第6話 出:タイムカード
「私はしょっちゅう考えます。別に死にたいわけじゃないんです。少ないけど友達もいるし、両親も大切にしてくれてるって思います、人を好きになって付き合ったり別れたりもしました。
私は私だから、他の人の事は推し量れません。だけど大人になるにつれて、私って他人より生きる事が当たり前じゃないんだって分かってきたんです。良い意味じゃないです。いつも命の有り難みを、なんて、そんなんじゃないです。全然。
キラキラした人を見ると羨ましくなる。だけど、私もそうなれるように頑張ったりはしないんです。仕事も自分磨きも、頑張ってもダメだったら余計傷つくから。「一度きりの人生」とか「何事も挑戦」とか、そういうことを言えるのは心のライフが3つくらいある人だけなんです。私には生まれた時から心のライフが1つしかなくて、それに私も気付いてるんです。一度深く傷付けば終わってしまうって、心のどこかで分かってるんです。
1日が、1年が、気がついたら過ぎていて、私って生きている意味あるのかなって思っちゃうんです。昨日の私は確かに生きていたのかなって、不安になるんです。今、この瞬間、私は生きているのかなって、分からなくなるんです。」
静まり返ったオフィスで思う。終わったなぁ。引いているんだろうなぁ。どう声をかければ良いか考えてくれているんだろうか、申し訳ないな。言い逃げも良くないけど、ここは私が退散するのがお互いのためだろうか。なんて考えていたら、宮野さんが出口の方へ向かって行った。
流石の宮野さんもこうなるよなぁ。そりゃそうだ。誰も貴方を責めたりしないよ。
と思ったら、出口横の棚をなにやらガサゴソして彼はまた戻ってきた。
「はい。」
差し出されたその手には、出退勤を記録するためのタイムカードが握られていた。意味が分からず、あれだけの奇行を先に犯しておきながら、何なんだお前はという顔で宮野さんを見てしまった。
「あ、そっか。」
そう言って胸元からペンを取り出しタイムカードに何やら記入をして、それをもう一度私に差し出してきた。見ると、私の名前と、出勤の欄に1時間前の時刻が書かれていた。ちょうど宮野さんがオフィスに現れた時間だ。
「加賀さんはさ、生きる意味より生きてる実感が欲しいんじゃない?死にたいわけじゃないんでしょ?いつの間にか時間だけが過ぎていくから、生きているのか分からない… だったら、ほら。加賀さんは確かにこの時間、僕と一緒に生きていた。」
「…じゃあ家に帰って退勤時刻を記入したら、そこから私は死んでいるんですか?」
「ううん、退勤しても会社を辞めた訳じゃないでしょ?休みの日は仕事のことを考えないでしょ?それと同じ。退勤時刻を記入しても、それは死んでることにはならない。
タイムカード切った瞬間は仕事だ!って意識するけど、だんだんそれも薄れちゃってさ、夕方くらいには帰ったら何食べよっかな〜とかで頭いっぱいでしょ?だから、出勤時刻を書いたからってそこからずっと生きていることを実感する必要もないの。
なんとなくで良い。今日は生きとくかって日はタイムカードを押してみるんだ。それで、不安になったり疲れた時に見返して、ああ自分はちゃんと生きていたなって思えないかな?」
全くの予想外な展開に、私はろくな返事もできず、はい、と一言タイムカードを受け取った。宮野さんは「もっと早く帰られたのに俺が引き留めちゃったから」と言って、タクシー代を握らせ私を帰してくれた。受け取れないと断ったが、あのような状況で一緒に電車に揺られて帰るのも気まずいと思ったので、お返しは後日と言って、こちらも甘えることにした。
家に着き、ソファーに腰掛ける。何も考えられなかった。ぼーっとしたままメイクを落とし、シャワーを浴びて、歯を磨き、夕飯も食べずベッドに入った。枕元にはあのタイムカードがある。退勤時刻は記入しなかった。何も考えられないはずなのに、ここ最近で一番生きている心地がしたからだ。
後は目をつぶって眠るだけなのに、夢の中でさえ、私は全力で生きているのだろうと思えたからだ。
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