第9話:森を抜けて

「ほれ、あんたたち、もっと急ぎな!


 スエル山脈の裾野に広がる森の木々を軽やかにすり抜けながら、ミネルバは足取りが重い一行に檄を飛ばした。


 森と言っても踏みしめられた道がしっかりある。ヴリトラに電気を供給する水力発電所に繋がる道だ。

 またこの辺りには危険な獣もおらず、傾斜もゆるやか。道中にはほどよく開けた場所もあり、万年雪を湛えるスエル山脈から溶け出す清冽な小川も近くに流れていることから、昔からちょっとしたハイキングにも使われている。

 

 しかし今、ミネルバが焦るのも分かるほど一行の足取りは重い。

 それもそのはず、なんと言ってもひとりは昨夜から徹夜で作業していたバーンだ。

寝不足の身体へなんとか鞭を打ちつつ、しかも背中には早々に疲れて泣き出したアルンをおんぶして、さっきからブツブツ言いながら歩いている。


 そしてもう一人は魔法使いのミュー。

いつもの白いワンピース姿ではなく、紅色のシャツに白いショートパンツという軽装をしている。

格好だけを見れば山登りに適しているのだが、片手に杖を持ちつつ何故かこちらもブツブツ言いながら重い足を必死に動かしている。

 

「寝てないバーンはともかくミュー、あんたは昨夜ちゃんと寝たんだろ!? それなのになんだい、その体たらくは!?」

「いいですか、おばあ様。昨夜、アルン君を背負ってあんな重い鎧を着せられたんですよ。そりゃあ筋肉痛にもなります」

「若いのに情けないねぇ」

「若いからこそ翌日筋肉痛になるんですよっ!」

「あたしゃ死ぬ前の30年ぐらいは筋肉痛なんてならなかったよ」

「それは多分おばあ様が年取りすぎて、筋肉痛も何十年も経ってから出るようになったんですよっ!」


 そもそも100歳を越えてるにもかかわらずあちこち元気に出歩いていたものだから、そのバイタリティの前に筋肉痛もたまらず逃げ出したのではないかとミューは密かに思っている。

 

「だいたいなんで私まで一緒に行かなきゃいけないんですか? おばあ様とバーンさん、それにアルン君だけでいいじゃないですか」

「うるさいひ孫だねぇ。念のためだよ、念のため」

「もうさっきから念のため念のためって、全然説明になってませんよっ。落とされた水力発電所を復旧させ、予めおばあ様がバーンさんに設置させてたとか言う変換器で電力を魔力に変換し、アルン君がバリアを発動させるんでしょう? 私、必要なくないですか?」

「だから水力発電所にまだアヴァーゼンの連中が残ってるかもしれないじゃないかい。アルンはバリアの為に余計な魔力は消費させられない。あたしとバーンは戦えないんだから、どうしても戦闘要員が必要だろ?」

「そんなのいるわけありませんよ。本隊がとっくに撤退したんですよ? 残る必要がないじゃないですか」


 ましてや数時間後に核爆弾が落とされるのだ。残っているはずがない。

 

「だから念のためと言っとるじゃないかい。とにかくシャキシャキ歩きな! ほら、バーンも!」

「頑張って歩いてますよっ。バーンさんだって徹夜で疲れてるのに頑張ってくれてます。ねぇ、バーンさん?」

「…………ぶつぶつぶつぶつ」

「バーンさん?」

「…………ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ」

「おばあ様、大変です。バーンさんがさっきから『ぶつぶつぶつ』としか言わない怪しい人になってます」

「問題ないよ。昨夜からこんな調子さ。おおかたアルカンタラの改装案を色々考えてるんだろう。どれ」


 ミネルバがすぅーとバーンの右肩に留まると、その耳元にむけて「魔力回路が……」「シンクロ率が……」「いざとなれば自爆装置が……」と囁く。

 するとたちまちバーンが大きく目を見開き、「それだっ!」と大声を出した。

 それでもまたすぐにブツブツ言いだしたが、足取りはさっきよりも確実に早くなっている……。

 

「ほら、ミューも急がないと置いてかれるよ」

「ちょ! おばあ様、さっき『自爆装置』って物騒な言葉が聞こえたんですが!?」

「気のせいだよ、気のせい」

「ウソです! はっきりそう仰いました! って、逃げないでください、おばあ様!」

 

 颯爽とバーンの右肩から飛び立つミネルバを追って、ミューも小走りに駈け始めた。

 

 

 

 水力発電所を目指して裾野を歩くこと2時間後。

 サラサラと流れる小川の心地よい音が次第に大きくなっていく一方で視界は大きく開き、目的の建物が見えてきた。

 

「よかった。どうやら誰もいなさそうですし、なにより破壊もされてないみたいですね」

「そりゃそうさ。発電所を壊してしまったら、後々困るのはヴリトラを支配したアヴァーゼンの方だろ。ただ送電を止めていただけだよ」

「でも撤退時に嫌がらせで破壊してたかもしれないじゃないですか」

「まぁね。でも本隊だって慌てて逃げ出したんだ。こっちの連中もあの魔方陣と赤い月が吹き消されたのを見て、大急ぎで撤退した可能性が高いよ。余計なことして怒りを買いたくはないだろうからね」


 なるほど、と頷くミュー。その息はやや荒い。

 

「疲れたかい、ミュー?」

「そうですね。おばあ様が倒れてから何かと大変で運動もしてませんでしたし、何より戦闘要員としてやってきたのに相手がいないのですから、ひどい無駄骨だったなぁと疲労が困憊してます」

「何言ってんだい。無駄な戦闘が避けれて良かったじゃないか」

「そうかもしれませんが……あの、おばあ様、今ふと思ったんですけど、わざわざハイキングなんかしなくてもアルン君の魔法ならすぐにやって来れたのではないでしょうか?」

「アルンの魔法?」

「ほら、言ってたじゃないですか。おばあ様からの手紙を受けて、飛んできたって」

「ああ。あれはね、飛ぶというより跳ぶの方が正しいんだよ」

「……どういうことですか?」

「あんたは飛ぶと聞いて実際に空を飛ぶようなイメージを思い浮かべてるだろうけど、そうじゃないんだ。あの魔法は瞬時にその場所へ移動するんだ。まるでジャンプするかのようにね」

「だったらなおのこと今回使えばよかったじゃないですか!」

「でもね、そういう便利な魔法こそ条件が厳しいんだよ。この魔法には予め移動先にポータルという時空を繋げるブイを設置する必要があるのさ。残念ながらこのあたりにポータルなんてないよ」

「そうなんですか……」

「そもそもポータルを設置したのはシュタークだよ。あちこち旅しながら大きな街の建物に施したもんさ。ただ、それもこの100年間でほとんど失われただろうね。ヴリトラだってあたしが教会の建て替えに反対してなかったら、アルンもああ簡単にはやって来れなかったはずさ」

「ああ、だからおばあ様、あれほど建て替えに反対してたんですか……」


 ちなみにミューは建て替え賛成派だった。歴史があるのは分かるけれど、さすがに住むにしてはボロすぎるし恥ずかしいというのがその理由だ。

 

「うん、ぼくも目が覚めたらポータルがすごく減っちゃっててびっくりしちゃった」

「おや、起きたのかい、アルン?」

「バーンおじちゃんの背中、とても気持ちよかったよ。ちょっとうるさかったけど」


 そう言ってアルンがバーンの背中からシュタっと飛び降りた。

  

「ここからはぼくも歩くよ!」

「まぁ、目的地はすぐそこなんですけどね」

「意地悪なことを言うんじゃないよ、ミュー。それでもやっぱりそうかい、ポータルはほとんど無くなってたかい」

「うん。あんなにあったのにね」

「アルン、あんたはポータルを作れるのかい?」

「うーん、やったことがないから分かんない、ゲートならミネルバお姉ちゃんをよくヴリトラに運んだから使えるけど」

「ゲート? なんですかそれは?」

「ゲートってのはポータルへ移動する為に使う魔法のことさ。てかアルン、余計なことは言うんじゃないよ!」

「余計なことってなに? ミネルバお姉ちゃんが旅の途中で『トイレ行きたい!』とか『温かいお布団で眠りたい!』って文句を言う度に、わざわざヴリトラまでゲートを開いて戻ってたこと?」

「おばあ様ってホント我が儘過ぎやしませんかね?」


 釘を刺したはずがまさかの自爆をしてしまったミネルバを、ミューがジトーとした目で見上げる。

 ぽーぽっぽーとすっとぼけるミネルバの鳴き声が雄大なスエル山脈に跳ね返って木霊した。

 

「はぁ。ホント大変だったね、アルン君」

「ううん、ぼくは楽しかったよ。お師匠様はちょっと嫌がってたけど」

「でしょうね。私もそんな人と一緒に旅するのは――」


 隣を歩くアルンを見下ろすミュー。その視線の先に妙な違和感を覚えた。

 具体的にはアルンの小さな足が踏み下ろそうとしている地面、そこだけが周りと違ってかすかに土の色が変わっているように見える。


「アルン君、危ないっ!」


 慌ててミューは叫んだ。

 敵は多分いない。でも罠は残しているかもしれない。そう思って予め魔力を目に集中させていた。だから一般人では気が付けない落とし穴に気が付くことが出来た。


 本来ならアルンの腕を引っ張って落とし穴を回避した方が良かったかもしれないが、ミューは決して運動神経が良いほうではない。

それに叫んで注意を促すだけでも十分にその効果は……。

 

「え? どうしたの、ミューお姉ちゃん?」

 

 ところがミューの必死の叫びも空しく、アルンは足を踏み出し

 

「え?」

「えっ?」


 足元の地面が崩れて、その姿勢のまま、ぴゅーと落とし穴に落ちていった。

 

「えええええーーーーーーっ!?」


 危ないと叫んだのに、なんなんだ、あの無防備さは?

しかも落とし穴を踏み破ったというのに慌てる様子ひとつもなく、あどけない笑顔のまま落ちていくなんてアホなのか、あの子は?

ミューは頭が痛くなった。

 

 って、とにかく早く助けてあげないと……。

 

「あー、びっくりしたー」


 ところがそのアルンが、ふわふわと浮いて落とし穴から脱出してきた。

 

「アルン君、飛べるの!?」

「うん。落とし穴に落ちちゃったら勝手に発動する魔法をかけてあるんだー」

「え、なにそれ超便利!」

「攻撃を受けても自動でバリアが張られる魔法もあるんだよー」

「それはズルすぎじゃないですか、アルン君!?」


 なんというか、心配したのがアホみたいである。

 

「シュタークは過保護だったからね。この子には毒すらも通用しないのさ」

「もう無敵ですね、それ」

「まぁね。でも、。分かってるね、ミュー?」

「勿論です」


 ミューが杖を持つ手を握りしめた。

 

「どこのどなたかは存じませんが、あいにくとこちらは急ぎの用なのです」


 ミューの杖の先に人間の頭ほどの大きさの魔法陣が出現する。

 普通の魔法使いならこのクラスの魔法陣の錬成におよそ30秒を要するが、ミューは一息でやってのけた。

 

「なので先手必勝させてもらいますね」


 魔法陣が俄かに眩しく発光する。と、同時に強烈なつむじ風が道の両脇に広がる草むらに吹き荒れた。

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