第15話 PM 8:30 / day2
結局のところ犯行は純然たる個人的恨みが動機だという。最後のひと色で奪われた作品を自分のものと取り戻す。目的はそこにあったらしい。
何しろジェンキングにとってジェンダーフリーにレスは商業的成功をおさめるための言葉に過ぎず、むしろ本質に迫った彼女の提案に作品を曲げて奪うどころか、方針に折れなかった彼女を解雇という建前で排除さえしたのだ。
そうも強引にふるまえたワケは、突き詰めるとキスギハルコが見るからに大人しそうな「女」だったからだ、ということになるらしい。なら確かにニセモノと言われたところで反論の余地はなく、しでかした本人はといえば盗作の自覚はあったとして、差別の自覚は微塵もなかったというのだから根は深かかった。
どうやら「ニセモノ」としてだけが本物だった、というハナも、出合い頭に自身を捜査員かと確かめた時はガッカリした、と言っている。そもそもだ。よく考えてみたなら「キング」と名乗る地点で疑うべきだった、とも肩をすくめる有様だった。
うやむやのうちに撤収された会場はフィナーレとも相まって、一部始終もまたエキセントリックなショーの一部と認識されているフシがある。だとしても、後ちに配信予定のショー動画については当然のことながらお蔵入りだ。ストラヴィンスキーにファンがつくこともなければ、百々のそれもシンデレラ同様、一夜の夢と消えることとなっていた。
経て、百々が帰路についたのは翌日の昼。あろうことか身柄を拘束されたキスギハルコと共に空路を辿ってからのこととなる。
キスギハルコはその後、近隣の署に連行されると、さらに詳しい取り調べを受ける予定にあるとのことだった。もちろんそこにはまだ明らかとされていない SO WHAT の名の出所も含まれているらしい。
つまり先に帰る、と言っておいて半日以上遅れて田所のアパートへ帰った百々は、一泊する旨を電話していたにせよもうアベンジマンどころではなくなっていた。仕方なく何があったかワケを話して田所を唖然とさせ、代償といくばくかの生活費を手にしたこともまた明かすと、なおのこと深く田所を落ち込ませている。
そらそうだ。アフリカ帰り以降、空手なんぞを習い始めた田所の決意こそ危険から百々を守るためだったなら、もう腕力だけの話ではないところへ差し掛かっていることを痛感したとしておかしくない話だろう。
だがトンチンカンがウリと慰める百々が、田所の胸の内に気づくことこそない。せっかくの休館ホリデイも先行きはどんより曇り空だ。
翌日も日中を費やし現地の後始末をつけたオフィスメンバーは、夕刻にもオフィスへ戻ることとなっていた。
「ハナ」
午後八時。それは百合草を交え報告を終えたそれぞれがオペレーティングルームを後にしようかという時だ。呼び止めた曽我はハナへと苦い顔を向ける。
「ニセモノにお灸を据えてやっただけよ」
どこまで本気か、返すハナにとってはそれもこれも織り込み済みということらしい。だがしかし曽我こそ同意できる立場になかった。
「後でチーフ室へ」
「はぁい」
もう、これきりにしてくださいよ、と視線を投げてストラヴィンスキーも傍らをすり抜けてゆく。急ぐだけの理由があるハートにレフは、やり取りには目もくれずもうオペレーティングルームから姿を消していた。やがてストラヴィンスキーの横顔も、先の二人を運んで降りて来たエレベーターの中へ吸い込まれてゆく。改め小言を聞かされるまでを食堂でくつろぐつもりらしい。背にしてオペレーティングルームを出たハナはもう、ヘリポートへ向かう乙部と別のやり取りを交わしている様子だった。
見送った曽我はひとつ、息を吐き出す。
「申し訳ありませんでした。わたしの監督不行き届きです」
否定しない百合草はうなずき返している。
そんなオフィスは再びの通常態勢に、オペレーターも一人きりだ。その一人も今、飲み物を確保すべく食堂へ行ってしまったらしく姿はない。
「チーフは」
だからして不躾だろうと切り出せた、それは率直な疑問だ。
「直属の部下が女性であることに、不安を覚えたことはありませんでしたか」
「そうだな」
間を置かない百合草に、されるほどに面倒な気遣いこそうかがえなかった。ただいつも通りの身のこなしで、デスク前から椅子をひとつ引き寄せる。会議でため込んだ疲れさえ預けるように腰を下ろすと、そこから曽我を見上げてみせた。
「採用の際は躊躇している」
言葉にはもうがっかりする、というほどのものはない。
「政治も警察機構も」
むしろ続きがあることに少なからず曽我は意表を突かれていた。
「完全な男社会だ。女性を選ぶことでやりにくさを味わうだろうことは想像できた。それが本人のためになるのかどうか幾らか迷っている。そうした意味でも業務に不安はないのか、と問われたなら、ある」
言い切る百合草の一言一句を、曽我は吸い上げるように聞き入る。
「だが私にとってより不安であるのは」
前で百合草はただ椅子へ背をもたせ掛けていた。
「不在を任せる者がいないことの方だ。色々あると思うが、もう少し続けてもらいたいと思っている。でなければ一人分、取ってきた予算が無駄に終わる」
そうしてのぞき込む目でこれ以上は自身で考えろと曽我を促す。だとして突き放されたように思えないのは不安はある、不満ではなく事実を迷わず明かす信頼にあると思えていた。そして安心は虚構の上に成り立たない。
通路へ、コーヒーのカップを手にしたオペレーターの姿は戻ってくる。
見て取ったからこそ立ち上がったのだろう百合草は、短い休憩を切り上げていた。
「実力で選ばれたことを、疑うな。期待が重荷なら、たまには今日もいい」
オペレータとすれ違うようにオペレーティングルームを出て行く。チーフ室へ戻る横顔は、腕の時計を確かめていた。
曽我はハナのことを思い出す。
七階、我が家のドアを押し開けると、少しこもった玄関のニオイが気持ちのスイッチを入れ替えていた。
「あら、ようやくお帰りで」
たどり着けたことにハートは大きく息を吐き、足を踏み入れたリビングでキッチンから振り返ったジルの声を聞く。
「まったく、久しぶりだと堪えるな」
ともかくだ。まずはソファーにこれでもかと身を投げ出す。
「食事は? お風呂、入ってますよ」
「いや。後で入る」
とにかく何だろうと次の動作に移る前に、動き続けた体のネジを緩めることが先だとしか思えい。いやまだ早い、でソファと一体化しかけていた体を起こした。
「そういえば、どうしてる?」
それだけで何のことか知れるのは、長年連れ添った相手だからだろう。
「聞き分けが良すぎるのが最近、心配だわ。ちゃんと明日、練習してあげて下さい」
そう、昨日の午後に約束はあった。
「……そうか」
曖昧と答えて返せば目の前に、ルーティンがごとくノンアルコールのビールは置かれる。呟くように返して一口含み、ハートは、ようし、で立ち上がった。とたん、さっき寝たところよ、と教えるジルはもう子供部屋へ向かうことを察しており、背にして暗がりをのぞき込めばその通りと子供らは四人、各々のポーズをとるとまさに無心と眠りについている。
起こす失態は爆発物解除よりもひどい惨事だろう。
ひとしきり眺めてソファへ戻ると部屋着に着替えた。
「よく寝てるな」
「寝る子が育つのは早いわよ、アナタ。おいてけぼりにされないでくださいね」
キッチンを片付け終えたジルは最後、シンクの傍らに吊られたタオルで手を拭うと釘を刺す。今度こそ燃料を切らしてソファに埋まりこんだハートへ歩み寄っていった。
「そう、昨日、バーバラのところへ行ってきたんだけれど、だいぶしんどそうだったわ。だからこれからちょくちょく様子を見に行ってあげようと思うのだけれど」
面持ちは心配げだ。
「なんだ、体調が悪いのか」
ビールへとハートは手を伸ばす。
「悪いってアナタ」
あおって返し、テーブルの片隅に置かれた新聞を開いたところで言われていた。
「もう四か月じゃないの」
とたんハートの動きは止まる。読もうとしていた記事のことなど、吹き飛んでいた。代りにいっときだろうと、突進してくる素手の女を相手に固まったレフの姿を思い出す。
「あら、もしかしてアナタ、レフから何も聞いていないの?」
そいつはいつものことだ。
思うからこそ、ハートはここぞで絞り出していた。
「あの野郎っ……」
「帰った」
そうして一日半ぶりに自宅の敷居をまたぐ。なら居間でぼんやりテレビを眺めていたバーバラは振り返っていた。とたん、眉をへこませ笑い出す。
「なぁに、それ。もう、どういうこと?」
経緯は色々とあった。だが端的に説明するならカラーボールのせいで服は着れたものでなくなると、代りに好意、あくまでも好意で貸し出されたショーの衣装を身につけ帰ることとなっていた。そのボリショイ劇場にでも立てそうなフリルは襟も袖も、感謝すれこそなかなか受け入れ難い。
「カラーボールを投げつけられた」
ジェンキングのブランドロゴがあしらわれた紙袋を突き出す。中をのぞき込んだバーバラは、オーマイゴッド、で受け取ってみせた。
「一応、洗ってみるわ」
「留守中、何かあったか」
浴室へ向かう背へ確かめる。とにかく返却せねばならないのだから、フリルのそれから部屋着へ着替えた。なら少し遠い位置からくぐもった声は「ジルが来てくれたから大丈夫」とだけ知らせる。追いかけ景気よく流れる水の音は聞こえて、にわかに動き出した洗濯機が、どこか眠いモーター音を途切れ途切れと響かせ始める。
「新しいのが必要ね。たぶんとれないと思うわよ」
真後ろに声を聞いて振り返っていた。お帰りなさい、の挨拶を済ませて「夕食は」と確かめられる。ただ「ああ」と返せばキッチンへきびすを返したバーバラに代り、テレビの前へ腰を下ろした。
「いや」
どうやら作り置きを温めなおすつもりらしい。
「自分でできる」
思いなおして立ち上がる。
「そう?」
冷蔵庫から取り出されたばかりのタッパーを受け取ると、洗いカゴから抜き取った皿へ中身を移して吊り棚のラップへ手を伸ばした。なら大人しく場所を譲るバーバラは悪気なくテレビの前へと戻ってゆく。再び元の形へ納まったところで、飲みかけのマグを手に振り返ってみせた。
「そう、サイト、来週から運用を始めることになったわ。きっと役に立つと思う。私みたいに日本語が出来ない人にはなおさらね」
在日外国人向けの医療サポートサイトだ。自身の経験から思いついたらしい。ジルが協力してくれるというなら、大丈夫だろうと思えていた。
電子レンジのタイマーをセットしながら聞いて、最後にスタートボタンを押し込む。
「ジルには感謝しなくちゃ」
「あんあまり根を詰めない方がいい」
「看護師の中には間際まで働いてる人もたくさんいるのよ。続けてたらあたしもそうしてた」
確かに孤立しがちだったバーバラにとって活動は、プラスになるだろうと思えてならない。だが、とテレビへ向き直ったバーバラの、ひとつにまとめられた髪を見つめて考えなおす。
「俺も」
危ない橋はもう、渡れない。
「仕事を変えようかと思う」
外気は心地よく、星空に向かって手を振り上げた。吸い込んだ空気を吐き出しいつもの、いつもながらの道を、ストラヴィンスキーはなぞって歩く。
その視界に明かりを灯すのは、一日、通いそこねたバーガーショップだ。
自動ドアを潜り抜け、少しばかり夕食のピークを脱して落ち着きつつある店内へ、むしろそこが自身の家であるかのように足を踏み入れていた。
だがカウンターに彼女はいない。
仕方がないので逐一、口頭で注文をすませることにする。
店内で食いらげてから帰ってもよかったが、いかんせん疲労困憊だった。テイクアウトのそれが出来るまでを、下がった位置で手持無沙汰と待った。私用の携帯電話が鳴ったのは、そのさなかのことだ。
遅くなりました、と切り出す声は渡会だった。おかげで思い出せたのだとしたら、やはりあのとき手を回しておいて正解だったということだろう。だが渡会はといえばこうストラヴィンスキーへと話して聞かせる。
「例のナンバーの件ですが、今朝、所有者の妻から外田さんの紹介でと、DVの被害相談が入りましてね。どうされますか」
何度も下げてしまう頭が止まらない。おりを見て本人へこちらからも連絡を入れることを告げ、対応を一任していた。タイミングはもしや天のどこかでカミサマとやらが見ていて、あの日、互いを引き合わせたのではないか、と思うほどだ。
やはりこれが天職、だからか。
悪くないと思える。
と、番号は呼ばれてストラヴィンスキーは、通話を終えた携帯電話から顔を上げた。
「あ、いらっしゃいませ。こんばんは」
緩いベージュのニットとフレアスカートに、誰だったのかが分からない。挨拶されて瞬きを繰り返しようやくのみ込む。九時半までの仕事を終えると彼女は、ちょうど店を後にするところだった。
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