第6話:魔王降臨

 陽が落ちると代わりに青い月が空へと昇り、それを追いかけるようにして数時間後、赤い月が東の空に顔を出した。

 

 俗に青い月は人間の月、赤い月は魔族の月などと言われている。

 諸説あるが、赤い月に関しては夜行性魔族の活動時間帯と重なっていたのが最も知られている由来だ。

 実際には赤い月とは関係なく動き回っていた夜行性魔族は山ほどいる。が、神秘的で世界を安らぎに包む青い月とは違い、いかにも毒々しい褐色に染め上げる赤い月を魔族と関連付けたくなる気持ちは分からないでもない。

 

 もっとも今のミューは青いも赤いも関係ない。

 視界はどこまでも真っ暗な闇。おまけに臭くて、暑くて、そして重かった。

 

「おばあ様、やはりこれ無理だと思うのですが」

「なんだい、ビビってるのかい、ミュー?」

「そういうわけではありません。私は現実的に言って無理だと……」


 そもそもいくら子供と言ってもフルプレートアーマーをふたりで着込むのは無理がある。

 肩車されたアルンが兜を、下で支えるミューが臀部や足を守る防具を身に纏う。が、ミューの頭とアルンの下半身が入る胸部のブレストプレートとバックプレートは当然ながらリベットで留めることが出来ず、応急処置として革紐をぐるぐるにまいて無理矢理固定させた。

 腕は本来ならアルンが担当すべきだが、残念ながら短すぎる。とはいえ、ミューだとバランス的におかしい。

 そこでマントを羽織ることになった。これなら胸部の杜撰な対応も隠せるし、マント越しならば手の位置が多少おかしくてもそれなりに胡麻化すことが出来る。

 

 それでも出来上がったのは、まるで壊れかけのブリキのおもちゃみたいな有様だ。

 ミューにはとてもアヴァーゼンを騙せるとは思えなかった。

 

「大丈夫だよ。夜の闇に加えて距離もあるんだ。堂々としてたらバレないよ」

「とてもそうは思えません。それに視界の問題もあります。私、全然見えないんですけど」

「仕方ないだろ。バーンが最高傑作に穴をあけるなんてとんでもないと言って聞かないんだから。まぁそこはアルンの指示に従って慎重に動けば問題ないさ。むしろその動きの重量感が魔王っぽさを演出するやもしれんし」

「そうでしょうか? 私には無様にこける様子が簡単に想像できるんですが」

「……まぁ仮にそうなったとしても、アルンが魔法をぶっ放せば全てリカバー出来るさね」


 それは何の慰めにもなっていない。もはやこけるのは織り込み済みかとミューは鎧の中で溜息をついた。

 

「というわけだからアルン、この作戦はあんたの魔法に全てがかかってる。分かってるね?」

「う、うん。とにかく思い切り魔法を放てばいいんだよね?」

「そうさ。シュタークから受け継いだあんたの魔力が、人間の科学をまだ遥かに上回っているんだってところを見せるんだ」


 人間の科学への探求心は留まるところを知らない。近年では自ら世界の守護者を名乗り他を圧倒する軍事力を持つ西の大国・黄金帝国が、核爆弾なる凶暴な破壊兵器の開発に成功した。

 それでもなお、ミネルバはいまだ魔法が科学に勝っていると確信している。

 

「さぁ世界中の人間の度肝を抜いてやりな!」


 ミネルバが羽ばたきながら足で魔王アルカンタラの背中をぺしっと蹴り上げた。

 それを合図にアルンが「ミューお姉ちゃん、右足を上げて」と指示を出し、ミューがそれに従って城壁に上がる階段を昇っていく。

 一歩ごとにひょこひょこ上半身が左右へ揺れる様が、ますます壊れかけのブリキのおもちゃを彷彿とさせた。

 

「あうう。すごく揺れて怖いよぅ」

「ご、ごめんね、アルン君。ちょっとだけ我慢して」


 怖がるアルンを何とか宥めすかしてなんとか城壁へと上がったミューが、右足を前方へと進ませ……と転がっていた石に足元を掬われた。

 

「うわああああ!」

「きゃああああ!」


 普通ならすぐに態勢を整えられるはずも、アルンを肩車し、さらには重い鎧を着せられた状態ではたまったものじゃない。派手に前方へすっ転ぶ。ガコンッと鈍い音が鎧の中へ響き渡る。辛うじて頭をぶつけるのは避けられた。

 

「ご、ごめん。大丈夫、アルン君?」

「う、うん。なんとか」

「立ち上がるからしっかり掴まってて」


 ミューはやっぱりこけたなぁと思いながら、力を振り絞って立ち上がろうとした。が。

 

「ひゃああああ!!」

「うそぉぉぉぉ!?」


 反動で逆に今度は後ろ向きにひっくり返ってしまった。先ほど以上に大きな音と振動が鎧の中のふたりに襲い掛かる。

 

「ううー、今度は頭打ったぁ。痛いよぅ、ミューお姉ちゃん」

「ごめん、ホントごめん。もぅ、おばあ様、こんなの絶対無理ですってばー!」


 その後何度も立ち上がろうとしては跪き、お尻を強かに打ちつけたりもした。

 予想はしていたが、それを遥かに上回る失態だ。ミネルバはとにかくアルンが魔法を放てば魔王と認識されると言っていたけれど、こんなので本当に大丈夫かなとミューは頭が痛くなった。

 

「と、とにかくなんとか立ち上がれましたね。じゃあアルン君、まずは練習通り、魔王だって名乗りましょうか」

「う、うん。えっと、魔力で声を大きくして……それじゃあ、言うね」


『ぼく』


 想像していた以上に大きな声が響き渡って、ミューは驚いた。

 が、問題はそこじゃない。


「アルン君、『ぼく』じゃなくて『余』でしょ!」

「あ、そうか」


 慌てて修正を指示する。


『余は魔王です』



「『魔王です』じゃなくて『魔王である』!」

「あわわわわ」


 事前にあれだけ練習したのに、間違いまくりのアルンだ。


『じゃなくて、魔王で、ある!』


 わずか『余は魔王である』という名乗りで、まさかこれほどまでに苦労するとは。さすがはお子様である。

 というか、いくらセリフがそれっぽくても声が子供のまんまでは意味がないのではないかと、ミューの頭痛はさらに激しくなった。

 

「やった! ちゃんと言えたよ、ミューお姉ちゃん」

「あ、うん、言えたねぇ」


 さすがに「ちゃんと」って言葉を付けるのは、ミューには抵抗がある。

 

「それでアルン君、アヴァーゼンの人たちの反応はどうですか?」

「えっと、なんだか歓迎されてるみたい。みんな笑ってるよ」

「……そうですか」


 まぁ、それは歓迎じゃなくて馬鹿にされているだけなんだけどなと思ったものの、わざわざ口に出したりはしない。

 

「それよりもミューお姉ちゃん、なんかすごいものがあるよっ! おっきなフライパンを裏返したようなやつ!」

「ん? ああ、多分それは戦車ですね。先の長い筒から砲弾を発射するんです」

「戦車? 砲弾?」

「あれで壁や建物を壊したり、人をいっぱい殺したりするんです。でも安心していいですよ。あんなのを撃ってきたりは――」

「あ、なんかその戦車というやつが火を噴いたよ!」


 えっ!? とミューが驚く暇もなく、近くで凄まじい爆発音が轟いた。

 

「ウソ!? 撃ってきた!?」

「うん。でもすっごい下手くそだね! 僕たちどころか、壁にも当たってないよ」

「え? あ、そうか、威嚇射撃だ。私たちじゃなくて、早くちゃんとした使者を出してこいって脅してるんだ……」


 いきなり撃ってきたのには驚いたものの、アルンの説明を受けてミューは相手の意図を飲み込めた。

 抗う力なんてないくせに返事をずっと渋っていて、ようやく使者が出てきたと思ったら悪戯としか思えないような自称・魔王が出てきたのだ。「いい加減にしろよ」と思わず砲弾を撃ち込んでしまう気持ちは分からないでもない。

 

「あれ? でも、それにしては振動も爆風も大したことないような……。アルン君、砲弾はどのあたりに当たったの?」

「えっと、壁のちょっと前の地面あたりだよ」

「うーん? それならやっぱりもっと衝撃が来そうなものなんだけど?」


 威嚇用に火薬の量を極力減らした砲弾を使ったのだろうか? 見えないのがなんとももどかしい。

 

「ねぇ、ミューお姉ちゃん。戦車って大したことないね」


 砲弾が穿った地面の穴の大きさを聞こうとしたミューよりも早く、アルンが口を開いた。


「煙だけはすごいけど、これだったらすっごいバリアを張るまでもなかったよ」

「え? すっごいバリア?」

「それじゃあ今度はぼくの番だね!」


 アルンが言うやいなや、それまで真っ暗だったミューの視界がぼんやりと緑色の光に覆われた。

 それがアルンの身体の発光によるものだとはすぐに分かった。魔力の行使による発光現象は決して珍しくない。

 だが、驚いたのはその直後だ。

 

「え? なんですかこれ?」


 鎧の中を満たす緑色の光が徐々に白くなっていったかと思うと、突然視界が360度開けた。

 鎧が外れたのかと思ったが、そうではない。相変わらず圧迫感はあるし、頭を少し前に動かすと額にコツンと固いものが当たる。

 にもかかわらず、目の前に外の様子が広がっているのだ。


 しかも赤い月が照らしだす血の色を彷彿させる世界が、空へ果てしなく展開していく巨大な魔法陣の放つ光で緑色の染め直された異様な光景が。

 

「うーん、こんなものかなぁ。それとももっと頑張らないとダメかなぁ。ねぇ、ミューお姉ちゃんはどう思う?」

「え?」

「これぐらいで大丈夫だと思う?」

「…………」


 アルンの質問に、ミューは答えられなかった。

 まず咄嗟にその質問内容が分からなかったせいだ。いきなり視界が開けて頭が混乱しているところに、アルンの言葉足らずな問いかけでは無理もない。

 それでもすぐにミネルバがあらかじめ立てた作戦の実行に、この巨大魔法陣の魔力で問題ないかとアルンが尋ねていることを察した。

 が、やはり答えられない。大丈夫かと訊かれても、こんな巨大な魔法陣なんてそもそもミューは見たことがないのだ。故にどれだけのパワーを生み出すのかなんて分かるはずもなかった。

 ただひとつ言えることがあるとしたら、あのほっぺぷにぷにの生き物が自分の想像を桁違いに超えたバケモノだということ。あの自信家の曾祖母があれほどまでに信頼を置いているのだから、その魔力を疑っているわけではなかった。それでもまさかこれほどまでとは。魔族の魔力ってのはどれだけ凄まじいのか。

 

「……アルン君、私は未熟だから分からないけれど」


 しかし、とんでもない魔力の持ち主であってもアルンはまだ子供だ。実際は自分よりずっと年上だけれど、その精神年齢は見た目と変わらない。

 

「みんなをびっくりさせるならこれでも十分すぎると思うよ」


 だったら今の自分に出来ることは、アルンを安心させる言葉をかけてあげることだとミューは理解した。

 

「うん。分かったよ、ミューお姉ちゃん! よーし、じゃあ発動させちゃうよー!」


 ミューの承認を得て、アルンが元気な声を鎧の中に響かせた。

 同時に魔法陣の発光が緑から白へと変わっていく。組み上げた魔法陣の術式をアルンが読み解いて順次発動させているのだ。

 世界が今度は真っ白に染め上げられる。眩しくて目を開けていられない。

 それでもミューはその瞬間を見逃さないようにと、必死になって瞼を開け続けた。

 

  ☆ ☆ ☆

  

 その巨大な魔法陣の発動を前にして、アヴァーゼンの兵士たちが地面へ伏せながら死の恐怖と戦うことしばし。

 いつまで待ってもやってこない衝撃に異変を感じたアヴァーゼン軍隊長・デシルバは、眉間に皺を寄せながら顔を上げた。

 

「……え?」


 唖然としたつぶやきと同時に表情もまたそれへと変わる。

 あれほど巨大な魔法陣だ。とんでもない威力を秘めているのは素人でも分かる。確実に自分たちは死に、ヴリトラ周辺はおろか、北東に位置するハーバーンも、もしかしたらさらにはそのずっと東、アヴァーゼンの首都ページまで被害が及ぶかもしれないと思っていた。

 

 それがいつの間にか巨大魔法陣が消え失せており、それでもなお元の世界がまるで何もなかったかのように目の前へ広がっていたのだ。

 

「……生きてる」

「俺たち、生きてるぞ!!」


 いつの間にかデシルバと同じく顔を上げた兵士たちが驚きながらも声を上げた。

 それは一気に他の者たちへも広がり、辺りはたちまち歓喜の渦に包まれた。

  

「なんだったんスかね、あれ」

「……分からん」


 もっともデシルバや副官は喜ぶ前にやるべき職務がある。


「あれを見て俺たちが慌てて逃げ出すと思ったんでしょうか?」

「かもしれんが」


 しかし、その目論見は外れたと言わざるを得ないだろう。

 一度は死を覚悟した。が、死の恐怖から解放された今、兵士たちの士気はすこぶる高い。加えてあれほど巨大な魔法陣が単なるハッタリだったと露見した今、畏れは怒りへと変わってきている。

 

「まぁどういう意図があったにせよ、攻め入るには十分な理由となりますな」

「……そうだな」

「今度は威嚇なんてお優しいものじゃなく、直接城壁にぶち込んでやりますか」


 副官の提案に双眼鏡を覗き込むデシルバ。

 蒼いヴリトラの城壁には相変わらずコスプレした魔王が佇んでいる。ここで砲撃を加えれば、確実に中の子供たちにも危害を与えることになるだろう。だがそれもやむなし……。

 

「ん?」


 ふとデシルバは違和感を覚えた。

 何かが違う。何かが先の巨大魔法陣が出現する前と大きく変わっている。

 なのにその違いが何なのかが分からない。不思議な感覚だった。人が何かを考える時、それまでの人生で培ってきた常識で物事を判断する。ところが今、その常識が逆に認識を邪魔しているように思えてならない。

 

「隊長、戦車隊に発砲を許可しますか?」

「……いや、ちょっと待て」


 巨大魔法陣から生き延びた興奮が思考能力を鈍らせているのか、違和感の原因になかなか辿り着けない。

 そもそもあの巨大魔法陣は何だったのか?

 単なるハッタリだったのか。あるいは失敗だったのか。それとも本当はしっかり発動し、自分たちが気付けないだけで効果が出ているのか……。

 

「ふぅ」


 そう考えたところでデシルバは思考があらぬ方向へ向かっていることに気付き、双眼鏡から目を外して空を見上げると一息ついた。

 先ほどまでのことがウソだったかのように、夜空から巨大魔法陣の姿が消え失せている。代わりに輝くは無数の星々と、そして世界を蒼く照らす青の月のみ――。

 

「……バカなっ!」


 慌ててデシルバは腕時計へと視線を降ろした。

 あの巨大魔法陣の衝撃に備えて地面へ伏したのはほんの数分のはずだ。決してそんな何時間も経っているはずなんてない。

 

 然して確かにその通りだった。

 腕時計が示す時間は、ヴリトラに突き付けた天頂にて青の月と赤の月が重なる時までまだ余裕がある。

 それなのにどうして。

 

 何故、夜空には青の月しか存在していないのだっ!?

 

  ☆ ☆ ☆

  

 デシルバの動揺をよそに、ひとり城壁に佇む魔王アルカンタラ。

 が、その内部では。

 

「ふええ、どうしよう? 赤い月に穴を開けようと思ってたのに、失敗して吹き飛ばしちゃったよぅ」


 アルンの泣き声が鳴り響き、呆然としつつもミューが慰めながらも必死に説得する。

 そして。

 

『ううう、ぼく……じゃなくて余は魔王アルカンタラ。ヴリトラは今日から魔王国ヴリトラになりま……なる。人間よ、恐怖するがよいふぇええええええ!!』


 泣きべそをかきながら名乗りを上げたアルンの声が、辺りに響き渡るのであった。


 エピソード1 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る