最終話 太陽の下

「大丈夫なのか?」

「うん。調子も悪くないし、もう行くよ」


 僕たちは休憩もそこそこに、早めに街を出発することにした。これ以上長居するとナセルやアズファンさんに食料を運んでもらわないとならなくなるので、迷惑をかけてしまう。ちょうど砂嵐も良い時機に起きたから、「砂嵐に遭って僕たちが死んだ」という一座への言い訳もつくはずだ。廃墟に隠れているのがバレてしまう前に、この街を出ることにした。ナセルは僕の体調を気遣ってもう一泊するように勧めてくれたが、それを断って早速出発の準備にとりかかった。

 ザマはナセルとアズファンさんが交代しながら面倒を見てくれていたようで、疲れもなさそうに見えた。僕が首をポンポンと叩いてやると、「ヴォ」という鳴き声で応えてくれる。アリージュも僕が気を失っている間に一緒に世話をしてくれていたようで、すっかりザマと仲良くなっていた。ザマは肩まで短くなったアリージュの黒髪を、ふんふんと嗅いでいる。


「荷は足りてるか? アズファンに前々から少しずつ準備させてはいたが」

「うん、さすがだ。不足はないよ」


 僕とアリージュの二人がしばらく砂漠を進んでいけるだけの荷がしっかりと用意されていた。僕の荷とアリージュの荷、そして二人で使う日用品、食料などを、ザマの背中にしっかりベルトでくくりつけておく。アリージュはナセルに指導されながら、自分で運ぶ分の荷を袋に詰めている。その不器用な手つきに、ナセルがふっと笑う。


「大変でしょう? 旅にはいろんなものを持っていきたくなるから」

「はい。だけど、生きていくのに必要なものはこれだけなんだと思うと、身軽で良いですね」


 アリージュは額に流れる汗を拭いながら答えていた。きっと今までの方が、綺麗な衣服も家具も、宝飾も与えられてきたはずだろうに。古い旅装に身を包んだ短髪の彼女は、二階という夜の世界に閉じ込められていたときよりもどこか幼げで、楽しんでいるように見えた。一通り彼女の荷を準備し終えたナセルは、立ち上がって僕に「行路は?」と尋ねてきた。手を止めずに答える。


「北に行く。新行路に一度出て荷を補充して情報を集めてから、先のことを決めるよ」


 街の北には、東西を繋ぐ新しい行路が作られている。そちらは人々の行き交いが活発になっていると聞くから、交易拠点に出れば宿や仕事の話もあるだろう。この街から東方の行路は次の街まで距離が結構あるし、西方行路は人が多い。整備はされていないものの、北方行路を行くほうが誰にも会わずに街に出られるはずだ。


「あと、これ」


 僕はナセルに手紙を預けた。ブルジャーワシおじさんとアマモおばさんに宛てた手紙だった。


「父と母を亡くした僕を、自分の子どものように見守ってくれたから。相談もせずにごめんなさい、と伝えておいてくれないか?」

「おまえのことだから、手紙にそうやって書いてるだろ。しっかり渡しておくよ、親父さんとおふくろさんの形見と一緒にな」


 ナセルは大きく息を吸って、僕に手を差し出してきた。その手をしっかりと握り、ナセルの体を引き寄せて背中を叩いた。彼のたくましい背中は熱くなっていた。ナセルも僕の背中に当てた手にぐっと力を込めた。


「じゃあな、サルファ」

「うん。ありがとう、ナセル」

「死ぬなよ」


 「アリージュさんも、お幸せに」とナセルは付け加えた。アリージュはナセルの手を握って額に当て、お礼を言った。ナセルは照れくさそうにアリージュの手をとり、手の甲にキスを落とした。


「ちょうど今頃、アズファンが周囲を見張ってくれているはずだ。門衛に確認したが、今日の北門の出入り予定は昼までに終わっている。気をつけていけ」

「ありがとう。アリージュ、ザマに乗って」


 アリージュが騎乗するのを手伝おうとすると、彼女は自分の荷を背中に背負って首を横に振った。


「ううん。自分で歩いていきたい。絶対に無理しないから、私も歩かせて」


 ここから北方の新行路までは歩いて丸三日はかかるだろう。最初から疲れるのは避けたかったが、アリージュの気持ちもわかる気がした。これからは、自分の足で歩いていく。その決意のあらわれなのかもしれない。「わかった」と頷き、僕も歩いてザマを牽くことにした。ザマ一頭が頭を下げて通れるくらいの穴が壁に開いており、そこからまず僕が、次にアリージュが門壁の外へ出て行く。ナセルはそこで僕らを見送ってくれた。


 風がごおっと勢いよく音を立て、遠くに小さなつむじ風が見えた。舞い上げられる砂に陽の光が当たって輝いている。目の前に延々と広がる空と砂の世界。地平線は、砂が巻き上がってぼやけているように見える。アリージュはその光景に立ちすくんでいた。


「怖い?」

「ううん。心が震えてるの。世界が綺麗に見えるから……」


 僕はアリージュの手をとった。強く握りしめると、彼女も応えるように握り返してくれた。この手をもう離さない。僕らはゆっくりと、光波打つ砂原に二人と一頭の足跡を描きはじめた。




  完

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