21 嘘

 「どういう風の吹き回しだよ? ウチで働きたいだなんて」


 アリージュに会った翌日の昼下がり、僕はナセルの家の一室でナセル相手に頭を下げていた。ナセルの家――カリーラ家の屋敷は、ザマ管理の仕事をしていることから、キャラバンの隊長や街の役人たちの出入りが多い。その分、一歩踏み入れると古いながらもどこか威厳のある空気を感じる。僕はその一角の、一番小さな応接室に通されていた。大きな砂岩で作られた床は綺麗に磨き上げられており、壁にはキャラバンで手に入れた遠い異国の織物などが色とりどりに飾られている。細かい目で丁寧に織り込まれた織物は、カリーラ家の家風を表しているかのようだった。その壁の前に据えられたソファには、ナセルが不思議そうな顔をして腰掛けている。僕が答える前に、ナセル付の使用人のアズファンさんが部屋に入ってきて、クルル茶を出してくれた。炒られたクルルの葉の良い香りが、僕とナセルの間の空気を少し軽いものにした。僕はアズファンさんに御礼を言ってから、ナセルにまっすぐ向き直った。


「お金がいるんだ。次のキャラバンまでに」


 アズファンさんに給仕されたクルル茶をナセルも一口すすった後、ナセルは胸の前で腕を組む。アズファンさんがポットを給仕用の机に置いてナセルの背後に立ったと同時に、ナセルが切り出す。


「そりゃあそうだろうが、何に使うんだよ。この間のキャラバンの金はまだあるだろうし、次のキャラバンに参加すれば別に金には困らないだろ?」


 お金の使いどころを訊かれるのは想定していた。僕は声が上ずらないように慎重に、前もって用意していた答えを口にする。


「ナセルの家のザマを買いたいんだ」

「ザマを買う?」


 ナセルは組んでいた足を下ろして前のめりの姿勢になる。口元が引きつらないように、僕は笑顔を作る。


「うん。昨日、今度のキャラバンで何頭かザマを売る、って言ってただろ? その内の一頭を、僕が買って家畜にしたいんだ。これから僕もキャラバンに参加し続けなきゃいけないし、そろそろ自分用のザマを持ってもいいかと思って」


 キャラバンに参加して生計を立てる人たち、いわゆる“キャラバンタ”は、自分自身が乗るためのザマを所有している人も多い。カリーラ家などが用意する、いわゆる「貸しザマ」は、主に荷物を運搬する目的で借り出される。キャラバンタは、移動時の負担を軽減するため、ザマに乗って参加する人もいる。飼っているザマに乗ったり、キャラバンの隊長から運搬用とは別に移動用にザマを借りたりする。もちろん、借りた分の費用が賃金から引かれる。移動用のザマの手配方法は様々だが、一番安くつくのは自分のザマに乗っていくことだ。普段から飼育にお金はかかるが、キャラバン隊の隊長が借りたザマをまた借りるとなると、二重に費用がかかってしまい、決して安い金額ではなくなってくる。僕はこれまで徒歩で参加したり、知り合いのザマを借りたりしていたが、そろそろザマを所有してもいいだろうと思った――という話の筋であれば、ナセルも違和感は持たないだろう。何も言わず茶を飲むナセルに、僕は畳みかけるように話を続ける。


「もう少しでザマ一頭買えるくらいのお金が貯まるんだけど、まだちょっとだけ足りなくて。せっかくなら、次のキャラバンから乗っていきたいんだ。だからナセルの所で働かせてもらった給料を足しにして買わせてもらえないかと」

「なるほど。まあ、サルファはザマの飼育ならキャラバンで慣れてるだろうし、仕事に関して心配はないしな……」


 ナセルは信じてくれたのか、自分の顎をさすりながら何か考えているようだ。ナセルの空になった杯に茶のおかわりを注ぎながら、アズファンさんが口を開いた。


「よろしいのではないですか? 先日ちょうど、ザマの飼育担当に欠員が出たばかりですし。これから次のキャラバンまで忙しくなりますし、別の飼育員を探すまでのつなぎをサルファ様にお願いすれば」


 普通、ここで雇用主に口を挟む使用人はいないと思うのだけれど、ナセルの度量の深さなのか、全く意に介していないようだ。ナセルはアズファンさんからおかわりを受け取って勢いよく飲んでから、手で両膝をぱんと叩いた。


「よし。サルファを一時雇用する件とザマの購入を検討している件については、俺から親父にかけあっておくよ。明日には正式にザマの購入費用を提示するから、それで購入するかしないか最終決定してくれ」


 ナセルの口ぶりはいつもの快活な若者というよりかは、仕事人のものだった。僕は勢いに圧され、慌てて無言で頷く。


「アズファン、昨日契約を交わした隊長にも連絡する準備をしておいてくれ。明日サルファが購入することになったら、もう一度交渉しに行く必要があるからな」

「かしこまりました」


 アズファンさんは予想どおりだったのか、動じずに筋骨隆々とした体を曲げて一礼した。ナセルに礼を言うと、ナセルは右手を振りながら笑う。


「そんなに改まらなくてもいいって。むしろ昨日迷惑かけた借りを返そうと思っただけだ。本当に悪かったな」


 咳払いをして謝るナセルを見て、僕は目をそらしてクルル茶に口をつけた。


 ザマを買いたいのは本当だ。砂漠で自由に使える足があって困ることは何もない。しかしザマを一頭買うだけなら、これまでキャラバンに参加して細々と貯めてきたお金で足りる。今の僕には、さらにお金がいる。


 昨日の夜、これからどうすればいいか、僕はどうしたいのかを必死に考えた。選択肢としては三つある。

 一つ目は、アリージュを一座から解放するために、僕がアリージュを身請けすることだ。アリージュがこれから一座で働いて稼ぐはずのお金を僕が肩代わりし、アリージュの身柄を自由にする。そういう仕組みがあることは知っているが、アリージュはまだ若いし、一晩であの金額となると、僕ではとうてい払えないだろう。

 二つ目は、次のキャラバンまで、アリージュとの思い出を作ること。会いに行けるだけ夜を共に過ごすこと。貯蓄をはたけば、お金は足りる。でも、二週間後には元通りだ。アリージュともう二度と会うことはないし、僕はこの廃れゆく砂の街で独り生きていくことになる。

 昨夜家に帰ってから、僕は久しぶりに父さんと母さんの遺品を取り出した。ところどころ錆びついているが、手に馴染む懐中時計。懐中時計の後ろには、父さんと母さん、そして僕の名前がナイフか何かで彫られている。もうずいぶん浅くなってしまった溝を指でなぞったとき、僕はこのまま元の生活に戻ることはできないと思った。

 僕が選んだのは、残る一つの選択肢だった。それにはお金がいる。時間はあと二週間もないけれど、やれることをやるしかない。


 明日の午前中に屋敷にもう一度訪ねるとナセルに伝えて、屋敷を後にした。アズファンさんが、広い敷地の外まで見送ってくれた。家路につく。ナセルに嘘をついてしまった罪悪感で胸が押しつぶされそうになり、深呼吸をしようと空を仰ぐ。


 空には新しい綿のような雲の塊がいくつも浮かんでいる。風で流される雲を見ながら、「もう後には戻れないな」と心の中で独りごちた。

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