう一度逢ってお礼申し上げます。貴方鼻に差していらっしゃるのが、不自由でわずらわしいでしょうね。寝る時もしているのですか。頭が痛むそうですが、眠れますか。

 私は夜中三度、淳に必ず起こされるので、お乳をのませながらいつも貴方は眠っているかしらと、思ったりしています。夜はお手紙書いたり、本読んだりして十時すぎにやすみますが、淳は十二時頃と二時半、五時頃、きまって起きます。だから、眠くて眠くて、朝は八時すぎまで眠ってしまいます。母がご飯を炊いてくれたのを食べて、仕度して、日赤へ行きます。帰ってきて貴方に手紙を書くのがたのしみです。(大体、夜になります)淳がまた泣いています。お乳飲ませてきます…

 ひとしきり飲んでおとなしくおばあちゃんに抱かれています。母も身体が不自由なのによくしてくれます。私が病院通いするので、おしめの洗濯もみなしてくれるし、昨夜も遅くまで、ねんねこの仕立直しを仕上げてくれました。それから丹前や羽織着きましたでしょうか。母が心配しているので、着いたら知らせて下さい。これから寒くなるので、沢山着て、風邪ひかない様にして下さい。貴方の腫瘍の事心配ですが、肉腫ではないと思います。結果が分かったらすぐ知らせて下さい。叔父達がきてくれたそうですね。もう退院しているのですか。さっき、久し振りに手紙を書きました。礼状を。

 豊、自動車を買ってもらって喜んだでしょう。豊がドライな子だと言われたので思わず、吹き出しました。私はどっちかしら。でも豊はおじいちゃんにもなれているようで、私もホッとしています。お母様も豊を連れて、病院通いも大変ですね。こちらへ連れてきてもらうのも皆さん学校で、困っておられるのじゃないでしょうか。

 私がすぐにでも行けるといいのですが、いろいろ考えると、母一人留守番させるのも心もとないし、第一淳がまだ日が浅いので困るし、行くとなるとおしめから持って行かなくてはならないし、でも母はやっぱり年末でも行った方が言いというのです。自分が留守番するというのですが、耳が遠い上に血圧が高いので、もしもの事があると思うと心配ですし、貴方には逢いたいし、どうしたらいいかしらと思案しています。貴方のおっしゃる通りにします。ただ、お母様に悪いような気がするんです。貴方を放りっぱなしの様で。豊はおばあちゃんに甘えているのでしょうね。でも、淳の事、おぼえている所が可愛いですね。今は豊が帰るのを待っています。貴方ももしかしたら、今年中、帰れない事もないかもしれませんね。そうだったら、どんなに嬉しいでしょう。早く、一日も早くよくなる様、祈っています。ご飯は美味しいですか。特別に食べたい物ってありますか。お金、まだありますか。今度、給料を頂いたらすぐに送ります。でも、すぐ要る様でしたら、今貯金しているうちから少しでも送りますから、遠慮なくおっしゃって下さい。お母様にあまりご迷惑かけてはいけませんから。

 夜はたった一人でどんなにか淋しいでしょうね。私は昨夜も貴方の夢を見ました。貴方の事ばかり何時も、寝ても起きても考えています。でもね、南極観測隊員の奥さんの事思って、ガマンします。半年ですものね。でも、半年でも病気じゃないからいいと思います。でも、やっぱり心配でしょうね。でもハンガリー(編注 この年ハンガリー動乱が起こっています)やエジプト(編注 この年はスエズ戦争も起こっています)では沢山の人が死んで本当に人事とは、思えません。戦争はもうこりごりです。豊や淳は絶対、戦場にはやりたくありませんね。私達が年取った時の社会はどんなになっているでしょうね。

 また、淳が泣きだしました。お乳の飲み方がはげしくて、よほど気をつけておうどん等、沢山食べてないと、すぐカラカラになってしまいます。何しろウンウン言って飲むのですから。でも、よく太っているので何より嬉しいです。貴方も嬉しいでしょう。元気な子が待っているのですから。一日も早く良くなって帰って下さい。世間ではもう、クリスマスが近づいてさわがしくなってきました。寒さもだんだん、きびしくなるばかりです。淋しいでしょうが、がまんして早くよくなって下さい。淳がはげしく泣きますのでこれで止めます。貴方が独房で一人さびしそうにしていると思うとお手紙書かずにいられません。毎日、ハガキをまぜて書く事にします。貴方の方も気分のよい時は返事書いて下さいね。淳がおばあちゃんのカラ乳のましてもらって、出んと言っておこっています。お乳を飲ませて私もやすむ事にします。では、おやすみなさい。また、明日、お便りいたします。

 祐策様(私の手紙、人目にふれないところにおいて下さいね。字が下手で恥ずかしいから)

                ふみより



(二三)十一月十六日 富美子の手紙

 今日は大変な寒さで、そちらも寒かった事でしょう。風がとても冷たくて、淳が鼻をぐすぐす言わせていたので、風邪ひかせては大変だと思って、今日は日赤へ行くのを止しました。明日はまた、行くつもりです。寒くならなければいいのですが、病室はスチーム通っているのですか。風邪ひかない様、気をつけて下さい。淳は今、よく眠っています。豊は、何時頃帰ってくるのでしょうか。淋しくてなりません。貴方も淋しくなりますね。保険証、渡辺さんのところへ送って下さいね。貴方ラジオきいているのですか。本は。頭が痛むそうですが夜は眠れますか。豊は誰と寝ているんですか。豊のおしゃべりが早くききたいです。帰ってくれば忙しくなりますが、気が紛れていいです。私は淳から夜中に三度も起こされるので眠くてたまりません。ではまた、お便りいたします。お大事に。

 さようなら



(二四)十一月十六日 祐策の手紙

 こちらは昨日から急に寒くなった。蒲団にくるまってじっとしているばかりだ、ドテラは先日届いて、おかげでぬくぬくさせてもらっております。そちらも風邪ひかない様に気をつけて下さい。

 右頚部の淋巴腺摘出手術をするはずだったのが、ノドの肉を一部切取り、それの組織試験をしてもらってからの結果により、手術するかせぬかを決めるそうで、豊は一日でも長くこちらに居らせたいので、しばらく待って下さい。

 昨日と一昨日はラジウム挿入を休みましたので、これ幸いとばかり家に行きました。久しぶりに温かい御飯とおつゆを食べました。豊が「もう病院にいきなシャンナ」というのをだまして、病院に戻るのはとてもつらい事です。

 昨日はまた、古賀のオバさんが慰問に来られました。そちらからもお礼状出しておいて下さい。話によればオバさんはやはり血圧が高いらしく、何でも二〇〇以上だそうで、それなら危険状態である事は間違いなく、第一内科に近々入院するそうです。

 昨日、診察の際、医者が大分腫れが減った。ラジウムが効いているようだと、言っていました。そう言えばここ数ヶ月、聞こえなかった右の耳が二、三日前からよく聞こえるようになってきた。ちょっとした症状に一喜一憂してはいけないのだろうが、何だか明るい気持ちがする。

 僕の部屋にも十六、七の男の子が人工コマクをつける手術のために入院してきた。少しは淋しさもへるだろうと思う。隣の部屋にも入院者があって、にぎやかになって来たけど食事のときなど、お茶を沸かしたりするのがとても不便になった、他の人はみんな付添の人がかわってしているので、僕が割り込むのにとても不便です。やはり一方がよくなれば、必ず他方で悪い事があります。

 剛ちゃんが、昨日就職試験を受けに行った。日本農薬研究所とか何とかいうんところですが、結果はどうなりますか。受かれば、勤め先はまず福岡市内天神町岩田屋前のビルだそうですが。

 淳の具合はすこしよい様子、ほっとしました。富美子はどうです。もう、お風呂に行けるようになりましたか。僕が病気のため、いろいろ無理ばかりさせて、その為に後の体をこわしたりせぬかと心配です。お母様にもやさしくしてあげて下さい。

 (それから、おねだり)今度、給料もらったら千円程送ってくれますか。現金封筒じゃなくて普通郵便にして下さい。入院していても時々、お菓子など欲しくなる時があるので。もし、そちらが大変だったら辛抱します。きっと淳の事でお金を使っているので無理かもしれませんね。

 ふみさん           

                 祐策


 昨日の手紙を出さないうちに、富美子の十四日付の手紙を入手した。今日は十七日。日曜日朝から曇天でうすら寒い。せっかく同室に入院したと思ったらすぐ外の部屋に代わって行ったので、また一人ぽっち。寒々した部屋で一人きりでとても退屈でさびしい。しかし、具合はとてもよい様です。

 豊の事ですが、もうしばらくこちらに居させて下さい。みんなにとてもなついて近所の子とも元気に遊んでいる様子。僕も豊がいると何だか救われる様な気がして、少しでもこちらに居らせたい。しかし、家の方でもまた母が商売(編注 祐策の生家はたねものの販売を行っていました)に出向いたりすると豊のお守がしにくいかもしれないので、その点はしばらく模様をみてからの事にしましょう。

 呉服町の何とかビルにある時報のオルゴールが“家路”を遠くの方から風に乗せて来ます。ちょうど僕の病室のすぐ横に精神科の病室があるらしく“蛇の穴”という映画を思い出します。しかし、この様なセンチな雰囲気を例のF100という米軍の最新鋭ジェット機の爆音が無残にもかき消していきます。

 ふみこ様           

                祐策



(二五)十一月十八日 冨美子の手紙

 今日は日曜で、貴方のところへはどなたかが来て下さった事と思います。昨日、日赤へ行く途中、向洋で泉本(編注 会社の方)さんとお逢いしました。色々と貴方の事も聞かれますのでお話しましたが、バスも一緒で会社の用事でどこかへ行かれるらしく、切符も買って下さいました。駅前で降りられたのですが、とてもパリッとしていらして見違える様でした。今日は、畠山さんの奥様とよしゆきさんがみえて、渡辺さんからことづかったと言って保険証と分娩手当て二千円持って来て下さいました。早速、明日から日赤へもって行きます。もう二、三日でよいと思うのですが。お風呂へ長く入れないので可哀想です。今日で丁度三十日目です。発育は上々ですから安心して下さい。

 それから雅子姉から何か便りありましたか。長い事、手紙が来ないので心配しています。指がヒョウソになって不自由している事、前に言って来ていましたので。貴方のリンパ腺の手術は何時ですか。豊は何時帰ってくるのでしょうか。やっぱり淋しくてやりきれません。夜になるとよけいに夕食の後、ボンヤリと貴方の事や豊の事、想っていると母も「豊ちゃん何時帰ってくるやろうか。」って言うんです。それから、貴方の事、いろいろ話合いますが、早くよくなったらと何時も同じ事、繰り返しています。特に日曜日は、いろいろ思い出して悲しくなってしまいます。お手紙が来てないかと何度も玄関へ行って見ました。貴方のお手紙が一番嬉しくてなぐさめになります。豊は七五三だったんですか?あれは満でやるのですか?それとも数え年で?豊は帰るとは言わないんですか。でも、こちらへ帰ってくれば淋しがるでしょうね。貴方が一日も早くよくなって帰ってくださる様、祈っています。

 淳は目が少し見える様子で、さっきも抱いていたら蛍光灯をじっと見つめていました。とてもよく肥えて、あごも二重になって、くりくりしているので思わず、コブタちゃん!と言ってしまいました。母が祐策さんからおこられるよって、言っていました。暖かい日に散髪に連れて行くつもりです。今、ラジオで“歌の明星”をやっています。貴方は、今頃どうしていらっしゃるのかしら。淋しいでしょうね。私も淋しいです。手紙も何時も同じようなことばかり書いてごめんなさい。真夜中に起きて、淳にお乳を飲ませる時など貴方の事が無性に想われて、涙がポロポロ出ます。淳がまた、ぐずぐず言っています。今夜はもう止しましょうね。センチな事ばかり書きたくなるので、ごめんなさい。

 祐策様           

                 ふみ子


 追伸

 今朝、大阪の姉からハガキが来ましたので安心して下さい。お客様があったそうです。古賀の姉から、貴方の事色々知らせて来て、大阪の石切神社とかが腫物によく効く神様だそうです。生年月日を至急知らせてくれといってきました。姉も迷信かつぐわけではないそうですが、祐策さんの様な善い人がどうしてあんな苦しみあわなくてはならないのかと、とても心配していて、じっとしていられないので参ってくれるのだそうです。貴方、苦笑いしていらっしゃるでしょうが、皆が本当に心配してくれて、本当に嬉しく思います。では今から日赤へ行きますので、これで。急いだので乱筆すみません。


(二六)十一月二十日 富美子の手紙

 十六日付けのお手紙、今日頂きました。できものの腫れが少しひいたそうでよかったですね。耳もよくきこえる様になったとかで、本当にうれしくなりました。お家へ帰って御飯、美味しかったでしょう。病院の御飯冷えているの。私はいつも何か暖かいもの作って食べたりする時、貴方に食べさせて上げたいとつくづく思います。

 淳が目をさましたのでお乳飲ませてきます。ごっくんごっくんものすごい力で飲むので私はよほど食べないともちません。今日も日赤へ行ったのですが、もう一、二日来るように言われました。もうすっかりいいのですが、きれいにガーゼをとるまで、行くようです。何より早くお風呂に入れたくて、今日は、私も長く行かなかったし、午後から調子もよかったのでお風呂へ行ってきました。バスへゆられた直後はどうもいけません。

 昨日、日赤へ行ったついでに暖かかったので、地下の理髪部で淳ちゃん散髪させました。十四、五才の女の子がしてくれたので、冷や々々ましたが、どうも短くつみすぎてカッパの様になりましたが、顔が大きくなってはっきりして、可愛くなりました。よく肥えているので、オカッパ頭になって急におせらしくなって、貴方に一目見せたいです。

 今日は帰ったら、渡辺さんの奥さんがみえていましたが、とても可愛くて、女の子みたいですねと言って何度も抱いて下さいました。豊にとても似ているそうです。抱きぐせがついてしまって、抱くと大きな目をくりくりさせて、おとなしくしています。日赤行きがすんだら保健所へつれていくつもりです。十日以上もお湯に入れてないのに、おしりもただれないで、本当に丈夫な子です。目の大きな事といったら、はっきりした二重まぶたで誰に似たのでしょう。豊は元気らしいですね。私の方は帰って来なくてもがまんしますが、お母様大変でしょうね。明日でも、お手紙書くつもりです。

 古賀の姉が又、来たそうですね。入院するそうですが、叔父もまだ入院しているのでしょう?

 貴方、ドテラ着ていらっしゃるそうね。夜は淋しいでしょう。本は読まれるのですか。早くできものの、性質がはっきり分かればいいですね。でも、案外早くよくなるかも知れませんね。あせらずに治しましょうね。先日はセンチな手紙書いてごめんなさい。貴方をなぐさめなくてはいけないのに。でも心配しているのに、私は肥えてしまって嫌になります。貴方が帰って来られるまでに美容体操でもしてスマートにならなくては。また、ぜい肉がついているって言われると悲しいから。でも減食すると、お乳の出が悪くなるし困ったものです。今ね、十四貫とちょっとあるのよ。貴方は、体重少しは増えたかしら。私は本当にウンザリ、やせたいわ。

 おばあちゃんが、淳ちゃんにくず毛糸で帽子を編んで、今抱っこしてかぶせて見ています。とても可愛いらしくて一人で物言っています。孫って可愛いそうですね。わかりもしないのに、あやしたりして。箱崎のお母様が見たいだろうねと言っています。豊は可愛がられて本当に仕合せです。私も安心しています。

 私が行かなくてもいいでしょうか。お母様に悪くて。貴方にも逢いたいけど、おっしゃる様によく考えてからにします。貴方が早くよくなって、帰ってさえ下されば。私の願いはそれだけです。貴方のいない家の中は本当に淋しくてやり切れません。朝、眠くても貴方のために御飯が炊きたいし、夕方になればまた、貴方を想います。今度帰っていらっしゃったら、いい奥さんになるわ。優しい奥さんにね。もう、ケンカするのは止しましょうね。子供のためにもよくないし。でもね、何だか早く帰って来られるような気がします。お互いに元気出して、がんばりましょうね。    

 お金を送るのは現金封筒でなくて大丈夫ですか。給料頂いたらすぐ送ります。豊にもずい分、おこづかいが要るでしょうね。お母様へ貴方からもよろしくおっしゃって下さい。今十時、公民館の、みをつくしの鐘がなっています。貴方はもうねむっていらっしゃるのかしら。ではまたね。おやすみなさい。さようなら。

 ペンが書きづらくて乱筆でごめんなさい。



(二七)十一月二十日 祐策の手紙

 今日は淳が生まれて丁度一ヶ月だが、大分大きくなった事でしょう。最近の写真があったら送ってください。それはそうと、淳の出生届けや会社の方の届けは、みな済んでいるのでしょうか。

 富美子は未だ、体がよくないとの事ですが早く病院に行ってください。保険証は渡辺さんに送ったが、新しい保険証をもらうまで一定期間が必要なので、その間会社に健康保険の係から証明書を発行するはずです。淳にも相当、金が要っている様子だが先ず会社の健康保険会の方に扶養家族の申請をしなければならないのだが、これが出来ていますか。もし、出来ていなければ渡辺さんによく頼んでください。いずれにしても実費で支払った分はやむを得ぬ事情の場合、保険組合が指示すれば領収書など揃っていれば、支払ってくれます。

 今日は久し振りに晴渡った秋日和です。部屋の一隅、陽の当たる場所に椅子を持って来て、ペンをとっています。体の調子はとてもいい様です。今日、体重を量ったら五十五キロまで回復していました。頭の痛みはだんだん軽くなってきたようです。この前からの咽喉内の肉の組織検査の結果は、医者はまだ何も言いません。こちらからくどくど聞くのもいけない様な気がするので聞いていません。医者はノンビリ、ラジウム療法を続ける様子だから、大した事はないのでしょう。

 昨日、伊崎浦のお宅にいる学生(きっと、この前マサ坊やヒロ坊を連れてきた人でしょう)が、僕のところにオバさんからといって、ニギリの折り詰めをもって来ました。叔父さんのところに行くついでだそうです。叔父さんは未だ放射線科に入院中です。血色は非常によく、近く退院と言う事ですが、はっきりした日はわかりません。

 病院の食事は汚くて味気なく、折角の食欲もそがれる様で、時々、家からハンゴウにチャンポンやウドンを持ってこさせたりしていますが、とても不便でかないません。ふだんはそう気にしなかった食器などのヨコレが特に目につくので不快です。

 昨日、豊はおばあちゃんと一緒に博多に出て百貨店へ行ったそうですが、エスカレーターで屋上まで行き、エレベーターで降りる事を二度も繰り返さしたそうです。元気がよいので、ヘコタレそうだと言っていました。夕方、家に電話をかけた時、豊はまんじゅうを食べていたらしく、「アトデ」と言って応答しなかった。常はとても上手に電話をかけます。二才五ヶ月の子供とは思えないほどです。

 ふみ子は不思議に、今度は毎日手紙をくれるので、毎回受取る十一時頃が来るとドアを開けていつも待っています。今度よくなって帰ったら、もう二度とつかみあいしてケンカしたりタイコでフスマを破ったりはしないだろうと想います。“エヘヘ”仲良くしましょう。

 せいぜい書いてください。体の調子が良いのは手紙のせいです。

 ふみ殿           

                 祐策

 いつも利男が来る時に手紙を出させるのですが、「福岡から廣島の方へは、割りに書けるね。」とへんな目をして冷やかしおった。



(二八)十一月二二日 祐策(耳鼻科南六室)の手紙

 今日から部屋を南病棟に移りました。大体、西病棟は隔離病室で、前の部屋の一間隣は死病室であった様です。それで独房というかんじだったりしていたのですが。それで、うす青く塗った部屋に一人でいると何となく陰気な感じがしていけなかった。今日からは六人入室の大部屋。にぎやかでよろしい。部屋付けの付添婦がいるので、炊事などのメンドウさがなくなって、ほんとによろしい。毎日五十円ずつ要るが、この方がかえって、色々気を回さずに安上がりの様です。一人でいると冷たい“すいもの”“牛乳”きたない食器で食欲がそがれて、ウドンやチャンポンをもってくると高いものについてしまう。付添いのオバサンは二百円ほど心付けをやったらガゼン待遇がよいようです。

 腫瘍は大分よくなりつつある様です。主治医が学会か何かで昨日から不在でその間、代わりの医者がみてくれていますが、“大分よくなっている”と言っていました。しかし、再発するとメンドウになるから、なるべく腰を落ち着けて治療する様に言っています。

 富美子は未だ体の調子がよくないとの事ですが、早く医者に行って下さい。医者に診てもらうのは早いにこした事はありません。年をとってから苦労しない様に、充分に治療してください。

 母が豊を連れて来ました。今までは少しはなれたところにジフテリヤの患者がいたので、豊を連れて来るのは非常に神経質に注意していましたが、今度から安心して平気で連れて来られます。紀代子から“つみき”を買ってもらったので見せにきました。紀代子は豊の機嫌とるために毎日何か買ってきているそうですが、豊はその時だけ“ネエチャン ダイスキ”と言うそうですが、もらうやいなや“シュカン アッチイケ アンポンタン”というのでガッカリしているそうです。それでも根気よくキゲン取るのだと言って努力をしている様です。

 紀代子は感心に三日おき位に僕のところへ慰問袋を持ってきます。剛介と利男は大体交替で、慰問に来ます。朝行は今試験中で勉強のオニだそうです。今午後七時二十分。二週間前くらいまで、今時分は三十七度二、三分の微熱があったのですが、今では熱はすっかり無くなった様です。この微熱は六日頃よりつい最近までずっと続いていたのですから、病状はきっと快方に向かっているのでしょう。

 夜になるといつも思うのですが、そちらは冬に向かって大変、さびしい事でしょう。ほんとうに済まなく思います。戸締なんかも、いつも注意してやすんで下さい。よくなったら旧に倍して?奥さん孝行致します。どこか長期出張でもしていると思ってガマンして下さい。淳ちゃんのその後の模様を詳しく書いて下さい。おばあちゃんも風邪などひかない様にして元気で冬をこせる様に気を配って下さい。

 ふみ子さんへ           

                 祐策


 母が封筒と便箋と切手を沢山持って来て、“富美子さんに沢山手紙を書きなさい”って、利男が言ったのでしょう。手紙を書く際、部屋が南六室になっていることを忘れない様に。



(二九)十一月二二日 富美子の手紙

 お手紙有難う。淳を抱いて日赤に行こうと玄関に出たとたん、来ましたのでうれしくて。

 毎朝、お手紙来るのを心待ちしています。昨日はお母様よりお手紙頂いて早速、お返事書いて、今日出しました。豊の事いろいろ詳しく知らせて下さってとても嬉しかったです。貴方の調子がよさそうで何よりですね。

 淳は、明日は病院が休みで二四日にもう一度行ってよかったら、来なくてもよいそうです。保険証だと二十三円しか要りません。いろんな手続きはみな済んでいると思います。分娩手当ても頂いたし、出生届けはもう大分前、生まれて七日目にしましたし、会社の方は渡辺さんがして下さいました。日赤の領収書はみなとってありますから、何時か渡辺さんにでもお願いするつもりです。今日は日赤のお医者さんが淳を見て、鼻が高くて、お母さんにそっくりですね。目は大きいし、大きくなったら、すごくいい男になって、お母さん左うちわで暮らせますよ、なんて冗談言って看護婦さん達を笑わせていました。本当に日に日に可愛くなって貴方に見せたいです。お手紙書いている途中で必ずおきて泣くのですが、抱いてやるとすぐ泣きやんであきれてしまいます。しばらく、抱きながら書きます。豊に似た可愛い可愛い顔しています。抱いてもらって安心したのかウトウトしています。

 豊はお母様にデパートに連れて行ってもらったりして本当にいい事です。貴方も豊の顔を見るのが楽しみでしょう。今度帰っていらっしゃったら二人の坊やのお父ちゃんで忙しいですね。淳ちゃんのお守りして下さいね。いつのまにか眠ってしまって、今、おふとんに寝せてきました。

 病院の御飯よくない様でいけませんね。明日は祭日ですが、貴方がいないと何の事もありません。私の手紙が少しでも貴方のなぐさめになるのでしたら、これからもたくさん書きましょうね。私も貴方の手紙が一番うれしいです。もし、今年中に貴方がよくなったら、どんなにうれしいでしょうね。早く元気になって下さい。母といつも貴方の事ばかり、話しています。

 あんなにケンカしていたのに離れてみるといい事ばかり思い出して、コケババって言われてもやっぱり貴方がいた方がいいです。でも今は、貴方が優しくして下さった時の事ばかり思い出して切なくなります。利男さんに冷やかされて少しテレたでしょう。面白い人ですね。だってこっちにいる時はめったに箱崎へ手紙書かなかったから無理ないです。私も元気ですが、淳の病院通いがすめば完全によくなると思います。どうぞ、心配なさらないで下さいね。何時もとりとめのない事ばかり書いてごめんなさい。病室はスチーム通っているのですか。風邪ひかない様になさってね。ではまた、明日お手紙書きます。おやすみなさい。

 祐策様           

                 ふみ子


 十一月二三日

 今日は勤労感謝の日でした、どうして過ごしましたか。こちらは誰も来ず、一日家にとじこもっていました。昨夜書いた手紙は一緒に明日、日赤より出します。今朝、会社から新聞を送って来たので同封しておきます。労組のも一緒に来ましたが、あまり重くなるのでこの次の時、同封いたします。明日で日赤行きもすみそうなので、ホッとしています。淳はとても元気で、今までおばあちゃんに抱かれていましたがやっと眠りました。ラジオからは歌が流れています。貴方はラジオ聞いていますか。今、タンゴやっています。何となく聞いていたら、今度はヨーデルです。その次はマンボ、歌のスタイルブックだそうです。豊はもう寝ているでしょうね。本当に淳でもいなかったらこうしていられないと思うのですが、

 貴方は今頃、どうしているかしら。お風呂にも長く入らないのでしょう。可哀相に。私の夢、みますか。私もよく貴方の夢、みるけど覚めるとガッカリしてしまいます。でも近頃はこんなにして離れて暮らすのも何かの試練だと思います。色々一人になって、反省させられましたし、今まではあまりのんきすぎた私です。貴方からよく言われていた事が今になって、身に沁みます。これからは、何でもプランをたて、きちんとやろうと思います。では、また。

 祐策様           

                 ふみより



(三十)十一月二四日 富美子の手紙

 貴方、お手紙有難う。大部屋に替わったそうで、本当によかったですね。今朝、姉の手紙と一緒だったので、よけいに嬉しかったわ。今、おばあちゃんお風呂で、私と淳だけ。淳はよく眠っています。今日で日赤通いも終わりか思ったら、もう一日来いとの事で、明日は日曜だから、月曜にまた行かなくてはなりません。お風呂に早く入れたくてたまらないのですが、仕方ありません。

 今日は二十四日で、明日は日曜なので給料持って来て下さると思って、どこにも出ずに待っていたのですが、いまだに来られないので、どうしたのかしらと思っています。もう六時すぎていると思うのですが、残業でもあっているのでしょうか。でもご心配なく、まだ手元に千二百円ほど持っていますから。貴方がいないとやっぱり心細いわ。貴方もいろいろお金が要るでしょうから、三千円は送るつもりにしています。今月は淳の病院通いで予算が少し狂ったのですが、貯金も少ししましたし、大丈夫ですから心配しないで下さい。でも、付添いのオバサンの礼などしていたら貴方の方のこづかいが足らなくなるでしょうね。足りない時はいつでも言って下さい。すぐ送りますから。お母様に心配かけてはいけません。こちらは、何とかなるのですから。現金封筒で送らないのでしたら、危険ですので千円ずつ、三回送りましょうね。

 豊は紀代子さんに積木買ってもらったそうで、喜んでいるでしょうね。でも、悪いですね。にくまれ口きいたりして、可愛がってもらって本当に仕合せな子です。貴方にもイモン袋持って来て下さるそうで、貴方も優しく兄さんらしくして上げてください。いい妹さんや弟さんに恵まれて、貴方は仕合せですよ。私も嬉しいです。それに貴方の容体も快方に向かっている様子で、うれしくてたまりません。早く全快の日が待遠しいですが、この際、うんと養生して下さい。貴方が少しでもいい方に向かっていると思うと、心がはずみます。だんだんと薄紙をはぐ様によくなるのだと思います。それに今度は精神的にもにぎやかで淋しくなくていいですね。ホッとしました。

 こちらは、夜は本当に淋しいけど大分慣れました。何より火の用心に気をつけています。夜中に淳に起こされると眠いのとこわいのと寒いのでつらいです。夜中、淳のお乳のませていると、三畳のところで子ネズミがちょろちょろ行ったり来たりする事もあります。とても小さくてさっきも私達がいるのに、時々、水屋のところから顔を出したりひっこめたり。母が丁度豊ちゃん位やねと言ったので、何だか可哀想でネズミとりかけなくてはと思いながら、まだそのままにしています。貴方が今夜もにぎやかな室にいると思うと少しでも気持ちが楽になります。こちらは部屋の中が寒くて寒くて、すきま風で。豊が帰ってきたら可哀想です。少しは張ったりしたのですが、何しろ風あたりが強くて。淳を風邪ひかせぬ様、注意しています。淳はますます可愛くなるばかりで、ほっぺたはバラ色でくりくり肥えて、目が大きくてとても澄んで、この頃では機嫌のいい時オッコーンって声を出します。今日も日赤の隣でパンを買ったらわざわざそこのオバさんが外まで出て来て、鼻が高くて可愛いといってみとれていました。私は「いいえ」なんて言って内心うれしくてニヤニヤしていたのですが、あわてて乗りました。貴方、嬉しいでしょう?私も嬉しくてしょうがないの。だって、私たちの坊や二人とも本当に可愛い顔して。貴方が帰って来て、淳を見てどんなに喜ぶかと思うと、大事に大事に育てなくてはと思います。だんだん豊に似てきます。でも色は淳の方がずっと白いです。(ゴメンンナサイ、ヒガマナイデネ)(編注 祐策はどちらかというと色黒でした)豊にも逢いたくてたまりません。お母様、本当にいい方ね。私に手紙書けって、うれしくなってしまいます。私も豊や淳のお嫁さんのいいお母さんにならなくてはと思います。貴方もお母様に甘えているんでしょう。オフクロオフクロって言っていたから。フフフ。今夜はとても冷えるようです。では私の大事なダンナ様、風邪ひかない様にね。

(私の手紙読んだら焼いて下さい。貴方、どこでもおきっぱなしにしてないかと心配です。人に見られたら恥ずかしいから、気をつけて下さい。)


 今日は、日曜で昨夜の手紙と同封いたします。

 今朝、気持ちよく眠っていたら渡辺さんが坊ちゃんを連れてみえました。あわてて起きたのですが、給料と会社へ出す年末調整の書類を持って来て下さいましたので保険の証書をお見せして書いて頂きました。とても親切にして下さるので本当に助かります。それと会社より淳へのお祝い五百円頂きました。それに給料も二万一千七十円ありましたが、どうして多いのでしょうね。淳の手当てが付いているのでしょうが、先月の明細と比べてみたら分かると思いますので、同封しておきましょうね。そちらに先月のがあるでしょう。見られたら一緒にまた、こちらへ送って下さい。家計簿つけていますから。それで、早速今日千円同封しておきますから着いたら知らせて下さい。また、すぐ送りますから。

 もう四時になりました。淳が泣いています。今からこの手紙を出して、お風呂へ一人で行くつもりです。明日は、また日赤に行かなくてはなりません。豊は、今日は日曜だったので、皆さんに可愛がってもらった事でしょう。貴方のところにもイモンに行ったのじゃないかと思います。ではまたお便りします。     さようなら

 祐策様           

                 ふみより



(三一)十一月二五日 祐策(九大耳鼻科南第五室)の手紙

 今月の二十七日から“休職”になります。会社を休んでからちょうど三カ月になるからです。この頃は、急に冷え出し、木枯らしも吹くようです。身体に十分、気をつけるように。昨日、大阪のお姉さまから手紙でお返事しました。

 今日から、また隣の部屋に移転します。若い人ばかりいて明るい六人入室の大部屋です。昨土曜日、医者がもうすっかり“はれ”が無くなって平たくなっていると言っています。この前の、肉の試験は大体異常無いようだが、念の為、もう一度切り取って試験するそうです。頭痛と顎関節痛はまだよくなりませんが、少し痛みが少なくなった様です。徹底的に再発しないようにしたいと思います。


(三二)十一月二六日 祐策の手紙

 昨二十五日は日曜日だったが久しぶりにラジウムをとったので、豊かに会いに行った。とてもよろこんで「もうよくなった?おかあちゃんとじゅんちゃんのところへかえろ」といって抱きついて来た。まだまだと言うと、つまらなそうな顔していた。

 この二、三日よく冷え込むので又、関節痛と頭痛が少し強くなったようだが、前の様に注射打たねば耐えられぬ程ひどくない。医者も「たしかによくなっている。うれしがらせじゃないほんとだ」と言ってにこにこしている。

 多分、今年中によくなりゃせんかと思います。たとえ、今年中によくならなくても年が明ければ早いと思います。今年は大体親類縁者にとってよい年ではなった。

 この前の冨美子に言われた写真はもうとっくに利男が送っているものと思っていたら、まだだったので同封します。遅れてすみません。もし、そちらで写したのがあったら送って下さい。

 今日までラジウムの照射を休んで、明日の午後から又、鼻から棒を突っ込むようになるので、今晩もう一度豊のところに行こうと思っています。豊は僕がラジウムを入れている格好をみるといやがって、その日豊に電話しても「いや」と言って電話口に出ません。まだ、家への行き帰りに疲労を感じますが、かえって熟睡できて結果的によいようです。

 では、又明日。

 ふみさんへ           

                 祐策


(三三)十一月二六日 冨美子の手紙

 お葉書、頂きました。今日、日赤より帰りましたら、古由の奥様がみえて、「明後日箱崎へまた帰ってご主人の所へ伺ってみますから、何かことづけでもありましたら。」と言って、豊がいると思われたらしく、おみやげまで持って来て下さいました。本当に親切な方です。何かことづけたいと思いましたが、奥様も坊ちゃんを連れていらっしゃる事ですし、遠慮しました。来られたら、よくお礼を申し上げて下さい。

 貴方もまだ頭の痛みがきれいに取れなくていけませんね。すっかりよくなるまで、治療して下さいね。これからはますます寒くなるし、なかなか大変と思いますが、どうぞがんばって下さいね。淳はもうほとんどいいのですが、もう一日来いとの事で、明日は簡易保険の掛け金の証明書をもらったり、役場に行ったりしなければならないので、明後日、また日赤へ行きます。証明書は会社へ提出します。今夜、私が風呂へ行っている時、渡辺さんが来られて、証明をもらっておく様、手紙が書いておいてありましたので。渡辺さんもお忙しいのに本当によくして下さいます。豊は何時帰りますか。こちらは昨夜も木枯らしが吹いて淋しい毎日です。でも貴方がよくなるまではがんばるつもりです。お金、つきましたか?ついたらすぐ知らせて下さい。また、すぐ送りますから。また、お部屋が変わったそうで若い方ばかりで気分的にいいでしょう。まだ来年のお正月までにこちらに帰るのは無理でしょうね。学校お休みなったら、また利男さん来て下さらないかしら。豊が帰ってきても淋しがると思います。利男さんにいつも忙しい目ばかりさせて、今度、来られたら良くしてあげなくてはと思っています。貴方からもよろしくお伝えくださいね。

 ではまた。



(三四)十一月二八日 富美子の手紙

 お手紙、有難うございました。豊の写真、可愛くて何べんも眺めています。貴方も寒くなってよけいに痛んでいる様子でいけませんね。でも、前よりだんだんよくなっている様で本当によかったですね。今年中によくなったら本当にどんなに嬉しいでしょう。早く元気になって下さいね。淳も待っています。

 今日も日赤に行ったのですが、明日もう一度来いとの事。なかなか許可が下りなくて困ります。もう、ほとんどよくなっているのですが。遠いのでいやになります。でもまだ小さいので、医者の許しが出るまではつれていくつもりです。

 昨日(二十七日)は、一日休んで、色々な用事をすませておきました。保険の証明もしてもらって、今日、渡辺さんの奥さんが淳の写真を持って来て下さったので、ことづけておきました。お金つきましたか?貴方のお返事が来たら、すぐまた千円送ります。

 豊の写真見たら逢いたくてなりません。ぼつぼつ里心がついているんじゃないでしょうか。貴方がお家へ帰るととても喜ぶらしいですね。帰ってくれば忙しいでしょうけど、やっぱり豊の帰りを待ちます。昨日からネルで豊のスモックを作っているのですが縫いながら豊の事ばかり考えています。淳の写真を同封しますが、一一月四日に撮ったもので、いまはずっとずっと大きくなっています。とても肥えで散髪もしているので額が大きくなって、今貴方が見たらビックリすると思います。目がグリッと大きくとても男の子らしいです。貴方、お家へ帰る時は風邪ひかない様、それに乗り物にも気をつけて下さいネ。無理しない様にして、早くよくなって下さい。貴方からお便りがあった日は一日中嬉しいです。淳が目を覚まして泣きだしました。抱くとすぐだまるのですが、困ります。毎日バスにのるのでくせになって。でも大体、おうような子です。でも日に日に大きくなるのが目に見えて、この分だと豊より大きくなる様です。今もおふとんから手を出して、ワアワア泣いています。可哀想だから抱っこしてやりましょう。お乳を飲ませたら安心してオッコーンって一人で声だして時々、笑っています。本当に可愛いです。

 昨日、姉から手紙が来ました。貴方の事、とても心配して神社に参ったりしたらしいです。貴方がよくなったら揃って、大阪へ遊びに来るよう、何時の便りにも書いてあります。貴方が一日も早くよくなって下さる事が、私の唯一の願いです。本当に何かに祈りたいような気持ちです。母もその事ばかり言っています。箱崎のご両親にも色々心配かけて。よくなったら二人で孝行しましょうね。豊は何時帰りますか?あまり寒くならないうちにと思うのですが、貴方の事を思うと、豊に早く帰る様にと言えなくなります。ではまたね。(淳の写真、貴方が帰る時、また持って帰って下さいね。)

 祐策様           

                 ふみ子


 お手紙を書き終わったとたんに、ガヤガヤと子供達が、いのこ祭りとかで藤田さんのご主人と鳥井さんも一緒に来て、庭で歌を歌って、石をドスンドスンとおろして、皆お揃いの猿のお面をかぶって来ました。矢野の子供会からで前もって聞いていましたので、心づけをして三十円あげました。五十円や百円もあった様ですが、丁度小さいのが三十円しかないので、こらえてもらいました。でも十五円の家もあるし、三十円が一番多いようでした。おまんじゅう二つとお面をくれて、藤田さんが、豊がいるのかと思ってつれて廻られたら喜んでですよ。と言われましたが、すぐ気がついて、ああまだ帰られてないんですねって言って笑っていました。いたら、喜んだでしょうね。お猿のお面とっておくからと,豊に言って下さい。子供達は皆、元気ですね。一軒々々、まだ廻っています。

 ではおやすみなさい。


(三五)十一月二九日 祐策の手紙

 今日(二十八日午後一時頃)お金、受け取りました。有難う。お金は是非要る時、こちらから連絡しますから、その時まで送らないでよいから貯金しておいてください。給料が思いのほかよかったので、助かったね。できるだけ節約して下さい。もし意外に療養期間がのびると三月から一万二千円位になる筈だから、そうゆう覚悟も一応しておくべきじゃないかと思います。

 今日、母が来て医者によく症状を訪ねてもらった。患者にはホントウの事は言わないらしいので。肉腫ではないとの事で一応安心ですが、根治するには一カ月以上かかるとの事。年内は駄目です。富美子もがっかりしないで辛抱して下さい。富美子がさびしそうにしているのじゃないかと思うと心苦しい。本来なら手術すれば割合早く治るそうですが、一番手術の難しいところに腫瘍があるので、もし手術するとひどい鼻声になるとの事で、できるだけラジウムで治したいとのこと。そのラジウムが今のところ効果が出ているので、手術の必要はないだろうとの事です。しかし、ラジウムではちょっと期間がかかるという事です。僕はあくまでガマンし忍耐して、どうしてももとの様に健康になって充分に働きたいので、今、一か月、二カ月位長くなっても徹底的に治療したいのですが、富美子もさびしく不安でしょうが、じっとつらさに耐える覚悟をしてもらいたいと思います。

 身体の調子はとてもよく、自分ではもう退院できそうな気がする位で、もう朝方いつもはげしく痛んでいた頭痛も大分かるく、最近では痛み止めの注射も四、五日に一度位、それも打たなくてもガマン出来る程度になり、食欲も旺盛でいくら食べても足りないくらいで会社の病院にいる時と格段の差です。

 もしあの九月、病院に入院する時発見していてくれたら、こんなに長引かなくてもよかったと思うと残念で仕方がない。しかし今そんな事を言っても仕方がないので、こちらで徹底して治療する外はないと思います。腫瘍の根を安全に消滅するにはラジウムでは容易なことではないそうですが何とか治るものと思います。もし治らなければ手術しなければならないかもしれませんが、富美子はもしそうなったら僕をいやがるかな?ファファ鼻声で話すようになると逃げ出すかも知れんね。今のところラジウムの効果顕著な様だからまた安心しています。くよくよしても仕方がないから。

 大阪のお姉さまから、お守りなど戴いた。僕の考えている事は、ふみ子はよく知っている事と思うが今はお姉様や人々の善意に助けられるだろうという気持ちがする。うれしくお受けしています。ほんとにいいお姉様です。

 豊がこの頃、ききなれない事を言うのでよく聞いてみるとケ、セラ、セラと言っている。何の事だろうと思っていたら歌だった。そこでラジオをよく聞いていたらラジオ九州で内藤よし子が、この歌の指導をしていたので覚えた。ふみ子が知らなかったら、教えてやろうか?英語と訳詞を楽譜とともに書き取っています。(編注 祐策は英語の全国弁論大会に九州代表として出場するくらい英語が堪能でした)

 淳は大変可愛くなってきたとの事。見られないのがとてもつらい。早く写真に写して引き伸ばし送って下さい。待ちあぐねています。

 急に冷え込んで来たがそちらは例のすきま風でほんとうに寒いでしょう。セロテープを買ってきて、めばりしなさい。かぜをひくといけないから。

 富美子はもう風呂に入れるようになった?お母様を一人で風呂にやるのは危険じゃないかな?

 ふみ子さんへ           

                 祐策



(三六)十一月二九日 富美子の手紙

 今夜は木枯らしがふいて寒い晩です。今日はお手紙が来なかったので淋しかったわ。姉から来ていましたが、貴方からお便りがあったと大変喜んでいました。淳もやっと今日で、日赤行きもすみました。きれいに治って後も何ともありません。

 お風呂にも入れてよいとの事で、早速連れて行きました。一カ月近くも風呂に入れなかったので、その間にずい分大きくなって、本当にびっくりしてしまいました。風呂屋のオバさんも見たとたんおどろいて、よく肥えてお兄ちゃん追い越してしまいそうですねって言っていました。下元の奥さんとも逢ったのですが、やっぱり大きいってビックリしていました。本当に、豊の三カ月たった時くらいあります。貴方に見せたらどんなに喜んで下さる事かと残念です。久し振りにお湯につかって、気持ちがよかったのでしょう。今もよく眠っています。貴方が帰られる時はまだまだ、大きくなっている事でしょう。

 今年中によくなると本当にいいのですが。でも、来年までかかっても今度は完全に治しましょうね。寒さが厳しくなると、また大変と思いますが、無理せぬよう、しっかり養生して下さい。こちらの事は心配しないで。夜はよく眠れますか?頭痛が完全にとれると本当にいいのですが。

 毎日、貴方の事ばかり考えています。渡辺さんが奥さんに「荒巻さんの奥さん、ちっとは気晴らしに遊びにでも行けばいいのに、家にばかり閉じこもっておとなしいなあ」って言われたそうです。奥さんが「でも赤ちゃんがいるから出られないじゃないの」って言ったら「あっそうか」って言われたそうです。今の私は本当に映画ひとつ見る気もないし、遊びたいとも思いません。淳を病気させない様気をつけて、貴方や豊の事、想うだけで精一杯です。一日も早く、親子四人の幸福な生活をとりもどすまでは、遊びに行きたいなどと思いもよりません。のんきな私でしたが。その代わり、貴方が帰っていらっしゃったらしばらくは甘えさせて下さい。今はとても気をはりつめて生活しています。大分慣れましたが、家の中に貴方のいないことは、それはそれは淋しくてつらい事です。豊でも帰ってくれば少しは気が紛れると思うのですが。でも、淳とちゃんとお留守を守っていますからご心配なく。今日の姉の手紙に正坊、博坊(編注、富美子の姉の長男黒木正光と次男博海)

 の手紙が入っていましたので同封しておきます。正坊の手紙みて吹き出しました。けっさくでしょう?では、また。明日、お手紙書きましょうね。風が吹いて雨戸がガタガタいっています。(正坊が「今日はふみちゃんって書かずにおばさんと書こう」と言っていたそうです。貴方が可愛がって下さったので、今でも貴方の事よく話すそうです。寒いので、今、母が熱いコーヒーを入れて来てくれました。ではまた。)

 祐策様           

                  

(三七)十二月一日 祐策の手紙

 今日から十二月、人の決めた毎月々々の呼名も単なる時の移りの約束事にしかすぎないのだけれど、やはり師走とか正月とかいうと矢張り何か気ぜわしさを感ずる。

 淳の写真有難う。もう四十日になったからさぞ可愛くなった事だろう。富美子も何かシオラシイ感じのする、いいお嫁さんの様だ。きれいになった様な気がする。勿論、前からきれいだが、一層…おせじ抜きで。

 病気の回復のテンポはだんだん早くなって来る様です。もうすでに一週間ほど注射なしで、なんともない。明け方のあのひどい頭痛からどうやら解放された様です。僕自身今すぐ退院しても平気で仕事ができそうな感じです。日中は病室の廊下に出て、ひなたぼっこをしたり、軽い運動をしたりしています。ほとんど日中は、ベッドで寝た事はありません。大分、自信をとりもとしました。しかし、まだアゴの関節は自由に充分開ける様にはなっていません。大分あくようになったけれども、これにはまだ時間がかかるでしょう。しかし、今くらいの回復のテンポだと案外早いかもしれない。

 今日は一つお願いがあります。ボーナスは全然もらえないでしょうか?もし、もらえる様なら眼鏡を買ってもらいたい。買っておいた方が便利なのでちょっと無理したい。ラジウムを抜いたときなど、気晴らしに映画にでもいきたいなあと思う事があるので…勝手すぎる?

 僕がラジウムを鼻に入れている格好を豊がとても嫌がって、今日で三日会わない。今度の月曜日と火曜日には抜くので、会いに行くのが待ち遠しい。

 十二月に入ると何かにつけて気ぜわしい。戸締りや火元によく注意して下さい。しかし、あまり家の中にチッソクしないで、お母さんと一緒に矢野の映画館にでも息抜きに行きなさい。

 ふみさんへ          

                 祐策



(三五)十二月一日 富美子の手紙

 今日は日曜日、朝おそくまで寝ていて、手紙を出しに行かなくてはと思っていたら、みやちゃんが、ミシンをかけにきたりしてザワザワしていたら、お昼近く、高野さんの奥様が子供さんを連れてみえて、淳へ白い毛糸半ポンドとよだれかけ二枚、お祝いに下さいました。豊がいると思われたらしく、ビスケットも持って来て下さいました。和子ちゃんもとても大きくなって、目がパッチリしてとても可愛くなっていました。

 丁度、奥さんがまだおられる時、会計の池田係長さんがみえて、ちょっとびっくりしました。また、御親切に淳へ祝いの毛糸のチョッキと豊へビスケットを持って来て下さり、貴方の事いろいろきかれますので、いろいろお話しましたが、貴方から一度便りがあっただけでどうも様子が分からず、休職にもなっているので、毎月、病名をはっきり書いた診断書と健康保険組合に出す書類があったでしょう。あれを毎月、池田さんの方に出すように言われました。そうしないと給料が出なくなったらたいへんですからと心配しておられました。私は貴方の方からちゃんとしていたと思っていましたので、よくおわびして早速、手紙で知らせますからと言っておきました。

 色々心配して下さって悪い時ばかりじゃない。また、いい時もありますから貴方に元気をつけてやって下さいと言われました。貴方からも早速、お礼のお手紙と容態を詳しく書いて差し上げて下さい。それから会社に出す書類も早速、送って下さい。お願いいたします。池田さんの方へはやはり、時々手紙をあげて下さい。お家の方へでも。豊の時も淳もお祝いいただいて、本当にお気の毒です。それにわざわざご主人がいらしたのですから。早速、手紙を差し上げて下さいね。

 今から淳を連れてお風呂に行きますから、これで今日はさよならします。今日、会社からも休職の通知がきましたので、同封しておきます。淳がさっきから泣きますので、乱筆ですみません。

 祐策様           

                 ふみ子



(三九)十二月三日 富美子の手紙

 今日はお手紙有難うございました。明るいお便りでホッとしています。貴方が映画でも見に行く気になられた事とても嬉しく思います。十日頃ボーナスがある様ですから、メガネは是非買ってください。大事な物ですから。

 今日は、本当に久し振りに淳をつれて渡辺さんのお家へ行きました。奥さんといろいろおしゃべりして四時すぎに帰ってきたのですが、昨日、高野さんの奥さんもお昼頃から三時頃まで家にいて、帰りに渡辺さんの家へ寄って、八時半までテレビ見たりしておしゃべりして帰られたそうです。高野さんがパチンコにこっているのでわざと腰を落ち着けて、おそく帰ったのでそうですが、今日はそんな話やピアノの話、お互いに夫婦ケンカの時の話など、実にユカイで気持ちが晴れました。日曜の夜はテレビでいいのがあるから是非、私に来るように言われました。高野さんの奥さんもポツリポツリ話されるのですが、面白くていい方です。

 今日は天気がいいので写真を撮ったらいいと思ったのですが、フィルムの入れ方が忘れて分からないので、渡辺さんのところへ教えてもらいに行ったのですが、奥さんも分からなくて渡辺さんが帰られてから入れて頂くように預けてきました。昨日の日曜もご主人が、坊ちゃんを連れて、家へ淳の写真を撮りに来てくださる途中で高野夫人に出会って引き返したのだそうです。明日は、渡辺さんの奥さんと坊や達を連れて保健所へ行くつもりです。帰りにはまた、家へ寄って頂くつもりです。

 今日は本当に楽しくて、もう十時過ぎているのにまだ起きています。さっきまで、ラジオを聴きながら、豊のスモックを仕上げていました。ジャズを聴きながら身体をゆさぶって、ボタン穴をかじっていたら、みみずがはった様になってしまいました。貴方が知っていらっしゃるように不器用な上にたまにしかしないので無理もありません。でも、可愛いのが出来上がって早く着せたいです。ミッキーさんがついているので豊がどんなに喜ぶかと思って。早く帰ってこないかな!ミヤちゃん達が豊ちゃんまだかまだかって聞きます。ミッチャンがあんまり豊ちゃんことばかり思っていたら豊ちゃんの夢みたんよ、オバさんって。豊は本当に人気者です。

 高野さんの奥さんが淳を抱っこして、お父ちゃまにも似ていると言っていらっしゃいました。嬉しいでしょう。奥さんは、今度は男の子がダンゼン欲しいそうです。淳を抱っこして寝たところが、腕がこって字がうまく書けません。

 貴方、来年の二月頃には帰っていらっしゃるでしょうね。病名は何ていうのですか?会社の届けはすみましたか。調子がいいからってあまり無理せずに大事になさってください。豊の写真あったら送って下さい。逢いたくてたまりませんから。夜も更けて来ましたので冷え冷えとしてきました。今から一人、お茶でも飲んでやすみます。

 では、ダンナ様。おやすみなさい。

 祐策様           

                 ふみ子


(四〇)十二月四日 祐策の手紙

 朝から雨が降っている。昨日は久し振りにラジウムを取ったので、早速豊のところへ行った。もう完全に博多弁になっている様子。「お父ちゃん、もうようなったト?」と聞かれると本当につらい。それでも僕が行くと本当に喜んではしゃぎまわっている。この頃は言うことがすっかり大人っぽくなって来たようです。例えば、利男が学校に行く時「病院に行って注射して来る」と言って出かけるのを真似して、お菓子なんか買ってきて、輝代が「ちょうだい」というと「これオクスリヨ。ニガイヨー。」なんて大人顔負けの言葉を出すようになっています。昼の間、とびまわって遊んでいるせいでしょう。夜になると七時頃眠たくなって、昨夜は「お父ちゃんに抱っこしてねんねする」と言うから、しばらく抱いていたらすぐ眠ってしまった。お母ちゃんの事や淳ちゃん、おばあちゃんの事を一日一回は思い出すらしく、昨日も寝る前に朝ちゃんに(編注 祐策の三番目の弟、朝行)、「お母ちゃんの絵をかいてくれ」とせがんでいました。朝ちゃんが書き終わると「今度は淳ちゃんを書いてくれ」といっていた。そして、その絵をみながら「お母ちゃんも淳ちゃんも早う来オい」と大きな声を張り上げていた。

 一昨日は伊崎浦の叔母さんがまた見舞いに来てくださった。身体の調子がよいので入院はいていないとの事。僕が急に元気になっているのをみて非常に喜んであった。叔父さんは今月十五日頃、御退院の予定だそうです。

 僕は日増しに回復しているようで口蓋のハレていたのが、だんだんとれてきた。今日のように雨が降る日には、はやり顎関節が少し痛むが前のような天気の悪い日の苦しみを思い出すと本当によくなってきたと感じます。もうこのところ痛くて眠れない事は全くなくなりました。

 昨日の午前中は、小春日和の快晴で病院のすぐ前にあるコートでキャッチボールをしてみた。今まで全然手足を動かしていないのであとで、熱を出したり、手足がこわったりしないだろうかとちょっと考えたが、今日はかえって、身体の具合がよい様です。今日も雨があがったら昼から家に行こうと思っています。また、明日から一週間、ラジウムを入れねばならんので。こうして、だんだんよくなりながら徹底的に治さなければ、もし再発すると今度はそれこそ鼻声になる手術をしなければならんので、ふみ子もここは一つせっかくのご辛抱をお願いしたい。

 ふみさんへ                              祐策


 さっき、十二月一日付けの手紙を受取った。早速課長さんに手紙を書いた。診断書や健康保険の請求書などはいつも木下さん宛てに送り、課長に出してもらうようお願いしていたのですが、木下さんが課長を通さずに労務に回送しているのかもしれない。今度から課長さんに、直接出すようにする。年末あまりおしつまらない中に一度、課長さんのお宅を訪問し淳を奥さんに見てもらってください。最近写した写真を同封します。



(四一)十二月五日 富美子の手紙

 二日ほど、お手紙が来ないので箱崎のお家へ帰られた事と思っています。豊は喜んだでしょう。こちらは昨日からひどい風で、昨夜は眠れませんでした。寒さもきびしくなって淋しさもひとしおです。でも“冬来たりなば春遠からじ”と思ってがまんしています。

 師走に入って、何となく気忙しくなって来ました。お正月は箱崎の家でされますか?高野さんはお正月に貴方のところへ行くとおっしゃっているそうです。豊はどうしていますか。毎日々々豊の事ばかり思っています。帰るのを一日千秋の思いで待っています。お母様も毎日、大変だとお察ししています。貴方が豊を離しきらずにいらずにいるのではないかと思っています。お母様にあまり御無理をかけてはいけません。豊は帰りたがってはいませんか。皆様に可愛がって頂くので安心はしていますが、やはり逢いたいです。淳はますます元気で大きくなっています。ではまた。


(四二)十二月七日 祐策の手紙

 手紙がちょっと遅れて御免。火水木の三日間、ラジウムをはずしていたので毎日、豊と遊んでいた。昨夜は豊と一緒に風呂に入った。もう数ヶ月ぶりだったので、豊もとても喜んだ。少し肥えた様だった。体重を量ってみたら、十一キロ(二貫九百匁余り)あったから一キロ増えたことになる。帰って僕のひざの上で、すやすや眠ってしまった。一昨夜、散髪させたのでとても可愛い顔して眠っていた。

 今日は午前一一時にまたラジウムをいれたので来週の金曜日までどこにも出られない。つまり、七日間入れて三日休む事を繰り返すわけです。連続して入れるとただれてしまうらしい。医者の話では今日まで千五百ミリレントゲン(レントゲンとはラジウムの測定単位)のラジウム照射を行って効果顕著であるが、さらに千五百から二千ミリ照射すると根治するだろうとの事。そこで計算してみると、今一時間当たり四ミリのラジウムを入れているから二十四時間で九十六ミリとなる。だから、その割で行くと十日で九百六十ミリ、二十日で千九百二十ミリになる。つまり三週間正味入れとけばよいわけだが、前に書いたように七日入れて三日休むから、あと丁度一ヶ月かかればよい事になる。今日は七日だから来月の七日には退院と言う計算になるが、計算どおり行かない場合が多いし、あまりあせらない方がよいだろうから一月二十日から三十日、つまりおそくとも一月末にはふみ子とまた一つ屋根の下でスィートホームを営めるということになるだろうと期待している。その時は、結婚式のときに使ったあのサカズキでまた三々九度をやりましょうか?どんなにうれしいだろうか。胸がわくわくしそうだ。エヘヘ。今日でちょうど耳鼻科に入院して満一ヶ月。今の調子でよくなれば言う事はないんだが。

 ちょうど今、ラジオからケセラセラが流れているが、富美子から頼まれた楽譜、剛介が持って帰ってどこかになくしてしまった。この手紙に同封できないがまたどこからか写しておこう。 

 この前同封した写真で僕が写っている分は、ズボンはいているのが十一月三日(まだ内科にいるとき)ドテラを着ているのは十一月二十五日頃だったと思う。裏に書いておいて下さい。

 だんだんおしつまってくると不用心になりがちだから戸締りや火元にはよく注意してください。利男か剛介がひまになったら、豊を送って行くと言っているからその時まで待っていてください。

 昨日は、ヤマイモのトロロでドンブリ四杯御飯食べました。

  奥様          さようなら


(四三)十二月七日 富美子の手紙

 昨日は写真を有難うございました。貴方が思ったよりずっとずっと元気そうで、本当に嬉しくなってしまいました。ちっとも病人らしくありませんね。この分だときっと来年明ければ、帰っていらっしゃるのも早いでしょう。お互いにがんばりましょうね。昨日は午後から渡辺さんの奥様がみえましたが、貴方にお手紙書いてくださって淳の写真を入れてくださいました。引き伸ばして下さったのです。ボーナスの事も詳しく書いてあったでしょう?来年になるかもしれないそうですが、私はかえってその方がいいと思っています。いくら頂けるのか知れませんが。

 豊は今年中には帰してくださるのでしょう?待っています。豊の写真見ていると、可愛くて可愛くて逢いたくてなりません。豊が帰ってくると思いますので、配給の分だけでもお餅をついてやろうと思っています。貴方がいないので、外には何もしないつもりです。ひっそりとしたお正月をするつもりです。

 先日の火曜日は雨でしたので、今度の火曜日は保健所へ行くつもりです。今夜も淳を連れて、みやちゃんとお風呂へ行ったのですが、昨夜も藤田のオバさんが淳を抱いて、私が買い物をしている間に先に連れて帰ってくださったりして、本当に助かります。みやちゃんはとても子供好きで、世話するのがとても上手で、今夜も私は髪を洗う事ができました。大分長くなりました。貴方が帰っていらっしゃるまでは絶対、切らないつもりです。淳の写真、今日私が三枚ほど撮りましたがよく写っているかどうか心配です。昨日は、奥さんが三枚ほど撮って下さったのですが、できたら早速、送りましょうね。

 淳をお湯に入れるの、本当に楽しみで、毎日行っています。昨夜はちょうど、十月二十五日生まれの女の赤ちゃんと一緒になりましたが、ダンゼン淳の方が大きくて、五日くらいの違いには見えないと人が感心していました。お風呂がとても好きでお湯につかっている間、手足を伸ばしています。よく肥えて背中でも丸く、くりくり太って、洗ってやる時、本当に可愛くてなんとも言えません。お風呂へ入れるようになって、よけいに可愛さが増すようです。それにこの頃ではよく私の顔をじっと見て笑い、何か語るんです。昨日は奥さんにあやしてもらって、しきりに笑っていました。子供の成長するのは早いものです。

 貴方が帰っていらっしゃる頃はもっともっと大きくなって可愛くなっていることでしょう。

 お正月も近づいてきたので先だってから思っていたのですが、私の派手な着物、輝代ちゃん(編注 祐策の二番目の妹)に送る事にしました。着古しているのですが、ちょうど、輝ちゃんくらいのときに作ってもらったもので、品物は良いものです。仕立てかえたら、輝ちゃんにちょうどいいと母も言うものですから。明日、豊の上っ張りやお母様にもネルのはぎれで失礼と思ったのですが、おこしを作りましたのでいっしょに送るつもりです。

 貴方や豊かが本当にお世話になって、どんなに有難く感謝しているかわかりません。何かしなくてはと思うのですが、なかなかできなくて、粗末なもので本当にすまなく思います。外に、輝ちゃんにはクリスマスに可愛いお人形、送るつもりです。淳を連れて日赤に行っている時、売店で買ったのですが、輝ちゃんが夏家に来ていた時一生懸命人形を作っていたいじらしい姿を思い出して、矢もたてもたまらなく、最後の日赤行きの時買って帰りました。安物ですがきっと喜んでくれると思います。今、家のたんすのケースの中で、尼さんと同居しています。でも送るまでは、輝ちゃんにナイショにしていてくださいね。お願いします。

 来年のクリスマスの豊や淳と一緒に楽しく過ごしましょうね。デコレーションケーキにローソクつけて。きっと豊がどんなに喜ぶ事でしょう。淳だってもうアンヨができて大きくなっている事でしょう。そこで皆で歌もうたいましょう。ああ、早く来年にならないかな!あなたとワルツを踊りたい。でも、もう忘れてしまったようです。長く踊らないので。

 もう十一時近く、母も淳もよく眠っています。静かです。とても。だから、ついセンチになってしまいます。ああ、そうそう昨夜は私、とても歯がうずいて、今日思い切って、歯医者に行きました。前に治療しかけていた奥歯がボロボロになっているので、抜いて新しく入れるのだそうです。母がいる間によくしておこうと思っています。今日もガリガリやられたのですが、二、三日うちに抜くそうでいやになります。新しく入れるのは半分保険で、できるそうです。大したことはなさそうですが、明日でもいくらかかるか聞いてみるつもりです。今、右で全然噛めないので、不自由です。歯がちょっと痛くてもユーウツですから、貴方は今までどんなにか苦しかったことでしょうとつくづく思いました。何だかとても寒くなってきました。今日はお手紙が来なくてガッカリ。明日はきっと来る事と思います。淋しいからたくさん書いて。では今日はこれでさよならします。おやすみなさい。ダンナ様。

 祐策様           

                 ふみ子


(四四)一二月九日 祐策の手紙

 富美子へ

 今日は朝から冷たい風吹いて、雪も降っている。矢野も例の海から吹いてくる風が冷たいだろう、今午後七時、日が短くなったのでもうトップリ日が暮れてしまった。いつも淡々とした手紙を書いているのだが、本当は毎日、富美子や淳のことを考えない時は無い。富美子が毎日僕の事ばかり心配して一生懸命に留守番している事を考えると心から済まない気がする。結婚後三年目でこんな心配させる夫は本当に不甲斐ないと思っています。良くなったら立派な優しい夫になる事を誓います。

 前の手紙で書いた様に、もし幸いに一月中に治ったらどんなに嬉しい事だろう。しかし、よく考えてみると、医者は概して患者に楽観的に容態を説明するのが常なので、その話を無制限に信じてはいけないかもしれません。僕の病名は上咽頭腫瘍とつけられている。この前言ったように、検査の結果、肉腫ではない事が分かったが、なお、疑わしい点があるので、九大病院の病理研究室で肉組織の比較分析を続行されていたが、どうやらその結果がわかったらしい。医者は直接、僕には言わないがどうも皮膚(咽喉部)(編注 正確には皮膚ではなく咽喉部の粘膜です)の上皮組織に癌があるようです。・・・こうゆう事を書いて富美子がどんなに心配するだろうかと思い、書こうか書くまいか今日一日中、悩んだけれども矢張り夫婦はお互いの本当の姿を認識し、悪い事があれば力を合わせて克服するのが大事だとの結論に達したので、富美子が心配する姿を考えると苦しいけれどもあえて書きます。家の用事があったので看護婦詰所に電話をかけに行ったとき、何気なく机の上にある紙に目を落とすと僕名前が書いてあり、よくみると病理研究室の報告書でそれにドイツ語で、Platter epithel krebsと書いてあったので帰って辞書を引いてみるとPlatterは平たい、epithelは上皮組織、krebsは“癌”という事であった。どの程度の症状か分かりませんが、癌の一種である事はわかります。前に書いた様に医者は患者には絶対に本当の事は言わないので、母に聞いてもらおうと思っています。こんな時、富美子がいたらどんなによいだろうと思うけれども、これは僕の欲張りでしょう。しかし、この前の手紙で書いた様に医者はあと千五百ミリレントゲンのラジウム照射を行うと良くなるだろうと言っているのは全然うそではないでしょうから、一応成算があっての事と信じたいと思います。今、僕は顎関節に少し痛みがあるけれども僕の調子はとてもいい。六月にひどくなった時

 以前と少しも変わらない。医者は正月に奥さんに会いに廣島へ行って、五日頃まで帰ってきてはどうかと言うのだが、費用の点や近所隣への思惑などで迷っている。矢張り、富美子が来るか僕が行くかして事情をゆっくり話したいのだがままならないのが、もどかしい。よく話し合えば、お互いに不必要な心配をしなくてもすむのだがと思うけど。

 しかし、その前に富美子の手紙につぎの事をかいてもらいたい。どんな事情になっても、例えばラジウムで治らず手術の必要がせまられるならば、手術後ひどい鼻声となり、仕事の上やその他でいろいろ困難な事にぶちあたるかも知れぬが、周囲の色々な思惑を考えず、親子四人の生活を守り抜いて行く自身と覚悟を持つ事ができるかという事だが。勿論、富美子は僕の妻だから“当たり前”というだろうが、もう一度、富美子の口から聞いて安心したい。僕は命さえあれば、どうゆう逆境に立っても何とも思わず、富美子と二人の子供の幸福を守ってゆく自信はある。僕を信じ愛してもらいたい。

 以上は僕の考えすぎかもしれないが僕の弱気のために僕自身の胸の中にしまっておけばよかったかもしれないのに書いてしまった。無闇に心配しないで返事を書いて下さい。夜、雪の吹きつける音を聞いてセンチになったのかもしれない。

   ふみさんへ         祐策


(四五)十二月十日 祐策の手紙

 昨日は深刻に考えた手紙で富美子も随分心配しただろう。あれは、あくまで最悪の場合の覚悟をいつも持っていなけれならないので敢えて書いた。僕も苦しいが生活の責任があるのでどうしても最悪の場合を予想する。本当にラジウムだけで治らないかと切実に思う。今日、医者に「少しはよくなっていますか?」とかまをかけたのだが、ニコニコ笑って「大分よくなったよ」と言っていた。あまり疑ってはいけないかもしれない。僕自身の調子は毎度書くように頗る好調で今まで口を開いて二本しか指が入らなかったのが、二、三日前から三本入るようになっていた。あまり神経質に考えるとかえっていけないと思うので今から楽観的に考える事に切り替えた方がよさそうだ。富美子にいつも心配させたり、喜ばせたりしてすみません。富美子も今日の手紙に書いていた様に写真で僕の元気な姿を喜んでくれたがこの調子で回復するよう祈りたい。

 課長に手紙を書いたら、早速見舞いの手紙が来た。親切に色々気を配ってもらって感謝している。もしまた会う機会があったらよくお礼を言ってください。それと渡辺さんの奥さんから淳の写真を頂いたとても嬉しかった。早く帰って抱っこしてやりたい。僕は豊のためにも淳にとっても悪いお父ちゃんだ。早く人並みの父親の役目を果たさなくちゃ。元気を出そう。

 豊は利ちゃんが二十四、五日頃連れて行く筈。僕はとても淋しくなるが仕方が無い。僕も富美子に会いたいのだが、どうしようかと迷っています。まだ二十日ほどあるからじっくり考えましょう。明日、母が病院に来て先生に色々たずねる事になっていますが、その結果はまた手紙で書きましょう。

 おばあちゃんは元気でしょうか。色々心配ばかりかけてすみませんと伝えてください。お耳が遠いから風呂など行く時はよく気をつけて上げなさい。

 富美子が言う様に今度のクリスマスは別々で淋しいが、僕が良くなったら毎日々々楽しく暮らします。富美子が毎日僕の事を心配している事を思うととてもかわいそうですまない気持ちです。富美子と一緒に新しい年を慶びの年として迎えられる様、信じ希望を持とう。

 富美子へ          

                 祐策


(四六)十二月十一日 富美子の手紙

 九日付けのお手紙今日頂きました。昨日は四日ぶりのお手紙で嬉しく思いましたが、今日のお手紙では何だか癌の一種らしいとの事でちょっとびっくり致しましたが、私も前にもしかしたらそんな事ではないのかと、一応覚悟していましたので、貴方が気になさるほど、しょげてはいません。何よりも貴方が大分元気になっている様子なのでお医者様にまかせていればきっときれいに治る事と思います。私が今でも飛んで行ってお医者さんに直接聞いてみたいのですが、すぐ行くわけにもいかず、もどかしくてたまりません。

 でも例え、手術する様になって貴方がひどい鼻声になってもどんなに苦しい事があっても貴方が私や子供達のそばにいてくだされば耐えて行ける自信は充分にあります。どんな事があっても、貴方のそばを離れる事はできません。私が今まで、わがままだったので、私の事、色々心配していらっしゃるのでしょうが。私を信じてください。でも何もかくさずに話して下さって本当に嬉しく思います。貴方の妻ですもの。苦しい時は一緒に苦しみ、喜びも共にするのが夫婦です。今も貴方のところへ飛んで行ってなぐさめてあげたいい気持ちで一杯です。私や子供の事、いつもいつも心配してくださって。本当に有難く思っています。でも今の貴方は自分の病気を治す事に専念なさってください。きっと来年の一月一杯にはよくなることと思います。お正月に貴方が帰っていらっしゃればそれは嬉しいけど。貴方がまた、汽車に乗ったりすると疲れないかと心配です。それにまた、別れがつらいし、近所の人に会えばまた、アイサツするのがうるさいでしょうし。私も貴方に逢いたくて逢いたくてたまらないのですが、貴方がこちらへいらっしゃるくらいなら私が淳をつれて、年末から正月にかけてそちらへ行きましょうか?費用の点はそちらにいって帰る汽車賃くらいありますから、心配しないで下さい。

 ボーナスはやはり来年になるらしく、もしかしたら今月の二十日過ぎに出るかもしれないそうです。貴方もメガネが欲しいでしょう?お金がもう無いのではないですか?要るのでしたらすぐ言って下さい。すぐにでも送りますから。とにかく、貴方がおっしゃるようにしたいと思いますので、私がそちらに行った方がよいのなら、遠慮なくそう言って下さい。お金の事は節約すればそちらに行く費用くらい出ますから心配しないですぐお返事ください。今日、渡辺さんの奥様がいらしたのですが、ボーナスが出ないので福岡に行かない事にしたそうです。あてがはずれたとおっしゃってました。先日、奥さんのオーバーを月賦で新調されたそうです。黒のカシミヤで作られたそうですが、仕立て代とともに一万三千いくらとかで五回払いだそうです。何だかクーポン券で買ったとおっしゃっていました。ボーナスが出ないので、会社から一万円借りる事にしたと言っておられました。私はむしろ来年になってから少しでももらった方が貴方もその頃は帰っていらっしゃるかも知れないし、かえっていいと思っています。私がそちらに行くとすれば、それこそ、こちらはお餅も何もつきませんし、母も一人だったら、何もいらないからと言っています。夜だけみやちゃんにでも、来てもらったらと思っています。

 二十五日すぎれば夜警もありますし、主人がいなければ主婦が出なくてはならないのでユーウツです。だから、私がそちらへ行かなくていいのなら、利男さんにでもぜひ来て頂きたいと思っています。淳が夜中に何度も起きるので私がいないと可哀想ですから。でも、色々聞いてみると赤ちゃんをおんぶして奥さんが出たところもあったそうで、やはり出なくては後がうるさいです。

 それから貴方がびっくりなさると思いますが、小林さんとこの三番目の息子さんが八日の夜、吉浦と天王の間の国道で、お兄さんの運転する助手台に乗っていてトラックを避けようとして横倒しになり、お腹と背中をひどく打って内出血で、夕方六時過ぎに事故にあわれてすぐ、兄さんが病院に連れて行かれたのですが、夜中の一時頃亡くなられました。突然の事で私も九日の朝になって初めて知って本当にビックリしてしまいました。何時も元気でピンピンして、私と逢うとニコッと笑っていた顔が今でもチラチラして、本当に人事とは思えません。貴方の丹前もあの人が矢野駅まで送ってくれましたし、貴方が病院に入院する時も一緒に行ってもらいましたものね。人間って本当にはかないものです。

 九日がお葬式で例の様に近所の人がたくさん集まって、小林さんとこの庭で百人分もの煮炊きをしました。一日中、風の吹くところで家の水道をホースから使って。一日中、手伝いましたが、お酒も六升から買って、近所のものは昼と晩の御飯を子供連れで食べ、男の人は酒を飲んで、グダグダ話しているし、全く嫌になってしまいました。家の四畳半を帳場にして鳥井さんが坐って、香典の受付をやっていましたが、町内の人は百円ずつで私もしましたが、別に二百円包んで昨日(十日)、初めて仏様を拝んで奥さんに上げてきましたが、ご主人と二人しょんぼり暗くなるのに灯もつけず。とても力を落とされている様子で、気の毒で私も涙が出て仕方ありませんでした。亡くなるまでとても意識がはっきりして物も言われるので、初めは助かるものと思っていたのだそうですがだんだん、「ああ、目が見えんようになってきた。真っ暗になった」と言って亡くなられたそうです。まだ十六か七で本当に可哀想なことでした。それにしても、ここの風習には全く腹が立ちます。仏様拝む事もしないで、ただ食べる事でワアワア言って。家の四畳半では晩の七時頃まで、男の人が酒飲んでウダウダ言っておまけに、お茶菓子まで。何ひとう残さず持って帰って、意地の汚いのにはあきれてしまいます。貴方に逢ったら、まだまだ話す事たくさんありますが、その酒代も米代、茶菓、野菜すべてみんな香典の中から勝手に支払われるのです。その差し引いたものを結局、小林さんのところへ上げるのでしょう。女子供が食べるのは川手さんところでしましたが、何だか割り切れない気持ちで、今でも考えるとユーウツになります。小林さんとこの一番上の息子さんもとても心痛されているらしく、結局自分の過失でなったのだからとひどく悲しまれているので、ご主人もあまり私達が嘆くとあれがまた可哀想で。と、奥さんとそんな事をおっしゃっていました。奥さんもとても悲しんでいるのに、私が行ったら貴方の事聞かれるので、一月の末頃には帰ってくるらしいと言ったら、そら本当に良かったですね、と言って下さいました。こんな事書いていたら、公民館の放送で、大井の海の沖で誰か男の人が溺れて死んで身元が分からないと言っています。ごめんなさい。暗いニュースばかりで。

 では、ここいらで明るいニュースをお知らせします!

 今日、渡辺さんの奥さんと坊やと淳をつれて保健所に行きました。淳は発育状態がとてもよく、栄養も申し分なくすべて標準よりプラスで、体重が五・九キログラムで(+一・一)で、身長が五十八・五(+一・六)で胸囲は+四センチで、今のところ、肝油等もやる必要もなく、果汁くらいを与える様に言われました。みかんの汁は前にも二、三回しぼって、のませましたが、おいしそうに飲みました。今、夜の十時です。さっきもとても機嫌がよくて、私と母の顔を見て、嬉しそうにオッコーンオッコーンって笑って語るのです。本当に可愛くて貴方に見せたくてたまりません。貴方が胸囲の厚いのが言いと何時も言っていたので喜んでくださると思います。今日で一ヶ月と二十一日で、胸囲は四センチ強多いのです。本当に嬉しく、このまますくすくと育ってくれたらいいがと思っています。豊と二人、大切に育てましょうね。渡辺さんとこの坊やの二ヶ月の時より何もかも大きいです。正祐ちゃんは今日も体重が一〇・一とかで奥さん悲観していました。この頃、お乳が張らなくてそれに、またどうも身体の調子が変で、次の子ができているらしいそうで、奥さんどうしようかと言っていました。それで、坊やちゃんがしけていると思っていました。それに渡辺さんのお母さんとも面白くなく奥さんもナヤンでいました。

 淳が泣き出したので、もう止めましょうね。今日は、沢山書きましたけどとにかくすぐお返事ください。あまり、心配しないでお身体を大事にしてください。では淳がおこって泣いているので、これでごめんなさい。今から、貴方の事思いながらやすみます。

 祐策様           

                 ふみ子


(四七)十二月十二日 祐策の手紙

 今日は快晴、気持ちも軽い。というのは・・・

 昨日、母が来て医者に聞くはずであったが、あいにく先生達の忘年会で(アー、モウ忘年会の時期か)不在で、くさっていたのだが、今日はからずも先生とひざを突き合わして話す機会が出来たので思い切って単刀直入に聞いてみたら、「心配はいらん。一月中には退院だ」と言ってくれた。実は病理研究室からの報告書は十一月二十二日付つまり、僕が西の隔離病棟から現在の大部屋に移った時の日付で比較的治癒が容易だから移されたのだそうだ。病状をよく説明してくれたのだが、軟口蓋が麻痺してひきつっていたのだがよくなってしまった。とても快調でめずらしい位早く治っているとの事です。昨日も書いた様に、口が開かずに大変苦労していたのだが、日に日に容易に開くようになってきたので、快癒しつつある事は間違いない。そこで、ラジウムで治る見込みが立ったので、現在のように七日ラジウムを入れたら三日休むという具合にして治療しているとの事。見込みがなければすぐ手術せねばあぶないし、またこのように数日の間隔をおいて入れる方法はラジウムの徹底的使用を可能にする唯一の方法だとの事です。つまりラジウム治療は放射能を利用するのだから、多量に連続すると白血病になる恐れがあるが、今のように間隔をおけば僕ぐらいの症状なら充分治療できるとの事だそうです。

 いつも僕が臆病で神経質なためにふみ子にいらぬ心配をかけてしまう。しかし僕の手紙はいつもいつわりなしにその時の症状や気持ちを赤裸々に報告している事は認めてくれるものと思う。「一月が二月になっても完全に治してください」と言うと「奥さんや子供さんのために一緒に全力を尽くそう」と力強く言ってくれた。

 僕は周囲の人の愛情をいつもひしひしと感じている。幸福であるし、また自信が持てる。富美子も毎日心配している事と思うが新春と共にまた、我が家にも幸福が訪れる事を信じ、希望を以ってその日を待とう。

 昨日、豊が母についてきたが、送ってくれた上っ張りを着てとても可愛かった。絵本を持って大きな声で「お父ちゃん!」と呼んで入ってきた。今度は金曜日から月曜日までラジウムをはずすので天気がよかったら南公園の動物園に連れて行こうと思います。

 ふみ子へ           

                 祐策



(四八)十二月十四日 祐策の手紙

 十一日付の手紙を受取った。有難う。しっかりした考えを持っているのを知って僕も安心した。幸福に思います。何も気にすることなく治療が出来ます。きっといい結果が期待できると思っています。今では自覚症状は全然無く、とても元気で治療を受けている。

 昨日からまた、ラジウムをはずしたので早速家へ行った。今日もまた今から行くつもり。

 昨夜は豊と一緒に男の兄弟全部で風呂に行った。大きな男が四人でまるでボールでも廻すように、豊を取り合って、豊も大喜びだった。まるで総大将気取りで、「今度はトシ兄ちゃん、抱きんしゃい」なんて鷹揚なもんだ。

 夜、おそく病院へ帰るとベッドのうえにスシ折がおいてあった。古賀の叔母さんがみえたそうです。今日、叔父さんが退院だそうで、ちょっと羨ましい。正月にはまたどこか温泉に行くんだそうです。

 小林さんとこの坊ちゃんが急逝されたとの事、本当にお気の毒な事だった。僕からのお慰めの言葉を伝えてください。田舎町の悪習を再度見せつけられて気がくさるだろうが、批判は内面で、今はよく小林のおばさんを励ましてあげなさい。

 富美子の意見を尊重して(僕もそれがいいと思うので)、僕が矢野へ帰るのは取りやめる。みやちゃんかみっちゃんに頼んで留守をみてもらえるのならば、富美子が二十日頃、こっちに来て利男と豊と一緒に二十四、五日頃帰れば、近所の夜回りも利男にさせればよいかも知れぬが、この点は今日今から帰って相談してみよう。それにしても今度は僕のボーナスをもらえないのではないかと思うのだが、六十日以上休むと資格が無いのじゃないかしら。よく知らないのだが。

 もし、非常に無理な様なら一月末まで会うのガマンしよう。富美子は近頃、身体の調子はどう?今、ふみ子が病気すると大変だから充分気をつけて下さい。それから・・・スマン・・・千円ほど・・・モシアッタラ・・・ネガイマス

 ふみちゃんへ           

                 祐策


(四九)十二月十五日 富美子の手紙

 貴方から三日続けて、お手紙が来てとても嬉しかった。本当に一月中には退院できそうで、こんな嬉しい事はありません。今日は土曜日。今日は豊と遊んでくださって豊喜んだでしょう?夜は病院に帰るの?貴方もますます調子が良い様子で本当によかったですね。大事にして一日も早く治ってください。お帰りになる日を指折り数えて、待っています。豊がクリスマスの頃、帰って来るそうで、今から待っています。貴方も淋しくなるでしょうが、がまんして下さいね。来月中に貴方が退院できるのでしたら。私ももう、そちらに行かなくてもいいでしょう。貴方にはとても逢いたいけど豊が帰ってくればがまんします。お正月に貴方が帰っていらっしゃればとても嬉しいけどどうなさる?二十一日頃やはりボーナス出るそうですよ。すぐお金送りましょうね。メガネいいのをすぐ買ってくださいね。お風呂にも入られたそうで良かったですね。久し振りで気持ちよかったでしょう。体重どれくらい増えたかお知らせ下さい。私、少しやせました。もう少しやせれば丁度いいのですが、お乳はたくさんあふれる様にでます。淳はますます大きくなるばかり。本当に貴方に見せるのが唯一の楽しみです。母も淳が大きくて可愛いので、早く貴方に見せたいと口ぐせの様に申します。今も可愛い顔してすやすや眠っています。この頃は、私の顔もよく覚えて笑うので本当に可愛くてたまりません。

 早く親子四人揃ったらどんなに楽しいでしょう。でも、それも遠い日ではなくなった事を思うととても嬉しい。でも、もどかしいような気がします。今、もう十時です。貴方がいないとやっぱり淋しい。大分慣れたけど。もう練炭も消えてとても寒い三畳で書いています。ラジオはニュースです。母も眠っています。とても寒いので、もう冬には来んと言っています。貴方が帰ったらすぐ帰るけど、豊や淳と別れがつらいといっています。淳は特別可愛いらしく、先日、保健所に連れて行ってからは、ほんに健康優良児広島県一荒巻淳になるばいと喜んでいます。ほっぺたなど、はじき返すようなかたぶとりで血色もとてもいいです。豊といい話し相手になる事でしょう。本当に二人の子の母なんて何だかうそみたい。淳の笑顔みていると、お父ちゃまがいないのでよけい可愛くなって、思わず頬ずりしてしまいます。乳くさくて本当にくしゃくしゃにしてしまいたいくらいです。早く、帰って淳を抱っこしてやって下さい。でも、お正月がくれば貴方のお帰りも早いですね。今日はもう師走の十五日です。お母様も色々とお忙しい事と思います。貴方が元気になったのも本当にお母様のおかげです。優しくしてあげてくださいね。お母様の方へ送金しなくていいでしょうか。ボーナスいくらあるかしら。頂いたらすぐ知らせます。

 古賀の叔父は退院したかしら。豊は利男さんが連れてきて下さるそうですね。今度はゆっくりして頂いて、良くして上げなくてはと思っています。よろしく、お伝え下さいね。豊が帰るときは広島駅まで迎えに行くつもりです。貴方が帰るときはもちろん飛んでいきます!早く帰ってください。では今夜はこれで失礼します。ごきげんよう。

  おやすみなさいダンナ様  ふみより


(五〇)十二月十六日 祐策の手紙

 今日は日曜日なので朝から家に来た。今午後一時半。家出手紙を書いている。明日からまたラジウムを挿入する。

 この前書いた様に富美子が来たらよいかどうか、相談してみたのだが、年末で車中もこむだろうし、留守がぶっそうでもあり、また、おばあちゃんだけ残すのは心残りなのだが、もしこれらの点が解決されるなら、来た方が良いだろうとの結論に達したのだが。つまり、富美子がヨイと思ったら来てもらいたいという事だが。しかし、利男がどうしても二十六日以後でないと行けないので困りはしないだろうか。二十五日の給料日にはどうしても家にいなければならぬし、給料日以降、こちらに来るとすれば車中が特に困難だろうし、また夜回りの事もあって無理じゃないかしら。現在僕も元気なのだから、年内はそんなに無理して来ないで、また必要ならば年が明けてでも来るようにした方が利巧の様に思います。つまり僕としては、来てもらいたいのは山々だが、そうゆう色々の心配があるので、延ばした方が良い様に思う。母もこの点が心配らしく、何とも言えない様なふうでした。もし、来なければ利男が二十六日に豊を連れて行きます。豊が帰ったらまたそちらは忙しくなろうし、この際ゆっくり休養した方がいいのじゃないかな。

 つまり僕の方は以上のような風に考えているのだが、富美子はどう思う。富美子の思うようにしてください。

 年末になってストなどあって手紙がおそくなると連絡しにくいので、この返事は速達で下さい。

 ふみさんへ           

                 祐策



(五一)十二月十八日 富美子の手紙

 十六日付のお手紙今日(十八日)頂きました。豊は大きくなった様ですね。早速ですが、やっぱり私はそちらへ行かない事にします。

 貴方もとても元気になられたし、年末は色々用事もありますのでお互い、がまんしましょう。一月の末頃には逢えるのですから。ただ、私は良く太った淳を見ていただきたくて帰ろうと思ったのですが、今度はがまんして来年の暮れには親子揃って帰る事にしましょう。豊も二十六日につれて来て頂けるそうで、今から待っています。母が豊の写真みて豊ちゃん、早よ、帰っておいでと写真にほおずりしていました。

 師走ももう半ば過ぎて、何となく気忙しくなって来ました。わたしは相変わらず、のんきに朝寝坊していますが、母が何でもしてくれるので本当に助かります。耳も前より大分聞こえるようになって喜んでいます。今、四時過ぎです。淳をつれてお風呂に行かなくてはなりません。貴方が帰っていらっしゃったら一人ずつ入れてやりましょうね。豊の顔が早く見たくてたまりません。給料は休職になると一日遅れるそうです。ボーナスも二十一日頃、出るようです。貴方もお金すぐ要るのでしょうがちょっと待ってください。銀行に行けば少し貯金もあるのですが、ボーナスももうすぐですから二、三日待ってください。いくらあるのでしょうね。あまりあてにはしていませんが。とにかくもらったら、すぐ送ります。お正月のおこづかいもふくめて。メガネもいいのを買って下さい。それから輝代ちゃんや朝行ちゃんにも貴方からお年玉を上げなくてはいけません。

 お正月はどうやって過ごしますか。私はどこへも行かずに家でのんびり過ごします。淳が泣き出したので、これで止めます。お手紙毎日待っています。

 祐策様           

                 ふみ子


(五二)十二月十九日 富美子の手紙

 今日は十九日。あと一週間すれば豊が帰ってくると思うと嬉しくてたまりません。今日は久し振りで渡辺さんとこへ遊びに行きました。ボーナスは明日(二十日)だそうで、貴方も六〇%はあるんだそうです。渡辺さんがおっしゃっていたそうです。貴方が一月末に帰られるようだと言ったら奥さんも大変喜んでくださいました。帰っていらっしゃったら全快祝いにすき焼きパーティーでもしましょうね。渡辺さんたちに来ていただいて。本当にその日が待遠しいです。九大会も貴方がいないし河野さんていう方も欠席で、忘年会も余り面白くなかったそうです。

 今、ラジオでバラ色の人生をやっています。来年こそは私たちの最良の年にしましょうね。分かってくださる?貴方がいないととても淋しい。でも来月には帰っていらっしゃると思うとその時の事ばかり考えています。楽しかった事を思い出しています。今、ホワイトクリスマスやっています。私の大好きな歌です。貴方のきれいなバスで聞きたいわ。また一緒に歌いましょうね。本当に何時だって貴方の事ばかり想っています。早くお正月が来るのを子供のように待っています。お正月がくれば貴方の帰るのも早くなりますから、とにかく日にちがたつのが楽しみです。カレンダーばかり見ています。

 貴方、淳の事忘れていらっしゃるんじゃない?私少しオコッているんです!だって、淳が標準以上だって喜んでお知らせしたのに何にも手紙に書いてないのですもの。帰っていらしても抱っこさせて上げません。

 もう、私の顔を完全におぼえています。明日で丁度二ヶ月です。とても可愛いのよ。でも貴方は生まれて三日目に見ただけだから実感がわかないのも無理ありません。笑い顔して赤ちゃん言葉でしきりに話す時など本当に可愛いです。お風呂に連れて行くと目が二重で大きくちょっと豊とちがうけど、外のところはとてもよく似て可愛いと人が言います。私は貴方にとても似ていると思います。まつげもとても長くて、とにかく豊も淳も本当にいい子です。今、可愛い顔して眠っています。子供の事、書いているときりがありません。

 貴方が鼻にラジウムの棒を差している時は不自由でしょうね。でも、早くよく治る様にがまんして下さい。お家に帰る時は乗り物など気をつけて大事の上にも大事にしてください。貴方も私も二人の坊やの親なのですから、お互いに気をつけましょうね。豊にはクリスマスのプレゼント買ってあります。木で作ったトラックで、帰ってきたらみかんやお菓子を積んで喜ばしてやろうと今から待っています。淳もガラガラをじっと見つめる様になりました。では、これでまたお便りいたします。悪い感冒が流行っていますから、気をつけて下さい。さようなら。

 祐策様           

                 ふみ子


(五三)十二月二十日 祐策の手紙

 僕は相変わらず順調に快方に向かっている様だ。医者の話ではもう鼻孔からは全然ハレはわからないと言っていた。しかし、自分ではやはり右の顎関節に少し痛みが残っている。

 富美子も大体知っているだろうが、癌という病気は生命をおびやかす、たちの悪いもので乳癌などになると有無を言わさず切り取ってしまう怖ろしいものだが、本当に幸せにも手術せずに治って来たことは奇蹟的なことです。しかし、もし再発すると直ちに手術をしなければならない。慎重に恐れず侮らず警戒しなければならず、大変神経を使うだろうが、僕の身体は大事な身体、子供達が大きくなるまで歯を食いしばって病気と闘うつもりです。富美子も本当にご苦労だが協力してください。

 今日は淳が生まれて丁度二ヶ月、富美子の手紙の模様ではとても大きく元気で可愛いとの事、早く帰って抱っこしてみたい。僕が帰る頃はもはや二ヶ月になるのでさぞ成長している事だろう。今年もあと十日、富美子も元気で年越しをするように。

 今日、母が豊を連れて来た。豊も二十六日にそちらへ帰すとどんなに淋しくなるだろうか、考えただけでも気が滅入りそうだ。豊に「お母ちゃんのところへ帰る?」と聞いたら「帰らん。利兄ちゃんにお母ちゃんと淳ちゃんを連れに行かせなさい」なんて言っている。そして大きな声で「お母ちゃんに淳ちゃん。来ォい!」と呼んでいた。本当にませた子で何もかもわかっていてこっちがびっくりする様だ。「お父ちゃん、まだヨウナラント?」と聞かれるのがつらい。

 封筒に書いているように、また部屋を変わった。年末になってほとんど退院してしまうので奇麗な部屋に移してもらった。三人部屋で、高校生と経済学部一年生と僕の三人。英語会話を教えてくれとせがまれて、夜教えたり、歌ったりしている。

 母がこの前、輝代に着物など送ってくれたお礼の手紙を出そうと思ったが、書く時間が無くてまだ書いていないそうな。よろしく言ってくれとの事。

 母と言えば、この寒いのにご苦労にも二十一日間、地蔵様にお百度を踏んだそうな。今日が満願とかで、御籤を引いたら“病、早く治る”と出たとのこと、ニコニコしていた。やはり有難いと思った。

 ふみさんへ           

                 祐策


(五四)十二月二三日 祐策の手紙

 十八日付の手紙を今日、受取りました。全逓のストで手紙が四、五日遅れるようです。この手紙を明日(二十四日)、投函するとおそらく豊がそちらに着いて後に着くだろう。ちょうど。二ヶ月こちらに居たから成長ぶりにおどろくかも知れないね。たしかに抱えて大きくなったと思うんだが。豊がそちらに帰ったら池や川に落ちない様に自動車や汽車によく注意して下さい。

 僕はまた明日から、二、三日ラジウムを抜くから明日か明後日に伊崎浦に豊をお別れに連れて行こうと思っています。二十六日は、僕は博多駅までは送りに行くまい。よけいさびしいし、豊も僕に未練が残りそうだから。ツライデス。

 二十七日から三十一日までまたラジウムを入れて三十一日から正月五日まで家に居るからそのつもりで。

 病院で年を越すのは僕のほかに沢山は居ない。同室の人も年内に退院するようだ。

 明日はクリスマスイブ。ラジオがその関係の音楽ばかり鳴らしているが、ベッドの中ではつまらない。そちらはどうゆう風に過ごすの?

 今日は、主任の黒田さんから葉書で見舞いが来た。会計の忘年会が二十五日だそうだ。なかなかやさしい人だ。病気すると皆さんいい人ばかりだということに気がついた。身体の調子は大変よろしい。富美子も、年末年始よく身体に気をつけなさい。

 ふみさん           

                 祐策

 


(五五)十二月二六日 富美子の手紙

 お手紙が遅くなって、ごめんなさい。いろいろと気忙しく、四、五日前、歯を抜いたところがものすごく痛んで、今も御飯もロクに食べられず、困っています。昨日、久し振りに貴方からのお手紙頂きましたが、明日は豊が帰ってくると思うと嬉しくてたまりません。

 早くお金も送りたかったのですが、ストで手紙は遅れるし、銀行の女事務員の人からは、貯金してくれと頼まれるし、ボーナスもおかげで三万三千百三十円ありましたので、三万円はそっくり普通預金へ入れておきました。

 今日は豊が明日帰るとまた忙しくなるので久し振りに広島へ買物に出ました。淳も大きくなって、肌着はみんな小さくなってしまって、シャツやオムツカバーなどどうしても要るし、みやちゃんやみっちゃんにも百円のビニールの洗面道具入れを買ってプレゼントしました。三日頃修学旅行があるそうで、とても喜んでいました。両方のオバさんからよくカキなどもらうので、やはりしなくてはなりません。二人ともカキ打ちに行っています。

 夕方、帰って来ましたら、私が帰るちょっと前に中沢様が給料と持って来て下さったそうで、豊へお菓子とカレンダー二枚持って来てくださいました。貴方の事、聞かれたので母が一月の末頃には退院できる様だと言ったらとても喜んでくださったそうで、母も何時もお世話になりますと、よくお礼を言ったそうですが、本当にわざわざお気の毒でした。それから給料は全部で四万四千百十円でそのうち所得税が二万三千百十一円返ってきているので、思ったよりずっと多くて、嬉しくて嬉しくて貴方もどんなに喜んでくださるかと思います。母は、祐策さんが真面目なおかげだと言って、有難く思わなければ罰があたると言っています。

 昨日、姉から母へ千円こづかいが送って来たので、母は「私は一銭も要らんから箱崎のお母様へなるべく沢山送ってあげなければいけない」と言っています。本当に豊や貴方がとてもお世話になって、お金もずい分要った事と思います。私も少しでも多くと思うのですが、今も計算してみると今月中に家賃や保険、月掛、ガス代、その他、池田様へお歳暮等、約一万円近く要る事になります。貴方もまだ病院に居る事ですし、一銭でも多く貯金しておく方が、心強く、柱時計も欲しいけど貴方が帰るまでがまんします。それで、とりあえず貴方は五千円送りますが、貴方もメガネいいのを買って下さい。ズボンも買ったらどうでしょうか。あの上着に合ったのを。シャツ等もいるでしょう。そちらでいいのを買って下さい。ズボン買うのでしたら、お金はすぐ追加します。お母様へ三千円ほど・・・と思っているのですが、貴方のお考えはどうでしょうか。貴方のおっしゃる通りにしたいと思いますので、すぐご返事ください。利男さんにも今度は千円ほどおこづかいをあげるつもりです。欲しいものはたくさんあるけど、あなたが帰るまではなるだけ残しておきたいと思います。帰っていらっしゃったら、お返しも大変でしょうし。池田様へは、二、三日のうちに行きたいと思っていますが、五、六百円のものを持っていくつもりです。明日は豊を迎えに行くつもりです。では大分、夜も更けましたので、今日はこれでおやすみなさい。

 お返事至急下さい。待っています。取急ぎ乱筆でごめんなさい。           

                 ふみ子



(五六)十二月二七日 祐策の手紙

 今日(二十七日)五千円受取りました。大いに有難かった。眼鏡をすぐ買いたいのだが、あいにく今日から三十一日までラジウムを入れるので年内は駄目のようだ。ズボンを買う必要な無いと思います。病院にいるのではあるし、今のが、はけないわけではないので。

 ボーナスをもらえて、予定より収入が多かったのでうれしいが、僕が現在働いていない事ではあるし、少々ケチンボになっておきましょう。

 豊が帰ってうれしいだろう。僕の方はなんだか心にポッカリ大穴があいた様にさびしい。淳も本当に大きくなった由。子供の可愛いのは、人後に落ちないつもりだから帰ったら抱っこさせてください。

 二十五日、豊を連れて伊崎浦に行った。家に入ったとたんにワーンと泣き出してどうなる事かと思っていたら叔母さんのあやし方の旨さですぐ泣きやんだ。泣きやんだと思ったら今度はそこらにある食べ物をかたっぱしから横領するのには驚いた。剛ちゃんも一緒に来たので、特級酒をご馳走になった。ニギリを二人前、たいらげたからアツカマしい奴だと思われたかもしれない。

 それから(思い出したままに書くんだが)、家のほうに金を送る必要は無い。母が返って心配する。無理して送ってきたと思うに違いない。僕が良くなってから、いくばくか母に小遣いでも送ったほうが喜ぶと思う。

 二十六日、豊のいない家に帰ったら、みんな気が抜けたようにして豊の話ばかりしていた。おそらく、おかあちゃんに会ったらハズかしがっているのじゃないかな。二ヶ月も会わなかったんだから。ケセラセラと歌わしてごらん。傑作だから。

 利男が行ったついでに何やらかやら仕事をしてもらったらよろしい。夜警に間に合ったかな。お正月はおばあちゃんに上等のお酒をふるまって下さい。これは、僕の命令です。利男には何か好きなものを。彼にはピーナツがうってつけかもしれぬ。みんなで写真に写して送ってください。

 富美子へ           

                 祐策


 二十八日午後十時頃、抜歯予定。健康保険証がまた要るそうだから、なるだけ早急に送ってください。用がすんだらすぐ返送するから。



(五七)一月一日 富美子(年賀葉書)

 新年、御目出度う存じます。


(五八)一月一日 祐策の手紙

 富美子へ

 あけまして御目出度う。今年こそは本当に楽しい年にしたいね。豊かはお餅を食べたかな。淳は大きな目をかがやかしているだろうなァ。富美子はゼイ肉の事は心配しなくてもよいから食べられるだけ、食べなさい。健康が一番。僕も遠慮なしに食べる事にする。四、五日前のラジオで博多のお雑煮が日本一だと言っていたが、我が家のは、また格別。

 去年は元日に豊を連れてあの矢野のお宮に参ったが、今年は筥崎八幡宮です。豊と淳と富美子の健康と幸福を祈る時だけは神様を信ずる事にしましょう・・・エヘヘ。僕の病気の回復は僕自身の信念の問題、きっと早く良くなって皆を安心させなくては。

 とにかく、力を合わせて今年の幸福を築こうね。

 富美子へ          

                 祐策


 輝代が人形を大喜びしています。


 お母さまへ

 明けまして御目出度う御座います。昨年中は、病気のためひどく心配ばかりかけましたが、今年は是非とも、早い中に回復して元気になって安心して戴かねばと張り切っております。幸い、経過も順調のようでございますので、きっと喜んでいただけるようになれると思っています。お母様にも、今年もまた元気でお過ごしになれる様、お祈り申し上げます。やはり、健康第一と言う事をしみじみ感じます。

 お母様へ           

                 祐策


(五九)一月六日 富美子の手紙

 明けまして御目出度うございます。貴方は今日まで、箱崎にいるのよね。今日はお正月ももう五日、早いものです。病院の方へ年賀状出しておきましたので、ちょっと感心でしょう。渡辺さんとこへも出しておきました。

 三日に利男さんを送って帰ってから、寒気がして寝込んでしまい、とうとう四日は一日中、頭が上がりませんでした。大変な熱で、母がいなかったら、本当に大変でした。豊がこちらへ帰って、貴方はどんなに淋しがっていらっしゃる事かと思います。しばらく見ぬ間に大きくなって、皆さんに可愛がっていただいたので、のびのびと明るく面白い子です。豊が帰ってからは家の中も活気づいて、私も元気づきました。お父ちゃんの事、毎日話しますよ。「お父ちゃん、アシタ帰ってくると?」と言うので何だか可哀想になってしまいました。とてもお父ちゃんの帰りを待っています。「ユタカちゃん。お父ちゃん帰ってきたら一緒にねんねするとよ。」と言って。淳ちゃんもよく可愛がって一日に何回も抱っこさせてくれと言って、一人で一生懸命あやしているのを見ると、おかしくなってしまいます。「淳ちゃん。オッコン言ってごらん。オニイちゃんが、箱崎連れて行こうか」もう、すっかりお兄ちゃん気分です。淳はまた、豊のあやすのを見てニコニコ笑っているのです。子供って本当に可愛いものですね。

 貴方が早くよくなって、帰ってきて下さるのを私も子供達も一日千秋の思い出待っています。今月の末に本当に退院できるといいですね。でも、利男さんの話でも貴方がとても元気な様子で安心しました。でも大切な時期ですから、大事にして用心して下さいね。明日からはまた、病院に戻られて大変と思いますが、がんばって下さい。そして、今年は私達の最良の年にしましょうね。淳の写真見ました?可愛いでしょう。実物はもっともっといいです。私の写真できたらすぐ送って下さい。貴方のもあったら送って下さい。利男さんから、こちらの様子を色々お聞きになった事と思います。豊が「トシニイちゃんがおらんと淋しい」と口ぐせのように言っています。貴方が帰られる時は、豊をつれてお迎えに行きましょうね。今から楽しみにしています。では、おやすみなさい。

 祐策様           

                 ふみ子


(六〇)一月六日 祐策の手紙

 ご無沙汰しました。年賀状、ありがとう。三十一日の午後から五日の朝まで家に居ました。三日に利男が帰って来たので、いろいろ聞いてやや安心しました。つらい事、淋しい事が多い事と思うが今しばらくがまんして下さい。

 豊が帰ったので何だか急に気が抜けたようだが、反対にそちらではてんてこ舞いの忙しさじゃないか。ソーラン節の“ハア、ドッコイショ”が聞えるようです。写真で見ると淳がトテツモなく大きい様でうれしい。正月の三が日はとても元気がよかったが、今から寒の入りで寒くなるかも知れぬからカゼひかない様にお願いします。豊は兄ちゃんぶっていますか。写真ではふみ子がとてもしとやかにしている様だが、あまり心配ばかりせず、明るい春の来るのを、希望を持って待ちましょう!

 二日から四日まで三日間、全身マッサージに行きました。ちょっとゼイタクな様ですが、長い間の病床での筋肉の硬直が取れてとても気持ちがいい。今月中の退院を目指して体力の回復に全力をつくしたい。富美子の送ってくれたお金で栄養剤を買って飲みます。眼鏡は、まだ買っていません。なんだか入院しているのにゼイナクな様で、それに眼科で正確に検眼してもらってからの方が良いように思うので、後にしようと思います。

 しかし、四日の日に利男と朝行、それに輝代と四人で毎日館に「ラドン」を見に行きました。海軍時代にしばらく居た事のある西海橋のたもとや岩田屋、新天町、スポーツセンター、中洲などが出て来て館内は大にぎわいでした。富美子はとても映画なんか思いもよらぬ様に忙しくなったのに。失礼。

 今日からまた、早速ラジウムを挿入しています。先生に聞いてみたら咽喉壁が焼けただれる位に焼いた方が再発を防ぐにいいそうで、大体、今月末か来月の十日頃までの間だろうと言っています。いつも報告するたびにすこしずつ延びる様ですみませんが、やはり大事な事で生命にかかわる事ですから。つまり今の十日が後の数カ月、あるいは数年にかけ合う大事な時期だから、ここはやはり医者にまかせて辛抱するのが賢明と思います。いずれにしても峠を越えての下り坂だから目的地はすぐ近くと思います。

 現在までに三千ミリレントゲンだけラジウムを入れています。あと二千ミリから三千ミリかかるでしょう。少し遅れるくらいがまんしてくれるでしょう?

 お母様はお元気にしておられますか。お耳の治療が出来るといいんだが。大切にしてあげて下さい。

 ふみ子へ           

                 祐策


(六一)一月九日 祐策の手紙

 お手紙ありがとう。熱を出したとのことだが、もうよくなった?身体には充分に気をつけて下さい。子供達は元気な様でなにより。豊が淳をおんぶしている写真を見てほほえましくなった。早く帰りたい衝動にかられる。利男がそちらで写してきた写真とこちらで撮ったものをごっちゃにして送ります。昨日から何度も何度も繰り返して穴のあくようにみていたのだが、ふみ子も早くみたいだろうと思ってここに同封します。ふみ子もなかなかしとやかできれいになっている。手がふっくらとして結婚前のようだが(ウフフ)、あまり仕事をせずお母さんにばかりさせているんじゃないかな。(そうじゃなかったら、ごめん)

 僕の方は相変わらずだが、正月以来家で御馳走ばかり食べたせいか、病院の薬品くさいじめじめした御飯がいやでかなわない。チリメンジャコを買ってもらってお茶で流し込んでいる始末です。口は完全に開くようになった。リンゴをパクついていた時の様に、指が四本完全に入る様になった。右顎関節痛はまだ残っているが、大分軽くなった。今、僕のいる部屋は三人部屋だが、入室/者は僕一人至極ノンビリとベッドに背伸びしています。早く良くなって帰りたいと思いますが、そう長くはかからないと思っています。

 ふみ子は僕から豊をとりあげたのだから、せいぜい手紙を書くことに努力して下さい。淳や豊の事をどんな小さい事でもいいから細かく書いて下さい。

 今日、会社の病院の外科の斉藤先生(ふみ子に遅くなってすみませんと言っていた人)から、年賀の返事が来た。回復が順調な事を喜んでもらった。

 それから三日の日だったか高野君から電話があってあとで来るからとの事だったので、ゴチソーの用意をして待っていたのだが、何かほかに用事が出来たのか、とうとう来なかった。ちょうど僕の近所にマッサージに行っていたので紀代子が電話に出たのだが残念だった。

 送ってもらったお金で眼鏡を買うつもりだったが、その機会にめぐまれない。しかし、色々お金のいる事が多く、今まで母にせびっていたのだが、そう再々も言われないし、僕の勝手に使わせて下さい。マッサージをするととても調子がよく、その時、ハリもしてくれるので痛みもやわらぐ様だし、食欲をつけ栄養もとりたいので、わがまま差して下さい。そして、退院の折は元気で富美子にあいたいから。しかし、写真で見るように元気になっているから、僕の回復ぶりは大体分かると思います。

 ふみ子へ           

                 祐策


(六二)一月十日 富美子の手紙

 昨日六日付のお手紙いただきました。毎日々々、日に何回も玄関をのぞいてみるので豊までお父ちゃまのお手紙待っています。今夜はお風呂へ坊や達を入れたので、二人とも天使のような顔してスヤスヤ眠っています。母も先ほどまで、起きて貴方の事など話していましたが、やすみました。孫たちの世話でけっこう忙しそうです。貴方も来月までかかるそうで…今月の末には帰っていらっしゃると思っていたのですが。本当のところ少しがっかりしましたが、貴方がおっしゃる様にすべて先生方におまかせして再発しない様に、この際、しっかりと治療して下さい。そして、完全によくなって帰って来て下さい。待っています。

 豊が日に二、三度「お父ちゃんのとこへ行こう」と私をせめますのでつらいです。でも、もう少しの辛抱ですからお互いに耐えていきましょうね。貴方も私達がいるばかりにいらない心配もしなくてはならず、本当にすみません。でも、私も子供達も元気ですから、こちらの事は心配しないで、もっぱら治療に専念して下さい。一日も早く元気になられる様、祈っています。私だって、時にはたまらなく淋しくてやり切れなくなる時があるけど、がまんします。今度はおとなしい、貴方がビックリする様ないい奥さんになるつもり。本当です。

 子供も二人になるととても忙しく、母がいなかったら本当に大変です。二人、お風呂に入れると私の方がのぼせて、目が回るようです。でも、家は帰るとおふとんもユタンポもちゃんとしてあり、御飯も炊いてあって本当に助かります。豊は本が好きで今日も絵本を買わされました。毎日、私や母に読んでくれとせがみます。淳はますます大きく、お乳の飲み方もはげしく、足りなくなりはしないかとビクビクしています。重くて重くて、おばあちゃんなど抱っこして立ち上がる時など、フウフウ言っています。とてもおとなしくて、今からだと夜中と朝六時頃、目を覚まします。まつげが長くて、貴方にそっくりです。豊は可愛がって、何べんもほおずりしていますが、顔など淳の方が大きいくらいです。

 私の写真、ボサーッとしていたでしょう。すぐ送って下さいね。先日、年賀状を女学校の時の友達へ、うろおぼえの住所で出したところ、無事着いて、すぐ返事が来てとてもなつかしかったです。まだ結婚もしてないらしく、私にご結婚御目出度うなんて、少々クスグッタイ気持ち。二人も子供がいるのに。明日にでも、手紙かくつもりです。

 貴方にも倉橋さんから来ていましたよ。とにかく早くよくなって親子四人仲良く暮らしましょうね。二月の中旬には帰れますね。日にちがたつのがもどかしくてなりません。貴方も豊がいなくて淋しいでしょうけどがまんして下さい。そして、なるべくお便り下さい。今の一番のたのしみは貴方のお手紙が来たときです。豊だって母だってとても喜びます。私はお手紙が来るたび、胸がドキドキします。本当です。私もなるべく出しましょうね。でももう十時過ぎましたので、今夜はこれくらいで失礼します。おふとんの中で文春などよんで寝る事にします。では、祐さまおやすみなさい。明日も元気で。

 祐策様           

                 ふみ子

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(六三)一月十三日 祐策の手紙

 今日の通信はちょっと書き方が難しい。要点を個条書きにしてそれから説明を加えよう。

 ①一月十六日、右頚部淋巴腺摘出手術をする。

 ②退院は一月末に間違いなさそうだ。

 ③今度退院して、四~六カ月経つともう一度約一カ月半、入院しなければならない。

 

 昨日(十二日)に診察の結果、腫瘍は完全には良くなっていないが、ラジウム放射線が許容限度に達したので、一応、退院してしばらく復職後、さらに四カ月乃至六カ月経過して、もう一度三千ミリくらいのラジウム照射を行わなければならないそうだ。しかも、これを約二カ年にわたって繰り返さねば完全ではないそうだ。僕としてはこれくらいの事は耐え忍ぶべきだと思う。会社の病院にラジウムがあれば便利なんだが、おそらくないのではないかと思う。一度、渡辺さんにでも聞いてもらっておいて下さい。もうひとつ、出勤したり休んだりするのを会社が認めてくれるかどうか、ちょっと心配だが、よく頼んでみる事にする。(もう出世する事など考えず、家庭を築き、幸福で健康に生活する事に目標をおこうと思っています。)おそらく、会社でも認めてくれると思うのですが。

 医者の話では、もう明日にでも退院しないかと言われたのだが、「未だ淋巴腺が大分腫れている様ですが、大丈夫ですか?」と問うとしばらく考えてから、「癌も肉腫と同じようにリンパ腺を通じて身体の外の部分に移動していくことが多いから(その事を癌の転移という)念の為、除去してしまうと心配がなくなる。そんなら十六日に取ってしまおうか!」と言う事になって、そう決まった。相当、大きな傷が右の首に残るがカンニンして下さい。みっともないけれど。しかし、大変な鼻声になるよりも良いでしょう。

 ふみ子に心配ばかりかけるのがつらい。僕と結婚していなければこんなつまらぬ心配する必要はないのに。カワイソウだ。しかし、医者も思わずニッコリする様に僕の腫瘍は奇蹟的に好転したのです。

 ふみ子には知らせなかったけれども、最初の頃は医者は生命そのものを問題にしていた事は僕には知らせないが、よく分かっていた。幸か不幸か入院日誌やカルテに書き込まれたドイツ語が僕にはかなり分かったので自分の病状は手に取る様に分かっていた。現に、耳鼻科に入院して二カ月の中に十数人の癌の患者が死亡して行くのをこの目で見た。ただ一人病室に居る時、隣の部屋で患者が絶命の叫びをあげたのを聞くときは、あまり心持のよいものではない。禅坊主のような無我三昧の境地になければとても我慢できたものではない。大分、精神修養になりました。それにしても何と癌患者の多い事よ。普通に暮していれば、耳鼻科なんて中耳炎かチクノーばかりと思っていたのだが。病気についての認識を今更ながら、させられた。色々な事を書き過ぎたようだが、リンパ腺手術は十日もあればよいと言うから、少し延びたとしても一月末にはキレイな富美子さんとカワイイ豊や淳ちゃんとやさしいお母様と会える事になると思えば、自然にハナ唄も出ようと言うものだ。

“みんなをこの手で早くしっかりと抱きしめたい”

 ひとつ、ひさしく別れていた恋人たちが、廣島の駅頭で感激の再会をする場面の脚本と演出をよく練っておいて下さい。ヒシと抱き合ってキスしようか?

 ふみさんへ           

                 祐策


 しばらく手紙を書けないかもしれぬが悪しからず。


(六四)一月十三日 富美子の手紙

 祐策様

 今日は、日曜日でしたが、貴方は箱崎のお家へ帰られた事とおもいます。この頃、お手紙が余り来ないので心配です。今日も一日待っていましたが、とうとう来なくてガッカリ。こんなに待っている気持ち、貴方にはわからないでしょうね。二、三日遅れても、もしかして悪化しているのではないのかといらいら心配で。このところ、毎晩の様に貴方の夢ばかり見ています。先日から、お乳の出るのも悪くなって困っています。二十日すぎに保健所に行きますのでいろいろ相談してみるつもりです。今日も夕方、お乳を飲ませたのですが足りなくて、泣くので粉ミルクを五勺ほど作って飲ませましたら、きれいに飲んでスヤスヤ眠ってしまいました。今度は、なるべく母乳だけで育てたいので、いろいろ考えているとノイローゼになりそうです。ごめんなさい。こんな事書くと貴方が心配するのに。でも、何といっても今の私には貴方の事が一番心配で、本当にいつもいつも貴方の事、考えない時はありません。経過がいいと言ってもやはり、元気になって帰って来て下さるまではとても不安です。ハガキに一行でもいいから、三日に一度くらいはお便り下さい。一昨日でしたか、お母様からお手紙頂いて、貴方の元気な様子も分かってホッとしたのですが。お母様にばかり甘えているのでしょう?

 豊はお父ちゃんのところへ行こうと毎日言わない日はなく、私は本当に可哀想になって泣きたくなります。「お利口にしていたら、すぐ帰るから、お母ちゃんとバスに乗ってお迎えに行こうね」と言って聞かせています。私が毎日、貴方のお手紙を待っているので、豊も何べんも、玄関に見に行って「ユウビン来とらんよ」と言います。豊は本当にお父ちゃん子でお父ちゃんの事、言わない日はありません。貴方がかえっていらっしゃったらどんなに喜ぶでしょう。私も毎日、カレンダーばかりにらんでいます。早く良くなって、私達の家へ帰って来て下さい!

 今、起きているのは私一人。火の気もだんだん無くなって、とても寒いです。豊も淳もとてもあどけない顔して眠っています。明後日は成人の日で、また休日ですね。貴方は弟さんや妹さんがたくさんいて、なぐさめてくれるから、うらやましいわ。私はこの頃、特に淋しがり屋になってしまっていけません。何でもあまり深く考えすぎてしまって。夢見ていつもうなされます。利男さんが帰ってから、風邪で寝込んで以来、どうもジメジメしていけません。貴方からお手紙でも来れば元気も出ると思います。明日はきっと来るでしょうね。貴方に逢えば、きっといらない心配も吹っ飛ぶのでしょうが。長く逢わずにいれば、やっぱり心配です。豊の顔見ていると、本当に一日も早くよくなって帰って来て欲しいと切実に思います。今夜のお手紙いささか、しめっぽくなりましたが、許して下さいね。貴方の写真があったらすぐ送って下さい。ではまた。

 祐策様           

                 ふみ子


 一月十四日

 昨夜は少々、しめっぽい手紙を書いてしまってごめんなさい。今朝、未だ私が寝ている時に貴方からの手紙と姉から小包が届きました。貴方からのは、写真が沢山入っていたので、重かったのでしょう。二十円とられました。でも、とても嬉しくていっぺんに、ほがらかになって起きました。九日に書いて下さったのにずい分、遅く着いたのですね。

 姉からは貴方からハガキを頂いたと言って、とても喜んで、淳へネル布地や、姉が編んでくれたソックス二足(豊と淳)と、豊へお菓子を送ってくれました。貴方の方へもチョコレートを送ったそうです。貴方もとても元気そうで、剛介さんにすりきれズボンをはかせて、自分はいいズボンはいてすまして写っているので思わず吹き出しました。私も朝から何度も穴があく様に眺めています。私の写真、姉にも送りたいと思いますので、出来たらそちらでやき増してください。我ながら、割としとやかそうで・・・利男さんなかなか上手ですね。感謝しているとお伝えください。

 貴方がおっしゃる様に、手はきれいになりました。母のおかげと洗濯機のおかげです。でも私もずい分、ふけてしまった様で、年はやっぱり争えません。紀代子さんの様にもう少しスタイルよくなりたいです。では、またお便りしましょうね。豊が待ちぼうけを歌っています。淳はおばあちゃんに抱っこされています。さようなら。


(六五)一月十五日 富美子の手紙

 一三日付けのお手紙、頂きました。この手紙が着く頃は、貴方の淋巴腺の手術も無事、済んでいる事と思いますが、明日(十六日)は、手術が順調に行く様に祈っています。今月末には本当に退院できるそうで良かったですね。嬉しくてたまりません。貴方がおっしゃる様に、二年の間、数ヶ月おきにラジウム照射を行はなくてはならないそうですが、手術しないですんだのですから、それくらいのことはがまんして忠実に治療して完全に良くなる様努力しましょうね。会社だってきっと理解してくれると思います。でも、こちらへ帰ってすぐ出勤するのではないのでしょう?しばらくは家でのんびりなさったらと、思います。母が、貴方が退院できるのをとても喜んでいます。今度は無理しないで、少しでも悪いと思ったら、すぐ九大へ行く事にしましょう。何よりも身体が第一ですもの。手術した後の傷の事など心配しないで!私は貴方が元気に帰って来て下さるだけで満足です。鼻声になるよりどんなにいいかわかりません。豊がお父ちゃん、もうすぐ帰るのよと言うととても喜んではしゃいでいます。もう夜も、十一時近くですが十時頃、淳が目をさまして泣いた声に豊まで起きて、右手に淳を抱いてお乳を飲ませ、左手で豊を抱いていましたが、淳が眠りましたので、豊はお母ちゃん、お父ちゃんに手紙書くから、一人で寝ていなさいと言ったら、お茶をのんで一人で眠ってしまいました。・・・オヤスミナシャイと言って。

 私と豊と寝て、淳とおばあちゃんが寝ています。豊もまだまだ私に甘えて、おばあちゃんは豊と寝ようと機嫌とるのですが、私がいたら、やっぱり私と寝たがって困ります。朝は、母が早く起きるので母につきまとっています。オシッコやウンコはみなおばあちゃんで、朝、暗いうちから、本を読んでくれとせがまれています。貴方が帰っていらっしゃったらどんなに喜ぶことでしょうね。私だってどんなに嬉しいか、わかるでしょう。早くお迎えに行きたくてたまりません。貴方がどんな顔して汽車からおりてくるかしらと思ったり、いろいろ本当に胸がふくらむ想いです。豊を連れて行きましょうね。それとも、私一人がいいかしら。(久し振りに会う恋人同士らしく・・・)三ヶ月も離れていたから、なんだか恥ずかしいようです。私の出した手紙は、みな忘れずに持って帰るか、そちらで焼いて始末してくださいね。お願いします。貴方が帰ってくださると聞いて、お乳の出もグッとよくなっています。心配かけてごめんなさいね。

 手術なさった後、しばらくお手紙書けないでしょうから、経過をハガキにでも書いて利男さんからでも知らせて頂いたら、安心するのですが。やはり明日の手術が気にかかります。帰られるのは三十日頃でしょうね。皆で心から待っています。汽車はなるべく特急で帰っていらしてください。色々、お金も要ると思いますので、給料もらったらすぐ送ります。もし、早い方がいいなら貯金から出しますから、遠慮なくお知らせください。すぐ送ります。とにかく、今は貴方のお帰りを首を長くして待っています。淳が大きくなって良く笑うのにはきっとビックリなさるでしょうね。母は貴方に淳を見てもらうのが何より楽しみだと言っています。そして、今度は優しい奥さんにならなければと、コンコンとさとされています。貴方が、病気になっても傷がのこっても、例えどんな事があっても私はやっぱり貴方と結婚していて良かったと思っています。本当です。だから、つまらない心配などしないで、一日も早く帰っていらして下さい。では、おそくなるのでこれでさよならします。今からお母様にも書くつもりです。

 祐策様           

                 ふみ子


(六六)一月十六日 祐策の手紙

 前の手紙で十六日に淋巴腺摘出手術をすると書いたが、今日は十六日。さきほど(今、正午)医者から連絡があって、すまないが二、三日延期したいとの事。何でも教授が病気で容態悪化だそうで、耳鼻科中てんやわんやの様子。手術の日取りが一日延びれば、一日退院が遅れるので早いと願いたいのだが、なかなか思うようには行かない。せっかく、今日は切られの与三郎と度胸をすえていたのに、拍子抜けしてしまった。昼から家のものが来るようになっているのだが、これも気抜けする事だろう。

 ふみ子の手紙十四日付けのを先ほど受取ったが、僕の手紙がこのところ遅れがちですみませんでした。ラジウムの放射熱でのどがやけて、やはり頭に相当ひびくので、ペンを取るのが遠のいてしまって、ふみ子へ淋しい思いをさせてしまった。これからは書ける日は、毎日書きます。手術をしたらかけないかも知れないが、その時は母なり剛ちゃんや利ちゃんに頼みます。豊が毎日、「お父ちゃん、まだ?」と言っているそうだが、もうあと二週間乃至三週間で帰れるからよく言って聞かせて下さい。

 お土産は何がいいかな?それとお母様に僕が帰ってから、お願いしたいと思うのだが、当分、僕たちと一緒にいてもらいたいけれど、無理だろうか?この前、書いた様に四、五ヶ月ごとに一ヶ月間入院しなければならぬとすると、家の事が不安ではあるし、居てもらうととても助かるのだが。冬は寒く、夏はとても暑くおまけに諸事不便なところだから、ご不自由だろうと思うけれども、外にお願いする人も無く、またふみ子もお母様となら心強いだろうと思って、こう考えるのです。

 それから、耳寄りな話をひとつ。以前から色々言っていた箱崎の家を建てる話がどうやらまとまりかけて、この二、三日、兄弟で設計図の検討をしたのですが、結論が出たようです。二階建てで外廊は鉄筋コンクリート六畳二間、四畳半二間、玄関に広い板張り、風呂場もショウシャな風に、また便利に。炊事場も奇麗に。二階には三坪のベランダがあるというモダンなもの。勿論、借金して建てるのだが、ハナレの二階を人に貸して、また今住んでいるところも将来貸すようにすれば、何とかうまい具合になりはせぬかと考えて皆で力を合わせて建てる事にした。将来、誰が住むようになっても僕達兄弟の接点になれば満足です。僕たちもこちらに来る時は寝場所の心配なく来られるというもの。(五月か六月頃、完成予定)

 僕も今から十年乃至十五年以内に家を建てたい野心を持っている。まだ、病人のくせに。しかし、将来に明るい夢と希望をもっていなければ。(それは、ふみ子や坊やたちに幸福になってもらいたい僕の頭から湧き出るのだけれど)その希望が病気を克服し、また他の障害も乗り切れると言うもの。僕のこの意志と今からの努力を信じてもらいたい。(編注 この年から八年後、祐策は広島で七十坪の土地に一戸建てを建てた)

 えらく力みかえったが、今日はこれでおしまい。

 ふみ子さんへ           

                 祐策


(六七)一月十六日

 今日は小春日和のとても暖かい日でした、手術は順調に行きましたでしょうか。今日はなんだか落ち着かずに一日過ごしてしまいました。痛かったでしょう。お母様か、どなたかがいらして下さったのでしょう。後は、くれぐれも大切になさってくださいね。手術するというのに妻である私が看病もして差し上げる事ができなくて申し訳ないと思っています。手術後の貴方のお手紙をみるまでとても心配です。多分、元気にはしていらっしゃる事と思いますが。今夜は、じっと静かにやすんでいらっしゃるのでしょうね。(可哀相に)でも、本当にもう少しの辛抱ですね。今月の末は、逢えると思うと夢のようです。早く元気な姿を見せてください。

 豊のおマセなのには、今日はおどろいてしまいました。私が婦人雑誌を見ていたら、真赤な服を着たあまり感じのよくない女優の写真が出ているのをのぞき込んで見ていましたが、「コノ人好カン」と言ったので、おかしくなってすかさず、どうして?と言ったら「シャレルトルケン」とすまして答えました。全く何時のまにシャレるなんて覚えたのでしょう。母もビックリしていました。今夜もお風呂の帰りに絵をねだって困ってしまいました。どんな子になるのでしょうね。貴方をお迎えに行く時はやっぱり豊を連れていきましょうね。今から「バスに乗ってお父ちゃん迎えに行こうね」とはりきっています。

 貴方もあと十日余りを大切に過ごして下さい。大事な時ですから気をつけて。会社の病院でお世話になった先生方に何かそちらからおみやげを買っていらしたら如何でしょうか。お金は貴方が必要なだけ、すぐにでも送ります。では、もう十一時も過ぎましたので、今夜はこれでおやすみなさい。お手紙を書けるようになったらすぐ、お便り下さい。待っています。お大事に、風邪ひかない様、気をつけて下さい。

 祐策様           

                 ふみ子


(六八)一月十七日 祐策の手紙

 昨日、古賀の叔父さんが見舞って下さった。毎月一回診察に行かねばならぬので、そのついでとの事だった。帰られると、行き違いに母が来た。手術が延期で気抜けの体であった。お姉様から頂いたチョコレートはもったいなかったので、家に持ち帰って、みんなで頂いた。昨日から、またラジウムを入れているが、手術は都合がつき次第早くするとの事です。こちらは今日もまた、快晴で暖かい。豊や淳はどうしていますか。池や川には十分すぎるくらい注意して下さい。(編注 矢野の家は、前後が川と池に面した場所にあった)



(六九)一月十七日 富美子の手紙

 手術が二、三日遅れるそうで、私は昨日無事に済んだ事と思っていたのですが、先生がご病気とかで仕方ありませんね。昨日は本当に一日中、何も手につきませんでした。手術は大変なのでしょうか。やはり心配です。無事に済むよう、祈るばかりです。

 こちらは昨日からとてもよい天気で、暖かくまるで春の様ですが、そちらは如何。

 箱崎のお家も新しく建つそうで本当によかったですね。貴方が元気になったら、今までの御恩返しに少しでもお手伝いしなければと思います。来年のお正月は坊や達を連れて箱崎へ行きましょうね。モダンなお家が出来そうで、私達もあと、何年かたったらぜひ建てたいですね。

 今の借家だって、家のない人にくらべれば有難いけど。冬は寒くて本当にたまりません。夏は虫が多いし。でも当分はがまんしましょうね。親子四人揃っていれば、せまいながらも楽しい我が家です。今年の冬は、洗濯機のおかげで本当に助かりました。母も上手にできるようになって、とても楽だと喜んでいます。

 豊は夕食がすむとすぐ眠ってしまいます。淳は豊が寝てからしばらく起きて、私や母に抱かれて声を立てて笑ったり、上機嫌です。ガラガラのおもちゃも大きな目でみつめて、私達の顔も覚えて、行く方をじっと目で追って、首も自由に動かして見えなくなるとべそかいて泣くので、本当に可愛いです。でも、子供も二人になるととても忙しくて母がいなかったらどうなる事かと思います。貴方も帰っていらしたら、すぐあまりにぎやか過ぎてうるさくなるかも知れませんよ。どうかすると、二人揃って泣くのでたまりません。でも、淳はおとなしいようです。日に日に貴方そっくりになる様でとてもハンサムです。身体が大きいので泣き出すと大きな声でびっくりするくらいです。豊はお兄ちゃんぶっているのですが、豊の帽子などちょっと淳にかぶせてみても、大変でなかなかやかましいです。でも、とても可愛がって、淳が泣いていても私が放っておくと大変で、「お母ちゃん、淳ちゃん泣きよるやないね!早よ、お乳飲ませなさい」と必死な顔して言います。やっぱり、お兄ちゃんのつもりでしょうね。今のところ、遊び友達がなくて可哀想です。やっぱり男の子同志がいい様子ですが、淳が大きくなれば、またいい遊び相手になる事でしょう。私達もしばらくは、忙しくどこへも行けませんが、子供たちの成長が楽しみですね。では、今夜はこれでご機嫌様。

 祐策様           

                 ふみ子


(七〇)一月十九日 祐策の手紙

 昨日(十八日)、手術した。右側の首のところを上から下に三寸位切開して、悪いものを全部取り出した。おかげで今日は、腫れ上がって顔の下にもう一つ顔が出来た様になっている。全然動いてはいけないと言われたので、上ばかり向いていたが背中が痛いのでちょっと横を向いたりしている。もう一日二日すると起きられると思う。

 手術は午後一時頃から、三時十五分までかかったが、覚悟したほど痛くはなかった。それでも筋肉や神経を切る時はついて行きそうになった事もある。ともあれ、上を向いたままだが、こうして字を書ける位だから、心配は無用。手術の間、利ちゃんが手術室の前で待っていたらしく、終わった時には母も朝ちゃんも来ていた。昨夜は少し、痛んだが今は大分いい。


(七一)一月二十日 富美子の手紙

 昨日(十九日)、十七日付の葉書、頂きました。今日はもう二十日、手術はまだでしょうか。早く無事に済めば帰っていらっしゃるのも早くなるのですから、本当に待たれます。お母様も折角いらして、ガッカリなさった事でしょう。でも、おそくなっても二月の初めには帰って来られるでしょうから、がまんしましょうね。頭の痛みなどもうすっかりいいのですか?夜はぐっすり眠れますか?元気なお顔を見るまでは、やはり心配です。

 今日は、久し振りに渡辺様の奥様がいらして下さったのですが、今月の二十七日に海田の方へ引っ越しされるそうです。とても古い借家だそうですが、八畳と六畳の二間で庭には池等もあって、割と広いらしいです。畠山様へはまだ、話していないそうですが、家賃は二千五百円だそうです。坊やちゃんは顔になにかできて、日赤へ通われたそうですが、ビタミンのB6が足りないとかで、びっくりするほどやせて顔色も悪く驚きました。

 豊が奥さんにソーラン節を歌って聞かせて大笑いでした。本当に、面白い子です。淳は、昨日からクシャミをするので、今日もお風呂へ入れませんでしたので、豊をおんぶしてつれて行ったのですが、とても喜んでいるんです。(編注 この手紙のつづきは行方不明です)


(七二)一月二二日 富美子の手紙

 手術が無事にすんで本当に何よりでした。今朝、利男さんからも速達が参りまして、経過も大変よろしいとの事。皆で喜んでいます。二時間以上もかかって、本当に大変でしたでしょう。しばらくは痛いでしょうが、がまんなさってください。お母様はじめ皆さまがそばにいて下さって、心強かったでしょう。今朝、畠山様のおじいさんとおばあさんが、野菜をたくさん持って来て下さいました。貴方の事も一番に聞かれるので、手術もすんで近い中に帰ると言ったらとても喜んでおられました。おばあさんが豊に逢いたいと言っても、すねて出てこずに、淳が代理でしきりに笑顔を見せて語って、おばあさんを驚かせました。「淳さんですか。うららかな名前ですの」と言われたので、何だか意味ははっきりしないのですが、おかしくてたまりませんでした。豊は今も貴方に電話かけていましたよ。「モシモシお父チャンですか?」って、帰っていらしたらどんなに喜ぶでしょう。大事になさって、一日も早くお帰り下さい。


(七三)一月二四日 祐策の手紙

 やっと起きられる様になった。今日,抜糸の予定。右側のくびすじが未だ大分腫れているので、肩のあたりにかけて痛い。手術して以来、毎日家から誰か来てくれて、みかんやりんごを毎日持って来てもらっている。十八日に手術して二十日まで、三十八度五分位の熱がつづいたが、今はもう平熱に帰った。ただ、夜中にひどい盗汗をかくので、気持ちが悪いがそれもだんだんと良くなりつつある。傷が良くなるとすぐ退院のはずだから、もうすぐ会う事が出来ると思うと心楽しい。

 思ったより傷が大きく右側耳のすぐ下から首の付け根まで十センチ以上の傷なので、不格好だが、カンベンしてください。この傷を見て、豊は何と言うだろうか。一寸心配。

 僕が帰る時は、必ず豊も連れて来て下さい。ひょっとしたら、くるりと後向いて知らん顔するかも知れないね。淳や豊への土産は何にしようかと考えていますが、何が良いかな。

 今月二十八日、朝日新聞社主催の博多、門司間駅伝があるが、それに出場のため、東洋工業チームが、今日来博する。その中に村上と言って僕のもとで働いていたのが、来る筈になっているので、今日到着したら僕のところに連絡する事にしているが、久し振りに会社の事、会計課の事など、いろいろ聞いてみる事にしたい。

 今日は二十四日。月末まであと一週間。富美子に約束した通り、月末までに帰れると良いんだが。多分いいと思うのだが、もし来月に入っても許して下さい。何だか気がせいて仕方がないけれど医者の言う通りにしなくちゃならないし、傷の回復が今後も順調ならいいんだが。しかし、九割まで今月中に帰れるんじゃないかと思っています。とりとめのない事ばかり書いたが、また明日手紙出します。

 ふみ子へ           

                 祐策


(七四)一月二八日 富美子の手紙

 祐策様。その後経過、如何ですか。毎日々々、貴方の事ばかりお案じ申し上げています。お食事はもう普通にできるのでしょうか。ずい分お顔が、腫れたそうですが、本当に大変でしたね。でも、手術が無事すんで、私も一安心いたしました。お母様もどんなにか御心配だったでしょうね。こちらは、皆元気です。明日は、二十五日。貴方のお帰りになるのもそう遠くないと思うと嬉しさがこみ上げてきます。豊も毎日元気にタカちゃん達と遊んでいます。近頃は寝る前にお話ししてやらないと、なかなか眠りません。今夜も「赤頭巾ちゃん」の話を真剣に聞いていましたが、「今度は豊ちゃんが、話そうか?」と言って、「あのね。汽車がポーッと来たったい。そしたらトラックが来たけんね。今度はディーゼルカーがまた来たったい。」何時までたっても終わりません。聞いていると吹き出してしまいます。なかなか眠らないので母が“暮らしの手帳”についていたお伽話を読んで聞かせるととても喜んで、ふんふんと聞いていましたが、途中で眠ってしまいました。何時もこんな調子です。

 今日はこちらは、とても暖かい日でしたので、淳をシャツ一枚にして日光浴させました。腹ばいにさせるとどうにか首を上げるようになりました。本当に大きくなるのが早くて、豊の最近まで着ていた白いセーターやズボンがもう淳にちょうどいいのです。洋服を着せると運動しやすいせいかとても喜んで手も足ものばしてバタバタ動かしています。心配していたお乳もどうにか足る様で、淳はますます重くなる一方です。洋服を着ていると本当に可愛くて、とても三カ月の赤ん坊とは思えません。それにますます貴方にそっくりでおかしくなってしまいます。性格も貴方に似たのでしょうね。おとなしいから。

 皆、寝てしまってからでないと落ち着いてお手紙を書けません。今もう十一時頃です。貴方もやすんでいらっしゃるのでしょうね。今月中に帰れるかしら。そしたら、どんなに嬉しいでしょう。坊や達もどんなに喜ぶ事でしょう。淳も顔見てよく笑いますよ。豊はきっとはしゃぎ回るでしょうね。豊をつれてお迎えにまいります。早く、一日も早く帰っていらっしゃる日を待ち焦がれています。くれぐれも御身体に気をつけて、元気なお姿を見せて下さい。では、またお便りいたします。ごきげんよう。

 祐策様           

                 ふみ子


(七五)一月二五日 富美子の手紙

 今日、淳を保健所へ連れて行って帰ってきたら、お手紙が来ていました。この頃は、何時も午後から配達されるので待ち遠しいです。

 留守中、古由様の奥様が来られたそうで、豊にりんごを持って来て下さいました。私がいないので、すぐ帰ろうとなさったら、坊やちゃんが、豊がいるので遊ぶと言って泣き出し、しばらく遊んで帰られたそうです。豊は始め、オモチャを貸すのを嫌がったそうですが、すぐ仲良くなって遊んだそうです。

 お父ちゃんの御土産は、線路のついた電気機関車とお菓子がいいそうですよ。もうすぐ、お父ちゃんが帰ると言ってとても喜んでいます。今日は小林さんとこの四十九日とかで、是非来てくれとの事でお参りに行きましたが、大変なごちそうで、川手のおばさんなどもみえていました。沢山、おみやげをもらって、帰ったので豊は大喜びでした。

 今日は給料日でしたが、渡辺さん、みえませんでした。明日は持って来て下さると思います。日曜は引っ越しで大変でしょう。貴方はまだ腫れが引かずに痛んでいるそうで大変ですね。盗汗もかいていらっしゃるそうですが、いけませんね。気持ちが悪いでしょう?汗をよくふいて風邪ひかない様になさってください。私も今月の初めころは、毎晩のように盗汗をかいて、本当に気持ちの悪い思いをしました。傷が良くなれば退院との事ですが、なるべく先生のおっしゃる通り、充分に気をつけて大事になさってください。傷の大きい事など心配しないで。村上さんていう方がそちらへ行かれるそうでよかったですね。もう、お会いになりました?久し振りでなつかしかったでしょう。本当に月末までに帰られるといいのですが、何時頃になるか、母と賭けしたりしています。でも九割まで今月中らしいので、とても嬉しいです。箱崎からは毎日いらして下さるそうで、本当に有難いですね。貴方がお母様に甘えるのがまた、お母様には嬉しいのよ。お手紙に何時も貴方が甘えるって書いてあるの。利男さんも甘えるよって言っていました。豊が甘えるの無理ないですね。でも貴方が、大きななりして甘えているのを想像しただけでもおかしくなってしまいます。こちらへ帰っても大丈夫?お母様が恋しくならない事?お母様も早くこちらへ自由に遊びに来られる様になって頂きたいですね。今、十時です。では、また明日ね。

 祐策様           

                 ふみより

 くれぐれも御大事に。


 今日は二十六日、夕方中沢様が給料持って来て下さいました。貴方からハガキを頂いたとかで「経過が良いそうでよかったですね。何時頃、退院されますか」と聞かれたので、多分今月末には帰れる様ですと申し上げたら、本当によかったと喜んで下さいました。豊に「坊ちゃん、大きくなりましたね」っておっしゃったら、キョトンとしていましたが、帰られる時、手を上げてバイバイと言っていました。十二月の時、私がいなかったので、豊にお菓子など頂いていたお礼を申し上げたら、いやあの時は木下さんが来たのです。とおっしゃったので、赤面しました。母が眼鏡かけていたと言ったのでてっきり中沢さんだと思っていたので、後から母に散々文句を言ってやりました。

 給料は二万一千五百円ありました。貴方の方も色々お金が要る事と思いますので、早速五千円送ります。帰っていらっしゃる時は必ず特急でね。それから、木下さん、中沢さんへのおみやげ等どうなさる?こちらへ帰ってから決めますか?こちらも貴方の留守中、畠山さんや渡辺さんには大変お世話になっているし、近所にも二、三軒しなければなりませんが、その方はまた、帰られてから相談しましょう。内祝いとしてかまぼこでもあげたらと思います。そちらから、買って来られた方が良いと思われる方には、貴方が選んで買っていらして下さい。お金、足りますか?

 明日は、渡辺さん達も引っ越しされるそうで、今日は渡辺さんも休んで二人で自転車に乗って掃除に行かれました。奥さんのお母様が手伝いにいらしたそうです。それから会社の病院では、ラジウム療法はしていないそうです。日赤あたりではしているそうですが。渡辺さんが聞いてきて下さいました。やっぱり淋しいけど九大までいらした方が安心な様な気がします。今日は気分如何でした。明日は日曜日ですけど、来月の三日の日曜までには帰れるでしょうね。本当に日がたつのがもどかしいくらいです。でも、もうすぐ逢えますね。嬉しいわ。もうケンカするの止しましょうね。いい奥さんになるつもりです。

 今日、淳を抱っこしていて「淳ちゃんのお父ちゃん帰ってきますよ」って淳に言ったら、豊がこわい顔して横から、「豊ちゃんのお父ちゃんよ!」って言っていました。とても、お父ちゃんが好きらしいです。今日はタカちゃんやキヨちゃんと家で遊んでいましたが、タカちゃんが、「ウチ幼稚園に行くんよ」と言うと、豊が「豊ちゃんも行くんよ。そしてコウトウガッコウにも行くんよ。ガッコウにはセンセイがおるとよ!」と言ったので、びっくりしました。それから「豊ちゃんのお父ちゃん、ラジウム入れとったとよ」ですって。全く何でも覚えてしまって、ヒヤッとします。神経質な子なので、なるべく物を教え込む様なことはさけているのですが。ここまで書いたら豊が目をさまして、淳も起きたので二人を寝かしつけてきました。なかなか忙しいでしょう?早く大きくなればいいのに。貴方に淳を見ていただくの、楽しみです。

 今夜は、雨がシトシト降っています。夕方、洗濯屋が久し振りにきたので毛布を出しました。貴方がお帰りなって暖かくやすんで頂くためです。私は今から寝床のなかで“オール読み物”をしばらく読んでやすみます。もう十時過ぎいつもも眠るのは十一時半から十二時頃、朝は御飯ができてから起きるの。でも貴方が帰っていらしたら、朝、早く起きるつもり。何時も貴方に起こされたわね。「ふみ子、ふみ子、起きてくれ」って。あんな時、いつも夢の中でごはん炊いてお弁当をつめているの。本当です。だから、なかなか目が覚めないんです。とりとめのない事をかいているうちに、雨がひどくなってきました。明日はお天気だと言いのですが。ではまたね。ダンナ様(早く帰っていらっしゃい) ふみ子     

                                       


(七六)一月二十六日 祐策の手紙

 また、手紙が遅らして御免。いよいよ退院の日が近づいてきました。今日の回診の時、「あと四、五日で退院」と言われ、思わず微笑が出た。ここの病院の退院日は火、木、土曜と決まっているので、今度の木曜(三十一日)ではないかと思います。もし間違っても二月二日には退院できます。ふみ子も豊も淳もおばあちゃんも、勿論僕もどんなにこの日を待ちわびた事か。涙がぼろぼろ出て来る。退院したらその翌日、一日色々な用事(帰り支度や伊崎浦へのご挨拶があるので)をすませて、その翌日、つまり三十一日に退院したら、二日にそちらへ帰ります。豊を連れて迎えに来てください。帰る時は電報を打ちます。電報は次の要領で打ちますから入場券を買ってホームで待ってください。

(例)一三三〇ツク「マニ」 一三三〇というのは言うまでもなく、一時半の事だがカッコの中のマニと言うのは、前から二両目のこと。駅には何も持たずに、ただお金があったら少しばかり持って来て下さい。事情によっては、お茶でも飲んで家に行こう。

 会社へは、約二週間休養後二月の十六日から出勤する心構えにしていますが、この事は帰ってからの都合によりどうなるかわかりません。帰るに際してそちらから、何か注文があれば速達で手紙をよこして下さい。(今から後の手紙は、全部速達にして下さい)

 手術後の経過はとても良い様です。僕と同じ日に同じ手術をした人が四人いますが、僕が一番元気で傷もキレイに回復している様です。それでも切った所はやはり少し腫れているし、その周囲は未だマヒしていて、あまり気持ちの良いものではありません。

 この頃は家のものが、みんな忙しいらしく朝ちゃんだけ毎日学校の帰りに立ち寄ってくれる。僕は彼の年には軍隊に行ったのに朝行は、まだ子供っぽい。「うどん食べるけん、五十円ヤンシャイ」と言って持っていく。慰問に来ているのか、カスリに来ているのか分からん様だが、やはり来てくれるとうれしい。

 今まで廣島での病院生活以来、退院して行く人に「おめでとう」と言っては何か寂寞とした気持ちになっていたのだが、そして何十人もそれを繰り返したのだが、やっと自分の番が回ってきてうれしい。



(七七)一月二八日 富美子の手紙

 貴方、今日はとても嬉しい日でした。朝早く“速達”って言う声で目が覚めました。豊がいそいそと玄関に取りに行ってくれました。二日には帰っていらっしゃるそうで本当に良かったですね。嬉しくて嬉しくて、家中で喜んでいます。貴方もどんなにか嬉しいでしょうね。よく、今までがまんなさったおかげです。豊は、昨日散髪もすませ、お父ちゃんの帰りを待っています。お金、着いたでしょう?足りないかもしれませんが、心配なさらずに全部使ってください。

 二日は朝から電報の来るのを待っています。豊とホームに入って待っています。豊はいつもの毛糸の服に真っ白の毛糸の帽子をかぶせていきますから、すぐ目に付く事と思います。貴方の荷物多いと思いますが、なるべく送るようになさって、身軽にしてかえっていらっしゃい。貴方の時計もちゃんと修理して調子よくいっていますから、お迎えに行く時持って参ります。

 それから、古由さんへは何かそちらから買って来て下さい。お菓子以外のもの。奥様の実家はお宮近くの木村さんと言われるお家だそうです。貴方、今度伊崎浦にいらしたらアルバムを見てごらんなさい。私の赤ちゃんの時のやいろいろあるから、できたら私のをもらって来て欲しいの。私の父や兄の写真もあるからぜひ見てください。家は戦災でやられたから、父の写真も一枚もなくて、母が可愛そうです。これも、もらって来てください。できたら。

 今日は、母が八百屋でもらった木の箱に、きれいな包み紙をはって、豊のオモチャ箱を作りました。豊はとても喜んで、オモチャを入れたり、自分が乗ったり大はしゃぎでした。

 箱崎のお母様もホッとなさったでしょうね。退院してすぐこちらへ帰ってもいいかしら?もうこれが最後の手紙になるかもしれませんね。明日、速達で出します。それから私の手紙忘れずに皆持って帰って下さいね。貴方のも全部とって大事にしてあります。あと、数日の病院生活を大事になさってください。(私、貴方が会社の病院に入院する前から、髪をそのままにしていますから、大分長くなりました。貴方が良くなるまではと切らずにいました)        

                 ふみ子



(七八)一月二九日 祐策の手紙

 三十一日に退院、決定しました。もう傷もすっかり良く、キズ口も奇麗でこの分だと、数ヶ月もするとほとんど、分からない位になるのではないかと思います。三十一日の午後、退院すると翌日、伊崎浦に挨拶に行って、その翌日やはり近所の友人へのアイサツや買物などもあるので、心はセクけれど、三日の急行サツマで帰る予定。(この前、利男が豊を連れ帰った分)もしか都合できたら二日にする。大体、三日と思っていてください。帰り際、汽車に乗り込んですぐ、前便で知らせた要領で電報します。



 本書簡集に寄せて

 このような手紙やはがきがあることを母から聞いた記憶はありました。しかし、若かった時に聞いたので特に気にも留めず、記憶の彼方に葬られていました。この度、弟が書き起こしてくれたこの書簡集を読んで、幼き自分と弟を慈しみながら、病気に立ち向かう両親の姿がリアルに感じられ、また、現在の自分が、二歳の自分の姿を若き両親の目を通して眺めるような、奇妙な感覚に捉えられました。

 戦中・戦後に青春時代を迎え、出会った二人が結婚し、二人目の子供を授かった頃に、襲われた試練に真摯に向き合い、お互いを慮って言葉を掛けあっている様子が文章や行間から窺い知れ、原稿を読むにつれ目頭が熱くなることも少なくありませんでした。現代でも癌は難病の一つであるのに、当時の医療の現場を考えると、それを乗り越えたことは、本当に奇跡に近い事だったと言えるでしょう。この手紙に溢れるパワーが病魔を越えて父を生還に導いたのかもしれません。この手紙に託された様々な想いや言葉が、五十年の時空を越えて強いメッセージとして胸に迫ってきました。手紙やはがきだからこそ、色褪せぬ文章の力に驚き、一文一文が心の底に染み入ってきました。

 父はこの後、社会復帰し、モータリゼーションが勃興する中、東洋工業で課長職まで出世しました(当時の課長職は現在の取締役級の扱いでした)。社内では、カミソリ荒巻と呼ばれたそうです。私も東洋工業に入社しましたが、没後の十年を越えても「貴方があの荒巻さんの息子さんか?」と何度も様々な場所で聞かれ、逸話を聞かしていただき、父の社会人としての偉大さを肌で感じてきました。

 母も父が亡くなった後、東洋工業に迎え入れていただき、女手ひとつで私たち兄弟を育ててくれました。私たちは母の天性の陽気さと音楽好きに助けられ、片親であることにもめげず、音楽を自分たちの趣味にし、人並みに大学を出て社会人となることが出来ました。なかなか振り返ることもせず、母に感謝の言葉も掛けてきませんでした。

 昭和四四年四月一日、私は中学二年生の春休みで、その日は朝から暖かく私は何故か父のマイカーであるマツダ・キャロルを洗車していました。それまで、そんなことはしたこともなかったのですが・・・・。その年の二月から体調を乱して入院していた父に、母がその事を伝えたら、父はとても喜んでいたと教えてくれました。その数時間後、入院先の東洋工業付属病院から電話があり、容態の急変が伝えられました。再発した癌からの急死でした。享年四十一歳でした。父は賢い人でしたから、入院が即ち癌の再発を意味していた事を知っていたようですが、この時は、病気について母に語ることはあまりなかったそうです。

 この書簡集を読み、改めて、両親に感謝をし、誇りに思いました。家族を支えてくれた、親戚縁者、地域や会社関係者の皆様に御礼を申し上げます。また、この書簡集を書き起こしてくれた弟に感謝します。弟が思い立たなければ、父と母がこんなに愛し合っていたこと、私たち兄弟を深い愛情で包んでくれていたことを知ることは無かったでしょう。

 プジョー・シトロエン東京㈱代表取締役社長 荒巻 豊



 あとがき

 どんなに普通な家族でも、平坦な生活だけではなく起伏に富んだ物語を経験する時があると思います。しかし、それらの物語は時の経過とともに人々の記憶から消えて行くのが常です。昭和三十一年は、携帯電話やメールどころか家庭電話もまだ普及していない時代でした。出産後で広島を動くことができない富美子と、九大でしか高度な医療を受けることができなった祐策にとって、手紙が連絡を取る唯一の手段でした。こうした時代背景や状況が、偶然にもこの夫婦の物語を手紙という形で記録に残しました。編者はこの僥倖をとても有難く感じています。編者が十二歳の時に祐策は亡くなり、それから四十年余りが経過しました。その記憶も徐々に薄れていくところでしたが、これらの手紙によって、長い時を経て再び祐策と邂逅することができたのですから。

 祐策はこの手紙の時期のあと、ラジウムを照射した咽頭部に大きな穴があき、その欠損部分を補うための装具を口の中に入れていました。義歯に似たこの装具を、子供に見られることをとても嫌がっていた記憶があります。祐策は、この時広島に帰ってから癌が再発して亡くなるまでの十二年間、懸命に働き、東洋工業の企画部企画課という花形部署で課長にまで出世しました。もともとは快活な人でしたが、病の影をいつも伴っていたような印象があり、憂鬱な表情をしていたことも多かったように思います。

 富美子がこれまで手紙を積極的に見せようとしなかった理由は本人に聞いてもはっきりしませんが、秘める事によって過去を大事にしまっておこうと思ったのかもしれません。

 編者は手紙の内容をパソコンのワープロに書き写す作業の中で、昭和三十一年にタイムスリップし、この当時の祐策と富美子と同じ空気の中で呼吸しているような錯覚を覚えました。祐策が強い意志と希望で逆境を乗り越えようとする姿や、この当時の富美子の若い母親としてのみずみずしい感性にふれる事が出来ました。(度が過ぎるほどの子供への愛着ぶりは、あきれるくらいですが。)

 祐策が、病理組織報告書のドイツ語をかいまみて病名を確認した(四四)の手紙や、周りの患者さんが次々に亡くなっていく状況を伝える(六三)の手紙には胸が詰まります。これらの手紙では祐策の筆致も乱れ、書いた文を訂正している箇所が目立ちます。

 それにしても、祐策が手紙の中で述べている様に、多くの人々がこの夫婦を支えて下さった事が良く分かります。寒い中、お百度参りを続けた祐策の母サツノ。耳が遠いと不満を言われながらも出産後の娘をささえた富美子の母テルをはじめ、夫婦の兄弟姉妹。親戚縁者の方々。病気を持つ祐策を最後まで雇用し続けていただいた東洋工業と夫婦の生活に気を配って頂いた同僚の方々。九大病院耳鼻科の医師をはじめ、祐策の診療にあたっていただいた医療関係者の方々。これらの人々の助けがなければこの夫婦の未来はなく、息子達やその家族の今もありませんでした。この場を借りて謝意を表します。最後にあらためて苦難の物語を生き抜いた両親、祐策と富美子に深い感謝の気持を捧げます。

       平成二二年二月       編者 荒巻医院院長 荒巻淳

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