第12話 PM 7:30
読み上げられた文面に百々は思わず息をのむ。
「こいつは本気らしいぞ」
どうにか引っ込んだ舞台袖から更衣室へひとっ走り。鏡の前で押し付けられるように椅子へ腰を下ろしたところで、ハートの声もまたイヤホンから聞いていた。一緒に拾い上げられ、会場のBGMもまたこもった音で流れている。曲はタイムキーパー代りと更衣室にも流されていたなら、百々はまるでハウリングを起こしているかのような感覚に見舞われていた。
「携帯電話、十二時間内での通話履歴は本日、午前十時十二分、国際新ホールのみ」
「モデル、スタッフの中に契約者氏名と一致するもの、ありません」
立て続け、チェックに精を出していたオペレーターからの報告も入る。
「関係者スジ、ハズレ? ステージ周辺、観客の動きに警戒」
ふまえて曽我が改め促す。
再びそのステージへ上がるべく三人がかりでウィックを付け替えられ、メイクをなおした百々は鏡の前から離れて着替えにかかる。シルクのネクタイがメンズライクなワイドパンツのグレースーツに身を包むと、しかしながら足元は十センチ越えの厚底のチャンキーヒールで、全面にスマイルマークが黄色のスパンコールであしらわれたバッグを手にした。
「携帯の位置情報、まだっ?」
携帯電話から確実に犯人へ辿り着くにはもう、そこしかない。曽我が声を挙げる一方でステージの進行を知らせてBGMも、二度目の出番が近いと百々を急かす。
「次の出番、近いので袖へ移動します」
慣れない靴に気をとられつつ、スラックスのポケットからどうにか端末を抜き出す。古いシューティングゲームのように、通路の向こうから押し寄せてくるスタッフやモデルたちを避けながら携帯電話の契約者、重要参考人の情報へ目を通していった。
「わあ、本当に女の人だよ」
アイダツバサと名乗ってホールへ問い合わせた人物の本名は、キスギハルコ、二十五歳。住所は近所とは言い難い県外にあり、職業欄には会社員とだけ記されていた。ままにスクロールすればせり上がってきた写真に映し出されているのは、後ろにひとつ髪を束ねた、化粧っけのない顔だ。情報は全て携帯電話の契約時に提出されたものらしく、写真も免許書のうつしのようで、ありがちなどうにも硬い表情をしていた。だからして陰気に見えるのか。それとも重要参考人という先入観に百々が勝手と凶悪さを引き出そうとしているのか。つい先ほど「クイーン」と言うハンドルネームで書き込みをしたところなら、ギャップを感じて本当にこの人が、と思い過らせる。
たどり着いた舞台袖では同じグループのモデルたちがもう、列を作って出番を待っている。
自分の出順にもぐり込み百々も、そこからキズキハルコを探して頭を振った。
「……百々、袖です。写真の顔、見当たりません」
「あ、どもスミマセン」
狭い通路でぶつかる誰もはキスギハルコとは程遠い男ばかりで用がない。持て余す生地をまくしあげてストラヴィンスキーもまた、迫る出番に更衣室を飛び出していた。
「というかコレ、なんとかなりませんかっ」
着替えの終わったいで立ちは、初めてはくこととなったスカートだ。丈はくるぶしを隠すほどもあり、色こそマットな黒だからして気持こそどうにか凪いでいたが、ともかく足へまとわりつくと動きづらいことこのうえなかった。
「百々さん、写真の人物だけとも限りませんよ。違う誰かが携帯電話を使用している可能性もあります。だから、気になることがあれば誰でも教えてください。向かいますから」
「あ、そっか。わかりましたぁ」
非常時に少々不安を覚えつつも声掛けしておく。
と、かぶさりオペレーターの声は聞こえていた。
「端末の位置、出ました。ホール敷地の複数基地局にて電波を受信中。各セル半径、三十メートル。……所在地は、舞台袖含むホールアリーナ内。三角測量、GPSでピンポイント特定します」
そりゃまずい。
思うほかなく、ようやく抜け出た通路で爪先を切り返す。照明やスピーカーを積み上げ、吊り下げ、観客から覆い隠された骨造りの舞台袖へ、消音のカーペットが敷かれたスロープを駆け上がり向かった。停電さながらの舞台袖はとにかく薄暗く、進行を取り仕切るスタッフに、モデルの最終チェックを行うスタッフたちが行きかっている。ただなかに出番を待つモデルは列を作ると、急ぎストラヴィンスキーもそこに加わった。
ヘタをすればキスギハルコは、いやその携帯電話を手にした何某かもしれない、は同じ板の上にいるのかもしれず、髪に、スカートの広がり具合に、スタッフの最終チェックを受けながら視線を走らせる。ほどに、流れるBGMもまた出番が近いことを知らせると、離れて探し回る時間がないことを明らかとした。
「ちょっとお伺いしてもいいですか」
だからして最善、声をかけたのは、今まさに身なりのチェックを終えようとしているスタッフへだ。たとえモデルやスタッフの中にキスギハルコが登録されていなくとも、だった。捜査の基本は聞き込みにある、というのはかつての所属先にいた先輩諸氏から叩きこまれたセオリーである。
「客席のど真ん中ならどうする」
ハートが曽我へと確かめている。
聞きつつストラヴィンスキーは、端末に映し出されたキスギハルコの画像をスタッフへ差し出した。
「実はこの方を探してまして」
「動いたところで確保。動かなければショー終了後、動画サイトへの書き込みを理由に威力業務妨害で引っ張るわ。証拠の端末、しっかり押さえてよ」
端末の性能にも左右されるだろうが、現在地のピンポイント特定はおおよそ数メートルの誤差で可能だ。
伸びるランウェイを目の前に、左右へ、背後へ、レフはイヤホンの声を拾いつつレ蜂の子と並ぶ客の顔から顔へ視線を這わせてゆく。闊歩を続けるモデルの向こう側でもハートが同様に周囲に背後を、ステージ真正面に並ぶアリーナ客席の最後方、関係者用の通用口前でもハナが熱狂する観客の挙動に目を配っていた。
だがしかし、だ。こうして見回すほど痛感するのはたとえピンポイントで特定しようと、場所によっては誤差となる数メートル範囲にかなりの人数がひしめいているという事実だろう。何ら動きを見せずショーが終了したとして、散り散りに帰りゆく客の中からキスギハルコを、その携帯電話を持った何某を押さえるのも、言葉で言うほど簡単なことではない。
ならそれは動画コメントを分析していたオペレーターの声だ。
「ジェンキング氏の動画サイトに、ジェンダークイーンアカウントからの書き込みを複数確認。半年にわたり五十八件。いずれも内容は文書の文言と酷似」
まもなくキャプチャーを編集したファイルアイコンは浮かび上がる。開いた指先でニセモノだ、と訴え続けるコメントをスクロールさせた。
「内部関係者で、アンチのクイーンが絶賛、観覧中……、ね」
それがこれまで挙げられてきた容疑者像というわけだ。
送られてきたファイルをざっと確認してハナは、端末から上げた視線で空を睨む。
「ここ、所轄に任せて離れるわよ」
勘、と言えば曖昧だったが、それが容疑者から伝わってくる心情なのだと言えば確信以外のなにものでもなかった。
「どこへ?」
「ちょっとジェンキングに確かめてくるわ。キングならあんがい<ruby>相手<rt>クイーン</rt></ruby>のコト、知ってるんじゃないかしら」
確かめる曽我へ言って返す。
ならスタッフは、えっ、と言わんばかりに不思議な顔をしてみせた。差し出された端末の写真とストラヴィンスキーをしばし見比べる。
「ハルコを?」
「それは、キスギさんですか」
ええ、と知り合いらしいことを知らされ、スタッフの中に名前はなかったはずだ、と思えばむしろビンゴの三文字はストラヴィンスキーの脳裏を過る。
「この辺にいらっしゃるかと。どうしてもお礼を言いたくて」
そうして繰り出した見回す仕草は我ながらクサい芝居だと思えたが、引きずり出すためなら徹する。とたん、まさか、とスタッフは笑ってみせた。
「ハルコはデザインだからいるとしたら、あっちよ。今日はハルコの紹介で?」
アゴ先が示したのは抜け出してきた更衣室だ。
「まあ、そんなところです」
ははは、と笑えばスタッフはこう続けてみせていた。
「けど先週、急に辞めたらしいから。仕上がりを気にかけて直前までは顔、出してたんだけどね。今日はさすがにいないんじゃないかな」
かと思えば急に何事かを思い出した様子だ。跳ね上げた眉で、いやだ、と大袈裟なほどに身を縮めもする。
「探してるって、他で聞いちゃだめよ。あのコの話するとジェンキーの機嫌、悪くなるから」
「なるほど」
のどこが「なるほど」なのか、これまた言っている本人こそ全く分かっていないが、これでひとつハッキリした事はある。そう、ジェンキングとキスギハルコはモメていた、という事実だ。だがナゼを問いただそうとしたところで、足音は束になってステージより押し迫った。
弾かれスタッフが振り返る。
ステージから引き揚げてきたモデルたちが傍らを駆け抜けていった。
ということは出番らしい。
「ハナさん、おそらくアタリですよ」
スタッフに礼を言ってマイクへと小さく吹き込む。
「キスギハルコはデザイナーとしてショーに関わっていたようです。先週、辞職。ジェンキング氏とモメていたと。直前までは準備に顔も出してたとか」
どうしてこうも痒いところに手が届くのか。
「ああ、それでつながった。了解」
ハナは返す。
関係者入り口から伸びる通路は、途中から楽屋口より辿って歩いたそれと合流する。なぞってバックステージへ向かうハナの肩で髪はなびいた。
通信の向こうでは曽我が監視カメラの再チェックはどこまで進んでいるのか、と確かめている。
だが辞職はたかが一週間前の出来事だ。突然だというなら事情を知らぬスタッフもいたはずで、規模が規模なら何らおかしく思われることなくホールで作業もできたろうと考える。だが名簿にこそ、その名が載ることはなかったなどとつじつまも合い過ぎた。
やがて続く細い通路の突き当りに、奇抜な衣装で行き交う人々は見え始める。
おそらく彼女で決まりだ。
再チェック中のカメラ映像も、そのうち彼女の姿を見つけることだろう。
同時にこうもハナは考える。
そもそもジェンキング自身、彼女が主犯であることをすでに察しているのではないか、と。
「位置ピンポイント特定できました」
だからイタズラだと決めつけ、警備に対し大袈裟だとひたすら言ってのけた。
イヤホンの声を聞きながらハナは、給料泥棒さえつまみだしてくれればいい、の言葉に感じた違和感を今さらのようになぞりなおす。確かに従業員がアンチであればそのとおりで、観客の危険を一切省みなかったことも、出合い頭、自身を警察の人間かと確かめたことも、おそらく中止を求めた曽我とあったろうやり取りもだ、訴える「ニセモノ」に通じていることを身をもって実感する。
「……アイツ、完全にクイーンをナメてるわね」
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