第 6話 PM 1:45

「何も出なければ警備に移ると言う話もうかがってます」

 一見して三十代と思しき諸見沢五は、この役職において珍しく若手だ。これを頼りない、ととるのは古い価値観というヤツで、つまり相当頼れる相手に違いないとストラヴィンスキーもかざしていた身分証を戻しつつ、一足飛びと口を開く。

「状況は移動中にも。文書の置かれたタイミングが設営のただ中だったということで場所が場所ですし、容疑者は内部関係者の可能性が高いと考えているのですが」

「劇場関係者による監視カメラの画像チェックだけはこちらで」

「お任せするとして」

 断りを入れる諸見沢とはやはり話が合いそうでならず、微笑み返してストラヴィンスキーは一息入れた。

「文言通りを警戒するなら、この辺りが最も厄介なそうだなと。取り急ぎバックヤード、特にスタッフ方の楽屋周辺を確かめさせていただきたいんですが」

 持ちかける。

 つまり顔つなぎはすんだと見て取ったらしい。待ちかねていたように背後でハートの声も「ようし」と上がっていた。

「中は野郎ばかりだとやりにくいだろう。こっちは外周りと合流するぞ」

 目はレフへ向けられている。確かに男女が入り混じったファッションショーの舞台裏だ。察したハナも配慮へ軽く手を挙げ返し、振り分けられた己が担当を了解してみせる。

 と、諸見沢はそこで、それが、と辺りへ目をさ迷わせていた。

「そのつもりで了解いただこうと、ジェンキングさんにこちらへ来ていただくようお願いしていたんですが。どうもまだで」

 後頭部へあてがわれた手は、まいったな、が丁度のポーズを模している。

「どうする?」

 見て取ってハナもストラヴィンスキーへ口をすぼめ返していた。だとして結論が変わることはない。そして交渉こそストラヴィンスキーの役回りというものだった。

「そこをなんとか。時間もないので」

 端折って勝手と中を改めるなど、すでに危うい互いの潤滑な関係に多大な影響を及ぼしそうだったが時間が許してくれそうもない。なら考えこんだ諸見沢の手はやがて、腰の無線へ伸ばされていた。押し込んだボタンで二、三度、手短と指示を吹き込んだ顔は改め、ストラヴィンスキーへ向けなおされる。「自分が一緒ならかまわないでしょう」と動き出した。

 引き連れられてステージ袖へ潜り込む。屏風のようなスクリーンの裏側から鉄扉をくぐり、バックヤードへ再び足を踏み入れた。スポーツ戦の際は選手の入退場に使用されるらしい通路はカートも乗り入れられるように広く、セメントの床もチリ一つ落ちていない。なぞり、左、右、と折れて進めば楽屋口のさらに裏手、まさに川を臨む格好でトラックが横付けされた搬入口へ出ていた。

 そのシャッターは上げられたままだ。監視カメラはシャッター両脇の見上げるような位置に一つ、据えつけられている。レンズの向けられた角度に死角はなく、搬入口を往来する人を、右手に大きく窪んで設えられたゴミ置き場のスペースを、しっかりとらえていた。

 夕方にもショーが始まるなら準備に出入りするスタッフや、カートを押して現れた清掃員とすれ違いながらシャッターの左手側、ゴミ置き場の向かいに立てかけられた、壁の中へもぐりこんでゆくような階段室のドアを引き開ける。うって変わって非常用と思しきそこは、人がすれ違えるかどうかの幅しかなく、何度か小刻みに折り返しつつ二階を越えて直通と、ホール照明の操作室前へ移動した。並ぶスポットライトは観光地に置かれた望遠鏡のようで、やり過ごすと操作盤の前で最後の調整を行う技術者たちを横目に、それら電源を一手に引き受ける管理室へも向かう。スタッフジャンパーからうって変わってグレーの作業着を着こんだ中高年の職員が詰めるそこは事務所そのもの、生活感あふれる雑然とした空間として広がっていた。しかしながら会場全体が見渡せる高さの、ホール天井も間近と迫った位置取りは天空の牙城を思わせてならない貫禄に満ちてもいる。

 気付けば足元になっていたモザイク模様さながらの二階客席を見下ろす。

 管理室をやり過ごした足で、ホールを横断してつなぐつり橋にも似たキャットウォークへ抜け出していった。渡るにあたってハーネスは必要ないらしい。そうまで高く取り付けられた手すりを握りステージの上手から下手へ、まさに空中散歩と移動する。バックヤードもまた左右対称に作られているのか。渡り終えたところで同じく現れたあの狭い階段室から、ステージ反対側の袖へ降りていた。

 いずれの場所も無人、ということはない。むしろどこも最後の追い込みと、気心の知れたチームワークを発揮するイベントスタッフの活気に満ちていた。様子には部外者こそ紛れ込めば目立ち、つまりこの中の誰かが文書を座席へ忍ばせたという見立てには間違いがないだろうことを意識する。

 最後、戻った地上で諸見沢に引き連れられ、モデルたちが詰める更衣室へと足を運んだ。その弾き出されそうな騒ぎにたちまち目を瞬かせる。いや、そもそもだった。カートも走行できそうな通路から逸れて入り込んだそこは楽屋口と同じに狭く、しかしながら片側に延々、衣装やアクセサリーにバックを、帽子に靴を、並べ置いていたのである。その色と形はおもちゃ箱をひっくり返したようで、狭い通路はことさらる圧迫されると、残るスペースを身を擦り合いながらスタッフが、奇抜な恰好のモデルたちが行き交っていたのだった。

 混じればもはや祭りの夜だ。果たして屋台の間をかいくぐるようなあんばいで、とにもかくにも奥へと進む。諸見沢に連れられストラヴィンスキーとハナはどうにか、男性用の更衣室へ辿り着いていた。

 ジェンダーレスをテーマにした今回、モデルに素人を起用していることもあり、通常一か所の更衣室は男女それぞれ別室の二か所だ。ステージ左のリハーサル室が男性用であり、反対側、右袖を奥へ進んだ会議室が女性用だということだった。

 中にはフチに電球を並べた鏡が何枚も並べられ、F1のピットさながら美容スタッフが髪に爪に顔に、モデルへメイクをほどこしている。仕上がったモデルたちはといえば空いた場所で着替えを行うと、終えたモデルはショーまでの時間を記念写真の撮影に、腹ごしらえに、興奮のまま止まらぬおしゃべりのままに過ごしていた。光景は熱帯魚の泳ぐ水槽か、言い過ぎだとしてもハロウィンの仮面舞踏会さながらだ。華やかで独創的な世界を濃縮させ広がっていた。

「これ、めちゃくちゃマズいわね」

 もう片方、女性の更衣室はこのあと一人で見に行くとして、両の腕を深く絡めてハナはこぼす。

「確かに。ここなら紛れ放題、燃やし放題、ってところですか」

 半ば呆れた面持ちでストラヴィンスキーも眼鏡のブリッジを押し上げ返した。だからといって「表立って」を禁じられていたなら大人しく眺めるしかなくなる。

「ショーが始まれば、さらにとんでもないことになるだろうし」

「わお。そうなんですか」

「だって廊下の衣装、全部、着るんでしょ」

 投げるハナには確かに、と諸見沢もうなずいてみせていた。

「ショカツから監視カメラの映像確認、終了の連絡入りました」

 と、声はイヤホンからだ。早い決着はチェック範囲が四十時間足らずと狭かったためだろう。

「受付担当者、主催者に立ち合いいただきましたが、コンサート終了後より、楽屋口、搬入口、共にカメラへ不審者の映り込みはみられません。ホール内のカメラにおいては該当の座席付近はフレーム外です。ですので周囲の確認のみですが、こちらも不審者の映り込みはありませんでした」

 そりゃあ関係者なら、拾い出されることはないだろう。なおさら内部関係者の線が濃くなったことだけを感じ取る。

 そうしてどうにも手の付けられない更衣室からいったん離れた。混雑を抜け鉄扉からアリーナへ出ず、ゆるいスロープを登ってステージの上へ出る。

「ハナ、ストラヴィンスキー、どこだ」

 会場を一望したところで、イヤホンからの声に再び呼び止められていた。

「もうすぐ中へ戻るぞ」

 ハートだ。

 もうそんな時間か、とストラヴィンスキーは腕の時計をのぞき込む。確かに針はそこで開場の三時間前を指していた。早いな、と視線を上げたなら一階客席のはるか後方、最初、ここへ足を踏み入れた鉄扉を押し開け、警官らが次々、流れ込んで来るのを目にする。ままに客席へ散開してゆく彼らは、開場前にどうにかここと二階を捜索し終えたい様子だった。その中にハートとレフの姿もあり、見つけたところでストラヴィンスキーは大きく手を振り上げる。同様に見定めたらしい二人もまた、警官らから離れてステージへ駆け出していた。

「外に問題はないな。仕掛けられてもかなわん。ゴミ箱を撤去させてきた」

 ランウェイへ身を持ち上げたハートが、三人へ肩を並べるなり教えて言う。

「このままショーを始めるつもりでいるなら、外周の警備の強化と入場口での持ち物検査だ。ホール側が手配している業者はどちらもアテにならん。所轄の方で代行してもらいたい」

 諸見沢へも、マイクを通してオフィスへも、矢継ぎ早と主張してみせた。

 その背後にレフも立つ。

 目にするまでもなくトランシーバーに手をかけた諸見沢は、阿吽の呼吸で言葉通りの準備をさせるつもりのようだった。

「そっちはどうなっている」

 見て取ったハートがストラヴィンスキーへと投げる。

「カメラに不審者の映り込みはなかったと聞いたぞ」

 なら「の、ようですね」と切り出してストラヴィンスキーは、見てきた通りを口にしてゆく。

「楽屋の方はかなり問題アリです。人の出入りがランダム過ぎて誰が何をやっていようと気付けない具合でした。読み通り仕掛けた相手が内部関係者で、その目的がショーの妨害なら、警戒すべきはますますあっち、ってことになりそうです」

 最後、アゴで更衣室の方を指し示しみせる。

「容疑者の割り出しはどこまで進んでいる」

 だからこそ間髪入れずマイクへ吹き込んだのはレフだ。だが返したのはトランシーバー越しのやり取りの合間を縫って振り向いた諸見沢だった。

「監視カメラ以外はまだ。スタッフとモデルの身元確認もそちらと協力。処理中ですが五百人いますからね。照合できたのはまだ半分ほどかと」

「アイダツバサの通話記録の開示は裁判所の令状待ちです。裁判所には急ぎで対応を願い出ていますが、まだ二、三時間、かかる見込みです」

 イヤホンからオペレーターも知らせる。

 つまりこの様子では容疑者の特定に至る前にだ。ショーは始まってしまう可能性があった。

「ごめんなさい」

 声はそのときかけられる。

 聞き慣れないせいで誰もがいっせいに振り返っていた。 

「最終の打ち合わせが長引いてしまって」

 だとして二時間近くの遅刻は大物にもホドがあるだろう。宙に浮いたような厚底のスニーカーと、襟を抜いたスパンコールも眩しいスカジャン。ダメージ加工のスキニーデニムがスタイリッシュと見えてしまう着こなしが不思議でならない。ステージへとジェンキングは姿を現していた。

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