第17話 空中散歩

 一体何を考えているのか。

 

 今回の交渉の席にデシルバが連れてこられた理由はただひとつ、自分の首を差し出して魔王アルカンタラと祖国アヴァーゼンの関係を取り持つことだった。


 それが何故か今、再び機上の人となっている。


 目の前には魔王アルカンタラが無言のまま腰かけていた。漆黒の兜に邪魔をされて表情を伺い知ることは出来ない。先ほどからぴくりとも動かないから、もしかしたら眠っているのかもしれなかった。

 が、起きていようが寝ていようが関係ない。デシルバはただじっと、この見知らぬ魔王を観察し続けた。

 

 声を聞くまでもなく、最初からあの夜の魔王とは違うと分かっていた。

 漆黒の鎧で固めた身体のサイズがまるで違っていたからだ。

 確かにあの夜は双眼鏡越しによるもので、距離も離れていた。また受ける威圧感で実際よりも大きく感じることもある。

 それでもやや小さめな大人と感じた印象が、二度目の再会で天も突くほどの大男に変貌するとは到底思えない。

 加えて動きもスムーズだった。肩車した子供がふらふらと上体を揺らしていた以前とはまるで違う。そこへ声も明らかな大人の声色となれば、以前の記憶と一致させるほうが難しい。

 

 もっともその姿はシュトに効果覿面だった。

 ぶくぶくと太った体をこれでもかとばかりに縮こませ、終始平身低頭して魔王の顔色を窺っていた。

 魔王がデシルバの身を貰い受けると言い出した時はさすがに驚いたようだったが、それでも異を挟むことなく受け入れた。

 まぁもともとは魔王への貢物として持参したものだ。生きていようが死んでいようがどっちでも良かったのかもしれない。


 そのシュトは今、眼下に広がるハーバーン山脈の雄大な景色を肴に、帰国後に待っているであろう黄金の未来に酔って時折ブタ面をぐふぐふと歪ませている。

 魔王アルカンタラと接触し、同盟を結ぶために本国の皇帝陛下の元へと連れて戻る。そんな極めて無謀なミッションを成功させてみせたのだ。高揚する気持ちはデシルバにもよく分かる。

 

 が、喜ぶのはまだ早い。

 魔王の変貌といい、自分を配下につけたことといい、何を考えているのか分からない。

 下手をしたら首都ページに着くやいなや魔法で皇帝ごと街を吹っ飛ばすやもしれないのだ。

 そうなると同盟どころかアヴァーゼンそのものが無くなる可能性だってある。

 

 とにかくこいつから目を離してはならない。

 デシルバはじっと鎧の奥にある魔王の目を覗き込もうとする。

 光を通さぬ暗闇が、どこまでも広がっているようだった。

 

 

 

 デシルバの視線は気にかかる。

 が、それはそれとして、ミューはヘリによる空中散歩を心から楽しんでいた。

 

「うひゃー、高い。高いー!」


 アルカンタラ内部に映し出されるのは360度見渡す限りの空の世界。ミューのリクエストにより、アルンがヘリから見える外の世界をそのまま投影しているのだ。

 

「なんだいなんだい。子供じゃあるまいし、こんなことではしゃぐんじゃないよ」

「だって飛行機って初めて乗るんですよ、おばあ様。ほらどこかの誰かさんがいい歳して高所恐怖症だったもんですから」


 数年前のことだったか。ミネルバがブライダン王国で開かれる国際科学者フォーラムに参加する際、ミューを連れていったことがあった。

 ヴリトラから中央諸国のほぼ中央に位置するブライダン王国まで、飛行機を利用すればおよそ一日足らずで着く。が、敢えてミネルバは一週間ほどかかる陸路を選択した。その時は「旅ってのはね、時間をかければかけるほど楽しくなるものさ」と言っていたものの、実のところ祖母が高所恐怖症で大の飛行機嫌いだとミューが知ったのはその旅から戻ってのことだ。

 おかげで道中、盗賊団に襲われるわ、車が崖から落ちそうになってヒヤヒヤさせられるわで、あまり良い思い出はない。

 

「そう言えば高所恐怖症は治ったのですか?」

「ふん。そんなもん、この身体になった途端、どっかいっちまったよ」


 そりゃそうだ。鳥のくせして高所恐怖症だなんて笑えない。


「それにあたしのは高所恐怖症じゃないよ。正確に言えば、シュターク恐怖症さ」

「どういう意味です?」

「一度シュタークに掴まって一緒に飛んでみたのさ。そしたらそれが怖いのなんのって。いきなり急下降して地面に叩き落されそうになるわ、逆に急上昇で意識が飛びそうになるわ。とにかく無茶苦茶なのさ。おかげで空を飛ぶのがトラウマになっちまったよ」

「話を聞く限りとても面白そうですけどね」


 アルンのおかげで当時からミネルバがどれだけ傍若無人なのかが分かってきたところである。そんなミネルバを少し痛い目にあわせようとシュタークがわざとそんなことをしたのではないかとミューは勘繰った。


「ふん、何が面白いもんかね。あんたもアルンに一度飛ばせてもらったら分かるよ」

「そうでしょうか」


 気のない返事をしたのはミューの見解が少し異なるからだ。

 生前のミネルバが傑出した魔法使いだったのは疑いようがない。が、全ての魔法が得意というわけでもなく、風属性の魔法を苦手としていた。

 ミネルバ曰く「風属性を司る精霊シルフは悪戯好きで自分と似ているから、同族嫌悪で上手く使えない」だそうだ。真偽はともかくとして、空を飛ぶのは風属性の領域であるから多分に苦手意識が関係している可能性がある。

 となれば逆に風魔法を得意とする自分はおばあ様みたいにはならないとミューが考えるのも至極当然だろう。

 

「アルン君、今度お願いしますね」

「いいけど自分で飛べるようになった方が楽しいよ?」

「うっ、痛いところを……」

「はっはっは。確かにその通りさね。ミュー、あんたも魔法使いなら自分の力で飛んでみせな」

「おばあ様だって生前は飛べなかったでしょう?」

「飛べなかった、じゃなくて飛ばなかったんだよ。飛びたいと思ったことがなかったからね。でもあんたは違う。飛びたいんだろ? だったら自分でなんとかしな」

「分かりました。だったらなんとかしてやろうじゃないですか」


 もとより風の魔法で人間を吹き飛ばすほどの威力を出せるミューだ。自ら空を飛ぶことだって、理論的には不可能ではない。ただ魔法のコントロールが激ムズなだけ。

 ただそれだけだ。

 

「……前から思ってたけど、ミューお姉ちゃんって昔のミネルバお姉ちゃんにそっくりだよね」


 そんなやりとりに、アルンがぽつんと呟いた。

 今となってはその事実を知っているのはアルンだけだが、若い頃のミネルバは決して魔法の才に恵まれているわけではなかった。

 アルンからしたら簡単な魔法すらまともに使えないことも、一緒に冒険を始めた当時のミネルバには多々あった。

 それでも彼女がパーティから脱落しなかったのは、ひとえにその負けん気の強い性格のおかげだ。失敗にへこたれることなく、困難であればあるほどかえってやる気になるミネルバに、シュタークは苦笑いを浮かべながらも頼もしく思っていたことをアルンは知っている。

 無理矢理ついてくるような形でパーティに加わった彼女だが、もし出会わなければ旅はどうなっていただろう。

 幼いアルンに鮮明な想像を求めるのは酷だが、ただひとつだけ「つまらなかったと思う」と答えることだけは出来るはず。

 それぐらいアルンやシュタークにとって、ミネルバの加入は大きな意味を持っていた。

 

「アルン君、不愉快なんで訂正してもらえます?」


 が、そんなミネルバに似ていると言うのは、ミューにとって決して誉め言葉ではなかったらしい。

 

「ええっ!? なんでぇ!?」

「そんなの、おばあ様に似てるなんて嫌すぎるからに決まってるじゃないですか!」


 ミューにとってミネルバは尊敬する魔法使いであり、親愛なる祖母であるが、同時にわがまま言いたい放題なダメ人間(鳥?)であり、謀略を張り巡らせるバケモノでもある。先達てデシルバを仲間に引き入れたこともミューたちには何の説明もなく、一体何を考えているのか身内なのにまるで分からない。

 故に魔法の癖が似ているとか、顔の作りがそっくりならまだ許容範囲内だが、性格的なところを指摘されるとそれは断じてノーだ。

 

「訂正してください、アルン君」

「ふええ」


 ぷんすか怒るミューに、理解が追いつかずに慌てふためくアルン。

 勿論のことではあるが、魔法で外への会話の漏洩がシャットアウトされている鎧の中でこんなやりとりが繰り広げられているとは、デシルバは知る由もなかった。

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