37 計画

 来る。


 鼻頭にチリ、とした痛みがあった。吹きすさぶ風の中に砂粒が混じり始めたのだろう。僕はザマから下りて、専用の砂避け布を荷袋から取り出した。ナセルたちがしっかりとしつけているからか、ザマはひとつも怖がらずに大人しく頭に布を巻かせてくれた。ザマの手綱を離すことのないよう手に二重、三重に巻き付けて、僕はそのまま砂漠の中を歩いていった。視界が砂で埋め尽くされてしまう前に、もう少し前に進んでおきたかった。


 西方行路を一日かけて進んだ道を、僕はゆっくりと戻っていた。正しくは、少し行路を外れて戻っている。誰にも見つからず、街に戻らなくてはいけない。ここで失敗しては、ナセルやカシュロ隊長に協力してもらって一芝居打った意味がなくなる。

 砂嵐はそれほど強くないものだったが、目をこらしてもなかなか先が見えにくくなってきた。ザマは何も言わず、僕の後ろをついてくる。


 おまえは我慢強いな。


 褒め称えるように首を撫でてやると、ザマはブフ、と鼻息で返事をした。ナセルに借りた携行羅針盤を見る。「E」と書かれた方向を目指して進んでいく。ごうごうと砂塵を巻き上げながら吹く風の音で、やけに自分の吐息や心臓の音が大きく聞こえた。独り、家で眠りにつこうとしているときと同じだ。この世界に自分しかいないんじゃないかと錯覚してしまう音だ。


 こうしていると、ナセルに今回の計画を告げた日のことを思い出す。あの日は今日とは反対に静かで、ナセルとアズファンさんが三人、部屋で声を潜めながら話した。僕の話を聞いたナセルが、一番大きい声を出した。


「この街をいったん出る?」


 しぃ、と僕が人差し指を唇に当ててナセルをたしなめる。彼は「すまん」と言って、こめかみを押さえながら確認していく。


「その踊り子を置いて、おまえだけ一人で街に出るってか?」

「うん。正確に言うと、街を出るフリをする、ってとこかな。キャラバンに紛れて二人で街を出ることも考えたけど、かなり厳しいと思う。見慣れない女性が同行する時点で怪しいし、荷物の中に隠しても門衛のチェックでバレる。それを一座の人間に伝えられたら終わりだ。でも、逆にそれを利用すればいいと思う」

「利用?」

「僕が一人でキャラバンに参加したということを、門衛にも、一座の人間にも確認させればいいんだ。何も疑わしい点がないまま僕が街を出たという印象をつける。アリージュは一人で街の外に逃げ出したのだと見せかけて、街の中にかくまえばいい。そうすれば、一座の人間の目も門衛の目もあざむくことができる」


 僕はナセルとアズファンさんに、アリージュと初めて会った場所の話をした。あの廃墟群ならアリージュも知っているし、この街に不慣れな一座の人間は簡単にたどり着けないだろう。


「確かに、あそこは近隣の人間も寄りつかないしな。でも、俺の家で匿うほうがサルファも安心じゃないか? 部屋なら用意できると思うが」

「それだとバレたとき、カリーラ家の関与が決定的になってしまいます。カリーラ家はこの街でも有数の名家です。土地にも詳しいので一座から踊り子捜索の協力を求められる可能性もありますし、ナセル様の立場が危うくなります」


 アズファンさんの言葉に僕は頷いた。今回の件でナセルに頼りはするものの、迷惑をかけることだけは避けなければならない。ナセルは人情に厚い男なので、僕のためなら迷惑を迷惑と思わないだろう。ナセルとは違い、アズファンさんは僕のことよりナセルのことを優先して考えてくれる。第三者の視点で見守ってくれるアズファンさんの言動は、ナセルが危険なことに踏み込みすぎるのを止めてくれる。僕にとっても安心できる存在だった。


「そう、ザマの管理をしているカリーラ家に依頼がくる可能性は高い。でも、そこも利用できると思うんだ。アリージュが砂漠に一人で逃げたと錯覚させておけば、きっと土地勘のある人間を使って探そうとするだろう。そこで、ナセルに協力を要請するように仕向けるんだ」


 ナセルは僕の考えを悟ったのか、口端を微かに上げて僕を見た。


「なるほどな。俺が踊り子を捜索することになれば情報も攪乱かくらんできるし、良いタイミングでおまえらをこの街から出すこともできる、か」

「そういうこと」 


 僕はあぐらをかいて座っている床に、この街の地図を指で描きながら説明を続ける。僕の指先を目で追うナセルの顔が、ランプの火でほのかに照らされていた。


「この街は三方に門がある。西門、東門、そして北門。今回のキャラバンは首都との交易を行う予定だから、西門から出発するだろう。僕はキャラバンに同行して西方行路を一日進んで、そのあと引き返して南経由で東の廃墟群の近くまで戻る」


 僕から見て左に指をずらしたあと、切り返して右にゆるく線を描く。ナセルが「ちょっと待て」と僕を制した。


「砂漠の中をか? この時期、南方は砂嵐の頻発地域だ。砂嵐に遭ったらどうする? キャラバンタが何人もいるなら対策の打ちようもあるが、一人だぞ。危険だ」

「多少の危険は百も承知さ。だからこそ、万が一カリーラ家以外の砂漠に詳しい人間が捜索に参加したとしても、欺くことができる。北回りで東まで歩くことも考えたけど、門衛もいるしバレる可能性が高い」


 そう説明すると、ナセルは口元を押さえながら黙った。危険を冒すのは避けたいと考えつつ、代替案が見つからないのだろう。そんな自分に苛立っているのか、あぐらを組んだ膝が細かく上下に揺らされている。


「ナセルとアズファンさんには、その近くの壁を壊しておいてほしい。人ひとり通れる穴があればいい。そこから僕がアリージュを連れて出て行く。僕たちが街を出た段階で、ナセルは一座の人間に捜索結果を報告しに行ってくれればいい」

「何と報告する?」

「僕が一座の目を欺き、実はアリージュと二人で外で落ち合って砂漠を逃げていた、と。そしてナセルの部下が砂漠を捜索していたときに、砂嵐に遭って死んだ二人を発見したと言ってくれ」


 アズファンさんが、消えかけたランプの火を調整しながら僕に問う。


「それで一座の人間が信用するでしょうか? サルファ様のお話を聞く限り、かなりアリージュさんに執着していると見えますが」

「俺の証言だけでは難しいだろうな。何か証拠がないと」


 ナセルが補足するように言った。もう一度ランプの火が大きくなり、部屋全体がだいだいに照らされた。


「僕とアリージュしか持っていないものをナセルに渡しておく。それを一座の人間に見せれば、僕とアリージュの死を信じさせることができるはずだ。 ……と、いうことだ。これで、僕とアリージュは一度死んで、二人でこの街を出られる。どうだろう?」


 僕が可否を問うと、ナセルとアズファンさんは沈黙した。ナセルは深く溜息をついた。肯定する意志が吐息に含まれていた。

 そうして、僕たちはこの計画を実行に移したのだった。

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