第 5話 PM 12:45

 正式には、ジェンダー・キング。

 本名は、石田一馬。男。二十五歳。

 若者に人気のアパレルブランド店員を経て、動画配信を始めた人物らしい。「ファッションで広げるジェンダーを越えた世界」をコンセプトにした動画は引き続き若者らの人気を得ると、男女の隔たりを繋いで埋めるアイコンとしてチャンネルに三百万人余りのフォロワーを持つ人物だった。

 合わせて流された当の動画冒頭では、ショートボブの髪をオレンジに染めたジェンキングが空色に花柄が舞うスポーティーなジャージ姿で、あらゆる角度からマシンガンショットと笑みを投げかけている。様子は丁寧にほどこされた化粧も、生来の線の細さもあいまってボーイッシュな女性そのもの。性別を超えた世界を確かに体現してみせていた。

「男だから、女だからこうあるべきっていう制約とか、差別にハラスメントなんかのお悩み相談がよくて、なんだかつい見ちゃうのよね」

 などとしみじみこぼしてみせたのはハナだ。

「なんだ。ここも改善の余地ありか」

 おかげで誰もを代表するかのようにハートの口も開く。

「まさか。むしろ逆だと思うけれど」

 などと「GK アップデートコレクション」は、そんなジェンキングが企画したジェンダーファッションショーだ。観客は抽選で選ばれた十代後半から二十代の男女が一万八千人。登壇するモデルも視聴者から抽選で選ばれた男女、合わせて六十人という構成で、スタッフを入れた二万人弱が今夜にもホールにあふれる予定となっている。

 つまり文書はイベントも当日のホールで発見されており、きっかけは電話による問い合わせだということだった。三日前、同ホールで行われた音楽イベントに参加したが、そのとき財布を落としてしまったかもしれないので指示する番号の座席を確かめてほしい、というものである。

 対応したのは楽屋口の受付係だ。確かめに向かうまでもなくその受付係は「ない」と返している。何しろホールは音楽イベント終了直後に清掃が入っており、翌日の昼には今日のショーに合わせて座席の配置変えが終了、並行してショーの設営が急ピッチで進められてたからである。あいだにも財布が発見されていたなら問い合わせに備え楽屋口まで届けられる段取りとなっており、預かっていなければ、状況から察していまだ放置されていると思えぬことが判断の根拠だった。だが電話口の相手はどうしても、と食い下がったらしい。無下にできず向かったところで、まったく別の位置へ移動した座席の、跳ね上げられた座面の上に文書を見つけたということだった。

 ふまえて警戒すべきは、相手は名乗ってしかるべく実行力を持った SO WHAT であるのか、それとも名を使っただけの別件なのか、がひとつ。万一、名を使っただけだと言うなら無論、どこで知ったのかが重要となる。もうひとつは文言の意味するところだろう。文字通りランウェイが炎上してしまえばただごとには終わらない。そこに SO WHAT が絡んでいたならなおさらだ。

 地元警察はすでに現場へ到着しているという。

 いずれも容疑者確保が最優先なら、乙部が操縦かんを握るヘリで現場へ飛んだ。一時間足らずでホール真横に建つホテル、その屋上に描かれた「H」の文字へ降り立つ。

「折り返すため楽屋口で控えていた電話番号は無意味な数字の羅列。住所の方も、隣の市にある金物工場、しかも持ち主は売却に出している不動産会社のものだった。そのとき名乗ったアイダツバサ、という名前についてはショカツの方で確認する限り、主催者側にも心当たりはない」

 タッチアンドゴーで飛び立つ予定にあるローターが頭上で爆音を轟かせている。負けぬ勢いで最新状況を曽我もまたまくし立てていた。耳にしつつ、手足が離せないからこそ振り返っただけで降りる準備が整ったこと伝える乙部に従うと、ストラヴィンスキーがドアを開け放ち吹き荒れる風の中へ飛び出してゆく。

「ホールは現在、ショカツが不審物を捜索。文書からの指紋採取にかかってる。連携してこちらは監視カメラと通話記録の分析を進めてるところよ。ただいずれも開場までに決定打が出せるかどうかは不明。最善をとって主催者側へショーの中止も申し出たけれど、明らかな危険がない限り中止は出来ない、と断られてる」

 それもこれも主催者側へ SO WHAT についてを話せないためで、認識がない以上、曖昧な文書の文言のみでショーを中止することは難しいだろうとうなずけた。

「加えてショーへ影響がでないよう、捜査は内密に進めてほしいとも抗議がきてる」

「なんだと?」

 ストラヴィンスキーに続き機を降りたところでハートも唇を曲げる。

「こじらせてこれ以上、やりにくくしたくない。各自、周囲に配慮。あからさまな行動は控えるよう心掛けて取り掛かって」

「考えられんな」

 それでも言い切る曽我こそ、最も口にしたくない言葉を連ねている様子だった。仕方ない。騒ぎ立ててのカラ振りが今、存続の危ぶまれている部署にとって一番、マズイ結果を生む。

 飲み込みレフもまたヘリから抜け出せば、最後に降りたハナが背後で投げ飛ばすようにドアを閉めてみせた。

「哨戒よろし、くっ」

 確認してふわり、ヘリはつけていた足を浮かせる。ホバリングのち高く舞い上がった上空で機体を倒すと右旋回、大きな弧を空に描いて吸い込まれるようにホテル上空から離れていった。

「以上から、容疑者確保のための優先順位を以下におく」

 騒音もまた連れ去った虚空に曽我の声がクリアと響く。

「会場まではショー中止の必要が生じる要因の洗い出しを優先。発見されなかった場合、警備へシフトする。プランは現場の意見に沿うわ。あいだ、こちらで容疑者の特定を進める。出来次第、確保に向かう可能性があることを念頭においておいて」

 と、やおらストラヴィンスキーが頭を下げてみせた。

「恐れ入りますっ」

 その通りと視線の先には完璧な仕草で階下へ促し、鉄扉を開けて待つホテルマンが立っている。

「まったく忙しいな」

 だからして対応を任せたハートはやはり苦い顔だ。耳へすかさずオペレーターは、担当の諸見沢警部と落ち合うよう、ホール楽屋口へ回る指示を出す。最後にして通信は切られていた。

「運が良ければ容疑者の方からやって来るだけだ」

 確かめ目をやった腕の時計は、開場まであと四時間余りを示している。なら言ってのけたレフへハートは、すぼめた眉で振り返ってみせていた。

「お前の運がどうなっているのかは知らんがな、その運は悪い方だ」


 ホームページ通り、片道二車線の道路を挟んだ向かいでホールは、川をバックに建てられていた。まだ前の広場に人影はなく、イベントののぼりだけが風を受けてエントランスへ導きたなびいている。用がないなら回り込むと、表の装飾に全予算を吸い上げられたような楽屋口の扉を押し開けた。待っていたのは制服警官に案内され、諸見沢の元へ向かう。

 そんなここもバックヤードはイベント施設特有の雑さにまみれている。ゲストエリアに割いたせいで作りは極めて狭く、薄暗い。スタッフもお揃いの黒いスタッフジャンパーを着こんでいたならさながら通路は穴倉探検だ。

 だからして奪われていた色味が取り戻されたのは、一枚、隔てる鉄扉を潜り抜けてからだった。ホール後方、三分の一辺りか。関係者入り口から抜け出たとたん、天井からのライトに照らし出されて会場が、閉所だが果てなく開かれた空間として明々誰もの前に広がる。

 地続きのアリーナに、ストライプと並べ置かれた座席が無人だからこそ圧倒的物量を見せつけていた。その前には屏風よろしく三枚、動画スクリーンを立てたステージが組み上げられている。客席を二つに割くとランウェイはそこから客席中央まで、長く伸びていた。両側には闊歩するモデルを照らす照明が、一目では数え切れないほどの数で並べ置かれている。全ては白で統一されると、おかげでなおいっそう鮮やかと舞台や機材に七色のリボンは結び、巻き付けられていた。のみならず空間を水玉模様に変えてバルーンもまた無数に浮かべられると、空調の風にわずか揺れ動いている。取り囲んで一階客席が、二階客席が、ひな壇上に設けられた造りは見回すほど、不特定多数のただ中にステージを置くカタチを強調してやまない。「ランウェイは炎上する」の文言を否応なく、誰もの脳裏に強く意識させた。

「警部、公安の方が到着されました」

 呼びかける声にランウェイの足元に立つ人物は振り返る。作業服にも似たジャンパーの前を開いた彼はすぐさま警察手帳を取り出していた。

「諸見沢です」 

「公安の外田と言います。このたびはご協力に感謝いたします」

 代表してストラヴィンスキーが自身のそれを示して返し、おっつけ背後のそれぞれを紹介してゆく。目を這わせて「お疲れ様です」と一礼した諸見沢はさっそく,

ホール内外の安全確保を進めているところだと、話し始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る