第6話

 正陽の作戦はいたってシンプルだった。とりあえず紅子に正陽が一人で近付き、気をそらしている間に他の三人が間合いを詰める。そして、二反田の部屋にて動機と言い分を聞く。彼はそういう平和的解決を願ったのだった。

 正陽が中庭に入ると自動販売機の陰から、帰宅した主人をお迎えする小型犬のように小走りで紅子が近付いてきた。正陽の前まで来ると顔を真っ赤にして急にもじつき始めた。


「あの、すみません。紋之助さ――じゃなくて、向江正陽さんですよね? 私、左門紅子と云います。あの、その……、手紙――」


「わかってますよ。手紙ありがとうございます」紅子が云い終わらないうちに彼はそう云い、歯を薄く見せて笑った。


「あ、ちゃんと手紙は読んでもらえたんですね。読まずに捨てられたんじゃないかと思って心配してました」紅子はそう云ってはにかみながら視線を落とす。


 その瞬間、それを見逃さず死角から三人が素早く間合いを詰める。


「――手紙を書くのはいいけど、いささかやる事が過激すぎやしませんか、お嬢さん?」朗はそう云いながら紅子の右脇腹から手を廻し、腕を逆関節にロックする。二反田も朗と同様に左腕をロックした。


「な、なんですか、あなたがたは! それに教授まで」紅子は怯えた表情を浮かべる。


「大丈夫、安心して。あなたが抵抗しなければ乱暴なことはしません。だから落ち着いて」棗がそう云うと、紅子の顔色が変わる。


「あ、あなたは!」紅子は棗を睨みつける。「この泥棒猫! 私に紋之助さまを返しなさい」


「とりあえず落ち着いて紅子さん。そうじゃないと、あなたの右隣に居る男は乱暴者ですよ」そう棗が朗を指差すと、朗が意外そうな顔をして驚く。続けて棗が軽くうなずいて合図を送り、それを見て朗が仕方ない、といった顔をした。


「お嬢さんが暴れるならあ、こちらにも考えがありますよお」朗は目を剥き、口をぱかっと開けて歯をがちがち鳴らしつつ紅子の顔を覗き込んで狂気を演出した。これが案外、効果的だった。


「ひいっ」紅子は小さく悲鳴を上げ、それきりおとなしくなった。


 紅子を拘束した四人は教授の自室へ場所を移すことにした。




「――私、そんなことしてません! 自動車の免許だって持ってないのに」


 あの夜、正陽と棗を襲った狂車は紅子の仕業ではなかった。


「それに、私を拘束するのは止めてください。ただ私は憧れの紋之助さまと語らいたかっただけなんです。だけど、あなたと仲良く歩いている姿を見て嫉妬に狂ってしまった。それで少しばかり行き過ぎてしまっただけです……。ごめんなさい」涙を流し紅子はうなだれた。棗は持っていたハンカチを紅子に渡す。


「紅子さん、あなたの気持ち分かるわ。私も、紋之助さんが大好き。あのね、私は――」


 正陽と棗は自分達のいきさつを紅子に語った。その話を聴いて紅子は驚き、そしてさらに涙した。


「――あなたが、光代さんだったのですね。ホントは私、あなたの一途な愛に憧れて目井松紋之助を読み始めたんです。悲恋の末を考えると、いつだって胸が締め付けられました」


「紅子さん、二人のこと分かってくれますよね?」朗も目に涙を浮かべていた。「ファンである貴女が成すべきことは、二人が望むことを応援してあげることじゃないか、とおれは思うんです。どうですか?」


 紅子は朗の問いに深くうなずいた。


「ええ、あなたの云う通りだと思います。一番のファンとして二人の、いえ光代さんの幸せを祈りたい。二人の邪魔をして、本当に申し訳ありませんでした」


 すると突然、紅子は持っていたバックの中に手を入れる。四人は咄嗟に身構えた。


「あのこれ――」そう云って紅子は色紙と油性マジックを申し訳なさそうに正陽と棗の前に差し出す。


「紋之助のサインを下さい。もちろん光代さんのサインもお願いします」


 身構えた四人から笑いが溢れ出す。


「――紅子さんへ、って書いてください」




 紅子を見送り、正陽は朗にラブレターの下書きを渡した。


「はい、これ。こいつを参考にして、お前一人でラブレターを完成させるんだ」


「ちょっと待ってくれ。最後まで手伝ってくれるんじゃなかったのか?」


「すまないが、おれたちはこれから直ぐに旅立つことにするよ。誰も知らない土地で静かに暮らそうと思う。もうこんな厄介事は勘弁だ。紋之助と光代ではなく、正陽と棗として人生を歩んでいくよ」正陽は棗の腰に手を回す。


「分かった。そういうことなら自分で努力してみるよ。それでどこに行こうってんだ」


「うむ。それがな、教授の親戚の住む街が空き家対策として、新婚さんが空き家に引っ越してくると家賃やら改修費用の補助金が出るらしいんだ。南国だから過ごし易そうだし、そこに行ってみようと思う」


「そうか、寂しくなるな」


「悲観するな。おれたちの門出だ。喜んでくれ」


「それもそうだな。全くその通りだ」そう云って朗は正陽と肩を組む。


「うむ。友情とは愛情の次にかくも美しきものよ」二反田がそう云い、ふと何かを思い付いた朗が尋ねる。


「そういえば、教授はなぜ、この二人にそこまで協力してくれたんですか? やっぱり文学に携わる者としての使命感ですか?」


「いや、違うよ。私は、光代の父親の生まれ変わりなんだ。前世では二人の結婚を許さなかったばかりに、取り返しのつかないことが起こってしまった。私はずっと後悔していたのだ。だから今度は二人とも幸せにしてあげたかった。それに、時代は変わったからのう」優しい眼差しで二反田は幸せそうな二人を見つめた。

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