赤髪鬼

 黒煙を銀の軌道が切り裂く。



 絶え間ない斬撃を躱しながら、ゴールディは黒い鎧に包まれた手刀を放った。

 オレアンは素早く身を引き、剣を振り上げて攻撃を弾く。


 ゴールディは薔薇色の瞳を歪ませて拳を握る。

 赤い閃光ががら空きになった脇腹めがけて発射された。

 オレアンは崩れた要塞の壁を足場に旋回し、彼が一寸前までいた場所を光線が焦がす。



「凝縮した魔力か……」

 二撃目の光がオレアンの制服の裾を貫いた。

 熱とひりつく痛みに眉をひそめ、彼は剣を持った右手を背後に隠して低く構える。


 ゴールディは瓦礫を蹴って跳躍した。

 影が躍りかかる瞬間、オレアンは手首を返し、先刻破られた服の裂け目から剣撃を放った。

 完全な死角から突き出されたひっ先がゴールディの額を掠める。


 真っ白な顔から流れ落ちる血を舌で受け止め、彼女は皮肉な笑みを浮かべた。

「騎士にしては随分野蛮なのね」

「育ちが悪いもんでね……」

 オレアンは脇腹を抑えながら平静を取り繕って答える。

 浅いはずの傷口からの出血が止まらない。



 腹筋に力を込めて傷を塞ぎながら、彼は瓦礫の影に視線をやった。


「それは魔王の力だろ。どこで手に入れた」

「私の狼たちが運んできたのよ。つまらない雪崩に捕まって死を待つだけだった私に」

 ゴールディの額に黒い霧がかかり、つけたばかりの傷が消し去られる。


「魔物に救われ、魔物になった。この力は魔族のために使うわ。その中には恩知らずもいるようだけど……」

 彼女は横目で崩落した要塞の壁を見つめた。

「貴方が時間を稼いで逃がそうとしてる下等魔インプがその代表ね」

 瓦礫から小石が跳ね落ち、煤けた麦色の髪が揺れた。



「私の望みは魔王陛下と同じ、魔物のための建国よ。貴女はどうして人間の味方をするの?」

 剣を構えたオレアンをゴールディの放った光が制する。


 音を立てて焼け溶けた壁の向こうから、紙のような顔色をしたカルミアが現れた。

「大層なこと言ってるけど、あたしが食べるものも寝る場所もなくて凍えてたとき、あんたは何をしてくれたの……」

 細い肩の後ろでピトフィーがぐったりと横たわっていた。

「ここのひとたちはね、少なくとも食べ物をくれた。あたしは犬みたいなもんだから、先のことなんか知らない。昨日餌をくれたひとについてくよ……」

 焦げた服の裾を握りしめる拳が震えていた。


「そう……」

 ゴールディはつまらなさげに彼女を見下ろすと、オレアンに視線を移した。

「時間を稼いでいたのは貴方だけではないわ。そろそろ頃合いね」



 弾かれたように顔を上げたオレアンの耳に、獣の唸りが響いた。


 要塞に満ちる蒸気と熱をかき混ぜるように、重厚な足音が押し寄せてくる。

「何だ……」

 狼狽するオレアンにゴールディが冷たく返した。

「私の狼たちが敗走兵の掃討を終えたようね」

「逃げたひとは殺さないんじゃなかったの!?」

 カルミアの叫びに咆哮が重なった。


 雪と血を浴びた灰色の毛の軍勢が廊下を埋め尽くしている。

 カルミアとピトフィーを見留めた魔獣が一斉に駆け出した。


 オレアンは身を翻し、人狼ウェアウルフの群れに斬りかかろうとしたが、立ちはだかったゴールディに阻まれた。

「終わりよ」

 氷のような哄笑に集中を乱されたオレアンがたたらを踏み、放たれた蹴りに剣を取り落とす。


 ゴールディがとどめを刺そうと構えたとき、黒い突風が彼女の身体を吹き飛ばした。



 狼たちがたじろぎ、わずかに減速する。

 次の瞬間、銃声が鳴り響き、一体の人狼ウェアウルフの頭から赤い花が咲いた。

 鋭い牙を剥き出した魔獣たちの上に影が落下した。


 血濡れの鬼が人狼ウェアウルフの頭蓋にナイフを突き立てている。

 振り払おうと最期の抵抗をした魔物を蹴倒し、ひっ先を抜いた鬼が、背後に押し寄せる群れに鋭い眼光を向ける。

 鬼は飛びかかった狼を躱し、首の毛皮を掴むと喉にナイフを突き立てた。


 襲いかかる魔物をナイフ一本で虐殺した男が赤く濡れた髪を振るう。

 カルミアは恐怖と安堵がない交ぜになった声で彼の名前を呼んだ。

「スルク隊長……」

 全身から返り血を滴らせたスルクが喉を震わせた。

「よく持ち堪えた!」



 見開いたオレアンの目に二体の漆黒の魔物が絡み合うのが映る。


 魔物は互いを弾き合い、両端の壁へ飛び退った。

 ゴールディが顔を歪ませる。


 彼女に相対した黒い魔物は鎧の兜を払いのけた。

「手前が一緒に来いつったのに、勝手にどっか行っちまうからよぉ……」

 黒いもやが霧散し、荒れた白い髪が現れる。

「俺から会いに来たぜ、ゴールディ!」


「ゼン!」

 オレアンが剣を拾って叫ぶ。

「何で手前がここにいんだよ」

「俺が聞きたい」

 素早くゼンの傍らまで移動し、剣を構えたオレアンが首を振った。

「まぁ、いいや。わかんねえけどここ守ってくれてたんだな」



「どうやって出てきたのかしら」

 ゴールディはわずかに亀裂の入った鎧の胸に触れて呟く。

「ちょうど首が通れるくらいの穴があったからな。スルクにバラしてもらって、牢屋の外で組み立てて出てきたんだ。お前に殺されたときより痛かったんだぜ」

 ゼンが犬歯を見せて笑う。



「一応聞いとくけど、俺たちの敵ってことでいいんだよな」

 ゴールディは溜息をつき、金の耳飾りを揺らした。

「そうね、残念だけど」

「何が残念なんだよ」

「貴方が好きだったからよ」

 ゼンが小さく目を見開いた。

「何て言うと思った?」



 ゴールディが新雪と同じ色をした頬に苦笑を浮かべた。

「残念なのは貴方が私を選ばなかったことよ。私を愛さなかったこと」

「俺は……」

 彼女はゼンの言葉を遮った。

「私を愛してくれていたら、私も貴方を愛した。そうしたら、贄にできたのに」

 ゼンは無言でゴールディを見返した。

「魔王が力を得る条件を知っているでしょう? 愛する者を生贄に捧げること。ただの人間じゃない、魔王の魂を持った貴方を贄にできたら、どれほどの力が得られたかわからないのに」



 ゼンは俯いて口をつぐんだ。

「傷ついた?」

 ゴールディの長い髪が要塞に満ちる蒸気になびく。

「……考えてたんだよ」

 ゼンは顔を上げた。

「……よく考えたら、お前より俺の師匠のがずっと美人だったってな!」

 ゴールディは表情を崩さないまま、一呼吸置いて口を開いた。

「私も考えてたわ。貴方は私の狼たちにちっとも似てない。狼の方がずっと賢いもの」

「嫌な女」

「馬鹿な男」



 ゼンとゴールディは向かい合い、拳を構えた。

 魔王の魂を持ったふたりが激突した。

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