第13話 PM 7:45

「ランウェイ右サイド、アリーナ。Cブロック、七列目から十五列内」

 読み上げるオペレーターに合わせ客席を目でなぞる。

「誤差、三メートル。携帯電話本体のGPSは起動していません。これ以上は精度の限界です」

 ハートも間近に腰掛けたランウエイの向こう側。隣とのブロックを仕切る通路を両端に、二十三席が後方へ三十列ならぶ一帯だ。見据えたレフの両目は窪んでゆき、すぐさまハートの声もイヤホンから聞こえてくる。

「俺の背後か」 

 あわせてチラリ、ランウェイの向こうで背後をうかがう肩が揺れ動いた。

 遮り、ランウェイの両端に並ぶ照明が強い光を点滅させる。合わせてBGMもまた次の曲へ切り替わると、会場へ散っていたスポットライトが吸い込まれるようにステージへと駆け戻っていった。

「慎重に行って。上のカメラからもやってみる」

 曽我が促すのは、ざっと計算して指定範囲内にひしめく百八十人余りの確認だ。

「ホール内カメラ、どこまで寄れる?」

 左右、袖から同時に現れたモデルの男女はステージ中央できびすを返すと、もう三組ほどがランウェイを堂々闊歩している。

「一番見える位置かと。ステージからも確認します」

 指示する曽我にストラヴィンスキーも声を割り込ませていた。

「あたしもやってみます」

 すかさず百々もそこに声を重ねる。

「確実かどうかはいい。いたと思ったなら指差しで教えろ」

 レフもマイクへ吹き込んだ。

 次の瞬間だ。ステージ左右から百々とストラヴィンスキーは姿を現していた。


 そんなショーも残り三十分足と大詰めだ。進行表によればおよそ十五分後、ジェンキングが全モデルを率いてランウェイを歩き、フィナーレとなる。

「安全のためステージへ上がることは諦めてもらうよう、説得してくるわ」

 この味気ないバックヤードの通路が今は、ハナのランウェイだ。告げて腕時計の文字盤を確かめ、なお歩調を早める。

「所轄を応援に送る」

 言う曽我の配慮は、登壇しないジェンキングにキスギハルコの携帯位置情報がバックヤードへ動き出すことを警戒してのことだ。見えずともうなずき返してハナは搬入口へ抜ける手前で通路を折れる。やにわに人の往来が増えたのは実数以上、通路が細くなったせいで、だからこそ間近とすれ違うスタッフの腕を掴んで引き留めた。

「ジェンキングさんは今、どちらに?」

 フィナーレの準備で西のロッカールームにいる、と迷惑そうに教えるスタッフは、忙しいせいでそれ以上、ハナが誰かを吟味しない。好都合と、それきり放り出されてハナは端末へ呼び出した地図から同じフロアの奥、女性用にあてがわれた更衣室の手前、枝別れした通路の先にロッカールームがあることを確かめた。

 オフィスへ伝えて一人、二人、とぶつかるように行き交う人をまた肩でかわし、移動を開始する。混雑から逃れると、辿る通路に間違いがないことを示して現れた情勢用更衣室の手前で、人ごみから抜け出し右手へ折れた。この見通せない造りは敷地に詰め込まれた部屋を回りこんんで通路が敷かれているせいか。無機質な壁に沿ってさらに右折したところで視界に一枚の、何の変哲もないスチール製のドアをとらえる。

「先ほどの書き込み、削除されました。配信者アカウントからの操作です」

 ジェンキングだ。

 いい度胸じゃない。

 伝えるオペレーターに頬をすぼませた。

 足を、操作していたろう部屋の前で止める。

 あくまでも穏やかにだ。ノックした。

「ジェンキングさん、よろしいでしょうか」


 アラビアのロレンスか。

 映画で、というよりもポスターでしか見ていないのだからだいぶとイメージ先行であることに違いなくとも、シワ加工の生地をたっぷりとったロングスカートをなびかせ歩く姿に想像してしまう。それでいて襟の大きく刳られたオーバーサイズのロングTシャツは指先さえ隠れるほどに袖が長く、ルーズを越えて退廃的でさえあった。

 ステージを中央へ、互いに袖から歩み寄りつつ百々は、にわか作りとは思えぬストラヴィンスキーの着こなしに唸らされる。そういえばこれは後々、何百万人が登録するチャンネルサイトで配信される予定にあったのではなかったろうか。本気で彼にはファンがつくのではなかろうか、とうがりさえした。

「奥、見てますので、百々さんは手前を」

 顔を突き合わせたところで告げるストラヴィンスキーと守備を分担する。そろってランウェイへと身をひるがえした。

 二度目ともなれば浮かれてはしゃぐ気も失せたウォーキングは、自身でも驚くほどに落ち着き繰り出されている。だからして歩調も、顔が確認できるぎりぎりまで速度を落とせていた。ままに、通路で区切られたA、Bブロック前をやり過ごす。ハートが最前列に腰掛けるCへさしかかったところで声援へ答えるように、確認すべく観客席へ振り返ると手を振りもした。答えて身を乗り出す観客は、百々たちが苦心しなくとも十分に顔を晒しているような具合だ。七列目から少しばかり後ろまでなら十分、見て取ることができる。

 どうです?

 気配で尋ねるストラヴィンスキーと、ずらす歩調でランウェイの左右を入れ替わりもした。

 二十席余りの前を通り過ぎるに何歩を要したのか。

 行き着いたランウェイ先端のエプロンで二人してポージングを決める。

 だとして見られている、と言うよりも見ている、の方が意識はるかに強い。

 見回す視線を最後まで残し、己がイメージでは華麗の二文字がきらめくターンで百々は再びステージを目指した。その道すがらもう一度、客席の中にキスギハルコの顔を求める。端末に送られてきた写真があまりに地味だったため、もしかすると今日は化粧にメイクで別人のようになっているやもしれない。疑い出すほどらしき面持ちを見つける事ができぬまま後続のモデルたちとすれ違い、戻ったステージでグループの全員が歩き終えるまでを待った。

 その心持ちはもう演者でなく完璧な警備員のそれで、目つきからして違ってくる。

 だが襲い来るものはおらず、入れ替わりと座席からハートが立ち上がるのを見ていた。

「……確かめて来る」


「だれ」

 携帯電話をテーブルへ伏せたジェンキングが顔を上げていた。

「まだ時間……」

 言いかけるが、ドアを押し開け入って来たのがハナだと分かるや否や、あら、と大袈裟なまでに眉を跳ね上げてみせる。

「捕まったんですか」

 SO WHAT の存在を知らないせいだと考えていたが、初めからそうだ。事態を軽く扱う態度に変わりはない。

「そのことでお話が。時間がありませんので手短に申し上げます」

 ドアは締め切らない。半開きにしてハナはジェンキングの前へ進み出てゆく。

「でないなら、バックステージへは控えて下さいと言ったはずなのに。これじゃ、二人をモデルに採用した意味がないんですけど」

 跳ね上げていた眉をまぶたへ押し付け抗議の色もあらわと、ジェンキングが腰かけていた椅子から立ち上がってみせた。そのフィナーレに備えた真っ白なTシャツとスキニーデニム、細い腰を覆う同色のスカートはとたん、膨張色の効果も絶大と威圧感に満ちる。

「キスギハルコ、と言う名前にご記憶は」

 まさか知らない、とは言わせない。

 対峙したところでハナは思う。

「先週、辞められた方です」

 たたみかければ嫌なことを聞く、とジェンキングは顔色を濁らせた。すぐにも元へ戻して「ええ、もちろん。デザインのことで手伝ってもらっていたコですから」と、答えてみせる。だとして素直でよろしい、などと到底、思えはしなかった。

「怪文書発見のきっかけになった電話が、彼女の名前で契約された携帯電話からかけられたものであることが判明しました。現在、会場内にその位置情報を検知しています。またその携帯電話から長らくあなたの動画サイトへ、クイーンの名で悪質なコメントを書き込んでいたこともです」

 案の定、落ち着いた様子で聞き入るジェンキングに驚いた様子はない。

「このことは以前からご存じだったのでは」

 ハナは投げかけた。

「先ほど投稿された書き込みも今、削除されましたね」

 これには少々、肝を抜かれた様子だ。

「申し訳ありません。捜査のためサーバーをモニターしておりました」

 強張る顔へ明かして詫び、改めハナは姿勢を正す。

「これは想像の域を出ませんが、コメントの書き込みも突然辞職されたことも、キスギ氏とあなたの間で何かしらトラブルがあったことが原因ではないのでしょうか。本件はそのため引き起こされたのではないか。そののように考えています」

 従って、と続けるハナの顔を、ジェンキングは何を言い出すのかと言わんばかりに見つめている。

「ショーへの妨害を危惧していましたが、怨恨の線が強いことからご自身の身の安全を最優先にフィナーレへの登壇を諦めていただくようお願いにあがりました」

 とたんジェンキングはこれまた大袈裟に目を回してみせる。果てに宙を見上げて何事かを呻いた。それが「もう」だったのか「クソ」だったのかは聞き分けられない。ただそれきり腹立たし気とテーブル前へ腰を下ろし、頭を抱え込む。丸めた背でしばしその場に固まった。

 やがて一縷のムラなく染め上げられたオレンジ色の髪の向こうで、目玉は裏返る。うかがうような視線は投げられハナをとらえた。

「あのコに、そんな大胆なことが出来るとでも?」

 言う。

 声はそこで、ええそうですね、と開き直ったように大きくなっていた。

「コメントのことは薄々と」

 口調はキングそのものと傲慢を極める。

 曽我の手配した応援も、そのときドアの向こうに駆けつけていた。

「それがあのコのせいぜいでしょ」

 目にしたところでジェンキングが態度を変えることはない。むしろ再び椅子から立ち上がってさえみせる。

「だいたいあのコ、肝心なところでトロいんです。ワケを聞いても話は長いだけ。ボクの指示もサッパリ理解できてない。採用したときはデキるコだと思ってたのに、注意すればまさかのアンチに。ほんと使えない。ボク、ビリオン配信者なんです」

 胸の前で両の腕をこれでもかと絡ませた。

「身内からそんなことをする人物が現れたとか、結構なスキャンダルじゃないですか。告発したとして、あのコだって世間を敵にまわすだけで大変。だから周りには知らせず辞めてもらったんです。恨むとか。まぁ、うじうじしたあのコらしいけど」

 絡めたその先で可愛らしい色のはずの爪が、苛立たし気と自身の腕を弾く。

「どうせ手掛けた衣装を見に来てるだけでしょう。けど悔しいから、ついでにあんな手紙を置いて行った。あのコは、そういうコ」

 そうして最後、もうおしまい、と振り払うようにほどいてみせる。目をあてつけがましく、壁の時計へ持ち上げた。

 もちろんあったトラブルが何だったのか、問いただしておくことは動機の裏付けとして必須だ。だが確かめなくとも少なからず、キングに対しクイーンを名乗ったハルコの意図がハナには汲み取れてならなかった。似通ったマインドセットなら男社会の典型ともいえる警察組織で低いところに漂うガスと、いつもかがされ続けている。

 女のくせに、と。

「心配ご無用。予定通りボクはフィナーレに上がります。だってボクが出ないとお洋服の売れ行きにだって影響しますから」

 開いたままのドアはちょうどそのときノックされていた。振り返れば、集まった面々にいぶかし気な面持ちで部屋をのぞき込むスタッフの顔はある。

「キング、あと五分でフィナーレです」

「午前、九時十五分」

 重なりイヤホンからも、ハナは知らせる声を聞いていた。

「搬入口監視カメラにキスギハルコを確認。搬入の際、他のスタッフと共に侵入した模様」

 だからこそ、あらそう、と冷めてゆくのは、ならお好きになさい、と過ったからにほかならない。

「分かりました」

 ハナは投げ出す。

「キスギ氏をよくご存じの方がおっしゃるのでしたら間違いないでしょうから、ご出演ください」

「ええ、自由にさせていただきます。そちらこそ、しっかりお仕事なさってください」

 返すジェンキングが傍らを通り抜け、部屋を出ていった。

 成り行きに、応援に駆け付けた私服警官らも戸惑っている。

「いいんですか?」

 詰め寄られてハナはただ、小首をかしげて返していた。そうして襟元のマイクを持ち上げる。開口一番、ゴメン、と入れた断りで続けた。

「説得に失敗した。相手がキスギハルコだと了解のうえで、彼女にそんなことが出来るハズがないって。登壇するそうよ。まあでも」

 吐いたその後が本心なのだから、肩もすくめるままに持ち上がる。

「キングがおっしゃるんだから間違いないんじゃない?」

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