第 8話 PM 3:00

「ホイ。じゃあ以上の身だしなみを守ってもらったうえで、来月からよろしくお願いします」

 ビジネス街に残された映画館、「20世紀CINEMA」の小さな事務所で<ruby>田所俊<rt>タドコロトシ</rt></ruby>はオリエンテーションを締めくくる。

 契約社員となってはや一年。映写技術にまだ不安は残るものの、こと接客に関しては社員への声が掛かってしかりのキャリアがあった。だからして一人立ちできるようになった今、アルバイトの管理を任されると、こうして初めて自身が採用を決めた大学生の二人を前に軽快とヒザを打つ。よろしくお願いします、と折り目正しく一礼する二人は映画好きであることはもちろん、爽やかな真面目さがやはり好印象だ。

 選んで間違いなかった。納得できる様子に田所は自身の時を思い起こす。自分もこんな風に見られていたのだろうか。過去はただただ遠かった。

「最後に。ちょっと待っててもらえるかな」

 とはいえ役回りはまだ慣れない。余計だと知りつつ浮かべてしまう愛想笑いで椅子を離れる。事務所の鉄扉を押し開け向こう側をのぞき込んだ。見えた背中へ冗談半分、呼びかける。

「百々先輩、百々先輩、ちょっとこっちへ来てもらっていいですか」

「はぁい。今、行きます」

 声に<ruby>百々未来<rt>ドドミライ</rt></ruby>は傷だらけのカウンターから振り返っていた。

 その傍らには段ボール箱が積み上げられている。手にしているのも前売り券の枚数を管理する帳簿だ。閉じて百々は帳簿を段ボール箱へしまい込む。マスタードイエローがお馴染みの制服ではなく、味気ないほどシンプルな私服の裾を整えなおした。

 気付けば百々がアルバイトを始めてからすでに三年。ついに「20世紀CINEMA」もデジタル上映の導入を決定すると、伴いフロアの大幅改装が行われる運びとなっていた。準備も兼ねて休館に突入した劇場内は今、明日からの工事に備え備品の移動や大掃除が総動員で行われている。

「来月から入る新人さんに紹介しておくから」

「わ、緊張するな」

 そして「先輩」と呼ばれる通り、流れた月日の分だけ百々も今では「20世紀CINEMA」の主力戦力になると事務所の片隅、借りてきた猫と小さく並んで座る二つの背中へ向かった。回り込んで田所もろとも前に立ち、異様なほど緊張している二人へ研修の担当者だと紹介されてみる。分からないことがあれば何でも聞くように、と田所が「先輩風」を吹かしまくったせいでよけいに恐縮してみせる二人へ楽しくやろうね、と笑いかけ、なおさら固い、よろしくお願いします、の声を受け取った。

「じゃっ、来月からよろしくな」

 そこまでが採用時の手順だ。終えて放つ田所の笑みこそ本心からのものとなる。

 見送られて、失礼します、と最後まで気を抜くことなく帰ってゆく二人は百々の目から見ても間違いのない人選だとしか思えない。

 二人で事務所へと戻る。

 またひとつ、季節が変わろうとしていた。

「さてっ、そっちはもう終われそうか」

 ようやく一仕事済んだ。言わんばかり田所が、真面目と結んでいたネクタイを引っ張り緩めて、凝ったらしい肩を回してみせる。

「あと少しかな。そうそう。レジも新しいのに変わるって、間違いなかったよね」

 腰へ手をやり百々もまた、朝から続いた作業に凝り固まった体を振ってほぐしにかかった。なら目が覚めたかのように両手を広げた田所の力説は繰り広げられる。

「おう、自動券売機だぜ、自動券売機っ。ついに20世紀にもあの自動発券機が導入されるとはっ」

「でもさ、座席案内しながら選んでもらうの、あたしは好きだったんだけどなぁ。なんだか味気ないよ」

「まぁ、な」

 今はまだ納得できずとも、それもこれもいつかレトロな風景と懐かしむ日が来るのだろうか。想像してみたところで辿り切れぬほど先のことなら、ともかく百々は目先のことに集中しなおす。

「シアターBに荷物、放り込んだらあたしの分はだいたい終わるかな」

「ならここの机、Aに放り込むの手伝ってくんね?」

 業務用のゴツいプロジェクターが奥の映写室へ搬入されるのだ。通り道を開けておかねばならなかった。

「了解。Bのワックスがけが終わりそうだったらね。まだったらそっち、先に手伝うけど」

 言うそれは座席足元のピータイルだ。本来なら専門業者に委託するだろう作業も「20世紀CINEMA」では半期に一度、自分たちの手で済ませていた。今回、改装はフロアのみでシアター内は温存される予定にあったが、だからこそ塗り替えだけでもしておこうと急遽、メンテナンスは行わていたのである。

「オッケ。んじゃそれまで俺、新人のシフトだけでも組んで送っておいてやるか」

 決まれば田所はどっか、と事務机の前に腰を下ろした。入れなおした気合で使い込まれたノートパソコンを立ち上げる。

 つまり今、劇場を仕切っているのは田所だ。いない水谷は明日から入る改装にビルの管理会社へ出かけおり、映写係の松川はデジタル上映の技術研修に、同じ機材を置く近隣の劇場へ出向していた。田所が社員になるまでは唯一の営業社員として働いていた橋田もリニューアルオープンの告知やその後の宣伝に飛び回ると、このところ劇場にさえ顔を見せていない。それぞれの奔走がやがて実を結ぶだろう「20世紀CINEMA」の明日がかつてない賑わいで満ちることは、訪れる間でもなく間違いなしと思えていた。

「終わったら先に帰ってるね」

「ああ。俺もなるべく早く片付けて帰るわ」 

 カウンターへ戻る間際、百々のかけた声に田所も淀むことなく答えて返す。

 などと、事実はまだ職場には内緒だ。そして荷物もまだ半分が家にあった。だがお家デートと始まった田所の部屋通いはいつしか百々を合鍵、預かる身へ変えて、ついに三カ月前、田所が両親へ挨拶に訪れたその日をきっかけに二人は同棲を開始している。

 そうか、これがか。

 思わなかったことがないこともない。

 だが実際のところ高給取りでもなければ手厚い福利厚生に守られているわけでもない互いは甘い字面へ妄想巡をらせるようなヒマもなく、生活に追われるまま合宿状態。日々をサバイブしているような具合だった。

 と、キーボードを弾き始めたところで田所が、事務所のホワイトボードへ頭をひねる。

「そういやあ、明日の工事立ち合い、支配人が出るからいいって言われてたな」

 呟いたその後で、百々へと背をよじってみせた。

「帰ったらアベンジメンシリーズ、行けるところまで一気見するか」

 それが様々な主人公を十数年にわたり登場させ、多面展開で巨悪と闘ってきた人気シリーズかつ、リニューアルオープンの目玉作品だったなら、見そこねていた百々の目も音がするほど瞬きを繰り返す。

「おおう。見る見るっ。もう間に合わないかと思ってたよ」

 決まれば目指せ定時退社、が合言葉となった。

 えいえいおー、で百々も事務所を後にする。

 カウンターに並んでいたあれやこれやが納まる段ボール箱を、緩めぬ足さばきで三往復、シアターBへと移動させた。撤去されるとはいえ長年の労をねぎらったところでバチは当たるまい。素っ裸にされて恥ずかしそうなカウンターを丹念に拭きあげにかかる。終われば、みな四時あがりなのだからそろそろワックスがけも終わっていなければならないだろうと、腕時計の三時二十分を確認したところでカウンターから身を剥がす。

「あ、支配人」

 正面扉を押し開け管理会社から帰ってきた水谷に、振り返った。

 お疲れ様です。

 言いかけたことに間違いはない。

 だが水谷の耳にあてがわれた携帯電話に気づいたなら、言葉を百々は飲みこんでいた。しかも話す水谷の様子はいかにも重要な業務連絡のようで、ままに事務所を目指し一直線と歩み寄ってくる。

 視線を、不意に百々へ投げた。

 合った目に、何だ、百々がうがったことは言うまでもない。

 ならたどり着いた百々の前、水谷はつい今しがたまで話していた自身の携帯電話を百々へ向かい突き出した。

「百々君、電話」

 いや、それは水谷の電話ぢゃないか。

「は?」

「早く出て」

 うがろうとも振って促す水谷は今すぐに、と熱い視線を送って止まない。グズグズしない、振って百々を急かしさえした。

「へ、へぇ?」

 押されて受け取った携帯電話の違和感はややホラーだ。だからしておずおずと、百々は耳へ押し当てていた。

「もし……、もし?」

「俺だ」

 一言目に聞かされる。

 声に間違いこそなかった。

「レっ、レフぅっ?」

 と言うかその切り出し方は特殊詐欺ではないのか。

「どっ、どこにかけてるんですかっ」

 噛みつかずにおれない。

「お前の携帯がつながらなかった」

 当然だろう、仕事中だ。百々は言いかけ、即座にレフに遮られていた。

「水谷から許可は取ってある」

「はいぃ?」

「時間がない」

 だから過去、それはもう幾度も体験してきた間合いである。

「今すぐ来い」

 案の定の展開をまたもや秒で食らわされていた。

「SO WHAT だ。ファッションショーに出ろ」

「ふあぁ?」

 もう開いた口は塞がらず、

 SO WHATで、ファッションショー。

 SO WHATで、ファッションショー。

 SO WHATで、ファッションショー。

 繰り返して繋いで、繋がらず、とおっ、で百々は投げ捨てる。

「っていうかソレ、あいだが抜けすぎでワケ分かんないんですけどっ」

「説明は後だ。二万人の安全がお前にかかっている。病院から乙部のヘリに乗れ。病院までは今、署の人間に迎えに行かせている」

「だぁぁっ」

 断るスキが欠片もなさ過ぎて、無茶苦茶が瞬間沸騰していた。

 つまり気になりだすのは気配というやつで、百々は咄嗟に正面入り口へ視線を飛ばす。間髪入れずガラスへ映り込んだ人影に、身を震わせて、ウソ、を連発させた。だが現実と正面扉は開き、男女はそこに姿を現す。

「わー、わー。むりむり。無理ですぅっ」

 もう後じさりだ。拒んで騒げどそんな百々へ、二人はまっすぐ歩み寄ってくる。

丁寧なのは「恐れ入ります百々未来さんですね。緊急です」と告げたところまでで、「ご案内いたしますので、ご協力お願いいたします」が終了するや否や百々の両脇をがっしり抱え上げていた。

「でっ。だっ。わぁ」

 逃げ出さなかったのは欠片も悪いことなどしていないからにほかならない。だというのに強制連行。ままに表へ引きずり出される。 

 百々君がんばって。

 すれ違いざまその手から、携帯電話を取り戻す水谷の送る眼差しは熱かった。

 いやだ。

 ひとことも言えず百々は覆面パトカーに乗せられる。涙目のまま国道を、警察病院へ向かい走り出していた。

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