第4話:寝てました

 魔王を倒した勇者シュタークにはふたりの仲間がいた。

 ひとりは若き大賢者ミネルバ。

 そしてもうひとりは、御年6歳ぐらいの小さな魔法使いアルン。

 だが、いくつもの武勇伝が残るミネルバと違い、アルンが活躍する話はほとんど残っていない。故にアルンはその幼さから勇者の仲間というより、シュタークの連れ子に過ぎないというのが世間一般的な評価となっている。

 加えてアルンは魔王討伐後にぷっつり姿を消してしまった。そのため各地で様々な武勇伝を残した勇者シュタークの物語の中には、アルンが人間ではなく祝福を与える妖精として描かれるものまであるほどだ。

 

「まぁ、実際は見ての通り、ただの子供さ。妖精なんかじゃない」


 改めて聖ヴリトラ教会の礼拝堂へと場所を移し、目の前のチーズを突っつきながら鳩の姿をしたミネルバが、集まった町民たちへしみじみと歴史の真実ってのを語ってみせる。

 壁のステンドグラスを通した陽の光に照らされる礼拝堂は、いつものように神聖な空気に満たされている。が、本来なら聖書が置かれる祭壇に今は様々な御馳走や酒やつまみが並べられ、それは町民たちが佇む机の前も変わらない。聖ヴリトラ教会は神聖な場所であると同時に、民衆たちの憩いの場所でもある。教会が町民たちから長く愛される秘訣のひとつが、こんな多少(?)の宴会も許される大らかさだ。

 

「…………」


 もっとも教会でのどんちゃん騒ぎは慣れているヴリトラの民たちもこの時ばかりは酒や料理などには手を付けず、ただじっとミネルバから明かされるに聞き入っていた。


 そんな空気に気まずさを感じたのか、御馳走に目を輝かせていたアルンもさっきから料理へ手を伸ばせずにいる。

 

「でもね、あたしがシュタークたちに付いてったのは12の時だった。それから10年、一緒に各地を旅して回って、魔王を倒した時は22だよ。気が付けばどこが胸やらお尻やら分からない寸胴娘が、その頃にはもうボンッキュッボンッでウッフーンな大人の女になっていたさ。なのにこの子と来たら、会った時のままだよ。それでようやくあたしも理解したね」


 もっともミネルバだけは違う。その口どりは軽く、食欲もますまず絶好調。続けてなめろうを器用に咥えては飲み込み、焼酎をかっくらい、足で押さえ込んだビーフジャーキーを嘴で切り裂き、また焼酎に頭を突っ込んで、さらには皆が「共食いじゃね?」と若干ハラハラするのもお構いなしに鳥の唐揚げへ羽を伸ばしつつ、器用にもう片方の羽で焼酎のコップを掴んで口の中へ流し込みながら

 

「ああ、、って」


 ぷっはぁぁぁぁぁぁと豪快に息を吐きだして、さっきから町民たちを唖然とさせているその言葉を口にした。

 

「つまりおばあ様、この子は魔族なんですか?」


 驚愕のあまり言葉を失った町民たちを代表して、ミューが隣に座るアルンのほっぺたを指先でつつきながら尋ねる。

 

「そう、魔族。さっきも言ったように勇者シュタークも実は魔族。ま、人間好きな変わり者の魔族だけどね」

「なんでそんな大事なこと、今まで黙ってたんですかっ!?」

「だってしょうがないじゃん。魔王を倒した勇者が実は魔族でしたなんて、言えるわけなかろ? 実際、あたしもこのことは墓場まで持っていくつもりだった。ま、既に一回死んでそのお役目は果たしたわけだから、そろそろ本当のことを話してもええかなって」

「いいわけないでしょー! そんな大事なこと、飲み食いしながらさらっと言わないでください! おかげでみんな、びっくりしてますよ。私だってびっくりしてますよ!」

「その割にはさっきからアルンの頬を連打しまってくるじゃないかい。魔族の子供なんて聞いたらちょっとはビビるもんだと思うがねぇ」

「だってこの子、抵抗しませんし。それにこのぷにぷに感が病みつきですし」

「抵抗しない、ねぇ」


 ちなみにさっきからアルンは頬を突かれながら「ううっ、やめてよぉ」と涙ながらに訴えているが、ミューは別段気にも留めない。我がひ孫ながらいい根性した子に育ったとミネルバは妙に感動した。

 

「まぁ、とにかく。魔族ってのは人間と違って成長が遅く、長生きするもんなんだとシュタークが言っとった。もっとも10年そこらならともかく、100年経っても何にも変わっとらんのには驚いたがねぇ。アルン、あんたどこで何をしてたんだい?」

「ううっ。そんなこと言われても……ねぇ、ミネルバお姉ちゃん、本当にもう100年も経っちゃったの?」

「ああ。シュタークに『ミネルバだけは何があっても生きてそう』って言われてたあたしも大往生するぐらいに年が流れたよ。もちろん、その間あんたをずっと探したさ。だけど全然見つからなくて、なんとかブライダン王国の博物館からあんたの毛を極秘裏に手に入れて魔法の手紙を飛ばした頃には、もうあの世に召される直前だったんだよ」 


 まぁ、大賢者だからちゃっかりこうして転生してみせたけどね、とミネルバは誇らしげに胸を張ってみせた。見事な鳩胸だった。

 

「……ぼく、お師匠様の家にいたんだ」

「シュタークの家? そんなのがあったのかい?」

「うん。お師匠様の魔法で人間には見えないように隠してあるの。それでね、あのね、魔王を倒して王国に戻ったら、お師匠様の剣を取られちゃったでしょう?」

「ああ。魔剣プリヤーチャリか。確か王様が『魔王を倒し平和を取り戻した聖剣として国宝にする!』とか言い出したんだよねぇ。ほら、あんたはチビすぎて使えないから、って」

「でも、あれはお師匠様が残してくれた大事な形見なんだ。だからぼく、どうしても返してほしくて。魔王を倒したお祝いのパーティで、王様に何度もお願いしたの。でも、全然聞いてくれなくて」

「まぁ、世界を救った勇者御一行と言っても、あんたはどこからどうみてもただのお子様だからねぇ。王様も相手にしなくて当然さ。てか言ってくれれば、あたしから王様に抗議してやったのしさ。どうして黙ってんだい?」

「だってミネルバお姉ちゃん、あの時は酔っ払って大騒ぎしてたし」


 なにやってるんですかとミュー並びにヴリトラの町民たちが冷たい目を向けるも、ミネルバは堂々と無視した。

 

「それでぼく、泣きながらお師匠様の家に魔法で飛んで、ベットで寝ちゃったの」

「不貞寝かい! で、それからどうしたのさ?」

「ううっ。それで次に起きたら、いつの間にか100年経ってた……」

「は?」

「だから、寝てたらミネルバお姉ちゃんの手紙に叩き起こされて。慌ててヴリトラのポータルに飛んで来たら、お姉ちゃんが鳩になってたの」

「はぁ!? つまりはあんた、100年間も寝てたのかいっ!?」


 あまりのことに驚くミネルバに、泣きべそをかきながら「うん」と頷くアルンの頬をミューが再び突っつく。

 とても100年以上生きているとは思えない、まさしく見た目通り幼子の弾力がミューの指先を優しく押し返した。

 

「なんてこったい。それじゃあ成長してなくて当たり前だよ。それどころかあんた、まだおねしょの癖も治ってないんじゃないかい?」

「そ、そんなことないよっ! ……多分」

「嗚呼、さすがに100年も経てばそこそこいい男に育ってるだろうと思って準備してたのにねぇ。さすがにこれは計画に修正が必要だよ」

「計画? そう言えばアヴァーゼンに対抗してアルン君を呼んだと言ってましたね。そろそろ詳しく説明いただけますか、おばあ様?」


 ふとミネルバから零れ落ちた言葉を、ミューは聞き逃さなかった。

 さらにどさくさ紛れで自分より100歳以上年上のアルンを、あろうことか君呼ばわりである。

 

「ふっふっふ。アヴァーゼンどころか、この狂っちまった世界をもう一度正しい形にする為の計画さ。なぁ、アルン、シュタークが最後にあたしらへ言った言葉を覚えてるかい? 『アルン、ミネルバ、あとは任せた』って奴さ」

「あ、うん……」

「あたしゃね、その言葉の意味を100年間ずっと考えてたんだ。あんたは寝てたみたいだけど」

「ううっ。いじめないでよぉ」

「苛めてないさ。いいかい、アルン。私たちはもう一度やり直す必要があるんだ。シュタークの作った伝説をもう一度、ただし今度は逆にするんだよ」

「え、どういうこと?」

「簡単さ。アルン、あんた魔王になりな!」


 ミネルバの言葉を聞いて、アルンの身体が一瞬にして硬直した。

 無理もない。100歳以上の年齢を数えると言えども、中身は見た目通りの子供そのものだ。いきなり魔王とやれと言われて、すんなり受け入れられるわけもない。その衝撃にしばし言葉を忘れてしまうのも仕方がないだろう。


 さっきまでミネルバとミューのやりとりで騒がしかった礼拝堂が、打って変わって沈黙に包まれる。

 聞こえてくるのは外の街路樹に屯する鳥たちの鳴き声と、ぴちゃ、ぴちゃと何かの液体が床に滴り落ちる音だけ……。

 

「大変ですおばあ様、アルン君がお漏らしして気絶しています」


 ミューが気絶しても変わらぬぷにぷにほっぺをつっつきながら言った。

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