第3話:賢者の大復活

 せめて子供たちだけでも逃がしてあげたい。


 それがアヴァーゼン軍に街を包囲され、自分たちは大賢者ミネルバの後を追うと決めた、ヴリトラに住む大人たちの総意だった。

 そして子供たちの中には、大賢者ミネルバのひ孫であり、若干13歳にして早くも賢者としてその地位を受け継いだ天才魔法少女・ミューも含まれた。

 

 子供たちだけならば、いくらアヴァーゼンと言えども見逃してはくれよう。

 しかし、敵の要求の中には全面降伏と共にミューの身柄受け渡しもあった。名目上はミューを大使としてヴリトラとアヴァーゼンの同盟維持に従事してもらうということだが、実際は若きリーダーを人質に取ってヴリトラの反逆を防ぐつもりなのは明白だ。そもそも大使と言ってもよくて監禁、最悪は人知れずアヴァーゼン国内で処分されてもおかしくない。

 

 そこで最後の切り札となったのが、ミューが大賢者ミネルバから生前に教わったという空間転移魔法陣であった。

 これならば子供たちをアヴァーゼンに知られず外へ出させられるばかりか、術者であるミューもまた脱出させることが出来る。

 かくして何の憂いもなく住民たちは大賢者ミネルバの後を追える……はずだったが。

 

「おばあ様に騙されました」


 ミューが頬をぶすっと膨らませて言った。せっかくの端正な顔つきが台無しだった。

 

「ミネルバ様に騙されたって、一体どういうことですか?」

「あの魔方陣、空間転移魔法じゃなかったんです」

「ええ!? だったら一体何の魔法陣で……」


「ほほっ。それはあたしから説明してやろうじゃないか」


 ミューの背後、床に魔法陣が描かれた奥の部屋から突然何かが飛び出てきた。

 皆の注目を浴びながら悠々と礼拝堂を飛び回ったそれは、ガタついてずっと開け放たれた扉から外へと飛び出し、住民たちの誰もが見覚えのない子供――アルンの肩へと降り立つ。

 

「……鳩?」

「でも、さっきの声……あれは間違いなく」


 礼拝堂からミュー以外の大勢が、混乱を口にしながら慌てて外へと出てくる。それを満足げにカカカと笑って見渡すと

 

「聞け、皆の衆! これぞ大賢者ミネルバ様、一世一代の大魔法。聞いて驚け、なんと転生魔法さ! いやぁ、さすがはあたし、天才すぎるぅ!」


 そう言って今度はポーポーポッポーと大笑いした。まるっきり鳩の笑い声だった。

 

「確かに驚きました、おばあ様。でも、今はそれどころじゃありません」


 遅れて礼拝堂から出てきたミューがため息交じりに話しかける。

 

「ほう、それどころじゃない、とは?」

「はい。アヴァーゼンが街を包囲しております」

「やれやれ、奴らはホントに鼻が利くねぇ。あたしがくたばったのを早速嗅ぎ付けおったか」

「いえ。おばあ様のお葬式が大々的に行われましたので、今では世界中の人がおばあ様がお亡くなりになったのを知っております」

「なんじゃと?」


 ジロリと町民たちを睨みつける鳩……ではなくミネルバ。

 一方、当の本人たちはと言うと、それぞれあらぬ方向へ顔を向けてすっとぼけてみせた。

 

「それでアヴァーゼンが街に軍の受け入れを提案してまいりました。今から12時間後、今夜の天頂にて赤い月と青い月が重なるまでに返事がない場合は問答無用で介入するそうです」

「ちなみに名目上は中央諸国、並びにシンシュタクからヴリトラへの侵攻を防ぐため、だね?」

「その通りです」

「はっ。相変わらずふざけた連中だよ。自分たちがイの一番に攻め込んでおいて、なにが他国からの侵略を防ぐ、だ。どんだけ面の顔が厚いんだい」


 クカーッと怒るミネルバ。だが、それはカラスの鳴き声である。

 

「それでですね。街の皆さまは子供たちを逃がすことにしました。なので以前におばあ様から『困った時にはこれを発動させるがよい』と教わった魔法陣を試し――」

「ちょっと待ちな、ミュー。あんた今、『子供たちを逃がす』と言ったね? 街の人たちではなく」

「はい。おばあ様がお尋ねになりたいことは分かりますので先にお答えしますが、街の皆さまはおばあ様の後を追うつもりだそうです」


 私は意味がないので辞めた方がいいと言ったのですが、と続けるミューの言葉よりも早く、ミネルバがアルンの肩から力強く飛び立った。

 生前、ミネルバは右手に固い杖を持っていた。それは魔法使いの矜持であり、すっかり弱くなった足腰の強い味方であり、そして何より大馬鹿者の頭をぶん殴るのにちょうど良かった。

 今、ミネルバにその杖はない。が、代わりに。

 

「痛ぇ! いてててて! ちょ、ちょっと婆ちゃん!」

「ひー、堪忍してくれよぅ!」

「嘴でつつくのはやめてぇ!」


 鳥類特有の固い嘴がある。こいつで人間の頭をカカカッとつつくのは、懲らしめるのにとても都合がよかった。

 

「この馬鹿者たちがッ! そんなことをされてあたしが喜ぶとでも思ったのかいッ!」


 集まった住民たちの頭を一人残らずつつきまくると、再びアルンの肩へ留まってミネルバがクケーッと叫んだ。

 

「ですよね。おばあ様はむしろみんなには長生きしてほしいと思っているはずです」

「そうそう!」

「そして毎日お墓にお酒をお供えしてほしいと」

「ふむ。それに枝豆とチーズと鮭とばもな!」

「のんべぇすぎます、おばあ様」

「とにかく! あたしゃあんたらが産まれた時から知っとるんだからねッ! 言ってしまえばみんなあたしの可愛い子供みたいなもんさ。そんなのに後追い自殺みたいなことをされた日にゃ、あたしゃ化けて出るよ!」

「おばあ様、既に化けて出ておられますが?」

「いいかい、死にたいのならまず精一杯生きてからにしなッ! あたしみたいにねッ!」


 ミューのツッコミを無視して見得を切るミネルバ。ちなみに御年125歳の老衰による大往生であった。

 

「悪かった! 悪かったって婆ちゃん。でもよぉ、アヴァーゼンに大人しく従うのも嫌じゃねぇか」

「そうそう。ハーバーンみたいに迫害されて生きるなんてまっぴらごめんだよ、ミネルバ婆ちゃん」

「だったら子供たちと一緒に逃げたらよかったじゃないかい」

「でも婆さん、それだとアヴァーゼンの連中にこのヴリトラを好き放題されちまうのを嫌でも見せられちまう」

「まぁねぇ。なんせここはアヴァーゼンと中央諸国やシンシュタクを結ぶ要所だ。あいつら、ここに前線基地を作るつもりだろうさ」


 それは誰もが予想していたことだった。が、改めて言葉になるとやはり動揺が走る。

 不安めいた行き場のないざわめき。絶望に曇る定まらない視線。

 それらがやがて自然と一ヵ所に集まった。

 

「な、なぁ、婆さん。蘇ったってことは婆さんの力でまたこの街を守ってくれるってことだよな?」

「悪いね。魔力は全部、前の身体に置いてきちまったよ。今はただの言葉をしゃべる鳩さ」

「で、でも、大賢者ミネルバが鳩に転生して復活したってことをアヴァーゼンが知れば……」

「無理だね。そんなバカげた話、あいつらが信じるもんか。仮に信じたとしても、これが世に知れ渡る前にあたしを始末しようと手を打ってくるはずだよ」


 希望は人間に生きる力を与える。

 しかし、時として希望は人間を傷つける刃ともなる。

 つい先ほどまで街の住民たちは覚悟を決めていた。それが大賢者ミネルバの思わぬ大復活によって、もしかしたら街がこれまでと同じ平穏を取り戻せるのではないかと希望を抱いてしまった。

 

「そんな! それじゃあ、やっぱり町はアヴァーゼンのものに……」 

 

 その希望がやはり叶わぬ夢だったと知った今、せっかく決めた覚悟もぐらぐらと揺らぎ、恐怖が匕首で心の弱いところを突き刺して――。

 

「あんたたち、揃いも揃って本当の大馬鹿かい!? そんなこと、あたしがやらせるわけないだろ!?」


 が、そんな不安に陥った町民たちをミネルバが一喝する。

 英雄とは匕首を押し返すどころか、このようにぽっきりと折ってしまう人物のことを言うのだ。

 

「あたしが何の策もなく蘇ったと思ってるのかい?」

「おおっ! それじゃあやっぱり婆さんにはまだ魔力が!」

「うんにゃ、さっき言った通り、あたしに魔力はもうない。が、とっておきの奴を呼び寄せてある」

「とっておき? 誰ですか、それは?」

「ほう、珍しく興味があるみたいだねぇ、ミュー。ふふふ、そいつはねぇ、あんたよりもずっと凄い魔法使いさ」

「だから誰なのかと聞いているのです、おばあ様。せっかく転生されたのに、頭はボケたままなのですか?」

「あたしがいつボケたっていうのさ! ふっふっふ、聞いて驚け皆の衆パート2! そいつの名はアルン! そう、勇者シュタークやあたしと共に世界を救った英雄のひとり、魔法使いアルンさ!」


 おおっとみんながどよめく中、ミネルバは生前にアルンへ手紙を送ったこと、そろそろヴリトラに来ているはずだってことを鼻ならぬ嘴高々に語った。

 皆の萎んでいた希望が再び膨れ上がっていく。

 ただし、アルンの名を聞いて思わず顔を見合わせたバーンとモルミルを除いて。

 

「アルンの魔力はね、当時からしてあたしゃを遥かに超えておった」

「おおっー!」

「あいつの手にかかればアヴァーゼンなんてイチコロさね」

「おおおおおっー!」


「お前から話せ」「いやお前が話せ」とバーンたちがやりあっている最中にも、ミネルバによるアルン賛辞は止まらず、みんなの期待値は天井知らずに上がり続けていく。


「あー、婆ちゃん、その、確かにアルンって名前の奴が来てはいるんだけどよ」


 そこへさすがに早く言わないとヤバいとモルミルとのジャンケンに負けたバーンが、とても言い辛そうに重い口を開いた。

 

「おおっ! で、アルンはどこにおる?」

「えっと、なんと言えばいいのか、まぁ……婆ちゃんの留まってる肩のとこ?」

「は?」

「だから婆ちゃんがそのアルンって名前の子供の肩に留まってるんだってば!」

「へ? アルンって名前の子供?」 

 

 言われてミネルバは首を傾げて肩の主の顔を見る。

 確かに見覚えあるぷにぷにっとした頬。懐かしいくりくりっとした瞳。前時代的な魔法使いの帽子から覗く巻き癖のある前髪は、かつてはよく弄繰り回して苛めたもんだ。

 

「ミネルバお姉ちゃん、いつの間に鳩さんになったの?」


 おまけにその年相応な子供っぽいしゃべり方まで丸っきり記憶にある通りで――。

 

「まあね。……ってか、なんであんたは100年前と何にも変わってないのさッ!?」


 ミネルバが思わず大声を張り上げる。

 ここまでさんざん町の人を驚かし続けていたミネルバだったが、その日一番の驚愕の声を上げたのもまた彼女であった。

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