第9話 精神移植

 目の前に軍医がいる。名前は確かラインハルトだったか。


「秋山君。私の顔が見えるかね?」

「ええ、はっきりと」


 初老の白人男性。髪は金髪だったのだろうが今はほとんど残っていない。


「ではまず右手から動かしてみたまえ」


 右手を動かす。微かなモーター音を伴い自由に動く。手のひらを握ったり開いたりしてみるが異常はない。


「良いようだね。次は左手。よし。右足」


 軍医の指示通りに体を動かす。モーター音がする以外には不具合はない。


「異常はないようだね。これから24時間は安静にしておくこと。鏡はなるべく見ない事。食事の必要はない。入浴は禁止。明日の1200にもう一度検査だ。遅れないように」

「了解しました」


 俺は軍医に一礼し医務室を出た。


 鏡を見るな……か。

 自分と似ているだけの義体を目の当たりにして、自己認識が崩壊する事があるらしい。


 自分も鏡を見た事がある。確かに、機械の体は自分で見ると相当な違和感がある。それに、機械の体、義体に入っている間は何ともいえない不快感を味わうのだ。


 それは、全身が砂にまみれてざらざらとする感じだ。


 食事の中に砂が入っていると相当な不快感があるだろう。それが全身の皮膚の内側に、呼吸するたびに、ざらざらとした砂の粒子がこすれるような不快感に包まれる。これが絶え間なく続くのだ。


 精神移植は何回も経験しているが、この不快感だけ慣れることがない。そして、今のところ、技術的に改善できないらしい。


 7年ほど前、太陽系に接近する小惑星群が発見された。直径は150天文単位で、その範囲に大小さまざまな大きさの小惑星が数億個以上あると見積もられた。そしてその中の数百個ほどが地球圏に対して衝突コースにあるという。


 この小惑星を破砕する兵器として開発されたのが遊星破砕用特別攻撃機〝ランス〟だった。


 この、全長120メートルになる細長い円錐形の槍は、15000トンの質量があり、これを秒速500キロメートルまで加速させる。この強大な加速度に生身の人間は耐えられない。しかし、小惑星を確実に破砕するためにはこの質量と速度が絶対必要なのだ。当初は無人で発進する予定だったらしい。


 しかし、無人機ではワープアウトした際に発生する微細な時空間のズレに対応できず目標の重心を正確に撃ち抜けないことが判明した。そこで採用されたのが機械の体、義体に精神移植する方法だった。この方法の特徴は精神(霊体)を義体に定着させ、義体を移植者が自由に操作できること、また必要に応じ遠隔操作で精神(霊体)を離脱、イジェクトさせることができた。元の肉体と霊体は霊子線シルバーコードでつながっており、相当な遠距離からでも自然に戻ってくることが確認された。

 この精神移植の技術と前述のランスを組み合わせ、地球圏に接近する小惑星を破砕することが決定された。5年前の話だ。


 当時、中三だった俺は、迷わずランス搭乗員に応募した。

 宇宙軍学校へ進学し正式な搭乗員になって2年。バックアップも含め出撃は18回になる。


 部屋へ戻った俺を待っていたのはアイリーンだった。今日は非番なのだろう。


「辰彦」


 彼女は俺に抱きついてくる。


「今は機械の体だがいいのか?」

「うん。こうしていると中身は辰彦だってよくわかるから」

「そうか」

「ねえ、この任務は拒否できるのよ」

「知ってる」

「ならどうして続けるの?」


 アイリーンの質問に、俺は言葉に詰まる。


「それは……」

「それは?」

「俺の仕事だからだ。誇りをもって命を懸ける事ができる」

「そう。そうね」


 アイリーンは黙り込んだ。

 美人ではない。色白だがそばかすが目立つ。背は高く、スタイルは良い。しかし、やや吊り上がった細い目元が印象を悪くする。


『こんな顔、不公平だわ』


 彼女が時々こぼす愚痴だ。


『俺は気にしていない』

『分かってるわ』

『それに、君が他の誰よりも思いやりのある、優しい女性だって事を俺はよく知っている。それで十分だろう』

『ありがとう。辰彦』


 記憶の中のアイリーンは笑っている。


「必ず帰ってきて」

「ああ」


 彼女が心配する理由がある。


 ワープ事故が2パーセント。精神離脱、イジェクトの誤作動が2パーセント。目標に命中せず太陽系外へすっ飛んでいく事故が1パーセント。核融合ブースターの誤作動が2パーセント。


 概ね5パーセントが帰ってこれない特別攻撃。

 その場合、肉体に意識が戻らず植物人間となる。

 旧日本軍の特攻隊よりは随分生還率は高い。

 しかし、5パーセントは帰ってこない。


 彼女の心配はコレなんだ。

 アイリーンがキスをしてきた。


「機械の体でいいのか」

「いいわ。貴方を感じさせて」


 俺たちは、唯々抱き合ってキスをした。


 24時間後、軍医の診察をパスした俺はランスに乗り込む。

 機械の体だがきちんと宇宙服は着こんでいる。


「発射10分前です」


 AIのアモールがアナウンスする。


「秋山中尉、家族との交信申請は出てないが、可能だ」


 山崎艦長だ。


「必要ありません。必ず帰ります」

「わかった」


 必ず死ぬと決まったわけではないのに、気を使ってくれる人は多い。


 そういえば、科学的に霊体が認められたのと、次元跳躍航法、つまりワープ実験が成功したのは同時期だったと聞いた。迷信と言われた古い概念と最先端の物理が合致するのも面白い。


 霊体の実在が信じられない人は、実際体験してみるといい。次元跳躍航法の時、そしてランス着弾の時に、人間の本質的な部分は霊体である事を実感できる。

 今時、霊を信じない唯物思考の人は肩身が狭い思いをしているらしい。


 そんな他愛もないことを考えているうちに、発射時刻が迫ってきた。


「発射1分前」


 カウントダウンが始まった。

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