第2話:見知らぬ子供

 それはヴリトラにコスプレ魔王が現れる12時間前のこと。

 

「まいったねぇ。すべてミネルバ様が仰った通りじゃないか」 

 

 城塞都市ヴリトラにおいて最も大きく、最も権威があり、そして最も街の住人に愛されている教会の礼拝堂から嘆きの声が外の通りにまで鳴り響いた。

 そう、愛すべき聖ヴリトラ教会はまた同時に最も古い建物であり、幾ら修復してもどこからか隙間風が入り込むほどにオンボロで、ここ数年は礼拝堂への扉もガタが来て常に押し開かれた状態になっている。

 勿論、新たに建て直そうという話は幾度となく出た。が、その度に教会の主であるミネルバが「何言ってるのさ。これがいいんじゃないかい」と断として首を縦に振らない。

 結果、こうして街の代表が集まって話し合っている今も、内容が外まで丸聞こえである。

 

「自分が死ねば必ずどこかの国が攻め入ってくる。だから出来るだけ隠し通せとミネルバ様が仰ってたのに、あんたたちと来たら」 

「だってしょうがねぇだろう? この世界の救世主であられるミネルバ様がお亡くなりになったんだ。そりゃあ厚く弔わってやらねぇとバチが当たるってもんじゃねぇか」

「とか言って、本音は世界中からやってくる参列者の懐が目当てだったんだろ?」

「なんだと!」

「あんたの酒場、えらく儲かったらしいじゃないかい。でもね、それもアヴァーゼンに占領されちまったら全部没収さ」


 もっともその内容たるや終始こんな感じで、とても今夜までに降伏するべきか否かを決定するような雰囲気ではない。それは教会の外に集まっていた連中も分かっているようで、時折「そうだそうだ! 儲かった分、みんなにパーッと景気よく振舞っちまえよ、大将!」なんてヤジまで飛ばす始末だ。

 

「ところであんたが来る前に話題になってたんだが、アヴァーゼン軍の隊長はあのデシルバだそうだよ」


 そのやじ馬連中の先頭に陣取っていた電気工事士のバーンが、ようやく顔を見せた知り合いの雑貨商モルミルを近くに呼ぶと、とっておきとばかりに話しかけた。


「デシルバ? あの、ハーバーンの大虐殺で有名な?」


 ハーバーンはヴリトラ古城都市から見て北東、アヴァーゼンからは北西の場所に位置する、ハーバーン教を国教とする小国である。国土のほとんどは険しい山々であるがゆえに攻め込まれにくく、またその価値も低いとあって、この戦乱割拠の世の中でなんとか独立を保ってきた。

 しかし近年の調査の結果、ハーバーン領の山脈に膨大な量の金属資源が眠っていることが分かると、アヴァーゼンが侵攻を開始。その中で起きた悲劇がハーバーンの大虐殺である。

 現在、表向きには隣国からの脅威に対抗する同盟関係としながらも、その圧倒的な経済力、軍事力、科学力でもってアヴァーゼンはハーバーンを事実上の支配下に置いている。


「ああ、そうさ。今回もデシルバって野郎は汚れ役を押し付けられちまったってわけだ」

「そいつは可哀そうに。俺たちが選ぶ道なんて一つしかないのにな」


 自嘲気味にモルミルが笑う。

 

「で、説得は上手くいったのか?」

「ああ。ずっと渋ってたが、ようやく子供たちが逃げてくれることになったよ」

「そいつはよかった。未来ある子供まで連れて来ちまったらあの世でミネルバ様に怒られちまうもんな」

「ははは。違ぇねぇ」

「街が奪われようとも、子供たち、それにミュー様が生き延びてくれれば俺たちの勝ちだ」

「そうだな。これでもうこの世に未練はないよ」

「おお。あ、でも俺、ひとつだけ気になることがあってよ」

「なんだ?」

「俺のアルカンタラ、結局盗んだのは誰だったんだ?」


 バーンが苦虫を噛み潰すような表情で口にしたアルカンタラとは、彼ご自慢の漆黒のプレートアーマーのことだ。

 近年は防具も進化し、今の兵士たちはそんな重いものを着込んだりはしない。だからこれはバーンが完璧に自分の趣味で作ったもので、秋の収穫際にはこいつで魔王のコスプレを決めるのが彼の楽しみのひとつだった。

 それが2年前のある日、誰かに盗まれた。犯人はいまだに分からず、盗まれたアルカンタラも発見されていない。

 

「確かにそれは気になるな。あんなガラクタ、盗んだところで金になるとも思えんし」

「ガラクタ言うな! アレはな、代々鍛冶屋だった一家に生まれた俺の荒ぶる魂が生み出した――」


 力作をガラクタ呼ばわりされてカっとなったバーンだったが、突如言葉を止めて、代わりに目を二度、三度としばたたかせた。

 強い光を感じた。と思ったら、次の瞬間には見知らぬ子どもがモルミルの背後に立っていたのだ。

 

「おや、なんだ見たことのない子だな? 坊や、名前は何て言うんだい?」


 バーンの驚いた様子につられて振り返るモルミルが子供へ問いかける。

 年齢はまだ5,6歳と言ったところだろうか。深い青色のローブを羽織い、同じ色の小さな三角帽子を頭に被るその姿は、まるでお伽噺に出てくる往年の魔法使いスタイルそのものだ。

 

「ふえっ!? あ、ぼ、ぼく……アルン」 

「ほお、シュターク様の仲間・アルン様と同じ名前かぁ。そいつはいい名前を貰ったな、坊や」

「でも、この街でアルンって名前の子供なんていたかぁ?」

「さぁなぁ。でも、まぁそれはいいじゃねぇか。とにかく坊や、今は危ないから早くお家に帰りな」


 約束の時間までまだある。アヴァーゼンが砲撃してくるとは考えにくい。とは言え、何が起こってもおかしくないのが戦争という非常事態だ。もし今攻め込まれたら、この子を守ってやれないかもしれない。

 

「なに、大丈夫だ。ミュー様が今、転送魔法陣の儀式をしておられる。準備が整ったらちゃんと坊やのお家にも使いの者が行くから」

「ミュー様?」


 子供――アルンがその可愛らしい首を傾げる。


「なんだ、ミュー様を知らないのか? そうか、坊やは最近この街に引っ越してきたんだな? だから俺たちも坊やの顔や名前を知らないわけだ」

「坊や、ミュー様はこのヴリトラの新しい守り神さ」

「守り神? えっと、ミネルバお姉ちゃんじゃなくて?」

「はぁ? ミネルバお姉ちゃん!?」


 アルンの言葉に思わずバーンとモルミルは突拍子もない声を上げて顔を見合わせた。

 その時だ。

 礼拝堂の中が俄かにざわついたと思うと、集まった人々の口から「ミュー様!」「ミュー様が出てこられたぞ!」とその名前を呼び始める。

 奥の扉から出てきたのは、純白のワンピースに身を包んだ10代前半の少女。艶のある黒髪をおかっぱに揃え、凛とした眼差しで集まった人々を見渡すと、小さな赤い果実のような口を開いてはっきりと言った。

 

「おばあ様に騙されました」

 

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