第14話 PM 8:05

「バッカ、ヤロ」

 通信の向こうで絶句しているのはハートだ。

「ハナさんそれ、なんだかなぁ、ですよもう」

 さすがのストラヴィンスキーも絞り出している。

「わあ。ジェンキングさん、見えました」

 現れた姿に知らせる百々の声も混じった。

 瞬間、切り替えられたのはステージの音楽だろう。合わせて訪れた暗転後、会場はステージも客席もだった。境目なく照らし出される。ステージに客席という分け隔てのなない演出はショーを互いが成功させたのだという一体感を高め、だからこその大団円、フィナーレを否が応にも盛り上げてゆく。煽られたならそれまで座っていた観客さえもだ。ジェンキングの登場を予感すると拍手喝采、待ちきれぬ様子で立ち上がっていた。

「ストラヴィンスキー、頼むわよ」

 投げる曽我のそれはもちろんジェンキングを、だ。

 のみならず声は他方へも投げられる。 

「ハート、そっちは」

「ダメだ。客が立ち上がってよく見通せん」

「位置情報、動き出しました」

 知らせてオペレーターが割り込んでくる。

「オイ、そっちからは見えんのか?」

 誤差を考えれば検知した地点ですでに四、五メートル、移動している可能性があった。ハートはレフへ呼びかけ、しかしながら返すレフの返事こそそっけない。

「同じだ」

「……そう」

 と、呟いたのは曽我だ。

「携帯、鳴らしてみて」

 無論、キスギハルコの携帯電話をである。だがややもして「鳴っているのか」と確かめるハートにはこの騒ぎである、聞こえならしい。

「位置情報、移動の向きはアリーナ、後方です」

 いやそれともマナーモードにしているだけか。

 追跡を続けるオペレーターが、緯度経度でしか表示されない数値を地図上に照らし合わせて知らせる。百々の上ずったような声はその時、そこへ重なっていた。

「ジェンキングさん出ますぅっ……」

 パン。

 フィナーレを飾るクラッカーだ。ステージ前方の床のフチから一列に、宙へ向かい吹き上がる。金と銀のテープは見る者からステージを遮るように宙を泳いで光輝き、飾り付けられたバルーンを揺らして紙吹雪も、世界をコマ落として降り注いだ。

「気象庁通してピンポイント。地震速報、鳴らして」

 分割されたモニター画像の、客席を舐めるカメラはズームが効き過ぎてむしろ動く標的を追いにくい。見渡せるメイン画像の華やかさは最高潮を極め、見上げてそぐわぬ舌打ちを放った後、指示した曽我の視界へチョークホワイトの衣装に身を包んだジェンキングの姿は映り込む。紙吹雪にまみれて颯爽、舞台袖から現れたなら歓声もまたひとたび大きくうねってみせた。浴びて小走りでステージの中央に向かうジェンキングは無邪気なものだ。満面の笑みで観客へ両手を突き出すと、めいっぱいに振ってみせる。

「位置情報……、方向転換しました」

 ただ中で知らせるオペレーターに、どっちだ、思えばレフもついに立ち上がっていた。

 ステージでは、観客へ愛想を振り撒き続けるジェンキングの背後に続々、同じ白の衣装をまとったモデルたちもまた集まり始めている。

「ステージへ向かっています。アリーナ後方からステージへ直進中。直進中」

 真正面からなどと、むしろヤル気しか感じられない。

 ハートも歓声の中、Cブロックの端の通路をランウェイへ走る。

「ダメです」

 そのとき振り返ったのは、気象庁へ地震速報の指示を通していたオペレーターだった。

「百合草チーフの許可は得たのかと、言ってきています」

「はぁっ?」

 このときばかりは曽我の顔も歪む。

「今はチーフの指示であたしがココを預かっているって、言ったっ?」

 確かめずにおれない。

「はい伝えてあります」

「……使えないっ」

 漏らす姿へ、残りのオペレーターたちもついぞ視線を上げている。

「直接、交渉されますか?」

 投げかける声に逡巡するなど、曽我に時間はなかった。そしてこの手のパターンなら、いくらも繰り返してきているのだから一足飛びに結論だけを絞り出す。

「……いえ、チーフと話すわ」


 懐疑の延長は一時間だ。経て庁舎を後にした百合草は、こんな時に、と乗り込んだ車のドアを引き寄せ閉めた。だが会議を長引かせた張本人が己ならそれ以上、文句は言えず、でなければ予算はさらに削られる予定にあったのだから確保できたことに&せねばなるまいと思う。

 そもそもだ。平穏だからといって体制を削るほど本領を発揮すべく想定外の事態が訪れた時、組織が露呈させるのは脆弱さにほかならない。そして弱体化した組織こそ、イザという時つぎ込んできた予算を無に帰すただのお飾りでしかなかった。機能してこそ、組織は維持する意味があるのだ。だが内部を知らぬ者ほどその機能には、爪の先ほども関心がない様子だった。

 何も分かっていない。

 急ぎオフィスへ走り出したセダンの後部座席で百合草は、ひとつ鼻から息を抜く。鳴り出した端末に胸ポケットを目をやった。引き抜き、聞えてきた曽我の声へ「わかった」とだけ答えて返す。続けさまつなげた相手こそ、これが初めてというわけでもない相手だろう。むしろ二度と顔を突き合わせることがないよう願っていたなら、並べて突き付ける言葉もすでに準備というものがあった。

「公安の百合草だ。先ほど部下の申請を却下したそうだが……」


 勢ぞろいしたモデルたちを背に、座長そのものジェンキングが改め観客へと深々、頭を下げる。紙吹雪に金銀テープの落ち切ったステージは一面が白と冴えわたり、持ち上げた頭で高く両手を広げたジェンキングは二階客席へも心からの感謝を示してみせた。

「いました」

 声はズームで携帯位置を追っていたオペレーターからだ。同時にメイン画像はホーる全体をとらえたものから荒い解像度の画像へ切り替えられ、ブロック分けして客席間に敷かれた通路を移動してゆく人影を映し出した。その人相は高い位置からのアングルのため不明だったが、その明らかに女性と思われるシルエットは端末が発信する位置情報の範疇にあることをオペレーターは断言する。

「Fブロック内、ランウェイへ移動しています」

「クソ」

 ABCDとランウェイと並行に客席は仕切られていたなら、EFはちょうどランウェイの先端正面だ。ハートは吐き捨てる。

「手元に何か見えます」

 告げるオペレーターに曽我は間を置かない。

「ストラヴィンスキー、ジェンキングを下げて」

「そのつもりで動いてますよっ」

 それが凶器なのかどうか確認は取れない。ただ万が一の想定こそはずせず、事態をショカツへも周知させる。

 知らずランウェイへと歩き出したジェンキングは意気揚々としたものだ。押すな押すなでモデルたちも、その背に続いている。だからこそ押しのけ、すり抜け、ストラヴィンスキーは先頭のジェンキング目指し白の中を走った。

「警報、使用許可出ました」

 それはすんなりいった、と言わんばかりのタイムラグだろう。噛んだ奥歯で成り行きを飲み込み、曽我はただちに口を開く。

「ターゲットの携帯、鳴らすわよっ!」

「百々さん、下がって」

 などと百々の腕が引っ張られたのは、他のモデルたちに混じりランウェイを進みつつ、一体どこに、と目を泳がせていたさなかだろう。のけぞり振り返って、白いバスタオルを肩にしたハナと目を合わせる。

「キャリアと連携。二、一、……」

 繰り出すカウントは必要最低限と短い。

 途切れて「地震です」、不穏なメロディーは唐突と歓声の中に場違いな音を響かせた。それはたとえ百々たちの耳に届かなくとも、周囲の観客を瞬間、ぎょっ、と振り返らせる。

 ランウェイ突端、エプロン前から数えて三列目だ。鳴らされたタイミングからして

間違いない。確かと百々は目にしていた。

「ああっ、あそこっ」

「どこだ」

 せっつくレフに急ぎ、旅客機でも誘導するかのように大きく振り上げた腕で百々は指し示す。

 促されて頭をひねればレフの目にも、明らかと人を押しのけ強引なまでに移動する何某の存在は映り込んだ。

「いた。ランウェイ先端、二列目付近だ」

 告げるが早いか目指して身を弾ませる。

 気づかぬジェンキングは二階客席へ投げキッスなんぞ振り撒きながらもう、ランウェイを三分の一のところまで歩いていた。

 繰り出される靴先の向こう。見上げていた観客の列が藪から棒に割れる。

 押しのけまさにキスギハルコは飛び出していた。

 ままにランウェイへ手をかけようともむしろ死角と、モデルを引き連れジェンキングは軽快と足を繰り出し続ける。

 よじ登るキスギハルコの体がランウェイへ持ち上げられてようやくだった。行く手を塞ぐように現れたその姿に、いまだなり続けるく不穏な音色に、気付きその場に靴底を貼りつかせる。

 互いの視線は確かと噛み合って、背へモデルを押しのけストラヴィンスキーは躍り出していた。

「ジェンキングさんっ」

 咄嗟と引き寄せ腕を取る。

 組まれた照明を踏んで手を掛け、そんなジェンキングとキスギハルコの間へレフもひと思いと踊り上がった。

「……ソッ」

 だからこそまさに捨て身孔で獣のような咆哮と共に、警告音を振り撒きキスギハルコは突進してくる。

 その腕を高く頭上へ振りかざした。

 目にしてその場でジェンキングをかばい、ストラヴィンスキーが背を向け小さくうずくまる。

「カラーボールかっ」

 声は振り上げられた手の中にある物へ目を細めたハートのもので、互いを一直線とつなぐランウェイの上、真っ向、立ち塞がるレフへこうも放った。

「取り押さえろっ」

 だが聞こえていないように立ち尽くすレフになんら反応はない。

「解放おぉっ」

 キスギハルコの絶叫だけが響き渡る。

 肩が抜けんばかり、踏み込んだ足で手の中の物を投げつけた。

 確かに丸い。

 レフをかすめたすぐ後ろ。ランウェイに落ちて砕けた。

 中から四方へ、糸を引くようにして赤は飛び散る。

 レフを、身を丸めたストラヴィンスキーに、抱え込まれたジェンキングを。その後ろについていたモデルたちを、さらにはランウェイ左右の観客までもだ。べっとりまだらに打ちつけた。きゃあ、とモデルに観客の間から悲鳴は発せられ、覆い隠すようにしてランウェイの両側からこれが最後、紙吹雪は打ち上げられる。華やかさにわきおこる歓声は、それもまたショーの一部と解釈しているかのようだ。浴びたインクにランウェイ周辺だけが、凍り付いたように息をのむと表情を引きつらせていた。

 かまうことなくさらにひとつ、キスギハルコは腰に下げていた袋からカラーボールを取り出しにかかる。だが滑るのか引っかかっているのか、戸惑っていればその体は、不意にレフの前から吹き飛ばされて消えた。

「バカヤロウっ。ぼうっとするなっ」

 力づくだ。タックルで押さえ込んだハートの罵声が飛ぶ。

 のされてもがくキスギハルコに勝ち目などない。

 めがけて迅速と駆け寄る私服警官の無言がむしろ、事態の異常を訴えていた。

「こちらです」

 背に、ストラヴィンスキーはジェンキングを立ち上がらせる。

 収集にかかるアナウンスが、まさにどさくさ紛れとイベントの終了を告げていた。

 促されてよろめきジェンキングは立ち上がる。そのさいチラリと盗み見るように振り返った目は初めて、ランウェイに組み伏せられたキスギハルコをとらえていた。だがあの笑みこそ、そこに浮かぶことはない。ストラヴィンスキーに連れられ、ただモデルたちの間を逃げるようにすり抜けてゆく。背をステージの袖に消し去った。

 経てもなお百々が駆け寄ったのは、今だレフは立ち尽くしたままでいたからだ。

「レフっ」

 顔は、聞こえてようやく百々へと向けられていた。

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