第11話 PM 7:00
伝えてよこす百々の慣れに、ひとまずの安心を覚える。
「確か予算会議、六時までだったはずよね」
半ば独り言と曽我は確かめこぼした。
だがこんなときに限って予定を超過しているらしい議会は、本来なら戻ってもいい頃合いになろうと百合草から連絡ひとつない。つまり難航しているだろう成り行きを感じ取ってそちらへもまた小さく息を吐く。
「仕方ないわね」
うだうだ言ったところで状況は変わらない。証拠に時間も無情と流れると、オペレーターはいまやショー開始までのカウントをとっている。
「三十秒前」
最後方から俯瞰でとらえたホール全体は、見上げた正面モニターに映し出されていた。下方に小さく分割されて一列に、後日の配信用にジェンキングサイドが用意したカメラ映像も四アングル、ランウェイにはりつく格好で並んでいる。
警戒して睨めばモニターの向こうでホールは静かにブラックアウトしていった。ともない上がる歓声は、ひとつ大きな生命体だ。高揚感で闇を彩る。絡め取ってジェンキングの声は、やがてホールに響いていた。
「ウェルカムトゥ アンチェインドワールド アップデートGKコレクション。みんな、やっちゃってー」
真っ白と焚かれた照明にステージが覚醒する。重低音を打つBGMにホールは震え、直前まで衣装の手直しを受けていたモデルたちも一斉に背筋を伸び上げた。キューサインはインカムから出されているのだろう。装着したスタッフの緊張はステージへ向けられた視線に現れ、その手は次々モデルをステージへと押し出してゆく。
連なり喝采の中に現れたモデルは下手が男性、上手が女性グループだ。どちらも歩きっぷりは自分らしくと自由なせいか、自慢のスタイルを見てと言わんばかりにクールだった。見上げ、見下ろして観客は、そんなモデルたちへ手を振り、声を上げ、鮮やかな衣装へ瞳を輝かせる。浴びて、ステージからランウェイを先端まで歩き切ったモデルはポーズをとると、返すきびすでステージへ戻っていった。途中、すれ違いざま男女がジャケットや手持ちの小物を交換する演出は、遊び心の生む意外性が斬新と見る者を楽しませている。
最初の二十人が歩き切るまで、およそ十五分。
途切れることのない歓声はすでにショーが大成功を収めていることを知らせていた。
百々は第二グループの先頭に立ち、出番を待つ傍ら闇で動く人影へ目を凝らし続ける。だがいったんショーが始まれば混沌とする暗い舞台袖で、いったい誰が何を行っているのかなどよく見えない。殴りつけるようなアップテンポの音楽に観客の熱狂も、演出のため薄くかけられたスモークもだ。百々の五感を塞いでいたなら、なおさら困難となる。
使えないよ、自分。
思うだけがせいぜいの余裕か。
過らせたその時だった。第一グループのモデルたちが駆け込むようにして袖へ戻って来る。観客から見えなくなった誰もはとたん長すぎる衣装をまくし上げ、防止を押さえ、更衣室へと一目散に駆け出してゆく。後ろ姿はまさに修羅場で、ぶつかりかけて避けて見送り百々はしばし呆気にとられた。腕を掴まれ前へと進む。
「百々さん、外田さん、出ます」
置かれている状況を察したのは、オペレーターの声がイヤホンから聞こえてきてからだ。傍らでも腕を引いたスタッフが何事かを手早くインカムへ吹き込んでいる。
「スマイル」
かと思えば百々へと囁きかけた。合図にして裾からのぞくステージの照明が一斉に色を変える。舐めて光の輪は客席へと疾走してゆき、覚えのあるビートが百々の鼓膜を弾いた。地鳴りのするようなベースは鼓動そのもので、出だし一小節もゆかないうちだ。ゴーサインとばかりスタッフに肩を叩かれていた。
ままに、ぐい、と体を押し出したのは己か、飲まれるほかないこの雰囲気という魔物か。光の中へ踏み出す一歩には時間さえまたぐような飛躍があった。
「不審者を発見次第、指さして」
一面、敷き詰められたような人、人、人が、ちっぽけなこの手足を見つめている。そこから発せられる歓声は袖で聞く何十倍もの熱を帯びており、じかに浴びれば吹き飛ばされそうな圧さえあった。
だからこそ真逆と冷えた曽我の指示は、なお明瞭とイヤホンから響く。おそらくただのモデル参加であればそんな余裕などなかったろう。つなぎ留められた百々の目に、ホール全景はしっかと映り込む。
「ランウェイ付近の観客だ。注意しろ」
おっつけレフも付け足せば、こちらが見てやるのだ、などと蘇る使命感に妙な度胸さえ生まれていた。なら装うスタイルもクールなストリートファッションと、不足なしだ。百々は自分史上最高に気取りなおす。ステージを中央へ進み出たところで客のただ中へ伸びるランウェイへ、百々様とお呼び、といわんばかりに肩をひるがえした。右、左。繰り出すバスケットシューズで客席の一人、一人を目でなぞりつつ先端へと向かう。
うわ。
胸の内で漏らしたのは、頭一つ飛び出すレフに視線が行き当たったからだ。
「全体、バッチリ見渡せますね」
と、追いかけステージへ上がったストラヴィンスキーの声がイヤホンから聞えてくる。同意の意味を込めて百々は、誰がわかるものかで通りかかったレフへ敬礼なんぞを投げた。
「余計なことはするな。周囲だけ見ていろ」
などと、どんな時でもドヤされてみるは定番だ。
ままに辿り着いたランウェイの先端で腰に手をあてがう。取るキメポーズは即興だ。そんな百々が無名だろうと一気に歓声は吹き上がって、それがいつ悲鳴に変わるやもしれぬ中でターンする。すれ違いざまストラヴィンスキーとアイコンタクトを交わし、ステージへ戻ると自身の立ち位置についた。残るモデルたちがランウェイを歩き終わるまで、同じくステージへ戻ったストラヴィンスキーもろとも周囲を警戒しつつ待つ。
「携帯電話番号から契約者氏名、判明しました」
七時十五分。
袖へハケようかという時だ。オペレーターからの一報は届いていた。
「顔写真あり。配信します」
「やっぱり民間は圧力のかけがいがあるわね。それ、所轄へも流して。顔写真を元に監視カメラの録画、早急に再チェック」
だとしてもちろん恫喝したわけでない。元々が電電公社、国営だった日本電信電話局と違い、営利あっての民間電気通信事業者は交渉のしがいがあるだけだ。業者は柔軟かつ素早い対応をみせてくれていた。
「通信履歴のチェック、始めます」
連携を取る相手がいればその数だけ厄介なことになる。
「今、本体の電源は入ってるの?」
曽我の声に間を置かず返したのは夜勤明けのオペレータだ。
「オフです。ホールへの入電以降、電波の受信記録ありません」
「入り次第、位置、知らせて。所在地次第では任意での取り調べを所轄に一任する。話だけは通しておいて」
と、指示に幾度かやり取りを行った後だ。椅子の背もたれを軋ませ夜勤明けのオペレーターは、曽我へ大きく身を反らせた。
「電源、入りましたっ」
かと思えばややあって、他方からも声は上がる。
「ジェンキング氏の動画にコメントの書き込みあり。……容疑者の、携帯電話からの書き込みです。アカウントの端末情報、一致しましたっ」
つまり書き込むために電源を入れた、ということか。
「コメントの画面、出します」
そのときばかりは手元から、誰もが正面モニターへ視線を持ち上げていた。やがてコメントはそこに映し出される。
ジェンキングは 真っ赤な ニセモノ ランウェイに注目せよ
それはアカウント名「ジェンダークイーン」を名乗る者の書き込みだった。
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