第10話 PM 4:45

果たしてこれぞ役得と有名著名人にお目見えし、アカデミー賞授賞式にさえ立ち会うことになるのみならず、陸海空とマニアックなアフリカの旅へはせ参じたかと思えば、挙句の果てには今をときめく動画配信者のファッションショーへ参加することになるなどと、手足の長さも人並みで顔こそ人並みが怪しい自覚しかない百々にとって

、これまた役得中の役得だでしかない。もう先程までの後悔などどこへやらだ。たちまちその目を輝かせていた。だからして飛んでいるのはリアルな空か。それとも憧れに無重力な夢の空か。以降、曽我の話など半分以上が注意のオケからダダ漏れのありさまとなる。

 それでも要点だけを脳内にピン留めし、鼻息も荒いまま珍獣でも見るような乙部に送り出されてホテルの屋上を離れる。制服警官に連れられると、上がる心拍と共に国際新聞ホールへ足を踏み入れた。

 そこでしかめ面と待っていたレフと会うのが久方ぶりだろうと、挨拶こそ気分ではない。開口一番、百々は、信じられない、を連発する。警備のためにショーへ出ると聞かされていたなら、もしかしてレフもショーに出るのか、と問いかけ恒例のひと睨みを食らっていた。

「ストラヴィンスキーとお前だけだ。他は客席から警備する」

 浴びせられてようやく取り戻す冷静の虚しさよ。

「あっ、あれっ? あたしは今、怒られたのかな」

 いぶかろうとも一直線と伸びるランウェイの中ほどでレフは、挟んで左右、アリーナ最前列に増やされた椅子をただ指し示す。立て続けにそのはるか後方、壁際を示し、最後に二階客席の最前列、民間の警備員が立つ場所にすでに等間隔を置いて立つ私服警官の姿を確かめさせた。

 他にもスタッフに扮し、ショカツの刑事も張り込むと言うが、彼らの役割は観客の安全確保がもっぱらだ。万が一が起きた場合はいつもとおり、公の記録に残らぬようオフィス対応になることを百々へ話した。

「主催者側があからさまな警備を嫌っている」

「うん、曽我さんから聞いた。SO WHAT のこと言えなきゃ紙、一枚じゃ、言われちゃうよね」

「ステージへは他に紛れ込める人材がいなかった。舞台裏も、モデルに扮したお前たちだけだ」

 百々はそれも存じ上げております、と段違いの肩を並べて今一度、うなずき返す。

「いいか」

 そこでようやく周囲を見回していたレフの目は、百々へ下ろされていた。

「確かにお前は人数合わせだが些細な事でもいい。何かあれば報告を上げろ。判断はオフィスがする。自分では動くな。ステージでも気は抜くな」

 その色の薄い瞳は相変わらず大真面目がコワい。だがそれが「これまで」を保ってきたことを誰より知るのは百々で間違いなかった。

「だから急に呼び出しておいて、無理言っちゃうよ」

 肩をすくめる。

「オフィスも態勢が縮小されている。使える手があるなら何だろうと使うだけだ」

「え、そうなの?」

 返され眉を跳ね上げていた。そんなオフィス事情へもだったが、だからこそずいぶと頼られているらしいことに、お荷物続きを気に病んでいた百々こそヤル気を倍増させる。張り切るままだ。言っていた。

「ようし、任せてよ、相棒」

 片目なんかを閉じてやる。そのときジェンキングもまたステージへ姿を現わしていた。とたん華やぐ以上、フレームの中の存在が目の前に飛び出してくるだけでどうしてこうも辺りは神々しさに彩られるのか。放たれる卒倒するようなオーラに開けておれない目をしょぼしょぼさせて、百々は言われるままにその場で一回転を披露する。出されたオーケーの声は録音しておきたい人生のハイライトそのもので、時間が迫っているのだ、すぐにも準備にかかりたい、と促されるまま何をや言いたげなレフと別れて更衣室へ向かった。

 戦場のようなそこで、これといってメリハリのなかった化粧を拭い取られる。代りに始められたメイクといえば、ネイルも髪もと、四人がかりが高級サロン並みだった。

 あいだも外せぬイヤホンから、百々の存在を考慮し優先された、女性モデルの身元チェックが終了したことを知らされる。残念ながらそこに注意すべく人物は含まれていなかった様子で、ならどこの誰だ、と過らせるまま、目じりにだけ乗せられたピンクのつけまつげを鏡越しにまじまじ見つめた。いくらか抜かれて整えられた眉は形が新鮮で、全て違う色に塗り変えられた爪の大胆さに感心しきる。その頭へと、叩けば文明開化の音がしそうな漆黒のおかっぱウィックはかぶせられた。たがメイクはといえばガーリーとは程遠いモノトーン調で、仕上がった目の周りは真っ黒と迫力しかない。だからリップはヌーディなグロスのみらしく、最後に淡いピンクのチークを乗せてバランスをとると、およそ一時間かかったメイクは鏡の中に自分だと思えない誰かを完成させると終了していた。

「……すごい」

 歩き方まで変わりそうなのだから見た目の効果は絶大だ。

 ままに、着たことのないストリート感あふれる太めのデニムに、シルバーグレーのアーミージャケット、履き口をルーズに崩したバスケットシューズを与えられるまま身につけた。仕上がったところで開場直前のステージへ連れ出される。ジェンキング立ち合いのもと、立ち位置の確認を行った。

 そこで初めて顔を合わせたストラヴィンスキーはといえば、喉元でゆったり結んだ大きなリボンとアースカラーのベルベットスーツがどこか中性的な、都会的だったあのタキシードのイメージなど背負い投げでぶっ飛ばすフェアリーないでたちだ。

「お、ぅおぉ……」

「もう無茶振りですみません。ほかに頼める人がいなくって」

 だいたい眼鏡がないだけでも反則なところへ加えて、言って詫びる顔へはアジアンアイドルみまごうメイクもまたほどこされていたりする。なんだかもう指先にまで百々は震えをただ走らせた。

「いえ、はい。……眼福です」

 てんで会話もかみ合わない。

「二人共、あとで撮影会よ。そのためにも無事、終わらせることに専念なさい」

 イヤホンから割り込んできたハナの声だけが、百々を現実へ引き戻す。

 しこうしてかけられたBGMに合わせ進むリハーサルは百々もよく知る楽曲を使用していたおかげで、登壇のタイミングを把握するに問題はなかった。試しに歩いたランウェイの方が緊張のせいで傾斜がついているのではないかと思うほど悲惨を極め、素人相手だろうと手を抜かないジェンキングから大リーグ養成ギブス並みの指導を受ける。叩かれ、伸ばされ、押され、蹴られて矯正されることいくばくか。どうにかひと皮剥けた歩きっぷりに進化できたころにはもう、会場時間は目前となっていた。

「ありがとう。本番もその調子でお願いね」

 午後五時四十五分。

 ジェンキングの拍手と共にホール全体へ照明は灯されてゆく。

「電話局への令状が下りました。アイダツバサの通話記録、まもなく判明します」

 オペレーターから伝えられたのは、モデルたちがごった返す更衣室へ戻った時だ。

「どこからかけてきたのかによっては個人を特定できるかもしれない。そのときは急行するわよ」

 備えて曽我も臨戦態勢を促す。

 語気に百々も更衣室の片隅でグロスの乗った唇を結びなおした。そんな周囲は人だらけだが飛び入りなら言葉を交わす顔見知りこそいない。これ幸いと壁に背をつけ、何をどうすればいいのやら、いまだ我流でもってして不審者探しにかかる。探しながら開場に伴い始まった持ち物検査の状況を、外周を警らする捜査員らの報告を、イヤホンから聞き続けた。

 うちにも男性モデルのおよそ半数と、一部スタッフの身元確認が終えられたことを聞かされる。ジェンキングの動画サイト、そのコメントチェックの進み具合もまた耳にした。だがそこに犯人を特定できるものはまだ見いだせず、案外、本当にただのイタズラで終わるのではなかろうか、思えてきたところでそれは飛び込んでくる。

「電話番号、判明しました」

 オペレーターの声へ耳をそばだてた。

「キャリア端末からです」

 おっつけ十一桁の電話番号は読み上げられてゆく。

「主催者スタッフ、本人確認用に提出されたモデルの携帯電話に符号するものはありません」

 とはいえプライベートと仕事用の二台持ちだということは大いにありえ、もし自身が容疑者であれば、会社へ知らせた回線で会社を脅すなんてするはずないと思えていた。

「引き続き、回線の契約事業者から個人の特定にかかります」

「みんな、始めるわよっ」 

 ジェンキングの声が反対側の耳へ飛び込んで来る。

 その通りと時刻はもう、午後六時五十分だ。

 思い思いに時間を過ごしていたモデルたちも一変する。浮ついていた雰囲気はステージ一点へ集中するまま冷えて引き締まり、誰もがすでにランウェイウォーク、颯爽とステージへの移動を始める。

 ストラヴィンスキーと対でステージへ上がる百々は第二グループに振り分けられていた。

「バックステージ、開場に合わせて動き出しました。袖へ向かいます」

 貼りついていた壁から背を浮かせる。

 マイクへと吹き込んだ。

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