第8話:大国の決断
『昨夜のユレリア大陸中南部における巨大魔法陣の発生、並びに赤い月が消滅した事件に関しまして、アヴァーゼンから魔王アルカンタラによる犯行との発表がありました』
本来なら司教様のありがたいお話に皆が耳を傾ける聖ヴリトラ教会の礼拝堂に、今朝はラジオから流れるアナウンサーの声が響き渡る。
電力はまだ復旧していないので、乾電池で動く小型ラジオだ。そのボリュームを精一杯あげて、ミネルバたちは礼拝堂を埋めつくすヴリトラの民衆たちと共に、昨夜起こした事件について世界の反応をじっと聞いていた。
『また、アヴァーゼンによりますと、魔王アルカンタラはヴリトラを制圧し魔王国ヴリトラとして建国を宣言したとのこと』
ラジオからの発表に、誰かの喉がごくりと音を鳴らす。
『これを受けまして各国首脳は昨夜未明から電話による緊急会議を行っており、魔王国ヴリトラへの対応を協議している模様です』
協議の内容が分かり次第お伝えいたします、とアナウンサーが続けたところでミネルバは羽を器用に使ってラジオのボリュームを絞った。
そしてやや静かになった礼拝堂に「聞いた通りだよ、みんな。世界はヴリトラを敵とみなした」と告げると
「作戦は大成功ってわけさ」
堂々と鳩胸を張り、自信満々な声を轟かせた。
「おばあ様、なにが大成功ですか!? 赤い月を吹き飛ばしちゃったんですよ?」
「いいじゃないか。あたしゃね、あの月が昔から嫌いだったんだ。だって気持ち悪いじゃないか。世界を血の色に染めてさ」
「それはそうかもしれませんが、さすがにやりすぎです」
「うっさいねぇ、終わったことを今さらぐちぐち言っても仕方ないだろ、ミュー。それにね、今回はこちらが圧倒的な力を持っていることを世界に知らしめるのが重要だった。だから赤い月に大きな穴でも開けてやろうと思ったんだが、まさか吹き飛ばしちまうとはねぇ。アルン、よくやったよ」
急に自分の名前を呼ばれて、アルンは夢中になって食べていたシリアルから顔を上げた。口元どころか、ぷにぷにほっぺにまで砂糖を存分に溶け込ました牛乳でべっとべとだ。
でも褒められたと気付くとそんな状態などおかいまく、にぱーと満面の笑みを浮かべた。
その幼い笑顔にざわめきが起きる。
昨日教会に集まった街の代表者ややじ馬たちから、大まかな話は他の町民たちにも伝わっている。
ミネルバが鳩となって復活したこと。そのミネルバとかつて一緒に世界を救ったアルンが今度は魔王となってヴリトラを支配すること。そしてヴリトラが世界の敵となって人間同士の愚かな戦争を止める抑止力になること。
どれも突拍子のない話で俄かには信じがたい。それでも突如現れた巨大魔法陣が赤い月をこの世から消し去り、慣れ親しんだ声で話す鳩を見るにつれて、どうやら本当の事らしいと思うようになった。
だが、教会の裏庭に干された大きな世界地図を描くシーツといい、顔中をべっとべとにしながら浮かべる無邪気な笑顔といい、この幼子があの勇者シュタークの仲間・アルンで、実は魔族で、さらには赤い月を吹き飛ばした張本人だなんてのは、いまだ誰もが信じられずにいる。
「さて、みんなに集まってもらったのは他でもない。これからのことを話しておこうと思ってね」
ざわめきがミネルバの一言ですっと収まった。
「あたしたちは今日から魔王国ヴリトラの一員となって、世界中の国と戦うことになる。でもね、それはこれ以上人間同士が戦って、無駄な犠牲を出すのをやめさせるのが目的さ。なのでこちらから戦争を仕掛けることはない」
「専守防衛ってことですか?」
「少し違うね。専守防衛ってのは『相手が攻めてこない限り、こちらから攻撃することはない』ってことだろ? そうじゃなくて 、とりあえずあたしたちがやらなきゃいけないのは徹底防衛。相手が攻めてきても、一切反撃なんかせずにドンと受け構えてやるのさ」
魔王国ヴリトラなんて無茶な話に町民たちから異論が出ないのは、背景にミネルバへの絶対的な信頼がある。
が、それでもさすがにこの作戦と言うより自殺行為に近い方針には皆がどよめいた。
中には「それじゃあ俺たちは殺されるのを待つだけって言うのかい、婆ちゃん!」と声を上げる者さえいる。
「なるほど。普通なら自殺行為もいいところですが、アルン君の魔力ならそれもアリですね」
もっともミューだけは違った。
「アルン君が町周辺にバリアを張れば、大抵の攻撃は無力化できると思います」
「そうさね。だからあんた達、何にも心配することはないよ。この子の魔力ならたとえ黄金帝国の核爆弾だって凌いでみせるさ」
ミネルバはみんなを安心させるために核爆弾という言葉を使ったが、残念なことに町民のほとんどはその言葉を知らなかったので効果はイマイチだった。
ただ、何かと破天荒なミネルバと違い、ミューにはとても13歳とは思えない大人顔負けの思慮深さがある。何よりミネルバへ遠慮なくツッコミを入れることが出来る。
そのミューがミネルバの言葉に異を唱えないということは、本当に大丈夫なのだろう。そう結論付けて、町民たちは少し落ち着きを取り戻した。
ミネルバ同様、いやもしかしたらそれ以上にミューもまた人望が厚いのだった。
「ですが、圧倒的な防衛力があってもそれだけでは他国の関心を引き付けることは出来ないと思いますが?」
「ほぉ。それはつまりこちらからも攻め入るべきだって言うのかい、ミュー?」
「そういうわけではありません。魔王なら魔王らしく世界征服を企んでいるところも見せなきゃいけないと言っているのです」
「うむ。じゃあ頃合いを見計らって次は青い月もアルンに吹き飛ばしてもらうとするかね」
「それはさすがに魔王すぎるので却下です」
ミューの反論に、青い月まで失っては堪らないと町民たちも揃えて首を縦に振る。
「冗談だよ。安心しな。そのあたりも色々と考えてあるよ。人の命を奪わず、しかし他国にとって脅威であり続ける策を色々と、ね。そのひとつとして早速魔王鎧アルカンタラの改造を行っているところさ」
昨夜、無事ミッションを遂行して戻ると、ミューは鎧の中で起きた不思議な体験をミネルバに話した。
そう、鎧の中に頭を突っ込んでいるにも関わらず、外の景色が見えたアレだ。
それを聞いたミネルバは右羽を嘴に持っていき「ほうほう」と頷くと、「それは多分アルンとミューの魔力が同調したせいだよ」と結論付けた。
なんでも魔力が同調した結果、アルンの視界をミューも共有することが出来たのだという。
それをもとに何かを閃いたミネルバは早速昨夜からアルカンタラの改造に取り掛かっている。
ちなみに鳩だから工作なんかできないので、実際に徹夜で手を動かしたのはアルカンタラの製作者であるバーンだ。
「昨日は夜だし距離も遠かったから誤魔化せたけど、これからは昼間やもっと近くで他国の人間たちの前に出なきゃならん時もあるからね。それを考えたら正式に魔王鎧アルカンタラをアルンとミューのダブルエントリーシステムへ改装するのが急務さ」
「だからって私たちがずっこけたせいであちこちに傷やへこみを負ったアルカンタラを見て、死んだ魚のような目になってしまったバーンさんを徹夜させるのはどうかと思いますが?」
「そんなことないさ。そもそも傷だらけになったアルカンタラを修理するって言いだしたのはあいつだよ。だからあたしゃ、同じ修理するなら今のままだと使い勝手が悪いからこれこれこうしてくれって注文をだしただけさ」
「すごいですね。盗んでおきながら具合が悪いから不良品だ直せってのは厚かましいにもほどがあります」
「何を言うんだい、利用者の貴重なご意見じゃないか」
ああ言えばこう言う。さすがはミネルバ、まだまだ口喧嘩ではひ孫娘には負けない。
「あのぉ、ミネルバ様?」
とにかくアルカンタラを早急に改装する為、バーンにはしばらく寝ないで作業してもらうとのたまうミネルバに、ミューが悪魔ですかとツッコミを入れた時の事だった。
ふたりのやりとりを邪魔してはならないと思いつつも、それでも何かを言わずにはいられなかった街の代表者であるひとりの老婆が恐る恐る手を挙げた。
「ん、どうしたんだい?」
「バーンをしばらく不眠不休で働かせるのには異論ないんじゃが、それだと電気はしばらく回復しないのかのぉ?」
「え?」
「アヴァーゼンに落とされた発電所じゃが、あれを直したり再起動させたり出来るのはこの街だとバーンぐらいなものじゃからして」
ミネルバの嘴がかっくーんと大きく開かれるのをミューたちは見た。
さらにはせわしなく首を左右に振り回し、両羽を鳩胸の前にじっと組んでうーんと考え込み、両足をせわしなく地団駄を踏む様も見た。
「うむ。それもちゃんと計算に入れてやはりアルカンタラの改装が優先だと判断して――」
なんとか落ち着きを装ってウソぶるミネルバに、みんなが割り込んでツッコミを入れようと口を開こうとしたその時。
『緊急速報です! ただいま、黄金帝国のジャック・バレンサー大統領が魔王国ヴリトラに向けて核爆弾の使用を決定しました!』
ミネルバの白々しいウソも、みなのツッコミもかき消すように、ラジオからアナウンサーの慌てた声が礼拝堂を支配した。
『核爆弾が実戦で使われるのはこれが初めてのことです。念のため、ヴリトラ周辺に住む皆さまはただちに避難してください。繰り返します。先ほど黄金帝国ジャック・バレンサー大統領が魔王国ヴリトラに核爆弾を使用すると発表いたしました――』
アナウンサーが冷静を保ちつつも、興奮を隠しきれない様子で何度も何度も同じことを繰り返す。
核爆弾について詳しく知らないヴリトラ町民たちも、さすがにこれは大変なことになったようだと気付き始めた。
「おばあ様、核爆弾についてよく知らないんですけど、どれぐらい威力があるものなんですか?」
そんな町民たちを代表してミューがミネルバに尋ねた。
ミネルバは若くから魔法の第一人者であったが、年老いてからは科学にも強い関心を示して研究に没頭していた。特に魔法と科学を融合させた分野に関しては幾つもの論文を残している。
まぁ、多くの科学者たちからは胡散臭いと否定されてはいるが……。
「そうさね、牛一頭ぐらいの大きさでヴリトラはおろか、スエル山脈にある発電所あたりまで周囲が一瞬にして吹き飛ぶぐらいかね」
「え?」
「しかも爆発後もあたりは放射能ってのに汚染されてね。数百年は人間はおろか草木も生えない死の土地になるよ」
「えええっ!?」
思っていたよりも遥かに上回る破壊力に、たちまち礼拝堂は悲鳴に包まれた。
「騒がしいねぇ。だから安心しなって言ったろ。いくら核爆弾でもアルンの超強度バリアを破るなんて出来やしないさ」
それでもミネルバは涼しい顔をして羽ばたくと、再び砂糖たっぷり牛乳シリアルを夢中で貪るアルンの肩へと降り立った。
「アルン、あんたのバリア、どのあたりまで広げることが出来る?」
「うん? バリアってすっごいバリアのこと?」
「そう。そのすっごいバリアで街を守ってほしいのさ」
「うーん、しばらくは無理だと思う」
「……は?」
アルンが答えながら勢いよく掬い上げたスプーンからシリアルの欠片が飛び跳ね、ミネルバの額あたりを直撃する。
まさに豆鉄砲を喰らった鳩ならぬ、シリアルを喰らった鳩である。
「だって昨日いっぱい魔力を使っちゃったもん。しばらく寝ないと魔力が回復しないよ」
「ちょ! しばらくって一体どれくらいだい?」
思えばアルンはヴリトラに来るまで100年間眠っていた。もし昨夜の魔力がその100年間に蓄積されたもので、それを回復するのにまた同じぐらいの時間がかかるとしたら……ヴリトラはおしまいだ!
「うーん、2,3日ぐらい?」
「回復早っ!」
思わず年甲斐もなくツッコミを入れてしまったミネルバである。
「なんだい、脅かすんじゃないよ、まったく。で、2,3日寝れば大丈夫なんだね?」
「うん。この街だけじゃなくてかなり広いところまですっごいバリアで守れると思う」
「そうかいそうかい。ほれ、みんな聞いたね? だから安心して――」
『あ、ただいま入った情報によりますと、先ほど核爆弾を積んだ軍用機が黄金帝国基地を出立。ヴリトラには本日正午過ぎに到達する見込みのようです』
コケーッとミネルバの驚く声が轟く礼拝堂。
どうでもいいがそれは鶏である。
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