第2話 師匠の背中
「お前らがまともに勝負する気がねぇなら、こっちだって考えはあんだよ。元剣魔七雄、イサーク=スィマトが相手してやらぁ」
「し、師匠!?」
お嬢はいつもの優しげな眼差しではなく、正に師匠のものであった獲物を狙う猛禽類の目に変わっている。
師匠は予備動作もなく門下生たちの中に斬り込むと、壮絶なまでの身体強化を使いこなし、男たちを気絶させていく。まるで、お前ら相手に武器はいらねぇと言わんばかりにだ。
お嬢の華奢な身体が美しく舞う傍で屈強な男たちが倒れ、投げ飛ばされていく様は違和感しかない。男たちのリーダーであるレオポンのみならず、俺もまた唖然として開いた口が塞がらないのだ。
「こんなもんか」
師匠の声がそう言ったとき、残っている敵はレオポンと魔術師の二人だけだった。
「こんなもんってなぁ、俺のじゃねぇぞ。イルナの限界がこんなもんってことだ。おい、フェルサ」
「は、はい、師匠」
「あと二人、責任持って痛い目に合わせろよ。手加減なんかすんなよ」
「わ、わかりました」
「あと、もうちょっとイルナのことを気遣ってやれ。こいつぁ、腹の据わり方は大した女丈夫だが、まだまだ未熟な女の子だ。俺にとっちゃあ、可愛い可愛い姫様なんだ。もう少し近い間合いで守ってやってくれや」
「はい、すみませんでした」
師匠はお嬢の顔でにっこり微笑むと、急に気配を消した。倒れそうになったお嬢を、俺が抱きとめて、ゆっくり寝かせる。
「さて」
俺は立ち上がり、レオポンと魔術師をにらみつける。
「よくわからないが、とにかく師匠に怒られた。俺にもどういうことか、さっぱりわからないけどな。なぜああなったかの事情は俺も知らんが、お前らを痛めつけろと言われた。師匠の命令は絶対だ。俺もそうしたいしな」
レオポンはガタガタ震えだし、魔術師は小声で魔法の詠唱をしているようだった。
師匠の動きを思い出し、予備動作なしで間合いを詰めてみる。目の前にある魔術師の顔に、全身全霊の右拳を叩き込む。
グシャっという嫌な音が響き、鼻と口から大量の出血をしながら魔術師が仰向けに倒れる。
「喧嘩殺法、レベル0、鼻柱砕き」
俺が冗談を言ってみると、魔術師を頼っていたらしいレオポンが真っ青になって土下座をしていた。目にも止まらぬ早さだったので、これが土下座でなくて攻撃だったら危ないところだった。
「立て」
「ひいいいぃ。ご、ごめんなさい、許してください、命だけは……」
俺が首根っこをつかんで起こそうとしても、巧みな体重移動で起こさせない。これもまともに武術に活かせば、なかなかの資質といえるだろう。
「おい、レオポルド=アルマンサ。アルマンサ流師範代の実力はこんなものか。人づてに聞いた話だとなかなかの腕前と聞いたが、会ってみたら、お漏らしレオポンのことだったとはな。ことの顛末をお父上に話してもいいか」
「ダ、ダメです、それだけは。父には内緒にしてくださいぃ」
「なら、立て」
「それも、お、お許しを。痛いの嫌いなんです、鼻とか折られたら泣いちゃいますっ」
「そうか。じゃあ、踏んづけてやるか」
俺が首根っこから手を離し、右足を上げてみると、レオポンは蜘蛛のような気色悪い動作で、器用に土下座のまま素早く距離を取る。関節も柔らかく、身体の統合操作が出来ているからこその気色悪い動作だ。
「そ、それもお許しを。泣いちゃいます、泣いちゃいますよぉ」
そのとき、俺は気づいた。レオポンの股間から、滝のように流れ出す液体があることに。
「お前、お漏らし癖、治ってないのか?」
俺の言葉にレオポンは素早く立ち上がり、両掌を振ってみせる。
「ち、違うんです、こ、これは汗です。滝のような汗なんですっ」
「もろに股間からポトポト垂れてるじゃないか」
「わ、私は股間が汗かきで、その、つまりは、汗なんですっ」
俺は何もかも面倒くさくなり、妥協することにした。
「わかった。じゃあ、その汗、お前が自分で掃除しろよ。そんなことをアルマンサ流の門下生に押し付けるなよ」
「畏まりました! 自分で掃除します」
「門下生が起きたらその都度謝って帰らせろ。けが人の治療費はお前が持てよ。血の一滴、お前の……股間汗の一滴、道場に残すなよ。わかったら、早く掃除始めろ」
「はい! 喜んで!!」
レオポンはいそいそと掃除を始める。
俺はお嬢を抱え上げると、道場の奥にあるけが人用のベッドまで連れて行く。そこでお嬢を下ろし、毛布をかける。
まだあどけなさが残るお嬢の眉間にシワがよっており、こんな心労をかけた商人とレオポンに対する怒りがまた湧き上がって来るが、深呼吸をして自分を落ち着かせる。
しばらくして道場の様子を見に行くと、レオポンが律儀に俺の言った通りの対応をしている。アルマンサ流の門下生たちは不思議そうな顔をする者もいれば、露骨にレオポンを見下した態度をとる者もいる。
レオポンの自業自得といえばその通りだが、師範代のくだらない行動を諫めることをしなかったなら、門下生たちもまた自業自得の一面があるだろう。
「俺も……」
クレト兄が逃げ出してしまったのも、俺や師匠が、クレト兄の面倒事から逃げ出す癖を直してやってなかったからだといえるのではないか。
俺には、クレト兄が本当に役人を殺したかどうかはわからない。カッとなると、必要以上の攻撃をしてしまうことはよくあった。ただ、それなりの理由があるときの話だ。
もし本当にクレト兄が犯人なら、自首をして弁明できうる理由があるだろう。犯人でなかったなら、なおさら逃げて得になることはない。しかし、そんな状況でも、クレト兄には面倒事から逃げる癖があったのだ。
俺は道場の隅でレオポンを見守りながら、自分が兄弟子のためにしてやれたはずのことを考えていた。
しかし、どんなに後悔しても、起きてしまったことは無くなりはしない。死んだ役人を生き返らせて謝ることも出来ない。今から出来ることをするしかないのだ。
「フェルサさん」
振り向くと、いつも通り優しげな眼差しのお嬢が心配そうに俺を見ている。
「お嬢、もう起きて大丈夫なんですか? めまいがしたり、ふらついたりしないですか」
「大丈夫です。心配してくれて、ありがとうございます」
「良かった」
俺は一安心しつつ、お嬢に師匠が乗りうつったかのような状況を、本人がわかっていたのか気になってくる。しかし、もし知らないのなら、そのままの方が良いように思える。
繊細な年頃のお嬢にわざわざ、あなたおっさんになりきってましたよと言う必要はないだろう。
墓穴を掘りたくない俺は、その話題を自分から出すことはしまいと決めた。ごまかすためにレオポンに目をやると、ちょうど最後の門下生が目を覚まして帰ろうとするところだった。
その門下生がこちらをちらりと見て、「人殺しの流派の癖に」と呟いたことに俺は気づく。カッとして走り出そうとした瞬間、レオポンがその門下生を殴り倒していた。
「俺の許嫁の流派を侮辱するつもりか!」
「クソッ、人殺しの流派に、馬鹿跡取りの流派かよ。もう関わりたくもない、馬鹿馬鹿しい」
捨て台詞を吐いて逃げ出す男を、俺もレオポンも追いはしなかった。
「では、掃除の仕上げを!」
そう言ったレオポンは、雑巾で一通り床を磨いたあと、頭を下げて帰って行った。
「レオポンさん、不思議な方でしたね」
俺はお嬢が股間汗のことを知らなさそうなのを幸運だと思った。
「あいつ、結構いいやつかもしれませんよ、顔だけならなかなかのものだし。ねぇ、お嬢」
俺がお嬢の顔色を確かめようと見ると、思いがけず不機嫌丸出しの表情になっている。
「……フェルサさんのそういうところ!」
遅めの晩飯を食い、屋敷に帰って寝るまでの間、お嬢はずっと不機嫌だった。
俺はずいぶん古い夢を見ていた。子どもの頃、似たような境遇の悪ガキ同士でつるんでいたときの記憶が関係してるらしい。
王の旗本といえば聞こえはいいが、それは当主と嫡男だけの栄誉だ。二男三男妾腹にはなんの関係もない、遠い世界の栄誉なのだ。
「おい、フェルサ。今日の上がりは?」
「すまない、今日はこれっぽっちだ」
ガキ大将の拳が飛んでくる。避けようと思えば避けられても、それをしてはいけないのが悪ガキの集まりでの決まりだ。
俺より三つも年上のガキ大将が、小さな俺を殴って良い気分になっている。彼も旗本の三男坊で、家で邪魔にされて、似た者同士つるんでいるのだ。
「もう一回行ってこい。稼げないやつは、もう仲間外れだからな」
「わかった……」
手段はなんでもよかった。スリでも置き引きでも、小金持ちの商人のガキを数人で取り囲んでカツアゲしても構わない。
旗本は武門の一族といわれるが、二男や三男の方が魔法剣技に適正があるとややこしくなるから、嫡男にしか稽古をつけない家が多い。
だから、旗本の子どもが街に集まっていても、武門の誇りもなければ、戦う技術もありはしない。旗本奴と呼ばれて、貴族からも庶民からも眉根をよせて見られる存在だ。
実際、身分の違いゆえに手を出せない商人や農民のせがれをいじめるだけのくだらないガキの集まりにしかならない。
俺は、いつでも一人で仕事をした。狙うのは、旗本の嫡男だった。下男にかしずかれて街を歩いているところを、隙を見つけては脇道に引きずり込み、殴り倒して財布を奪う。下男が財布を預かってるときには、下男もまたぶん殴って眠らせた。
当然、抵抗するやつもいる。けれど、剣と剣で一本勝負ばかりしているやつに俺が負けることはまず無かった。身体の大きいやつを効率良くのしてやる技術は、かつあげの実戦の中ですぐに身についたからだ。
たまには本人や下男にのされることもあったが、相手もこちらが旗本の一族であることや、自分の弟も似たようなものでお互い様だとわかっているのか、そう酷い目にあうものでもなかった。
「おい小僧。なかなか筋がいいな。全くの無手勝流、オリジナルなのか? 大したもんだ」
俺が旗本の嫡男風のガキをぶっ倒しているのに、そちらは無視して俺に親しげに話しかけてくる男だった。ただの下男ということではなさそうだ。
「なんか、俺に用か」
「応よ。俺は剣魔七雄のイサーク=スィマトだ。ここの坊ちゃんの護衛を頼まれたんだが、そんなことよりお前を弟子にしたくなった。旗本奴なんてやってねぇで、うちの道場に来て一流の魔法剣士を目指せよ」
「やだよ。俺が魔法剣士として強くなったら、うちの兄上の迷惑になる」
「他人ちの兄上はのして財布をとる癖に、自分ちの兄上には従順なのか。美しい兄弟愛だな、おい」
「うるせぇ」
「ふっ、より気に入った。お前がウチの師範になって、俺の養子になるなら、兄貴の迷惑になんてならねぇ。な、来いよ。城壁の外に出て魔獣狩りなんて、なかなか爽快で楽しいもんだぜ。まして、やつらをいくら殺してもいいんだぞ。最高じゃねぇか」
「魔獣狩りの趣味はない。あんたは生き物を殺すのが趣味のゲス野郎か。なら、退治しても褒められこそすれ、怒られりゃしねぇな」
普段は自分より明らかに強い相手と戦ったりしないのに、そのときの俺は妙に力一杯やり合いたかった。
俺はガキ大将から預けられていた短剣を鞘から抜いた。
「火の魔剣、レベル3、
火の魔法を纏った短剣を、素早く不規則に連続で突いていく。通常、子供が操れるのはレベル2まで、しかも、それが出来ればエリートと言われるので、俺はこの技を隠し球としていた。大人だって、レベル3を使える人間は少ないのだ。
勝った。俺は確信した。
男は油断しきっており、剣を抜くどころか、避けようとすらしていない。不意打ちに成功したのだ。
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