第5話 退: 薄っぺらな人間
「宮野さんこそ… こんな時間にどうされました?」
「近くを通りかかったらまだ明かりがついていたから。もしSNS事業部の人が残ってたら話したい事があって寄ったんだけど… もしかして何かトラブル?手伝えることある?」
絶対に本人たちに文句は言わないという約束で、私はことの顛末を話した。それくらいは許されるだろうと思ったし、誰かに愚痴らないとやっていられなかった。あと、不思議と宮野さんには全て見透かされているような気がした。隠しても意味がないと思い、素直に白状した。
「佐々木さんって目を離すとすぐ手を抜くから信用していなかったけど、本当に最低だな。俺なら…」
そこで話すのをやめ、私の仕事の邪魔をしていないか気に留めてくれた。資料のやり直しはもうセルフチェックをしたらお終いだ。「俺なら」の次に続く言葉が少し気になった。
「あ、お構いなく。もうすぐ終わるので。宮野さんも、帰っちゃって平気ですよ。」
「ううん。もう遅いし一緒に帰ろうよ、方角同じでしょ?あ、やっぱりちょっと待ってて!」
宮野さんはそう言って急いでどこかへ行ってしまった。一緒に帰る…この状況に少し前の私ならスキップどころかタップダンスをしていただろう。しかし今は違う。確かに心は綺麗に洗われたが、これ以上彼に色恋を期待してしまってはいけない。そうこうしていると、息が上がった様子の彼が戻ってきた。
「ごめん!コンビニしかやってなかった!けどないよりはマシかなって。」
そう言って彼はコンビニのコーヒーとチョコレートなどの菓子が詰まった袋をデスクに置いた。
「終わったみたいだね。お疲れ様。お酒弱いって言ってたし、今は糖分が欲しいかなって。持って帰ったって全然いいんだけど…良ければ愚痴がてら食べていかない?」
意志が弱いわけじゃない。2月の寒空の中、汗ばむほどに急いで買ってきてくれたお菓子の処遇は、購入者の意向に添わせるべきだろうと思ったまでだ。
「何から何まですみません。それじゃあお言葉に甘えて。」
「とことん甘えてくださいな。」
一通り部長と佐々木の悪口やその他の鬱憤をぶちまけた。宮野さんは優しく頷いたり、「そーだそーだ!」と合いの手を入れてくれた。一息ついたところで、彼が言った。
「加賀さんは優しいね。今日のこともさ、言い返さなかったのは勇気が出なかったからじゃなくて、残される人たちの事を考えてのことでしょう?」
何故そう思うのだろうか。だけれど実のところ否定はできない。私の退社を悔やんでくれたあの後輩は、佐々木が私の仕事を請け負った事を知っていた。「私我慢なりません!部長に事実を話してきます!」そう言ってくれた彼女を必死に止めた。どうせ辞める私の為に彼女が奴に目をつけられてはならない。
社内の高齢化が進んでいる為か年功序列の力が強く、お茶汲みは暗黙の了解で女性がやるような職場である。新部署の話し合いの際にも「俺みたいな立場の人間が、上の人たちの意識を変えていかないとね。」と宮野さんが言っていた。綺麗事ではないのだろうなと、彼の目を見て思った。
「優しいね」に対する応えがまだだった。適当に謙遜しようと思ってから、ある考えが浮かんだ。ここで私という人間の本質を曝け出せば、きっと宮野さんでも面倒な女だと思うんじゃないか。そうすれば踏ん切りがつくのではないか。半ばどうにでもなれという気持ちだった…
「私はそんな素敵な人間じゃありません。むしろもっと詰まらなくて、薄っぺらな人間です。」
宮野さんが黙って私を見つめる。私も気にせず続ける。
「なんで生きなきゃいけないんだろうって、考えたことありますか?」
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