第 4話 PM 12:00

 火を止める。

 食卓で震える端末を掴み上げた。

 内容へ目を通し、レフ・アーベンは台所から離れる。

 オフィスから徒歩で一時間足らずの自宅は以前と変わらぬ純和風だ。しかしながら見るからに外国人が住まいしているせいで周囲からは警戒されていたのも過去と、今では「チョウカイ」へ費用を払う間柄にさえなっている。おかげで組み入ることとなった<ruby>共同体<rt>ソユーズ</rt></ruby>では「オトナリサン」と呼ばれることとなり、時に奉仕へ参加することさえあった。

 そんな日々はいささか体重が増えるほどに平凡だ。繰り返す中で変わりつつあることがあるとすれば、と寝室にあてがった和室のふすまを滑らせる。

「呼び出しが入った。今から行ってくる」

 窓から入る光をレースのカーテンが淡く遮っていた。横たわらせたシーツを巻き込み、ベッドの上で寝返ったバーバラが顔を向けなおす。

「あら、ずいぶん久しぶりじゃないの」

 敷かれたラグは畳を傷めないための物で、唐編みのサイドボードと合うようなオリエンタル柄が選んだ本人は自慢らしい。

「キッチンにカーシャがある。ミルクは好きに足してくれ」

 踏んで、重たげと起き上がった体の隣へ腰を下ろす。

「ありがとう。そうする」

 唇へ、挨拶をすませた。

「洗濯物は置いておいて」

 言われて教える。

「いや、もう干した」

「じゃあ、掃除くらいはね」

 ヘアゴムを探すバーバラがサイドテーブルへ手を伸ばしていた。

「終わった。庭も昨日、済ませている」

 あらそうなの? とそれでも髪を束ねるバーバラはあきらめていないらしい。

「でも今日はゴミの日だったでしょ。確か燃えない方」

「まとめた。出るついでだ。持って行く」

 と、バーバラが体をこちらへ向けなおしていた。そうしてみつめる目は、どういうわけだが不満げだ。

「何か残して」

「お前がする必要はない。それに誰でも出来る。なら誰がやってもいい」

 言って聞かせて代りにこちらが立ち上がることにする。立ち去る前、サイドボードの携帯電話を手前へ引き寄せなおし、まだ何か言いたそうにしているその目をのぞき込んだ。

「何かあったらすぐ連絡しろ」

「もちろん」

「鍵を忘れるな」

 などと、おそらくもう心配はいらないだろうがこれも習慣だ。

「大丈夫よ。言ったでしょ、今日はジルが来るって」

 確かに聞かされていた。同僚、バジル・ハートのパートナーであるところのジル・ハートは今日、子供らもまた連れて来る。

 そう、あの外見で日本人だというハートの第一言語はだからして日本語だった。見た目とのギャップが米国への留学を決めさせたらしい。そのさい通ったハイスクールで出会ったというのがジルだった。まつわる話はもう自分のことかと話せるほどに聞かされ続けており、ゆえにジルの人柄も折り紙付きである。それは肩書だけが保証の、素性の知れぬ相手を招き入れるよりはるかに安心できるものだった。

「あとひと踏ん張りなの」

 頼りにしてバーバラも何かと相談を重ねているらしい。

「ほどほどがいい」

 それでもどこか落ち着けず、もう一度、言う唇へ触れる。

 部屋を後にした。

 「SO WHAT」を名乗る者が現れたらしい。しかも単なるネット上の書き込みや、メールの危なげなやりとりではなく、名乗る者から送り付けられた怪文書が通報されてのことだ。すでに未遂の域を超えたそれは、「SO WHAT」へ武力供与を行い実行力を伴うテログループへ仕立て上げていたジェット・ブラック確保以降、初めてのもとなる。ならば過るのは見落としていた火種というもので、確かにこの半年、オフィスも緊張感を失うとこちらの不手際を突き付けられているかのようので妙な胸騒ぎを覚えた。

 ジャケットを引っ掛け外へ出る。

 ゴミを通り向かいの指定場所に置いた。

 日常のテロリストはといえばカラスの方が喫緊だ。突っつき中身を引き出す彼らは地味な外見に反して破廉恥極まりなく、防いでかけるネットにも念が入る。そもそも故郷のクバルチーラ、アパートでは分別どころか一切合切をダクトへ放り込むだけの簡素さだ。知らず損じた初回など、目にした惨事に血の気が引く思いをさせられていた。

 恐れて仕上がりを確かめるうちにも同じくゴミを手にした「チョウナイ」の婦人は現れ、いくら日本語で返そうとも「ユーアーウェルカムよ」で、憐れまれているのか後は任せろと言われるままに先を急ぐことにする。途中、向かいから現れたタクシーを拾い警察病院の裏へつけさせた。

 連絡が入ってからおよそ三十分だ。駐車スペース「106」からエレベータで地下へ降りる。オペレーティングルームのガラス越し、集まる面子の横顔に目を這わせた。

「内容は?」

 輪へ加われば赤いスーツの曽我が、ハナに相変わらずタンクトップ姿のハートが、ストラヴィンスキーに乙部が、囲んでいた丸テーブルから振り返ってみせる。

「そろったわね」

 にもかかわらずオペレーターは一人態勢のままだ。それもこれもこのところの手持無沙汰に余剰人員を切ったせいなら、不在のチーフ百合草も含め体制はどこか頼りなくも映っていた。

「チーフには報告済。知ってると思うけれど予算会議で抜けられない状況よ。戻ってくる予定ではあるけれど、それまでは私が指揮をとるよう一任された。よろしく」

 開口一番、伝える曽我は、間違いなくその辺りに配慮している。

「オイ。そっちへ今日、ジルが行くとか言っていたぞ」

 合間をぬうと、やおらハートが視線を投げた。

「知っている」

 返すうちにも午前十時五十分ごろだ。脅迫ともとれる文書が SO WHAT の名で「国際新ホール」に届けられたことは、そこでこの後、午後七時から行われるファッションショー『GK アップデートコレクション』へなんらか危害を加える意図をほのめかすような文言が添えられていたことは語られてゆく。

「大きいな」

 呟くハートがむき出しの腕を深く絡めて鼻から大きく息を抜いた。

 見上げた正面モニターへはすでに国際新ホールのホームページが呼び出されると、外観と客席見取り図が映し出されている。政令都市に建てられたホールは椀を伏せたドーム型で、川をバックにしていた。内部の構造はホールの形そのままに一階、二階と客席を円形と積み上げるお馴染みのもので、収容客数は最大で三万五千人。規模はまさにスポーツも国際試合、海外アーチストのコンサートで使用される典型的な大規模施設で間違いなかった。

「時間が差し迫っているわりにはね」

 うなずき返した曽我がオペレーターへ視線を投げる。

「文書のPDF、出してもらえる」

 以前なら即座に端末へ送られていたが、一人きりなのだから無理もない。間もなく文書はホールの上へ重なり映し出されていた。端に打たれたメモリが用紙の大きさをA4だと示している。サイズも質感も、見る限りありきたりなそれはコピー用紙としか思えず、乱雑に折りたたまれた跡が横切る紙面に短く文言はこう印字されていた。


ジェンキングはニセモノ ランウェイは炎上

             SO WHAT


「えっと、このジェンキング、って言うのは何なんでしょうか」

 早々、ストラヴィンスキーが口を開くのも無理はないだろう。のみならず、おっつけレフも確かめる。

「飛行場に火を放つつもりなのか」

 なら「まさか」と声を上げたのはハナだった。

「ランウェイは滑走路じゃなくて、ファッションショーで使う花道のことよ」

「ジェンキングは彼。動画サイト配信者の名前ね」

 曽我も続けばモニターへ顔は映し出される。

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