ものへのこだわり

GUCCIって、そんなにすごいんでしょうか?





この前記事にあげた内容、怖くて怖くて渋ったのちにようやく読み返したんですが、情緒不安定すぎてびっくりです。


消そうか悩みましたが、こういう日もあるってことで残すことに。読んで不快になられた方がいましたら、それは大変ごめんなさい。

どうぞ、わたしのフォロワーさんに素敵な作品を書く方がたくさんいらっしゃいますので、そちらで口直し(?)をさしていただけたら。





さてさて、今日もやっていこう……ということで本題。GUCCIというブランドってやはりすごいのかなっていうところ。


いや……GUCCIに限らず、ブランド品にあまりこだわりも執着もないので、なんというか、その感性の問題なのでは、と言われたらそうなんですけれど。


たった今、偶然GUCCIのバッグを身につけた方を見かけて、ふと思いました。





今回は、わたしのものへのこだわりについて。


30代を迎えてから、ものへのこだわりは強くなったかもしれません。形を変えた、とも言える気がする。



20代。

自分で働き収入が得られ始めたこの時期は、自分の稼ぎで物が手に入ることが嬉しくて……とにかく欲しいものには手を伸ばし続けていた。


でも、手にしても手にしても満足できない。満たされない。そんな物足りない気持ちがいつもとなりにありました。


でもそれは、よくきく良心的な価格帯のもの限定。なんとなく……そう、ハイブランドのものは手にしてはいけないと思うようなところが、わたしにはありました。

母に「贅沢はいけない」としきりに押し込まれた影響もあってか、高価なものにはどうしても手が出せなかった。

その反動なのか、あれこれ物を得てしても満足できなかったのかな?とも、今思ったりする。



あとは……。

そもそも、本当に欲しいものではなかったのではないか、ということ。



これは30代になってからですが、すごく長い目で見て、飽きずに大切にできるか?と自問すること。そしてよりインスピレーションを大切にするようになった。


そんな今は、プチプラからハイブランドまで幅広く視野に入れてみたとき、どうしても一緒に過ごしたいと思うものには、出し惜しみをしなくなりました。


誤解をされぬよう、捕捉させていただく。


一緒に過ごしたいもの=ハイブランドのもの、というのではなく、その物が持つ魅力に惹かれたものが、たまたまハイブランドのものだった、などということ。

もちろんこれは、良心的な価格帯のものであることもある。



……そうやって考えていくと、GUCCIのバッグを持っていた方も、そういうこだわりを持って使っていたのかもしれないな。


一過性ではあったけれど。GUCCIを持っていれば、のような言葉のない主張と安泰感に連帯感があったように思っていたわたしが、視野が狭く頭が固かったのだろう。


思考に無意識的なブロックがかかるのは、時として不便だと感じます。まあ、それがあることが自然なので、なければないなりに困るのだろうけれど。



柔らかく、柔軟性に富んで過ごしたい。

結局、そういつも自分に言い聞かせているんです。


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