第三章 英雄の魂

第20話 [AD1945]桜花特攻隊

日熊ひのくま少尉、日熊少尉。大丈夫ですか?」

 

 体を揺さぶられている。


(俺は秋山だし中尉だ。何を勘違いしてるんだ)


 いや、秋山って誰だ? 俺は日熊で少尉だ。間違いない。誰か他の人間の記憶でも入り込んでいたのか。少しの間、倒れていたようだ。俺は目を開いて立ち上がる。


「すまない。ちょっと立ち眩みがしただけだ。何も問題ないよ」

「問題ないって感じじゃありませんでしたよ」

「急にバタンって倒れて。ここ畳だから良かったけど、外じゃ大怪我してますよ」

「すまん。大丈夫だ」


 心配してくれているのは一式陸攻の搭乗員、平田一飛だった。明日、一緒に出撃する予定だ。


 一式陸上攻撃機二四丁型。桜花搭載型の陸上攻撃機である。


 俺が乗るのは桜花一一型。

 ロケットエンジンで推進する特攻兵器だ。


 母機である一式陸攻に懸架され空中で切り離す。

 ロケットエンジンに点火し敵艦へ体当りをする特別攻撃機。

 搭載しているのは1・2トンの徹甲爆弾。大型艦でも命中させれば致命傷を与えられる。

 速度は水平で時速650キロメートル。降下しながらだと時速800キロメートル以上出せる。


(当時の戦闘機では補足が困難な高速を出せる)


 当時の戦闘機?

 いや、最新の米軍機だ。俺は何を考えている。


 この桜花にも、欠点はある。

 それは航続距離が短い事。最大40キロメートル程しかない。高空で切り離せば倍は伸ばせるが、そのほとんどを滑空することになる。

 

 もう一つの欠点は、母機。

 戦闘機と比較して鈍足の陸攻に桜花を懸架する。2トンの重量と空気抵抗で更に速度が落ちる。


 ここを敵戦闘機に狙われる。

 陸攻はいい標的だ。


 今まで二回、桜花による特攻は実施されたが、二回とも戦果は無かった。


 第一回神雷桜花部隊では18機が出撃したが、桜花は発射されず母機が全滅した。

 第二回神雷桜花部隊では夜間に6機が出撃した。


 墜落や衝突事故の為、4機が未帰還となった。攻撃は実施されなかった。

 

 これが第三回の出撃となる。


 今回は9機が発進する予定だ。


 今夜、ささやかな酒宴が開かれる。平田はその酒宴に俺を迎えに来てくれたのだ。


 そこには明日一緒に出撃する一式陸攻の搭乗員がいた。全部で7名。機長以外は皆、二十歳未満の若者だ。


「機長の山中です。明日はよろしくお願いします」

「日熊です。よろしくお願いします」


 山中は右手を出して握手を求めていた。俺はそれに応える。


「さあどうぞ」


 湯呑に日本酒を注ぐ。俺はそれを受け取り一気に飲む。


「いける口ですかな? さあ、もう一杯」

「申し訳ない。俺は下戸なんだ。この一杯で十分に酔える」


 言ったそばから顔が赤くなってくる。


「じゃあ、お茶を。明石君」

「ハイ」


 明石と呼ばれた若い男がお茶を入れてくれた。


「ありがとう」

「さあ、飲めないなら食ってくれ。刺身が沢山あるぞ」


 俺は頷きそれをつまむ。大皿には、鯛やアジ、イカ等が山のように盛ってある。

 皆、静かに呑み刺身をつまむ。


「あの、日熊さんちょっとよろしいでしょうか」

「はい」


 声をかけてきたのは平田だった。


「日熊さんは志願されたんですよね。大学に残ることもできたと聞いています。何故特攻隊に志願されたのですか? 僕は死ぬのが怖い。死にたくないんです。特攻だったら必ず死んじゃうんです。特攻は間違っている。だから、それに志願するなんて信じられない」


 平田は震えていた。


「平田一飛。やめなさい」

「そうだ、何てこと言うんだ。バレたら大事だ」


 山中と明石が注意するのだが、俺はそれを制す。


「めったなことは言うもんじゃない。自分が損をする」


 俺の言葉に山中と明石も頷く。


「でもな。俺だって死ぬのは怖い」

「え?」

「俺は獣医師になるつもりだった。死ぬのはまっぴら御免だ」


 平田は絶句して俺を見つめる。


「だったら何故?」

「何でだろうな。自分がやらなきゃいけないと思った。この判断は多分間違っていると思う。特攻も間違いだ。だけどな。俺はやる」

「日熊さん……」

「すまない。酔ったみたいだ。外の空気吸って来るよ」


 四月の夜。

 少し肌寒い。


 火照った頬に冷たい風が当たるのが心地いい。

 空はよく晴れている。月がきれいだ。


 滑走路に9機の陸攻が見える。

 腹に桜花を抱いている。

 

 俺は明日、桜花に乗って特攻する。


「日熊さん。先ほどは失礼しました」


 頭を下げているのは平田だ。


「問題ない。普通の人間なら普通に抱く感情だと思う」

「そうでしょうか。自分自身が情けなくて……」

「気にするなよ。自分自身の務めを果たせばいい。自分にしかできない事だよ。君の役目は?」

「観測員です。視力には自信があります」

「頼りになる。空戦では先に敵を視認した方が有利だからな。明日はよろしく頼むよ」

「はい。でも、桜花に乗るのって怖くないですか?」

「怖いさ。あんなもの飛行機ですらない」


 平田は俺の顔を見つめて頷いた。


「でもな、それが俺の役目だと思っている」

「桜花に乗るのがですか?」

「今回はそうなのだろうな。日本はもう負ける。ここからはひっくり返せない。それはわかってるんだ。じゃあ、何をすればいい?」

「分かりません」

「そう、分からない。後世の歴史家は今の日本を激しく非難するのだろうな」

「そうかもしれないですね」

「ああ、だからやってやるんだ。これが日本を守ることになる。敗戦しても尊厳を失わない、その為にやるんだ」

「尊厳ですか?」

「ああ。たとえ負けても心は負けない。媚びない。そんな心意気だ」

「なんとなくわかります」

「真似はしなくていいよ」

「はい。でも、ありがとうございます。怖くなくなりました」

「そろそろ戻ろうか、明日に備えて休もう」

「はい。そうします」


 今日は1945年4月11日。第三回神雷桜花特別攻撃隊は明日出撃する。

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