願いの帰路、金星より。

もくはずし

第1話

 ここは冷たい。いや、それは喜ばしいことだ。幾つもあるデスクのうち一番真ん中の席に座り、改めて感じる。冷たさこそが有難さなのだと。この冷たさこそが、今私のいる地下都市を流れる血流の温度なのだ。この血管が破れるようなことがあれば、私たち人類は滅びるだろう。保有する水は一定であり、これ以上劇的に増えることは有り得ない。私達が掘り進められるところに残っている水など、大して残っていないのだから。

 水は命の源である。それは誰もが知っていること。先人から受け継いだ命の水を守ることが、私達の使命である。ほんの僅かでも漏れ出たりすれば一大事であるため、貯水タンクが真下にあるここの区画は他よりも数度低い状態で保たれている。


 「おーい、ジオンゴ! お前さんもこっちきて一緒に打とうぜ」


 ここでは最年長のアントが休憩室のドアから顔を覗かせ、コマを摘むポーズをこちらに向ける。この仕事の内容と言えば、ボードゲームやカードゲームをして時間を潰すことが大半だ。大層な使命の割に、やるべきことは少ない。最も、これ程までに重要な仕事が多忙で難解であったなら、人類はこれまで幾度となく滅びていただろう。このシステムを作り上げた時代の人類には頭が上がらない。

 御伽噺では水の循環システムを脅かしうる現象、例えば地面が揺れ動いたり、火を撒いたりするそうだが、既に死んでしまったこの星では今更そのようなことも起きそうもない。至って平穏なものだ。最も、地表が平穏などという状態では無い為にこのような生活を強いられているわけであるが、そのおかげで温度差によるエネルギーの抽出によってエネルギー源には困らないのが救いであった。


 「ちょっと気分じゃないんだ。こっちで休ませてもらうよ」


 「休むなら仮眠室使ったほうがいいんじゃないか? そこの計器達と睨めっこしていたって、奴らは笑わないぜ」


 目の前の壁には私の身長ほどもありそうな大きなディスプレイと、それを取り囲むようにずらっとランプとメーター類が配置されている。正直全ての計器について理解できていないのが事実だし、ここの経験が一番長いアントでさえ、分からないものが半数を超えると言う。

 読むのに膨大な時間がかかりそうな分厚いマニュアルは厳重に死蔵されており、中身はおそらくここにいる人間誰も見たことが無いだろう。最も、現物の紙が貴重な上、口伝で仕事内容を伝えていても特に問題がない以上、なるべく消耗しないよう手を付けていない状態が最善とも言える。植物繁殖区画の広さは需要に追い付いている広さとは言えない。地下都市を設計した先人達の数少ないミスの1つである。

 埃を叩く時ぐらいしか触れない保管棚に目を向ける。少なくとも私がいる間、あれを開けていた人間を見たことが無い。20年、30年、下手をすれば100年単位で密閉されたままなのではないだろうか。もしかしたら、私達がこの場所に「密閉」されたときからかもしれない。

 

 やがて終業のチャイムが鳴る。アントと供にボードゲームに興じていた2人と軽口を叩き合った後、配給場へと足を運ぶ。ブロック状のタンパク・糖質塊と栄養補助カプセル、シャワーカード、電力カードが配布される。特に追加で発注していたものは無いので、いつもの面々を確認して自室へと歩き出す。

 この配給場には毎日約500人近くが殺到しているにも拘らず、何の合図も無しに整然とした列が形成され、1人あたり1秒もかからず物資が供給されていく。水の流れのように洗練された規則的な動きをしている自分達に、時々ぞっとする。普段であれば誰が電力カードを使いすぎている、夜中の喋り声がうるさいとかなんかで揉め事の絶えない私達だが、配給の際だけ誰一人喋らず、誰一人列を乱さない。最早遺伝子レベルに刻まれている行動なのかもしれない。この制度が実行され続けた年月を考えれば無理のない話だ。


 上を見ても下を見ても、どこもかしこも真っ白な廊下を歩いて自室を目指す。1人、また1人と同じ方向に歩いていた人々が扉を開けて、自室へと消えていく。不運なことに私は居住区画の一番端っこに住んでいるため、部屋に着くころにはだいたいいつも一人だ。通勤時間が長いと言うのは損をしていないだろうか? 部屋替えの要求が受け付けて貰えるのであれば、すぐにでも配給場の近くに移住したいものだ。

 歩いているといつもと違う風景に気が付く。所々天井に穴が開いており、廊下に土が少しだけ散らばっていた。空調ダクトの修理があると聞いていたが、天井裏に穴でも開いたのだろうか。配管関係もきちんと地下建造物として天井内部に張り巡らされているため、こんな住居区画で土なんて出ようはずも無いのだが。鉱物の掘り出し区画で見た時以来に見る茶色い土を踏まないように、大股で避けながら廊下を進む。放置されている、ということは安全なのだろうが、何が含まれているかわかったものではない。 


 漸く自室の前に辿り着く。ただいま、と声に出してドアを開けて部屋に入ると、一人娘のニエレが飛びついてくる。生まれてからもう9年、流石に突進の衝撃をそろそろ吸収しきれず、後ろによろけてドアに背中からぶつかる。


 「おかえり、お父さん! ニエレね、絵を褒められたの!」

 満面の笑みで帰宅を迎えてくれた娘を見て、私も口角が上がる。


 「それは良かった。どんな絵か、見せてくれないか?」


 娘はこの部屋に割り当てられたタブレット端末を操作し、今日の描いたものであろう絵を表示した。


 「おお、綺麗じゃないか。」


 黒い背景の中に無数の点が散りばめられている。点はお絵描きソフトで使用できる色を最大限使って全てが別の色で塗られていた。赤、青、黄、緑、橙、灰、茶……。綺麗な絵であったのは確かだが、一抹の不安が胸をよぎってしまい、表情が少し固まったのが自覚できた。


 「いや、すごいなあ。ところでこれは何を描いたんだ?」


 「これはね、お空! ここだと天井で見えないけど、お外に出て上を見るとこんな風になってるんだって!」


 嫌な予想は当たるものだ。やはり上層に関わる絵であった。


 「お空かぁ。誰から教わったんだい?」


 「授業で習ったの。でも上には行けないから見れないんでしょう?」


 「そうだね。お外は危ないからね。とっても熱いから、お外に出たらニエレは溶けてなくなっちゃうんだ。」


 「そうだよね……。それも習ったけど、でもいつか行けるようになるんでしょ?」


 「そうだね。きっといつか、お外に出れる日は来るよ」


 一先ず安心だ。ニエレはどちらかというと希望を持って外の世界について教えられたようだ。良い教師に巡り合ったと見える。

 その上、妻もまだ帰ってこないようで助かった。人類の閉塞問題についてとても恐怖を抱いている彼女が聞いたら、ニエレともどもパニックに陥るかもしれない。殆ど不足の無い、私にはもったいないくらいの良妻だが、人類の未来について抱いている不安が世界一大きいところだけが難点で、若いころよく苦労したものだ。

 そもそも、こんな年端の行かない少女に外の世界の授業をするのがおかしい、と考える。確かにいつか知り得る情報で、誰しも必ず考えなければならない壁だ。けれども、もうちょっと自分の一生について考えるのは、先延ばしにしてもいいのではないか? 大人でさえその話をするには少しばかりの気持ちの強さが必要なのだ。


 ご飯はお母さんが帰ってきてからと娘を諭し、シャワールームに連れて行く。原則として1配給につき1人1回の入浴であるが、眠くなってくるとシャワールームを嫌うニエレの為、先に帰ってくる私が配給を受け取り、ニエレに水浴びさせる任を請け負っている。配給係をしている妻が私より早く帰宅するのは稀だ。

 シャワールームは厳重に密閉された空間で、二重扉になっている。蒸発した水蒸気を漏らさないためだ。シャワーを終えると急速に室内を冷やし、液体として水を回収する仕組みだ。あまりにものものしい部屋の作りに、眠くなったニエレは入りたくないとしきりに駄々をこねてしまうのだ。

 そのうち玄関の開く音と共に「ただいまー」と呑気な声が聞こえてくる。娘は妻にも今日書いた絵を見せたくてうずうずしているようだ。どうしたものかと考えたものの、先延ばしにするくらいしか思いつかない私はニエレに提案した。


 「あの絵だけど、お母さんには明日見せよっか」


 「えー。何で!?」


 「明日帰ってきたらな、お母さんが返ってくる前に、こっそりとっておきの宇宙の事を教えてあげよう。絵を見せたときにそれを教えてあげればきっと驚くよ」



※   ※   ※



 「そうなの、もう上層のことを教えてるの」


 ニエレが寝静まった頃、妻のベッティに事前打ち合わせを行った。驚くべきことに彼女は上層の話をしても特に取り乱すことも無く、平然としたものだった。予想外の反応に自覚できるほどの動揺が抑えられない。


 「ああ、そうらしいんだが。キミは大丈夫なのか? その、こういう話は苦手じゃなかったかな?」


 「あら、いつの話をしているの? そりゃあ、若い頃は怖がりもしたけれど、今では家族も居て、別にここで一生過ごすのも悪くないかなって。そう思ったらなんだか平気になっちゃった」


 どうやら克服できた問題であるらしい。ならば私の妻に弱点は無くなり、完璧な存在となった。


 「若い頃って、今でも若いさ。でもそりゃあよかった。ニエレもあの様子じゃあ、落ち込むこともなさそうだしな。今までビクビクしていたのが取り越し苦労で本当に良かった」


 「そうね。地下都市は十分に広いけれど、ここから出られない、どこにも行けないって教わったら憂鬱になっちゃう子がたくさんいるって話だしね。ベットから出られなくなる子もいるだとか」


 「まあ明るいニエレのことだ、心配ないとは思っていたが、それでもな」


 「それより、あの子になに教えるつもりなの? 上層の情報なんて一般には公開されないでしょう?」


 それもそうだ。随時地上の情報は監視しているのだが、住民のパニックを避ける意味合いでそういった情報は統制されている。正直な話、私がニエレに教えられることなど、学校で習ったこと以上は話せなるものがない。


 「そうだった。なにかいいアイディアはないか? ちょっと困ってる」


 「そんなこと言われても、私だって分からないわよ。明日資料センターにでも行ってくれば」


 流石にそこまでの時間はなかろう、と思ったがどうせ暇な仕事だ。ちょっとサボったってばれやしないだろう。そう思って翌日仕事場に行き、雑談の中で娘の話をしたところ、あっさりと職場の脱出許可が下りてしまった。


 「だってなあ、規定で人数居なきゃいけないことにはなっているが、俺がこっちきてから仕事らしい仕事があったことなんて指折る程度だしなあ。間違って依頼が来る水道管修理を設備屋に投げる程度だ。1人いなくったってどうってことないだろ」


 そう言ってくれたアントに感謝しつつ資料センターに向かう。住民管理区画の一角に構えるその部屋は、業務時間中ということもありひっそりとしていた。散々歩き回った挙句、大した成果も上がらないままであった私は司書に話しかけた。白髪交じりの初老の男性はそういうことならと、話を聞いてくれたのであった。


 「上層のことについてですか。そういえばつい最近、上層で謎の物体が動いているらしいとの記事が出ていましたよ」


 彼が差し出したディスプレイに、その記事が映る。観測点4ヶ所に渡り地中レーダーが、地表の風向きに逆らって動く謎の物体が通過したとの観測結果を出したという。相も変わらず地表の温度は400度近くとても様子を見に行ける状態ではないのだが、一縷の希望があるかもしれない、という内容だ。


 「面白いですが、ちょっとインパクトに欠けますね……」


 「お子さんは9歳でしたっけ? でしたら、こういうのはどうでしょう?」


 ディスプレイ上に映し出されたのは絵本だった。表紙には、下部より盛大に炎が出ている細長い建物と、星々が輝く空に浮かぶ、ひと際大きい青い星が描かれている。

 

 「管理局上がりの方が書かれた絵本だそうでね。上層の教育を受けて参ってしまった子に特別貸与できるんです。内緒で貸してあげましょうか?」


 

※   ※   ※



 「あ、帰ってきた! お父さん、昨日の約束は!?」


 「そうだな。じゃあ隣に座ろうか」


 二人でソファに座り、タブレットの電源をつける。先程勧められた絵本がきちんと転送されている。


 「じゃあとっておきのお話を聞かせようかな。『6人の英雄』っていう絵本なんだけどね」


 「えー、絵本? 子供じゃないんだから、絵本はいいよー」


 1ページ目をめくると、緑色の植物と灰色の建物が入り混じる町で、人がたくさん歩いている絵が飛びだしてくる。


 「そう言わないで。実話が元になってるらしいから、きっとおもしろいよ。えーっと、昔々、私たちの星はまだ静かだったので、地上で暮らしていました」


 「すごい、地上で暮らすなんて! やっぱりおもしろいかも」


 「そうだね、続きを読むよ」


 ページをめくる。隆起した緑色の土地が天辺から赤く染まってゆく絵だ。


 「でも、地上は段々と住めなくなっていきました。私たちは生活する方法をいろいろ試しましたが、その中でも勇敢な選択をした6人がいました」


 ニエレは目をキラキラさせている。ページをめくると、白い防護服に包まれた6人が、広場で人々に語りかけているシーンが描かれている。


 「6人はこの星から抜け出して、かならず戻ってくると言いました。地面の下で隠れて生きていくと決めた私達を救うと言うのです」

 

 ページをめくる。伸びた6つの手が指さす先には、青い球体が黒い空に浮かんでいる。

 

 「あの星に、キミ達を連れていく。6人はそう言いました。今この星からみんなをつれていけなくても、あの青い星、水の星を人間が住める場所にして、助けに戻ってくると言ったのです。6人は見知らぬ土地でも生きていけるよう訓練されていますが、それでもなにがあるかわからない、危険な任務でした」


 ロケットについて注釈があったので読むと、ニエレの目の輝きが一層に増した。

 

 「宇宙に行く乗り物!? かっこいい!」


 次のページは表紙の絵だった。


 「彼らは危険もかえりみず、ロケットに乗って旅立っていきました。何があるかわからない、あの青い星で彼らは今もきっと生きているのです。おしまい」 

 

 ニエレは楽しそうにパチパチと手を叩く。その合間に、玄関から妻の帰ってきた声がした。


 「お母さんお帰り! あのねあのね、昨日書いた絵なんだけどね!」


 物凄い勢いで私の手元からタブレットを奪い去り、妻の元へ飛んでいくニエレ。やれやれ、シャワーはもうちょっと後になりそうだな、と食事の準備をする。

 その晩はニエレの独壇場だった。地表から遠く離れた地下奥深くで、ニエレの目は見えないはずの地上の光景を見ており、それを私達に語って聞かせた。


 ロケットの行く先は無限に広がる暗闇に青く輝く、水の星。その名の通り、水で覆われた希望の星。そこではシャワーも使い放題。どれだけ走りまわっても壁にぶつかることは無いし、人間が管理せずとも様々な生態が各々の活動を繰り広げている。

 一対の羽で空を飛ぶ生き物、水の中を進む生き物、地上を闊歩する巨大な四足の生き物。かつてこの星でも存在していたという幻の生き物達がそこにはいて、仲良く暮らしているのだ。当然、地下都市ではほんの僅かなスペースでしか見られない緑の植物なんかも、そこら中で見られるし、緑色に留まらず色とりどりの植物が地上を飾っている。

 人類はそんななかで地表を覆うほど大規模に繁栄して、そこにいる動物や植物を利用し、私達が考えつかないようなレベルの思考で、豊かな生活を送っている。彼らは無限の水と、無限のエネルギーと、無限の知恵を使って、世界の理を追及している高度な存在へと進化しているのだ!

 彼らの探究心は星の重力に留まらず、その足を星の外まで伸ばす。近くの星にたくさんの基地を造り、優れた技術によって本来は住めないような、過酷な星でも平気に暮らす。そこで取れる新たな資源と経験が、また新たな星へと彼らの歴史を紡ぐのだ。


 そしてお次は私達の国だ! 私達の星へ、数々のロケットが飛んでくる。無数のロケットは次々と地面を鳴らし、私達にヒーロー到達を報せる。

 地上に降り立ったロケットからは、人が入れる構造をもった大きなロボットが入っている。地表の嵐と熱と酸の雨に耐えるロボットが地面を掘り進み、ここに住んでいる人間を次々と救い出していく。

 私達を乗せたロケットが飛び立った後、生まれ育った星を振り返ると、黒い雲が渦巻いており、所々火を噴いている、地獄のような様相を呈している。向かう先は勿論水の星。彼らから受ける歓迎に返せる土産話は少ないけれど、がんばって彼らの役に立てるくらいに、彼らから学ぶのだ!

 私達を救うのが遅れたのはそう、地下に埋まってしまっているせいで見つけるのが遅れたからなのだ。彼らの救出の手はすぐそこまで来ているのだ!


 一通りの想像を語ったあと、ニエレはぐっすりと寝てしまった。


 「あ、ニエレをシャワーに入れてないじゃない」


 

※   ※   ※


 

 

 「おっす、宮野。相変わらずひでえ顔で大学来てんな」


 「あーあ、今日も大学だりぃよ。出席変わってくれー」


 「殆ど同じ授業受けてるし無理でしょ。それより、先週の複素関数論の小テストどうだったよ?」


 「余裕よ。あと2年もあれば単位取れるね」


 「留年してんじゃねえか。まだ授業始まったばっかりなんだから諦めんなよ」


 「数学系はなあ、勉強する気がなかなか起きねえんだよなあ。もうちょっとロマンある分野がじゃねえとなあ。量子とか、宇宙とか。俺は温暖化で滅亡する人類を地球から宇宙に送り出す!」

 

 「はいはい、妄想妄想。ってか宇宙で思い出したけどよ、金星から生命の痕跡が発見されたってニュース見たか?」


 「ああ見た見た、ロマンあるよなあ。もしかしたら宇宙人だって、本当は直ぐ近くにいたのかもな。火星ばっか取り沙汰されるけど、実は金星にいました!ってな」


 「まさか。地表は400度近い高熱で、硫酸の雲が覆ってそれが雨になって降ってくるんだぜ? 流石に無いだろ」


 「だよなあ。でも大昔からそんなヤバい環境じゃないって説もあるんだぜ。もしかしたら、俺達みたいな知的生命体存在していて、地上がヤバくなったから地下深くに潜んでるって可能性もあるんじゃねえのか?」


 「まさか、夢見すぎだよ。面白いとは思うけどな」



 

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