クッキングナビ

「ふう……」


 社長が、風呂から戻ってきた。タンクトップと短パンだけの姿で。


「キミもひと風呂浴びてきたらどうだ? 気持ちいいぞ」

「結構です! 着替えを持ってきてないので!」

「そうだったな。ふう」


 うちわで、社長は自分の首筋を仰ぐ。


「なんか、缶ビールでも飲みそうな勢いですね」

「私は、酒をやらん。つまみやお菓子は好きなんだが」

「そうなんですか?」


 酔うとすぐ、頭が痛くなるらしい。


「この後のご予定は?」

「特にないな。今日は最初、オフのつもりだったんだ。しかし、このアプリやゲームの操作方法を把握しておきたかった。だから、休みを利用したんだよ。休日でないと、私には遊べないからな」


 これだけ体力を使うゲームだ。操作方法に慣れるだけでも翌日から全身が筋肉痛になるだろう。今日からGWだったのが幸いである。


「せっかくの休みなのに、呼び出して申し訳なかった。この埋め合わせは、必ずしよう」


 テーブルから立ち上がり、社長が頭を下げた。


「いえいえ。身体が鈍っているのを知れただけでも、財産です。ありがとうございました」

「さすがにタダで帰すわけにもいかん。何か作ろう」


 社長は、テーブルの背もたれにかけてあったエプロンを付ける。料理をするというイメージがなかったので、新鮮だ。


「え、料理をなさるので?」

「できるとも。こう見えても、料理は好きなんだ。簡単なモノだけだが」


 社長は冷蔵庫を開けて、食材を出す。


「ここで料理するかわからないから、基本保存の利く食材ばかりになる。パスタでいいか?」

「何でもOKです。社長が作ってくださるのなら」


 料理をする飯塚社長の後ろ姿を眺めながら、オレは幸せな気持ちになっていた。

 社長の夫になる人って、こういう光景を毎日見られるんだよなぁ。


 でも、オレは社長に似つかわしくない。


 オレと社長を繋げているのは、あくまでもゲームである。

 一緒に遊んでいるのも、業務だ。

 楽しいはずなのに、その間柄がかえってオレたちを遠ざけている気がする。  


 キノコとほうれん草をしょう油でからめて、和風パスタが完成した。


「いただきます。うん。うまいです。ありがとうございます」

「気に入ってもらえて、うれしいよ」

「これ、あれですね。携帯端末の『クッキングナビ』で紹介されたヤツですか?」

「よく知っているな」


 オレもよくあのナビを利用して作るから、覚えてしまったのである。


「あのナビの存在を知っているなら、もっと難しいメニューにすればよかったな」

「とんでもない! もったいないですよ。彼氏さんに振る舞ってください」

「そんなの、できたこともないな」


 パスタをフォークに巻き付けながら、社長は頬杖を突く。


「え、冗談ですよね?」

「いや、本当だ」


 社長を口説きに来た男たちは、みんな金目当てや家柄目当てのヤツらばかりだったらしい。


「キミみたいに、ゲームを通じて親しくなろうとしてくる相手なんて、一人もいなかった」

「なんか、かわいそうですね」


 オレの言葉に、社長がピクリとなる。


「キミは、金や地位に執着がないんだな?」

「持っててもしょうがないので」

「金持ちになりたいって、思ったことは?」

「親戚は裕福な人がいました。強突く張りばかりだったんで、まったく憧れませんでしたよ。自分の利益しか考えていない人たちだったので、事業に失敗してばかりでした」


 幼い頃、祖父の遺産で親戚同士がもめていた。

 

 財産権がないオレたち一家は、揃って幻滅していたのを覚えている。

「ああいう人間にはなりたくないものだ」と、両親が帰りの車内で語り合っていたっけ。


「私も、同じように見えるのだろうか……」


 オレが過去を話すと、社長がシュンとなる。


「素敵な方だと思いました」


 社長は、生きた金の使い方をしていた。惜しげもなく人を住まわせ、新しい経験に金を出す。その動作には、無駄が一切ない。


 その点、ウチの親戚ときたら。

 金はあるならあるだけ幸せだと思い込んでいる。貯めるだけ溜め込んで、人にも自分にも使おうとしない。


「オレだって、昔は『お金持ちは汚い』って考え方でした。親は今でもそんな感じで『足るを知る』という考えを曲げていません。オレも、半分は賛成です」


 社長を見て思った。

 お金があるから醜いんじゃない。

 心が醜いから、お金も汚く見えるだけなんだと。


「あなたはお金を通じて、人に愛情を注いでいらっしゃる。だから、みんながあなたについて行くんだと思いました」


 暗かった社長の表情が、明るくなった。


「世辞でもうれしいよ」



「そんなお世辞だなんて。ボクは好きですよ。社長のこと」



「す……!?」


 飯塚社長が、異常な反応を示す。


 ようやくオレは、自分が何を言ってしまったのかを知った。


「あ、いや、経営者として素晴らしい方だと言ったんです!」

「お、脅かすなよぉ……」


 社長は恥じらいながら、フォークの端を舐める。 


「そうだっ。キミは早朝勤務だったんだっけ。長く引き留めて悪かった。お疲れさま」


 社長が皿を片付け始めた。


「お手伝いします!」


 オレも食器を掴む。


「いやいやいいから。気持ちだけ受け止めておくよ。ありがとう」

「そんなわけには……あ」


 オレと、社長の手が触れあう。


「お疲れさまでした、花咲さん」


「はう!?」


 社長とオレは、手が繋がったまま硬直してしまった。

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