第89話 ヒーロー

 彩は目的もなく急いでいた。人と軽くぶつかろうが、気にしないくらい。

「彩さん?」

 後方から聞き覚えのある声が響いた。足を止め振り返ると、そこには徳永が立っていた。

「やっぱり彩さんだ。」

 徳永は微笑んでBARを指さした。

ご相談・・・に乗りましょうか?」

「…よろしくお願いします。」


 店のドアを開くと、カランコロンとドアベルの小気味良い音が鳴った。

「久しぶり。相変わらず悩んでるね?」

 カウンターに着くと徳永が意地悪く笑った。

「カウンセラー・徳永さんの腕の見せ所ですよ。っていうか、久しぶりって程でもないでしょ。」

「相変わらず素直じゃないんだから。」

 徳永は彩にオリンピック(待ち焦がれた再会)を贈った。

「僕にとっては、今日まで長かったよ。鉄の鎧、まだ脱げてないみたいだね。」

「鎧の紐が絡んで脱げないの。」

 彩は送られたカクテルに口をつけながら、オーロラ(偶然の出会い)を彼に贈った。

「…つれないなぁ。それにしても今日は随分と焦っていたみたいだけど、何かあった?」

「…皆してヒーローをお勧めするんだもん。」

「ヒーロー?」

「そう。ピンチの時に必ず現れて助けてくれるスーパーマン。」

「彩さんはその人じゃ駄目な理由でもあるの?」

「だって、ヒーローは皆のものじゃない。」

「物語にはヒロインが必要だよ。」

「それはそうだけど…。私はヒロインにはなれない。」

「十分美人だけどなぁ。」

「そういうことじゃなくて。」

「あ、自分が美人だって認めたぁ(笑)」

「違うってば!」

「あはは。…ヒーロー、ねぇ。」

 徳永は茶化すことをやめて、真面目に考えることにした。

「僕が思うに、男は皆ヒーローになりたいんだよ。…たった一人のひとの為に。」

 彩は徳永と視線がぶつかり狼狽えた。

「そ、その人は皆のヒーローなの。」

「結果的にそうなっちゃってるだけじゃない?」

「人が良すぎるの。」

「そうかなぁ〜?誰の前にでもタイミングよく・・・・・・・現れて助けてくれる人なんて、実際に存在するかなぁ?」

「…そんなはず無いじゃない。」

 彩は徳永の言葉を否定しつつも、あの日佐藤の言った”ヴァイオレットフィズ”が引っかかっていた。

 あの時は”困った時は頼れ”と言いたいのだろうと解釈していたが、もし徳永が言う通りだったら…?

(そんなの、都合が良すぎる。)

 彩はグラスを握りしめ頭を振った。

「徳永さんも、そのヒーローをお勧めするの?」

「いや?僕は僕をお勧めするよ?」

 彩の質問に当然、といった風に徳永は答えた。

「えっ、徳永さん?」

「当たり前じゃん。彩さんは、僕のどストライクだって言ったでしょ?」

 照れもせずにそんな事を言える彼に、彩は驚きつつも感心してしまった。

「徳永さんって、ほんと飾らずに自分を売り込むのが上手いね。」

「営業で鍛えられたかな。それより…」

 徳永は彩の手に自分の手を重ねた。

「!」

「僕とそのスーパーマンを比べた時、優先度はどちらが高い?」

「そ、それは…。」

「…うん?」

 徳永は甘い声で囁き、彩と距離を詰めた。


カランコロン


 彩が答えようとした瞬間、ドアベルが鳴った。

「…こんばんは、佐藤さん。」

 徳永はさっと彩から離れて店に入ってきた男性に挨拶した。

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