エピソード3 禁忌なき野望

第14話 交渉戦略

 沈みゆく青い月に照らされる険しい山々の景色を、デシルバは皮肉めいた笑みを浮かべて見下ろしていた。

 

 ろくに整備されていない山道を苦労して進軍したのはほんの数週間前のことだ。あの時は兵の疲労を考慮して航空輸送を本国に打診した。

 が、返事はいつもと変わらず。本国から監視役として送られてくる連中だけが認められるのも、いつものことだった。


 それが今、念願叶って初の航空機搭乗である。

 地上ならば何日もかかるところをわずか数時間から一日足らずで移動できるのだから、さぞかし楽だろうと思っていた。

 だが実際に乗り込んでみると船とはまた違う独特の揺れがあり、ブレードと呼ばれる上部で回転する翼が常時轟音をがなり立てる。何より故障が起きたら落ちて死ぬという恐怖感が凄まじい。

 慣れればまた違うのだろうが、存外に航空輸送もキツイものだ。付き合いの長い部下たちとは「俺たちも空で送ってもらえないですかねぇ」と頭上を行く上官たちを乗せた機体を恨めしく眺めながら愚痴を言いあったものだが、今回の経験でいい話のネタが出来た。

 

 もっとも隊長の任を解かれた今となっては、もはやそれも叶わぬであろうが。

 

 やがて白みゆく空の向こうに、陽の光を反射する巨大な半円形の建物が見えてきた。

 世界の覇者たる黄金帝国、そしてその黄金帝国にも今や引けを取らないアヴァーゼンの科学力の結晶・首都ページにおいても、ここまで巨大な建物は存在しない。

 しかもそれが科学ではなく、今や時代遅れの代名詞である魔法の力だとはきっと誰もが俄かには信じられないだろう。


 が、デシルバはそれを目の当たりにしても驚かなかった。

 あの夜、空一面を覆いつくす巨大魔法陣を作り得る存在ならば、これぐらいはやってのけるだろう。

 牢獄で漏れ聞こえた話では黄金帝国が新たに開発した、街ひとつぐらい簡単に吹き飛ばす核爆弾なる新兵器も、かの魔王はあっさり封じ込んだと言う。

 

 かつて人類を苦しめた魔族が滅び、人間同士が争うようになったこの世界に、突如として現れた新たなる魔王。

 また魔王を打ち滅ぼす勇者が現れるのか、はたまた今度は人類が滅びる番か。

 それとも……。

 

「…………」

 

 デシルバは黙って自分の手首へと視線を下ろす。

 左右の手首に繋がれた鎖がさらに重みを増したような気がした。

 

 

 

 黄金帝国の核爆弾阻止後、電力が復旧したヴリトラは完全な鎖国状態へと入った。

 ヴリトラを中心にその近辺の村々や山野を電力とアルンの魔力を融合させたバリアで丸ごと囲ったからであり、鎖国が始まってから既に一週間以上が経過している。

 

 黄金帝国の発表によると、先の核攻撃の失敗は兵器の故障が原因とされた。

 ならば更なる追撃もあるものと世間は考えたが、今回の失敗を重く見た黄金帝国大統領ジャック・バレンサーは核兵器の改良計画を推し進めると発表。魔王討伐作戦は当面延期すると宣言した。

 

 この宣言を受けた各国の反応は様々だ。

 中央諸国は一定の理解を示したうえで、しかし人類の脅威たる魔王を長くのさばらせるわけにはいかないと共同で対魔王連合軍の設立を決定した。なんせヴリトラとは距離のある黄金帝国とは違い、もし魔王が西進すれば次に戦地となるのは自分たちの領土である。黙って指を加えて見てるわけにもいかない。

 目下のところ各国の軍隊を再編成しつつ、ヴリトラを覆ったバリアを解析しようと連日研究者を現地に送っている。

 

 一方、勇者シュタークの末裔を自称するシンシュタクは同じくバリアの突破を図ろうとしているものの、黄金帝国の失敗はさも当然とばかりに冷ややかなコメントを残した。

 曰く、科学の力で魔王を倒すのは不可能。その奇跡を成し遂げるのは勇者の聖なる力のみである、と。

 故にシンシュタクはなんとかバリアを突破し、勇者シュタークが残した聖剣プリヤーチャリの継承者である剣姫マルリエーリによる魔王討伐を画策している。

 なお、現在マルリエーリとパーティを組む仲間を鋭意選考中。他国からの希望者も受け付けている。詳しくはシンシュタク冒険者ギルドまで。

 

 そんな中央諸国やシンシュタクと違い、現在ヴリトラのバリアを静観しているのはアヴァーゼンと北の大国・コークスだ。

 もっとも完全に沈黙を守るコークスに対して、アヴァーゼンは黄金帝国の失策を強く非難している。

 核兵器は失敗ではなく、純粋に魔王には通用しなかった。その証拠に追撃を諦めた。現在は核兵器の改良を進めていると言っているが、いつまで待っても彼らが魔王を倒す日はやってこないだろう、などなど。もはや今回の騒動を引き起こしたのが自分たちの侵攻であることなんてしらんぷりで、連日、黄金帝国の失態を声高に罵っている。

 これには当然の如く黄金帝国も反発し、ただ非難するだけで何ら解決策に動こうとしないアヴァーゼンを糾弾。ただでさえ以前から対立していたふたつの大国の関係は魔王の誕生を機にますます悪くなり、ミネルバが目指す「魔王討伐を目的とした人類の一致団結」とは全く逆の流れになってしまっている。

 

 そしてそんな渦中のど真ん中にあるヴリトラはどうなっているかと言うと……。

 

「はっはっは! どうでぇ、新しいアルカンタラの感想はよ!」


 電力回復から一週間、睡眠も食事も排泄すらも惜しんで改装を施したアルカンタラを前にして、バーンは当事者たるミューたちに意見を求めた。

 

「すごく鳥くさいんですが」

「ううっ、鳥くさいよぉ」

「うっさいねぇ、あんたたち。しょうがないだろ、今のあたしゃ正真正銘の鳥なんだから。鳥くさくて当たり前じゃないかい!」


 アルカンタラの中からミネルバの叱責の声が飛ぶ。

 新たなアルカンタラは、もはやかつてのような一人用の鎧ではなかった。いや、すでに鎧ですらなく、あえて言うならば人型の乗り物であろう。なんせ兜や鎧、ガントレット、膝当て、ブーツなど、全てのパーツを一から作り直されたそれは、十分な可動域を保つよう様々なギミックを取り入れて溶接されており、着込むのではなく、乗り込むスタイルへと変わっていた。

 アルンが魔力を注入すると背中がぱっくりと上下に開く。中に見えるのは腰と胸部に備え付けられた操縦席。下は歩行と全体のバランスを、上は両手の操作が出来るように各種魔力デバイスが取り付けられている。鎧の内部でミューがアルンを肩車をしていた時とは大違いだ。

 さらにミューとアルンに加え、ミネルバも搭乗できるようになった。交渉係である。アルンではあまりにも幼く、ミューならば大人の相手も出来るがやはり声質に問題がある。というわけでここは亀の甲より年の功、海千山千の交渉術が得意で、今は鳩に生まれ変わったミネルバならばスペースも問題ないと採用になった。

 

「やっぱりおばあ様は降りてもらえますか?」

「何を言うんだい。あんたたちに交渉なんて百年早いよ」

「交渉と言ってもただ相手に無理難題押し付けるだけじゃないですか、おばあ様は」

「やれやれ。ミューもまだまだお子様だねぇ。いいかい、交渉ってのはまずペースを握るのが肝要なのさ。その為にまず無茶苦茶なことを言ってやるのさね」

「クレーマーじゃないですか」


 しかもそれで何かと上手く人生をやってきたのだから性質が悪い。

 

「とりあえず鳥くささをなんとかしてもらわないと。バーンさん、何とかなりませんか?」

「んなこと言ったってよ、このうえ空気清浄機でも乗せろというのかい?」

「それにいざって時はずっとこれに乗るんですよね。暑かったり寒かったりすると思うんですが」

「さらにエアコンまで!? おいおいミューちゃん、婆ちゃんみたいに無茶なこと言わんでくれよ」

「失礼な。私はただ常識的に考えて必要な改善を求めているだけです」

「やれやれ、我が孫娘ながら呆れるねぇ。どこの世界に空気清浄機やエアコンを乗せた軍事兵器があるって言うんだい?」

「え? ないんですか?」


 これにはさすがのミューも自分の無知を恥じるしかなかった。

 エアコンは十年ほど前に発明された、とても、とてーもありがたい生活必需品だ。このおかげで寒さに震えることも、暑さで体力を奪われることもなくなった。だから極限状態の戦場で戦う兵器にも当然搭載されているものだとばかり思っていたのだ。

 

「まぁ黄金帝国の輸送機なら乗せてるかもしれんが、戦車や戦闘機には無理だな。軽量化されないととてもじゃないが積めたもんじゃない」

「そうなんですか……」

「まぁ気を落とすな。エアコンは無理だが空気洗浄機ぐらいならなんとか」

「いえ、大丈夫です。魔法でなんとかします」


 銀狼傭兵団にも使ったように風魔法はミューの得意とするところだ。

 ミューの身体がぼうと光を発するとアルカンタラの内部に新鮮な空気が循環し、ミネルバの鳥くささをあっさりと消し去ってしまう。

 試したことはないがきっとこれに多少の炎、水魔法も加えればエアコンと同じような効果も期待できるだろう。

 

「魔法で解決できるのなら、なんで文句言うかねぇ」

「おばあ様ならこうするかなと思いまして」

「ミュー様、悪いことはいわねぇ。婆ちゃんのそういうところは見習わないほうがいい」


 バーンは心底そう思った。

 ミネルバだけでも大変なのに、そこに孫娘まで無茶を言い出したら、自分なんてあっさり過労死する自信がある。

 

「そうですね。やはり私はおばあ様ほど非情になりきれません」

「非情とは酷いことを言うねぇ。あたしはただ人間の可能性を信じてるだけさ」

「勝手に信じて相手へ無茶ぶりするのを非情以外になんと表現しろと? ねぇ、アルン君も何とか言ってやって……あ」


 アルンの助力を得ようとしたミューだったが、不意にアルカンタラの内部に映像が映し出されて口を噤んだ。

 例のアルンとの魔力同調による視力の共有だ。が、映し出されたのはそこにはない映像……果てしなく広がる緑の大地に降り立った軍用ヘリと、複数の軍人が何か呼びかけているシーンだった。

 

「これはバリアの外、ですか?」

「そうだよ。ミネルバ姉ちゃんに言われて、この前から警戒してたんだ」

「そろそろ来る頃だろうと思ってね。アルンなら遠く離れた場所でも自身の魔力を介して映像や音声を拾うことが出来るのさ」

「はぁ。相変わらず無茶苦茶な魔力ですね。でもおばあ様、バリアの調査なら中央諸国もシンシュタクも毎日のようにやってきてますが、さっきの言いぶりではこの人たちは違うと?」

「ふふふ。そうさね、こいつらは言うならば裏切り者だよ」

「は?」

 

 裏切り者……その言葉にピンとこないミューが首を傾げる中、ミネルバの思惑通りとばかりにぽっぽーと鳴く声がアルカンタラの内部に反響した。

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