第16話 生贄

「なんだ、ここは? 廃墟ではないか!」


 ガリィの右手に浮かぶ紋章の力でバリアを抜け、アヴァーゼンの首都ページではもはや滅多に見ることもなくなった馬車に揺られること3時間。デシルバの予想の通り、内からは外の様子が丸見えのバリアの向こうに陽が沈み、代わりに青の月が世界を空の色へと染めて間もなくして、馬車は止まってガリィが着いたと中へ告げた。

 

「ヴリトラに行くのではないのか!?」


 馬車を降りて辺りを見渡したシュトが不満げに眉を寄せながら、ガリィに問いかける。

 ついさっきまでは魔族の狼だと大騒ぎしてビビリまくっていたのに、正体が狼の毛皮を纏った人間だと分かった途端、その巨体をこれでもかとばかりに震わせて怒りを表す。

 

「お、なんだ、おっさん。ヴリトラに行きたかったのか?」

「おっさんではない! 我はアヴァーゼンの大使シュトであるぞ。本来ならばお前如き傭兵が軽々しく口を聞けるような人間ではない!」


 さらにデシルバからガリィが銀狼傭兵団の団長だと聞くと、その傲慢な態度に拍車がかかった。おそらくは先の失態を取り返す意味合いもあるのだろう。

 

「あ、そ。でも、おっさん、見かけによらず結構度胸あるじゃねーの」


 もっともそれで言葉遣いや対応を改善するようなガリィではない。きっとこちらもシュトのそんな心の内を読んで、ますます揶揄うように振舞っているのだろうとデシルバは見た。


「だからおっさんではないと……ん、どういう意味だ、小娘?」

「ヴリトラは魔王が顕現したところ。人間なんか近づいただけで身体が溶け出し、魂までも食らい尽くされるこの世の地獄だぞ」

「ひぃぃぃぃぃぃ!」


 まぁでもダイエットも兼ねてちょっと行ってみようかと手を引っ張るガリィに、シュトは腰を地面に下ろして必死に抵抗する。

 いや、腰を下ろしたのではなく、腰が抜けたのだろう。ちょっと考えればヴリトラを包囲していたアヴァーゼン軍が五体満足でハーバーンの基地まで撤退出来たのだから、ガリィの言うことはまるっきりのウソだと分かるようなものなのに。

 

 ガリィのいいおもちゃと化したシュトから、案内された廃墟へとデシルバは視線を移した。

 古い砦だ。魔王大戦時に魔物の進軍を抑える為に作られたものであろう。この地方はヴリトラを中心に魔物と激しく戦闘が繰り広げられた地で、あちらこちらに同じような砦がいくつもある。

 そのほとんどはすでに屋根が落ち、壁も崩落しているところが多い。この廃墟もまた同様であった。こんなところで国際会談とは、なるほど、魔王らしいと言えばらしいかもしれない。

 

 しかし同時に馬車に揺られる時からデシルバはずっとある疑問を抱いていた。

 魔王の魔力に今更異を唱えることはない。その力は間違いなく人間を、進化させてきた科学を遥かに超えている。

 ただし、その力を行使した魔王の正体はおそらく小さな子供のはずだ。

 あの時、戦場に鳴り響いた声はどう聞いても子供のものだった。外見も魔王の姿を模していたものの、中に子供が入っていたのは明らかだった。

 

 となれば戦いはあの圧倒的な魔力で何とかなるとは言え、さすがに外交はそうも行かない。

 それでもシュトと会うのなら、裏で子供を操る黒幕が出てくるのかとデシルバは見当をつけた。が、ガリィがいうには魔王本人が直接会って話を聞くらしい。


 どういうことだろうか。

 もしかしたらあの夜に見た魔王は実はその子供で、真の魔王が控えているのだろうか。でも、だとしたらどうして子供を出したのか。どうにもすっきりしない。

 

 と、その時だった。

 不意にふっと辺りが暗くなった。

 月に雲がかかったのだろうか。そう思って空を見上げようとした瞬間。

 いつの間に現れたのか。目の前に魔王が立っていた。

 

 

 

「アヴァーゼンの使者よ、よく来た」


 月下の会談は、魔王機アルカンタラに乗り込むミネルバの一言で始まった。それだけで辺りの音が全て消え去った。

 実は声質をアルンの魔法で変えるだけでなく、密かに空間遮断の魔力も込めてある。これでこの会談中は外からの音声及び内部からの声が漏れるのを全てシャットアウトされる仕組みだ。

 別に誰か聞き耳を立てているわけではない。言ってしまえば、単なる雰囲気づくりである。しかし、こういう場は得てしてこのような演出こそが肝なのを、ミネルバは長い経験から知っていた。

 

「はっ、ははー! 勿体なきお言葉! 感謝いたしますぅぅぅぅ!」


 そしてそれは見事に効いた。豚みたいな顔をした、豚そっくりな身体をしたアヴァーゼンの使者は完全に腰を抜かしてその場に土下座し、頭をこれでもかとばかりに地面へ押し付けている。 

 ただ下界の音をシャットアウトするだけで、相手をここまで萎縮させられるのだから安いものだ。

 まぁ、そんなことをしなくても単純に初めて見た魔王という存在に、心底恐怖しただけなのかもしれないが。だとしたらこんなのを密使に送ってくるアヴァーゼンは何を考えているのやらである。

 

「うむ。それで何の用か?」

「はっ。ま、まずはこやつを」


 そう言って差し出してきたのはアヴァーゼンの内地、ハーバーンに近接する地域によく見られるやや頬骨が痩せ、鼻がかすかに高い、精悍な顔つきをした男性だった。

 その顔をミネルバは知らない。が、その後に続くであろう言葉と展開を想像してみれば、大方の見当はつく。

 

「この男の名はデシルバ。先の件におきまして本国の許可もなく、独断で不敬にもヴリトラへ軍をすすめた男でございます」

「ほぉ。それで」

「ははっ。こやつの首をここで撥ね、我が国が陛下に敵対する意志はないと示すことをお許しいただけたらと」


 果たしてミネルバの予想通りであり、そして胸糞悪い話であった。

 アルカンタラの内部でミューも『最低ですね』と呟く。アルンも『やめさせようよぉ』と反対だ。

 ちなみにこれもまた先ほどと同様の魔法によって、アルカンタラ内部での彼らの会話は外には漏れることがない。

 

「面白い。だが首を撥ねるのは許さぬ」

「は?」

「ただ首を撥ねるだけではつまらぬ。その男には生きながらにしてこの世の地獄を味あわせてやろう」


 シュトがその巨体をぶるぶると震わせた。

 その反面、当のデシルバは至って平然とし、ただただ静かに魔王アルカンタラを見つめていた。

 


 

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