第5話:魔王になりますっ!
魔族の脅威から世界を救った勇者シュターク。
その冒険は驚くほど世界各地に広がっている。
遥か南の村では、魔族の生贄にされた少女を救い出し。
果てしない東の国では、魔族の大軍を神風の魔力で殲滅し。
ド田舎の西の荒野では、奴隷にされていた人間たちを魔族の手から見事解放してみせた。
まさに勇者の名に相応しい大活躍ぶりである。が、そこに歴史家たちはある疑問を抱かずにはいられない。
すわなち「どうして勇者シュタークはさっさと魔王城に乗り込まなかったのか?」である。
この疑問に大賢者ミネルバは「シュタークは困っている人がいると聞くと無視できない性格だったからね」と答えている。実に勇者らしい性格が伺える完璧な答えだ。一般人ならこれでころっと納得してしまう。
だがそれにしても10年も世界各地を旅するのはどうであろう?
勇者シュターク御一行が本気になれば、1年で魔王城に乗り込めたはずなのである。
「歴史家ってのはホントしつこくてね。やれ『何年にこの街を訪れたのなら、魔王城はすぐそこだ』とか『どうしてわざわざそんな遠くにまで旅したのか』とか訊いてくるんだよ。んなもん、あたしだってねシュタークに何度も言ったさ。早く魔王を倒しに行こうって。でもその度にあいつはこう答えるんだよ」
『それは私の役割じゃないからね』
そう言って微笑みながらどこか遠くを見つめるシュタークの眼差しを、ミネルバは今も覚えている。
「もちろんあたしも『あんたが魔王を倒さなかったら一体誰がやるって言うんだい!』って言い返してやったさ。でも完全に無視してアルンと一緒に次の目的地へ飛ぼうとしやがるの。まぁ、仕方ないから私もしがみついて無理矢理ついていったんだけどね」
「おばあ様の話を聞いていると、本当に仲間だったのか疑いたくなりますね。よくもまぁそんなので10年間も一緒に旅したなとつくづく感心します」
「まぁ、最初はあたしが勝手についていっただけさ。それだけシュタークの使う魔法は魅力的だったからね。凄まじい魔法を使う魔族が、しかも何故か人間に友好的なんだよ。こいつは研究材料として美味しいじゃないか。いくらやることが理解不能でも逃しちゃいかんと意地でもついていってるうちに、あいつもさすがに仲間と認めよったよ」
「まったく、おばあ様は逞しいですよね」
もっともその逞しさを誰よりも強く引き継いだのが、他ならぬミューである。
「でも、そんなシュタークも魔王を倒さざるを得ない状況になった。魔王が世界を滅ぼす究極魔法を作り出したからね。そんなのを使われたら、いくらあちこちで人間を助け回っても意味がない」
「結局その究極魔法をシュターク様が己の命と引き換えに封印し、魔王を倒されたんですよね」
「ああ。魔王がなかなかずる賢い奴でね。さすがのシュタークも騙されたのさ。本当なら魔王なんてあっさり倒せたはずなのに」
「え、魔王をですか?」
「それぐらいシュタークの魔力はずば抜けてたのさ。そしてあの『あとは任せた』って言葉……あの頃は凱旋パレードでのスピーチとか、魔王討伐の報酬の受け取りとかの事かと思ってたね」
「そんなわけないじゃないですか!」
「あとはまぁ、アルンのことぐらいか。でもあの子、さっきも言ってたように王国でのパーティでいきなり姿を消してね。ああ見えて魔族だからそう簡単に殺られたりしないのは分かってる。でも、一体どこへ行ってしまったのかはさすがに気になってたよ。ただ手掛かりは全くなかった。今回あいつを呼び出すことが出来たのも、魔力探知力を持たせた魔法の手紙を飛ばす方法を、2年前に偶然見つけたからだよ。そしてその頃にはさすがのあたしも、シュタークの遺言の意味が分かった」
それにシュタークが魔王を倒すのは自分の役割じゃないと言っていた理由もね、とミネルバは付け加えた。
そこへ。
「どうしてぼくが魔王にならなくちゃいけないのっ!?」
奥の部屋でおもらしした服を着替え、古風な魔法使いスタイルから子供らしいスモック姿へと変わったアルンが礼拝堂に戻ってくるやいなや精一杯大きな声を出して叫んだ。
可愛らしいほっぺたをぷくーと膨らませ、両手両足をそれぞれ上下に思い切り伸ばして、完全に「ぼく、怒ってます!」モード発動である。
「いいとこに来たね、アルン。まさにその話をしようと思っていたところさ」
が、やはりそれでも怯むミネルバではない。焼酎ですっかり酒臭くなった息をアルンに吹きかけるようにして答えてみせた。
「アルン、100年間寝ていたあんたは知らないだろうけどね、今の世界は最悪だよ。せっかく天敵の魔族が滅んだっていうのに、今度は人間同士で戦争をおっぱじめやがったんだからね」
「そうなの? でも、それでどうしてぼくが魔王なんかにならなくちゃいけないのさっ!?」
「簡単だよ。シュタークはきっと自分が魔王になろうとしていたからさ」
「ええっ!? そ、そんなのウソだよっ! あの優しいお師匠様が、魔王なんてわるいやつになんかなるわけないよっ!」
「そうだね、魔王と言っても人を殺しまくる魔王じゃない。あいつがなろうとしていたのは人を殺さない、それでも人間にとっては恐怖の存在として君臨する魔王なのさ。そう、人間たちがお互いに手を取り合い、立ち向かわなきゃいけない存在に自分がなることこそが、人間たちを一番平和に導くとシュタークは考えたんだよ」
あ、とミューが小さく声を上げた。
ミューだけではない。それまで声も出せず、ただただミネルバのトンデモ発言を聞かされていたヴリトラ町民たちも、ようやくその意図が分かりかけてざわめき始める。
「………………?」
いまだ状況を掴めていないのはアルンだけだ。
「自分が魔王を倒したら、きっと早かれ遅かれ人間同士で戦い始めるとシュタークはきっと気付いていたのさ。だから魔王を倒さず、ただ困っている人たちを助けることばかりしていた。それが状況が変わって、早急に魔王を倒さなきゃいけなくなった。その時にさっきの計画を思いついたはずだよ。もっともそれは予想外な展開で無理になった。だから代わりにあたしたちに託したのさ。それがあの『あとは任せた』って言葉の本意だよ」
その真意に辿り着くのに100年かかった。それはあまりに長い時間であり、はっきり言って遅かった。
ただし、遅すぎてはいない。この100年で30万人が戦争で亡くなったが、いまだ人類はしつこくこの世界に存在している。
「というわけでアルン、魔王になりな。人間にとってすごく怖くて、だけど本当は人間を守っている魔王にね」
「ううっ、そんなの、ぼくに出来るかなぁ?」
「出来るさ。それにねアルン、いつかシュタークが蘇った時、人間が滅んでいるのを知ってあやつが悲しむのは嫌だろ?」
「え、お師匠様が生き返るの!?」
「そりゃそうさ。魔法使いとして数段劣るあたしがこうして転生出来たんだよ。あやつなら復活ぐらいきっと出来るはずさ」
シュタークが復活すると自信満々に語るミネルバ。ただし確証はまるでない。子供騙し理論もいいところだ。
「……わかった。ぼく、魔王になるよっ!」
だが100年以上生きているとはいえ、見た目通りの子供そのものなアルンを説得するには十分だった。
「よし、よく言った! これで今からここは全世界の人間たちを敵に回す魔王国ヴリトラだよ! さぁみんな、いっちょ人類をビビらせながら救ってやろうじゃないかい!」
両羽を高く突き上げて宣言するミネルバに、つられて「おー!」と可愛いながらも頑張って大きな声を出すアルン。
「お、おー!?」
「お、おう!?」
対して町民たちの声は、ミネルバの興奮とは反して明らかに戸惑い気味だ。
「なんて情けない声を出すんだい、あんたら! もっと腹の底から大きな声を出しなッ! そんなので人類を救えると思ってるのかいッ!?」
「そうは言ってもさ婆ちゃん」
「なんだい、今さら怖気ついたのかい!? あんたら、あたしの後を追って死ぬつもりだったんだろ? だったら死んだつもりで根性出しなッ!」
「いや、そうじゃなくて。婆さんが言うなら、俺たちも魔王国ヴリトラ住民になるのに異論はないよ。でもさ、その、アルン……様? その子が魔王って言うのはさすがに無理があると言うか……」
「ったく、見た目に騙されてるんじゃないよ。この子はね、見た目はガキでも身体にはシュタークの血が流れてる。つまりシュタークの魔力が血に溶けこんでるのさ。その力たるや人間が想像も出来ないほど強力だよ。安心しなッ!」
「あー、確かに力は婆ちゃんの言う通りなんだろ。そこは誰も疑っちゃいないさ。でもさ、その見た目ではさすがに騙せないんじゃないか?」
「……は?」
カクンと首を横に90度掲げてみせるミネルバ。
「つまりアルン君がいくら凄い魔法使いだったとしても、その見た目では魔王としての貫禄に欠けているということですよ、おばあ様」
いつの間にか枝豆を食べてひとり様子見をしていたミューが助け舟を出した。
「ふん。なんじゃそのことか! それなら任せておけ!」
ミネルバが聖壇から羽ばたいて空中へ身を躍らせると、多少酔いでよろよろしながら器用に礼拝堂の柱をいくつか突きながら飛ぶ。、
そして5本目の柱を突いた時のことだ。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!!
礼拝堂の地下が俄かに轟音を轟かせて揺れた。見れば聖壇が床下へと沈み込んでいく。代わりに姿を現したのは……。
「ああっ! 俺のアルカンタラ!!」
鍛冶屋のバーンがそれを見て大声をあげた。
かつてバーンの店先に飾られていた漆黒のプレートアーマー。2年前に何者かに盗まれたバーンの力作が、今まさにその雄姿を皆の前に現したのである!
「てか、婆ちゃんが盗んでたのかよ!」
「人聞きの悪いことをいうんじゃないよっ! これは来るべき時の為に借りてやったのさっ! ちょっと無断で。永久的に」
「それを盗んだって言うんだよ!」
「うっさいねぇ。大の男がごちゃごちゃうるさいんだよっ。とにかくこいつを着れば、アルンだって立派な魔王様さ!」
「いやいや、おばあ様。これを着るってアルン君には大きすぎるんですが?」
「そこは計画が狂ったねぇ。まぁでも誰かがアルンを背負って着れば問題ないさ」
「ええー?」
黒騎士アルカンタラは本来、鍛冶屋のバーンが年に一回の感謝祭にコスプレする為に作られたフルプレートアーマーだ。だから背丈や体格などもバーンに合わせて作られている。
「おばあ様、バーンさんはがっちりした体格をしておられますが、身長はそれほど高くありません。さすがにこれを大人の人がアルン君を背負って着込むのは無理じゃないかなと」
「うむ。大人では無理だね。でも、ここにちょうどいい感じの背丈をした子供がおるじゃないかい」
「いえ、ここに子供はひとりも……え、まさか?」
否定しておきながら例外を思いついたミューの額に嫌な汗が滲み出てくる。嫌な予感がする……。
「うむ。ミュー、あんたも魔王アルカンタラになるんだよ!」
そんなひ孫の嫌な予感など的中させてやるよとばかりにミランダが言い放った。
言葉も出ないミュー。代わりにバーンが「魔王アルカンタラじゃねーよ! 黒騎士アルカンタラだよっ!」と空しい抗議を騒ぎ立てた。
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